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ファーストエピソード
6.残酷な結末
しおりを挟む降りしきる雨、向かってくる兄。
向かってくるまでに時間はそんなに猶予はなかったが、ヴァンはひどく冷静にその状況を受け止めていた。
そして微動だにせず、向けられた兄の拳をまともに受けた。
水たまりに背中から倒れる。雨が顔に、全身にかかる。だが、そんなことは全く気にならなかった。
今までも何度も拳を向けられることは確かにあった。それを何度も鬱陶しく思っていたが、今とは決定的に違うところ。それはその拳の温かみ、のようなもの。
「殺気が…俺を殺そうと…本気で…」
この感覚はつい最近味わったことがある。
そう、レクスァという男。あれが本当にティムの父親ならば、なぜこんな不可解なことをするのか?殺気を放ち、殺そうと攻撃してくるのか。
「兄貴…何をされたんだ」
力なく立ち上がったヴァンの、力ない一言。
「………」
リヴァイは一言も発さない。だが、その体から放たれ続ける殺気は本物。
本気なのだ。
「ヴァン!大丈夫か!」
少し遅れて、状況を整理できたティムが慌てて駆けつける。雨に打たれるのもお構いなしに、傘を放り捨てて。
「俺は大丈夫だ。気にすんな、兄弟喧嘩だよ。お前は手を出すなよ!」
ティムの返事も待たずにヴァンは飛び出した。
無論、兄弟喧嘩などという生易しいものでないことは誰の目にも明らかなことだ。だが、それでもヴァンは手を出すなと言った。
「うおおおお!!」
雄叫びを上げて、右拳を放つ。だがそれはあっさりと避けられ、そして必然的にカウンターをくらう。
ヴァンは驚きもしなかった。それは自分より兄リヴァイのほうが腕が立つなんていう、悲観的な理由ではない。
情けなくなるほど、力が入らなかった。
頭で割り切っていても目の前にいるのは兄であり、そしてその兄は自分を殺そうとしている。
その事実は思うよりもずっと、ヴァンの心の中に響いていた。
「こんな時に限ってよ…お前との思い出やら記憶やらが蘇ってくんだよ!」
スキだらけの攻撃を、大振りに続ける。雨で滲んでいるのかわからないが、視点も霞んできた。
「お前もあんな風になっちまうのかァ!!」
しかしどれだけ叫んでも。答えが帰ってくることはない。その声は耳には届かない。
「………死ね」
ヴァンの悲痛な叫びもリヴァイには届かず、ドス黒いエネルギーがリヴァイの両腕を覆う。覆う、と言うよりかは、まるで腕が闇にのまれていくかのように。
「ヴァ、ヴァン!!」
少し離れたところから見ていたティムは、そのエネルギーを見て確信した。
あれはくらってはいけない。あれに襲われれば助からない。本能がそう言っている。
「くそッ…くそッ……!」
本当に殺される、兄に殺される。
いつものような鬱陶しい説教混じりのゲンコツなんかじゃない。
「終わりだ……!」
「うおおおおッッッーーーー!!」
ヴァンの叫び声は、雨音とともに地を流れ、かき消えていった。
「ヴァン…!おいヴァン!!」
ティムの目の前で展開している状況。それはリヴァイの黒いエネルギーが、ヴァンの体を貫いていた。まるで槍で突いたかのような、その黒いエネルギー。
「ぐッ……!ぐうううおおああああ!!!」
再び発せられる雄叫び。
瞬間、ヴァンの体が激しく発光した。
あの時のように、真っ赤な炎のようなオーラを伴って。
体の全身をオーラが包み切ると、ボシュン!とヴァンを貫いていたリヴァイの黒いエネルギーが消滅した。
「兄貴…俺はお前をぶっ飛ばす……!!」
感情など無いかのように冷徹に攻撃をし続けていたリヴァイも、とっさに怯んで後ずさりしている。
「行くぞ!!」
それまでためらいのあったヴァンの攻撃に、ようやく重みが乗る。
至近距離から放たれた拳、たった一発の拳でリヴァイは後方に激しくブッ飛んだ。
確かな手応え。それは拳から伝わる、痛み。
「兄貴……!今度は俺がゲンコツしてやる!!」
拳から伝わる痛みは心にも響く。ヴァンは形容し難い感情を抱いていた。
だが、それでも。自分がこの兄を真っ直ぐにしてやらなきゃいけない。たとえ恨まれようとも、だからこそ手を抜いてはいけない。
あの兄が、あのリヴァイが自分を殺そうとしてくるなど有り得ないことだ。だからこそ何か、リヴァイを変える何か。もしくは誰かに操られているのか。色々な考えが浮かぶ。
だが今は目の前の我を失った兄にゲンコツをくれてやること。これしかできない。
「だァァァァッッッ!!」
倒れているリヴァイに突撃していく。もう一撃を放つために。
「オラァ!!」
放った一撃は、ゲンコツは。リヴァイの頭部に直撃した。その衝撃波は体を抜け、道路、後ろの看板、そして道なりに植えられていた木々をも張り倒した。
リヴァイはその一撃を受けてぐったりと動かなくなってしまった。
「ぐ…あ…」
ヴァンにとっては悲痛的なうめき声だけが、リヴァイの口からは発せられている。
「ハァ、ハァ、ハァ、ぐっ、ハァ」
たったこれだけの攻撃で、ヴァンの体力はほとんど限界に達していた。
それは大会で受けた怪我が完全に治りきっていなかったというのもある。だがそれ以上に気を張り詰めすぎて、ある種の緊張のようなもので疲弊していた。
「ぐっ……!!」
全身を覆っていた赤いオーラをまとったエネルギーは、すぐに消滅した。そして消えると同時にヴァンは膝から崩れ落ちる。
雨が降っているのも、そういえばそうだったな、という感じになるほど気が動転していた。
もう、体が動かない。倒れることも出来ない、といった感じの疲労。
「ハー、ハー……」
これはあの赤いエネルギーの副作用のようなものなのだろうか。確かに強力なパワーだったので、これほどの反動があってもおかしくはない。
ふとリヴァイの方を見る。いまだ倒れているようだった。もし立ち上がってこられたならもう何も出来ないことは明らかだ。
「も、もう立ち上がってくるなよ…兄貴…」
そんな、切実な願いはあっさりと。儚く壊された。
立ち上がったのだ。血を流しながら、ゆらりと、黒いエネルギーを全身に纏いながら。
その姿はまさしく鬼気迫るものだった。まさに、悪魔。
「お、おい兄貴……もう無理だっつの…ヘトヘトだぜ…」
「集中が……切れてるぞ…限界の………先…を、見ろ…ヴァン…」
「!!」
「い、今…ぐふゥッッッ!!」
聞き間違えではない。確かに口を開いた。それも、父親のヴァロンの口癖…リヴァイがよく言われていたこと。
しかし次の瞬間にはヴァンは膝をついていた状態から蹴り上げられた。
だがもし誰かに操られているのだとしたら、一瞬自我が戻ったということなのだろうか。だとしたら、もっと攻撃を、ゲンコツをしてやればもしかすると元に戻るのに近づくかもしれない。
兄は、まだ手遅れじゃあ無い。
「わかったよ兄貴…限界の先に行ってやる……!!」
希望を見出したヴァンは、天を仰いで立ち上がりリヴァイを迎え撃つ。
赤いエネルギーは放出できる気がしないが、それでも通常のエネルギーくらいはなんとかなる気がした。
その様子を離れた位置から見ていたティムにとっては、気が気でない、 見ていられない、というのが正直なところだった。いつものリヴァイがヴァンを説教し、必要であれば鉄拳の制裁に出る。だがそれは兄としての、家族としての優しさからだった。今目の前で繰り広げられているのとはまるで違う。
本当に、ヴァンを憎み殺意を抱いているような。
「リヴァイさん…ヴァン…!」
ヴァンには手を出すな、と言われたのは頭では理解していたがそれでも体は居ても立っても居られない状態だった。ヴァンは兄弟喧嘩だと茶化していたが、それはきっと自分を心配してのこと。兄リヴァイの手で傷つけさせないという、そんなヴァンの優しさだ。
表には出さないが、ヴァンにはそういうところがある。
こんな事を考えている間にも、二人は闘い続けている。どうしてもヴァンが後手に回ってしまっているのは仕方のない事だが、やはりリヴァイさんは強い。
ティムは今にも拳銃を抜きそうになっていた。だが、もしそれをしてしまったなら。ヴァンの気持ちも裏切って、リヴァイさんを撃つ事になる。大会では模擬弾丸を装填していたが、いつもは普通の弾丸を装填する。今日も例外ではない。
だがもし、ヴァンが本当に殺されそうになったなら。その時も間に割って入る事を躊躇うのだろうか。ヴァンを助けず、兄であるリヴァイさんに弟のヴァンを殺させるというのはそれは人として見過ごしていいのだろうか。
願わくばそんな選択を迫られることがないようにと、ティムは祈っていた。
「こんのォ!!」
ヴァンの動きもどんどん鈍くなってきているが、それ以上にリヴァイの動きも鈍くなっていた。
最初こそ常人離れした強さと、ドス黒いエネルギーで押されてはいたものの今ではヴァンの方が優勢であった。そもそもヴァンも、大会中に負った怪我を完治させたわけではないので100%の実力が発揮できていない。
それでもリヴァイに対し的確に攻撃をヒットさせている。
ようやく兄を本気で攻撃する現状に心が追いついたのか、迷いも吹っ切れているようだった。
「であありゃあ!!」
連続して攻撃を当て続け、そして今綺麗にボディブローが決まった。
疲労しているとはいえ決定的なエネルギーの拳。リヴァイはたまらず前のめりに倒れこんだ。
「はあ、はあ、は…あ…っ痛え……傷が開いちまってるじゃねぇか…」
「兄貴、俺が街で喧嘩してたらいつも怒ってたよなぁ、俺のこと…今も俺は街で喧嘩してるぞ…!いつもみたいに怒ってみろよ……!仕事帰りにどこからか聞きつけて…俺にゲンコツくらしてみろよ…!」
「お前がそんなことでどうすんだよ…!親父みたいに…お前もどっか行っちまうのかよ…!お前強くなるんじゃあなかったのかよ……」
ヴァンのその言葉の数々は普段語られることのないものだった。想いはあっても、口に出されることのない感情。慕う心。兄弟として憂う気持ち。
倒れているリヴァイはピクとも動けずにいた。その言葉が聞こえているのかどうかも分からない。
だが、ゆっくりと。力なく、リヴァイは立ち上がった。
「……ぐッ う……こ、ろす…殺す……!」
しかしそんな言葉とは裏腹に、その直後吐血し、ヴァンの体にもたれかかるように倒れた。
「がッ…!ぐうう……!ヴァ、ヴァン……!よく聞け…」
リヴァイの体を支えるヴァンと、それを離れて見るティムに衝撃が走った。
おそらく真の、素の、リヴァイの声。言葉が、ようやく発せられた。
「悪かったな…ぐッ…説経するばかりでよ…お前の事を思っていたつもりだったが…ごハッ!!ッはァ、け、結局…お前には何もしてやれてない…」
「だ、けどな……お前のことは…父さんが死んでから…!ッはァ、はァ、俺が…父親代わりにならなきゃって…思ってたんだ……」
「…でも…それはありがた迷惑って…やつだったのかもしれないな……だから…こんなことになっち、まった…俺だが…がハッ!!がッ……ッ…」
「ここからは 兄として お前に最期に残すものだ」
か細く、力なく、ヴァンに支えらえながら、振り絞ったその声。
リヴァイの手がヴァンをどん、と突き放すと、リヴァイの体をエネルギーが包んだ。
「あ、兄貴…何をやってる」
いつしか一日中降りしきっていた雨も引いていた。時刻の遅い、薄暗くなったあたりで、リヴァイの体は優しく暖かく光を放っている。
さっきまでのドス黒いエネルギーとは違う、眩い光。
「こ、来い、ヴァン……初めてお前に残そう…兄貴として、今できる事を…!さあ来い…ッ!!」
「て、てめぇ…何を言ってやがるんだ!意識が戻ったんならさっさと帰…」
「ヴァン…ッ!!わかってるだろ…お前にやられた怪我じゃあない…俺を操ったヤツが俺の体にしかけた爆弾のようなものが……俺はそれのダメージで…もう助かりはしない…かあさんにこんな姿見せたら…怒られちまうだろ…?」
そう言いながら、時折リヴァイを包むエネルギーの光がまるで切れかけた電球のように、今にも消えてしまいそうな、そんなはかなさを見せていた。
「な、なら病院に!そうだ、まだ病院に行けば助かるかも…」
「…ッヴァン!!俺を……」
「俺を お前の兄貴として リヴァイ・クロノウとして 死なせてくれ」
夜が闇にのまれていった………
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