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第二十六ー二話 優しき子

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 それから、せっせと家庭菜園にも勤しむようになったデリック。真面目でまめまめしいデリックのお世話により、野菜の種は芽吹き、成長して、その実をつけた。
 そんなある日のことだ。俺たちが家庭菜園を覗くと、レタスの陰に何か小柄な黒い影が隠れていて、むしゃむしゃとレタスを食べていた。

「あっ、ボクがそだてたレタス!」

 デリックが泣きそうな声を上げたので、俺はその辺りに転がっていた木の棒を拾って、小柄な黒い影を追い払いにかかる。……が、その姿を見て、俺は驚いた。
 だって、子犬だったんだ。犬種的には、ヨークシャーテリアっぽい感じ。

「デリック、こい。子犬だよ」
「え、こいぬ?」

 とことことデリックもやってきた。子犬を見たデリックの顔といったら。子犬の愛らしさにメロメロになった顔で、「わぁ!」と歓声を上げた。

「かわいい!」
「そうだな。でもなんで後宮に子犬が……迷い込んだのかな」

 首輪をつけていないから、誰かが飼育している可能性よりも、野良犬の可能性の方が高い。でも、だとしたら親犬が近くにいるはずなんだけどな。どこに行ったんだろう。
 子犬を放置するのも忍びない。俺は白薔薇宮で子犬を一旦保護することにした。

「わっ、おとなしくしろっ」

 毛が汚れていたもんで、浴室でお湯を張った桶に子犬を入れ、洗ってやっているところなんだけど、これが嫌がって暴れ回るんだ。犬も水が苦手なのか?
 お湯があちこちに飛び散って俺は顔をしかめたけど、デリックは気にせず「だいじょうぶ、こわくないよ」と子犬に優しく声をかけていた。
 そんなデリックに心を開いて安心したのかもしれない。子犬は少しずつおとなしくなり、わしゃわしゃと洗う俺にされるがままになった。
 体を洗い終えたら、バスタオルで水気をとる。前世の世界ならドライヤーで乾かせるんだけど、生憎この異世界にそんな高度な技術の一品はない。自然乾燥させるしかなかった。
 デリックは勉学の時間を一時中断。子犬と戯れている。今まで犬と触れ合ったことがないらしく、その顔は嬉しそうだ。見ているこっちまで幸せな気分になる。
 とはいえ……この子犬、どうしよう。




「え? 子犬?」

 その日の夜、白薔薇宮にて。
 帰ってきたアーノルドに子犬のことを話すと、考え込んだ。

「うーん……そんなに遠くまで行けるとは思えないから、もしかしたら王城のどこかに親子で暮らしていたのかもしれないな。分かった、部下に命じて親犬を探させよう」
「ありがとう!」

 そういうわけで親犬が見つかるまで、子犬は白薔薇宮で正式に保護することとなった。
 デリックは、もう子犬に夢中だ。いや、デリックだけじゃない。宮女たちも、白薔薇騎士たちも、俺も。
 特に白薔薇宮のアイドルであるデリックが子犬と戯れる姿には、みな目尻を和ませた。

「おすわり!」

 子犬は、なぜか伏せをする。

「おて!」

 子犬は、右前脚を上げたものの、なぜかデリックの膝の上に置く。

「もう……」

 デリックは苦笑いしつつも、子犬におやつをあげた。子犬は尻尾をぶんぶんと振って、おやつにかじりつく。
 ははは。なんだ、このポンコツっぽい子犬は。
 バカな子ほど可愛いとはよく言ったもんだ。白薔薇宮にはよく笑いが起こった。

「おやすみなさい」

 夜になると、子犬はデリックが抱きかかえて部屋に連れて行く。俺とアーノルドは「「おやすみ」」と返して少し経ってから、こそっとデリックの部屋を覗きに向かった。
 今まではフランシスを求める泣き声が響いていたけど、ここ最近は子犬と戯れる笑い声が響いている。ずっと様子を見ているわけじゃないから、もしかしたら夜中に泣いている可能性はあるけど……でも、なんとなく子犬と一緒なら泣いていないんじゃないかと思う。

「元気そうでよかったよな」

 アーノルドと寝室に戻りながら、俺はほっと胸を撫で下ろしていた。
 毎日のように泣いているのだと思うと俺も苦しかったから、ああやって楽しそうにしている声が聞こえてひと安心だ。本来は俺たちがやるべきことなんだろうけどな。義両親としては子犬に負けて立つ瀬がない。まぁ、それは別にいいんだけど。

「このまま、ここで飼わないか? 親犬も見つからないんだろ? 育児放棄したのかも」
「そうだな。このまま見つからないようなら、ここで飼おうか」

 そんなやりとりをした、数日後のことだ。まだ日中だけど、アーノルドが子犬より一回り大きいヨークシャーテリアを連れて、白薔薇宮に顔を出した。

「親犬が見つかった。おそらく、だが」

 アーノルドはなんとも言い難い表情だ。子犬の親犬が見つかったものの、手放しでは喜べないといった顔。
 それは俺も――いや、白薔薇宮のみなが同じだった。
 デリックが抱きかかえた子犬が、キャンキャンと鳴く。デリックの腕から飛び出そうと言わんばかりで、親犬を求めていた。

「デ、デリック……」

 俺はこわごわとデリックの顔を覗き込んだ。きっと、子犬とお別れするのが悲しいという表情を浮かべているんだと思った。
 でも、デリックの表情は――晴れやかな顔をしていた。

「ほら、おいき」

 抱きかかえていた子犬を、あっさりと地面に下ろして手放す。子犬は親犬に向かって走り出し、親子は再会の喜びを全身で表現していた。

「もうはなれちゃダメだよ」

 デリックの言葉が通じたのか、たまたまか、子犬が「ワン!」と吠える。
 親子はそそくさと庭から走り去っていった。その後ろ姿を、なんとも言えない気持ちで見送る俺たち。
 俺はデリックの頭を撫でた。

「いい子だな。デリック」
「いえ。ただ、おやいぬといっしょにいたいんだろうな、って。それをボクがひきはなすわけにはいきません」

 アーノルドが「そうか」と相槌を打つ。
 デリック……お前は本当に優しくて、そして強い子だな。自分だってもっと子犬と一緒にいたかっただろうに。
 それとも、また夜に一人でこっそり泣くのかな……。
 俺は、どうしたらもっといい父親代わりになれるんだろう。
 そんなことを考えながら、俺はみんなと親子が消えた方向をしばらく見つめていた。




 それからさらに数日後――。
 隣国エイマニスから、ヒラリー殿下とフランシスの結婚式をひっそりと執り行う旨の知らせと、その招待状が一応アーノルドの下に届いた。
 話を聞いた俺は、ぱっと顔を明るくした。あ、もちろん俺がフランシスに会いたいって意味じゃないぞ。ただ、デリックをフランシスに会わせられる機会がきたと思ったからだ。

「デリック。お父さんとひと時だけど、会えるぞ」

 てっきり、喜ぶんじゃないかと思ったんだけど――俺はまだまだいい父親代わりには程遠いみたいだ。デリックは曖昧に笑うだけだった。

「いえ。だいじょうぶです。ボクはいきません」
「そんな……なんで。遠慮しなくても」
「父にはきちんとばつをあたえるべきです。そしてそれをむすこのボクもいっしょにせおうときめました。ボクたちはあうべきではありません」
「デリック……」

 これまた、俺はどうすればいいのか分からなかった。赤の他人だった頃なら、「強がらずに会いに行け!」ってデリックを肩に担いで連れて行ったと思うけど……今はどうしたらいいのか判断に迷う。
 デリックがフランシスに会いたいことは分かっている。でも、もし会って、押さえていたタガが外れてしまったら? ほんのひと時しか会えないのに。
 親と幼い子を引き離すのは想像以上に残酷なことなんだ、と俺はようやく思い知った。
 返答に窮する俺に対し、アーノルドは「分かった」とあっさりとしたものだ。もちろん、本心では胸を痛めているだろうと思うけど。

「そう、か。じゃあ、俺たちだけで行ってくるよ」

 結局、俺もデリックの強がりを受け入れた。幼い子供に気を遣わせるとか情けないったらない。でもせめて、フランシスの様子をデリックに伝えてあげたいよ。
 ――そうして一週間後、俺とアーノルドは、今度は隣国エイマニスへ発った。
 デリックを連れて行かない選択をした俺たちのわけだけど、それが間違いだったと気付くのは……もう少し先のことだ。

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