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第十八話 お別れ
しおりを挟む翌日、俺は白薔薇騎士団長を護衛に連れて黒薔薇宮を訪れた。すると、出迎えてくれたのはデリック殿下だった。
「あ! エディでんか!」
ぱっと顔を明るくして、俺の足元までやってくる。うー、可愛い。無垢な子供って癒されるよなぁ。前世の妹の幼い頃を思い出すよ。
俺は腰を屈めて、デリック殿下と目線を合わせた。
「久しぶり。あれから元気にしていたか?」
「はい! あのときは、ありがとうございました」
フランシスによる国王毒殺未遂事件の日のことだろう。運よくたまたまとはいえ、死にかけた生みの父を助けたわけだから。
でも、律儀で礼儀正しい子だな。
「お父さんの調子はどうだ」
「父もげんきになりました。……その、ベッドにふせがちですが」
……そうか。まぁ、判決を聞いてショックは大きいだろうからなぁ。
「入っていもいいかな? お父さんに会いたいんだけど」
「もちろんです。なかへどうぞ」
黒薔薇宮に入ると、中はしんとしていた。
俺はおや、と思う。あれから半月くらい経つんだし、もう宮女たちは戻ってきていてもいいはずなのに。それとも、まだ里帰り中なのか?
「デリック殿下。宮女たちは?」
隣を歩くデリック殿下は、そっと俯いた。
「……みんな、辞めてしまって。その、お父さんがこわいって」
「そう、だったんだ……」
マジか。じゃあ、食事の支度とかフランシス自身がしているのか?
あいつのやらかしたことを知ったら、怖がるのも無理はないけど……でも、デリック殿下は何も悪くないのに。誰か一人くらい残ってくれたっていいじゃん。
って思うのは、俺が男だからかな。
「父はこちらです」
前回とは別の部屋に案内された。デリック殿下が扉をノックしてから、そっと開ける。
室内には、寝台とテーブルだけがあった。その寝台の上に、フランシスが横たわっている。フランシスは「デリック……?」と呟いてこっちを見たけど、後ろに俺がいたからだろう。秀麗な顔を嫌そうに歪めた。
「帰ってもらいなさい」
「そんな……お父さんのおみまいにきてくれたんですよ」
あ、いや。別にお見舞いにきたわけじゃない。
とは、こんな純真無垢な子供にバカ正直に言えるわけもなかった。俺は気遣わしげな顔を作って、「お体は大丈夫ですか」とフランシスに声をかけた。
が、返ってきたのは、拒絶の言葉。
「帰ってくれ。君の顔は見たくない」
やっぱり、そうだよなぁ。好きな相手の婿の顔なんてなんてそりゃあ見たくもないだろう。
勢いできてしまったけど、帰った方がいいのかな。何も話さないままお別れするのもどうかなぁ、程度のふわふわとした気持ちだったんだし。
あ、でも。こいつには言っておきたいことがある。
「分かりました。帰ります。ただ、一つだけ」
顔を背けたままのフランシスに、俺は優しい口調で言った。
「どうか、ご自分を大切にして下さい」
自死しようだなんて二度と考えないでほしい。生きてさえいたら何かが変わるかもしれないけど、死んでしまったらそれで終わりだ。
「フランシス殿下には……デリック殿下がいるんですから」
これから引き離されるのに、何を言っているんだと思われるだろう。でもさ、そうだよ。お前にはデリック殿下という可愛い息子がいるんだ。
息子に恥じないように生きろよ。
「……では、失礼します」
俺は静かにきた道を引き返した。デリック殿下は慌てて見送りについてきてくれた。
「す、すみません。せっかく、きてくださったのに」
子供らしからぬ申し訳なさそうな顔をして謝罪するデリック殿下。その頭に、俺はぽんと手を置いた。柔らかく笑う。
「気にしなくていいよ。お父さん、元気になってよかったな」
「ありがとうございます……エディでんか」
まったく、フランシスめ。こんな可愛い我が子を残して、自死しようとしたなんて、やっぱりトチ狂っているとしか思えん。
お前のことは嫌いだし、許すつもりはないけど。でも。
せいぜい、隣国エイマニスで幸せに暮らせよ。誰にだって幸せになる権利はあるんだから。
それで、いつの日か。
デリック殿下と再会した時、デリック殿下を愛情いっぱいに抱きしめてやってくれ。
それから一ヶ月後、フランシスは迎えにきたヒラリー殿下とともに後宮を去った。俺とアーノルドは、デリック殿下とその背中を見送った。
フランシスは意外にも、あまりデリック殿下に声をかけなかった。ただ一言、「元気で暮らしなさい」とだけ。愛情が薄いのか、別れがつらいからあまり声をかけられなかったのか、俺には分からない。でも、後者だと信じているよ。
デリック殿下は泣くだろうなと思ったけど、予想に反して泣かなかった。泣きたそうな顔をしてはいたけど、必死に堪えていた。
泣いたっていいのに。まだ子供なんだから。
「デリック。恨むなら、俺を恨め」
アーノルドはデリック殿下にそう声をかけた。自分を置いていった生みの父ではなく、引き離した自分を恨め、ってことだろう。
「いいえ、ボクはだれもうらみません」
デリック殿下は、きっぱりと言い切った。
俺たちがデリック殿下を見下ろすと、デリック殿下の黄褐色の瞳には、毅然とした決意の光が宿っていて。その顔は紛れもなく王族のもので。
「そのかわり、ボクは父上もおじうえもこえる、りっぱなこくおうになります」
俺は息を吞んだ。
デリック殿下……強い子だな。強くて、それでいて優しい子だ。
何十年先の話か分からないけど、デリック殿下ならきっと立派な国王になれるよ。
俺はデリック殿下の頭をわしゃわしゃと撫でて、笑いかけた。
「じゃあ、これからいっぱい勉強しないとな」
「はい」
デリック殿下はこくりと頷いて、ようやく笑った。
笑い合う俺たちを、アーノルドは微笑ましそうに見つめていた。
「……さて。では、白薔薇宮に行こうか」
俺とアーノルドはデリック殿下を真ん中にして、それぞれ手を繋いで歩き出す。
春を目前に控えた、冬のある日のことだった。
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