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「あの日、俺はお前たち家族が家に来るのが本当は嫌だったんだ。……お前は気付いていたと思うけど」
「…………」
「ああ、もちろんお前や伯父さんと伯母さんのことが嫌いなわけじゃないぞ。……ただ、家は兄さんが継ぐことが決まってて、俺がルーン伯爵家の養子になることも決まってたようなものだから、俺の両親からのプレッシャーのようなものがすごくてな……」

 ユーリスは恥ずかしそうに苦笑いをした。

「『絶対に気に入られろ、失敗はするな、ルーン伯爵家の跡取りにふさわしい男だと思われるような立ち振る舞いをしろ』……父さんたちの気持ちもわかるけど、俺は正直うんざりだった。もちろん次男の俺が爵位をもらえるのはありがたいことだってわかってはいたが、俺もそのときはまだ子どもだった。養子だの跡取りだのよくわからないことを押し付けられて、いろいろと一杯一杯だったんだ」

 サンドラは無言で頷く。
 あの日、ユーリスの憂鬱な心持ちが幼いサンドラにはなんとなく感じ取れた。ユーリスがどれほど出来の良い次男坊か声高々に語る叔父夫婦の横に佇むユーリスの笑みは微かに引きつっていた。
 ──だから、サンドラは夜会のダンスの最中、ユーリスの耳元で囁いたのだ。

『私、今日はお父様とお母様を連れて屋敷に帰ります』
『えっ?』
『だって、私たちがいるとユーリスお義兄様は疲れてしまうでしょう?』

 虚を突かれたような顔をする幼いユーリスを見上げて、幼いサンドラはにこりと笑った。
 そしてその後、乳母の子守歌がなければ眠れないのだと泣いて駄々を捏ね、本来は泊まる予定だったアズライト子爵家を両親とともに後にした。馬車の中で両親には怒られ、呆れられたが、それでユーリスの気持ちが楽になるなら安い物だと思った。

「……正直、お前に自分の気持ちが見透かされてたことに驚いたよ。自分ではうまく隠せてるつもりだったから。……でも、嫌じゃなかった。うれしかった。本当の俺を見て、しかも助けてくれる子がいて……それは俺の従兄弟で、すごく可愛い女の子で……」
「ユ、ユーリスお義兄様、それは大袈裟です……っ」

 サンドラは狼狽えたように首を横に振る。
 助けたなんて大袈裟だ。サンドラはただ、自分のしたいことをした。言わば自己満足の小さな親切だ。
 しかし、そんなサンドラを見つめたユーリスはいっそう笑みを深める。

「わかってるよ。お前にとっては特別なことでもなんでもないんだよな。お前は優しいから、俺のために嘘を吐いてくれた。だけど、俺はそれがすごくうれしかったんだ。お前のことが本当に尊く、愛おしく思えた。従兄弟としてでも、兄としてでもなく、ひとりの男として」
「…………」

 サンドラはなにも言えず黙り込む。
 なんと相槌を打っていいのかわからない。赤くなった頬は熱いが、だからといってユーリスを兄としてではなくひとりの男性として意識できるかは疑問だ。

「……とはいえ、俺がお前を好きになったときには、もうお前には婚約者がいた。恋心を自覚すると同時に失恋してたんだ、俺は」

 言葉自体は切なげだったが、サンドラを見下ろすユーリスの表情は優しいままだった。青い瞳がとろけるように細められ、サンドラの瞳を愛おしそうに覗き込む。

「だから、こうやってチャンスをもらえただけでうれしいよ。何年だって待てる。今までの辛さに比べたら、お前が俺と結婚してくれるかもって希望があるだけで十分だ」
「ユーリスお義兄様……」

 一瞬、ユーリスの美しい笑みに見惚れてしまった。サンドラは動揺したように目を泳がせ、もごもごと言葉を紡ぐ。

「何年だって待てると言われても、困ります……もしかしたら散々待たせた挙句、やっぱりユーリスお義兄様のことを兄としてしか見れない可能性だってあるんですよ? それでいいんですか?」
「いい」
「…………」

 あまりに清々しい速答だったため、サンドラは二の句を継げず口を閉ざす。
 ユーリスは口角を上げて愉快そうに笑った。

「いくらでも待つし、待った結果が俺の望んだ結果でなくても構わない。……もちろん、俺は俺でお前を口説き落とせるよう努力はするけどな」

 そう囁いたユーリスはサンドラの手を取り、その手の甲に恭しくキスを落とした。
 サンドラは火が出そうなほど顔を赤くして、あわててその手を引っ込める。

「お、お義兄様っ! からかわないでくださいっ!!」
「からかってなんかない。お前を愛してる」
「お義兄様っ!!」

 サンドラは叱るような大声をあげたが、ユーリスはにこにこと笑ったままだった。

 ──この日から、優しい兄の仮面を脱ぎ捨てたユーリスからの情熱的なアプローチに心乱される日々がはじまる。
 サンドラはそれに戸惑い、照れながらもユーリスやマチルダと穏やかな日々を過ごし、数ヶ月後に貴族学院を卒業した。
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