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第十五話 急展開2
しおりを挟む白薔薇宮から黒薔薇宮まで、徒歩で十分ほど。
その距離を俺は全力疾走して、息を切らしながら黒薔薇宮に到着した。
「フランシス!」
つい敬称を忘れて叫びながら、俺は黒薔薇宮の扉を蹴破るようにして開ける。デリック殿下を床に下ろして、アーノルドが倒れたという広間まで案内してもらった。
といっても、後宮の建物の構造はどこも似たようなものらしい。白薔薇宮の広間とほとんど同じ配置の場所に、黒薔薇宮の広間があった。
しん、と静まり返っている広間に足を踏み入れると、そこには。
「アーノルド……!」
デリック殿下が言っていた通り、アーノルドは絨毯の上に倒れていた。ただ頭部が、絨毯に膝をついたフランシスの膝の上に置かれているが。
アーノルドはぴくりとも動かない。間に合わなかったのではないか、と俺は嫌な不安に襲われた。だって、毒に苦しんでいたら呻き声の一つくらい上げるものじゃないのか。
フランシスはなぜか、アーノルドの頭を撫でている。愛おしげな目をしながら。その目はとてもじゃないが、毒殺しようとするほど憎んでいるようには見えない。
が、今はそんなことよりも。
「……フランシス殿下。どういうおつもりですか」
俺は声を押し殺しつつも、フランシスを睨みつけた。
「アーノルド陛下は今、この国にとって必要な方です。その国王陛下に毒を盛るなんて、血迷いましたか」
フランシスは俺の問いには答えなかった。薄暗いせいか、青白い顔で小さく笑う。
「ふふふ。くると思っていたよ。デリックなら呼びに行くだろうからね」
こいつ……! デリック殿下が俺を呼ぶことも想定内なのか。
フランシスは、懐から二つの小瓶を取り出した。どちらも透明な液体が入っている。それを、俺に向かって掲げて見せた。
「このどちらかが解毒剤だ。欲しかったら、――王婿の地位を下りろ」
俺は息を詰めた。……王婿の地位を下りろ?
なんでそんな要求をするんだ。俺が王婿をやめたところで、こいつになんのメリットがある。
解せない、という顔をしていたんだろう。フランシスは続けた。アーノルドに向けていた目から一転して、憎々しげな目で。
「アーノルド陛下は誰にも渡さない。私だけのものだ」
「な、にをおっしゃっているんですか……?」
意味が分からない。フランシスの言葉を普通に受け取ったら、フランシスはアーノルドのことが好きなんだろうってことになるけど、でもこいつはアーノルドに毒を盛ったんだぞ。
まさか、俺を王婿の地位から引きずり下ろすためだけに、好きな相手に毒を盛ったっていうのか? そんなの正気の沙汰じゃないだろ。
フランシスの心中を理解するのは難しいけど……小瓶のどちらかが解毒剤で、俺が王婿の地位を下りたら渡してくれる。そういう駆け引きということだ。
迷うことはないだろう。アーノルドを、国王陛下を助けるられるのなら、俺は王婿の地位を下りるべきだ。
俺にとってもその方が都合はいいじゃん。王婿をやめられるんだぞ。テルフォード侯爵家の長男でもないし、晴れて自由気ままなスローライフを送れるっていうもんだ。
そう思う、のに。
『がっかりなんてとんでもないよ。すごく嬉しい。世界中に自慢したいくらいだ』
アーノルドの優しい笑みを思い出す。
俺が編んだ粗末なショールを、嬉しそうに受け取ってくれた人。
俺のことを、よく分からんけど愛して大切にしてくれる人。
アーノルドの正婿をやめるのか、俺。それでいいのか。後悔しないか。
フランシスの言いなりになるのが癪だという感情はある。でも、それだけではない何かが俺の胸にはある。
……いや。答えなんて決まっているんだ。俺はアーノルドを助ける。そのために、王婿の地位を下りなければならないのなら、下りるしかない。
「……本当に、私が王婿の地位を下りたら、解毒剤を渡して下さるんですか」
「もちろん」
でしたら、と言いかけた時だった。脳内に神竜の声が響いた。
――落ち着け。判断を見誤るな。
俺は困惑するしかない。判断を見誤るな? 俺は正しい道を選択しているはずだ。
内心反論する俺に、神竜は言う。
――汝ならよく考えれば分かるはず。そのどちらとも、解毒剤ではない。
「っ!?」
俺は目を見開いた。どっちとも解毒剤じゃないだと。だとしたら、この二つの液体は。
思案した俺は、すぐに答えに辿り着いた。……そうか。そういうことかよ、フランシス。
合点がいった俺は、再びフランシスを睨みつけた。そして。
「嘘をつけ。――どっちも毒だろ!」
俺は掲げられている小瓶二つとも、手で払い落した。床に叩きつけられた小瓶は、派手に割れて中の液体が絨毯に染み込んでいく。すると、絨毯の色が変色した。
フランシスは意外そうな顔をした。
「驚いたな。見破られるとは」
「お前は腐った奴だからな。自分の手は汚さず、俺の手でアーノルド陛下を毒殺させようとしたんだろ」
つまり、今、気を失っているアーノルドに毒は盛られていない。おそらく、眠り薬で眠らされているだけだ。どうりでぴくりとも動かないはずだった。
「お前は……一体どういうつもりだ。俺やアーノルド陛下にそんなに恨みがあるのか」
フランシスは一笑した。
「ふふ、君はともかくアーノルド陛下に恨みなんてあるわけないだろう。私はずっと、アーノルド陛下のことを愛しているのだから」
「愛しているっていうのなら、なんで毒を……」
「一緒にあの世で結ばれるためさ」
怪訝な顔をする俺の前で、フランシスは「ごほっ」と咳き込んだ。同時に吐血した血が絨毯に飛び散って真っ赤に染める。
俺はさっと顔色を変えた。おい、まさか!
「お前、毒を飲んだのかよ!?」
フランシスの顔色が青白く見えていたのは薄暗いせいじゃなく、本当に血の気が引いていたんだ。こんなに傍にいながら気付かなかった。
フランシスは咳き込みながら、天を仰ぐ。
「一緒にあの世に行けないのは残念だが……これで私は、アーノルド陛下の中で忘れられない存在になれる。永遠に消えない存在になれる」
そんな末恐ろしいことを呟き、フランシスはとうとう気を失って倒れた。
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