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第三章 船上パーティ

34.解けた誤解

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 グレンは腰を下ろすと、アンナと視線を合わせた。

「その気持ちには答えてやれない。何度も伝えたはずだが」

 グレンの冷たい声が響く。

「それどころか、俺の大切な妻を害したことは、到底許せるものではない」

 アンナは床に突っ伏して泣いている。
 スッと立ち上がったグレンは冷たく言葉を投げかけた。

「大事なのは一人だけだ。――今も昔も」

 静まり返った部屋ですすり泣く声だけが響く。

「ブッセン伯爵、お引き取り願う」

 グレンの有無を言わない台詞にブッセン伯爵はガクガクとうなずき、娘を無理やり引っ張り上げ、退室した。

 部屋に残された私とグレンの間を気まずい空気が流れる。こんなに怒っていると思わなかった。

 それにアンナとの関係はただ私の勘違いだったということ?

 だったら最初から否定してくれていたら――。

 ギュッと手を握り、グレンの顔を見つめた。

 ううん、違う。

 アンナの言い分をうのみにしたのは私だ。彼に真相もきかず、勝手に決めつけていたんだ。

「ごめんなさい」

 静かに口を開くとグレンの眉がピクリと動く。

「私、勝手に決めつけて、あなたにひどいことを――」

 それどころか、アンナだけじゃなく、あなたの責任でもあるとか責めてしまって、すごく心苦しい。

 その時、躊躇しているかのようにスッと指が伸びてきた。

「触れてもいいか?」

 どうしたのだろう。こんなことを聞いてくる彼は珍しい。
 瞬きを一つすると同時にそっと頬に手が添えられた。くすぐったく感じて体をよじった私に、グレンの顔が近づく。

 えっ……。

 唇に温かく、柔らかな感触を受けた。

 腰に腕が回され、ギュッと抱き寄せられている。
 彼の放つ香りが私を酔わせるのか思考が停止する。

 やがて深く侵入してきた彼に、もうなにも考えることができなくなる。腰と背中に回された腕は、私を力強く拘束する。
 息も途切れ途切れになった頃、ようやく彼は私を解放する。
 頭が混乱したままボーッとしている私を、グレンは優しく抱きしめた。

「俺は当時に何人も愛せるほど器用な奴じゃない」

 そっと耳元でささやかれた台詞。

 それはどういう意味……? もしかして私のこと……。 

 顔が火照る。恥ずかしくて彼の顔を直視できない。

 でっ、でも、彼が私のことを愛しているとか、直接言ったわけじゃないわ! 複数の相手を同時には無理だと言っただけで……。 

 戸惑っているとスッと手が伸ばされた。
 額には冷たい手の感触。

「熱い。ぶり返してきたな」

 グレンはそう言うと部屋の外で控えていたであろう、ジールを呼びつけた。

「寝室へ連れて行き、休ませてやってくれ」

 顔をのぞかせたシルビアにも指示を出す。

「水と薬を用意してやってくれ」

 テキパキと動き出した彼らに、口を挟める雰囲気ではなかった。
 でも、本当に熱がぶり返してきたのかもしれない。なんだか頬が熱い。

「すまない。やはり、謝罪の場を設けるのは早かったな」
「だ、大丈夫です」

 謝罪のせいじゃない、さきほどの口づけで熱が出ているのだ。

 私一人で焦っているけど、グレンは涼しい顔をしていた。



 ******

 それから三日間ほど微熱が続いた。
 医師の診察を再度受診して、薬も追加でもらった。
 けれど私のこの熱は絶対風邪ではないと思う。本当のことを医師に言うわけにもいかず、大人しくして過ごした。
 
 そして熱も下がった二日後、いよいよグレンが出資したブッセン伯爵家の船が出航することになったらしい。

 グレンは出資を断らなかったのだな、ふと思った。きちんと謝罪も受けたし、彼の気持ちもある程度、落ち着いたのだろう。

 出航するさい、港で船を見送るセレモニーがあり、それに夫婦で出席するという話だったので、準備をしていた。
 
 今日は明るいオレンジ色のドレス。顔色が良く見えるだろうということでシルビアが選んだ。準備をして階下に向かうとグレンが待っていた。

 彼の姿が視界に入るとドキッとしてしまう。グレンはジッと私の顔を見つめる。

「本当に大丈夫なのか? まだ熱があるんじゃないのか」

 そっと私の頬に手を触れる。優しい手つきに心臓が高鳴る。

「いえ、大丈夫です」

 パッと視線を逸らす。

「無理だけはしないように」

 グレンの声を聞くと顔がほてってしまう。恥ずかしくて顔を隠すようにうなずいた。

 ******

 グレンと共に港に到着し、大きな船を前にする。

「わぁ、やっぱり素敵ね」

 つい、はしゃいだ声を出してしまう。
 今日は先日の招待客だけのパーティと違って、街の人々や一般人相手に、船のお披露目もかねている。自由に見て回ってもいいらしい。どうりで小さな子供の姿が多いはずだ。滅多に足を踏み入れることのない船に乗り、目を輝かせている。

「中へ行くか?」

 うらやましい気持ちで船を見ていたことに、グレンが気づいたのか、船内を案内してくれた。

「今日、この港から出航して、十日かけて目的のハイゼル港まで行く」
「十日も?」
「ああ、慣れた船乗りたちばかりだ。長いと二か月ほど陸に下りない時もある」

 船の一階は物質や食料の貯蔵庫で、二階は船員たちの住居となっていた。初めて見る船内に興味を示す私に、グレンは詳しく説明してくれた。そのたびに感心し熱心に聞いた。

「そんなに興味があるのか?」

 ふとグレンがたずねた。

「ふふっ。私ね、船で異国の地に行きたいと思ったことがあるの」

 風になびく髪を手でなでつけ、小さい頃の話をする。

「お父さまが以前、貿易事業で失敗した話をしたわよね? あの頃、お父さまについて港にきて、船を見るのが好きだったの」

 この船より一回りも小さいが、当時はすごく大きく感じたものだ。

「いつか私も誰も知らない場所に行ってみたいな、なんて思ったりしていたわ」

 マリアンヌのわがままに疲れ果てていた頃の話だった。
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