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朝の章

18.懺悔4

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「おかえり」
「ただいま……」

 鏡に映ったあかりは、ひどい顔とまではいかなかったものの、予想通り目が赤くなっていた。
 深澄は嘘つきだ。
 そんな気持ちで社会科準備室に戻ってきたあかりがむすっとしていると、ゆったり楽な姿勢でスマホを操作していた深澄に「写真のことだけど」と気を逸らされる。

「これで解決ね」
「えっ、何が?」
「僕と撮ったんだから、静とだって撮れるでしょ」

 目も合わせずに言い切られ、あかりはぱちぱちと瞬きをした。

 解決、と言われると根本的には何も変わっていないので違和感があるけれど――たしかに静にお願いするハードルが下がったような気もする。
 もし深澄が最初からこれを狙って写真を撮ったのだとすれば、嘘つきだなんて思ってしまって悪いことをした。

「うん、ありがとう。今度静くんに言ってみる」
「ん。……他にも困ってることあるんなら、言えば? アンタの知らない静についても、僕が教えてあげなくもないし」
「え。う、うーん……気持ちはありがたいけど、そういうのは本人に聞かなきゃいけないような」
「アンタじゃ聞けそうにないから言ってんじゃん。現に言えてないこと結構あったくせに」
「うっ」

 ぐうの音も出ない。
 いや、写真はともかく懺悔は最初から深澄が対象だから、静に言えなくて困っていたわけではない。はずだ。
 薬はおっしゃる通りなのだけれど。

「じゃあ悩みとかでもいいから、とにかく何か言ってみなよ。どうせまだ溜めてることあるんでしょ?」
「悩み……。あ、それならお願いがある、かも」
「何?」
「あのね」

 ――その先は、声が出なかった。

 お願いしたい状況を思い浮かべただけなのに、胸がぎゅうっと締めつけられて、喉が詰まったのだ。泣くのを我慢している時と感覚が似ている。
 あかりにとってはそれほどに苦しい、口にする機会などないだろうとまで思っていた願いだった。

 それでもいろいろと打ち明けて口が軽くなっている今でなければ二度と言葉にできない気がして、あかりは一度目を強く閉じてからぐっと顔を上げた。

「っいつか、静くんに新しく好きな人ができた時のことなんだけど」
「…………はあ!?」

 深澄の素っ頓狂な声が室内に響く。

「ちょ、っと待って。ああくそ、アンタの話突拍子もなさすぎてほんっと心臓に悪い」
「ご、ごめん」

 似たセリフを以前どこかで聞いたような。
 痛むのか、深澄はぐりぐりとこめかみを押さえている。

「……静に新しく好きな人? そんなのできるわけないじゃん」
「そう、かな。できないことはないんじゃ」
「何でそう思うの」
「何でって……だって人の気持ちって変わるものだから。五、ううん、十年とか二十年経てば、飽きられてる可能性は全然あると思う」
「……そりゃ、まあ、前半は否定できないけどさ」

 僕でさえ変わったわけだし、と深澄が微妙な顔をする。

「あ、心配しないで。私、静くんを幸せにするって決めてるの。だから私がそばにいても静くんが幸せになれないってわかったら、すぐにいなくなるつもりだよ」
「いやそれ逆に不安を煽るやつ……」
「え?」

 静からの気持ちが無くなっても付きまとったりしない、という意味で言ったのに、深澄はため息混じりに肩を落としてしまった。

「念のため聞いとくけど、すぐってどのくらいすぐなわけ?」
「え。……で、できるだけ? 次の日、だと遅いなら、当日にはなんとか」
「あのさぁ。それ頑張る方向性間違ってない? 幸せにするって言葉のイメージとアンタの行動が凄まじくずれてる気がするんだけど」
「凄まじく……。ええと、もちろん静くんが好きでいてくれてる間は離れたりしないよ? ただ私じゃ静くんを幸せにできないってなった時のことも想定してる、だけで」
「だからそれがありえないんだってばっ」

 駄目だ話が進まない、と深澄が首を振る。

「百歩、いや一億歩譲ってあの静が心変わりしたとしてもだよ。仮にも結婚するほど好きになった人がいきなり消えたら、それこそ心配するでしょ」
「そう、かもしれないけど、きっとその方がいろいろとスムーズで……。下手にそばにいて私が静くんを煩わせないとも限らないし」
「……。アンタ、自分の気持ちはどうでもいいのかよ」

 そう呟いたのは聞こえたのに、より眉間にしわを寄せた深澄はあかりに返事を求めず続けて話し出した。

「絶対ない。ないけど、億が一そうなったらアンタはちゃんと怒るべきだよ。浮気はした方が悪いんだから。……まあそもそも浮気じゃなくて、勘違いしてただけってオチもあると思うけどね」
「えっ! でもほら、静くんだよ? 軽々しく誰かを好きになれる人じゃないのに何かがあったなら、それはもう本気なんじゃないかな。その場合すでに相手をものすごく大事にしてるはずで、そうなると優先順位の下がった私が何を言ってももう意味が」
「あーそうだね、下がったらね」

 何かを諦めたのか、深澄は半笑いを浮かべながら雑な言い方であかりの言い分を遮った。

「何。てことは自分がそばにいるのが今の静の幸せだから付き合ってるってこと?」
「……そうまとめられちゃうとちょっとアレだけど、そうだね。しかも私も静くんといられるのが嬉しいから、ウィンウィンってやつです」
「ふーん……」
「あ、だからお願いっていうのは、いざ離れなきゃいけなくなったら私、異形を喚んじゃうかもしれないので。お願いするまでもないのかもだけど、その時は送り還してほしいというか」

 できれば静に知られないうちに終わらせてくれたら嬉しいのだけれど、さすがに難しいだろうか。
 時間の停滞が認識できないあかりにとっては、異形がいなくなった後も絶望している最中のはずだ。そこを静に目撃されるのは非常に気まずい。

「離れるって決めてるのに絶望すんの?」
「たぶん。悲しいのは間違いないから」
「…………へえ。じゃ、ほんとに静が心変わりして、尚且つまだ僕が現役だったら片付けてあげる」
「わ、ありがとう! よろしくお願いします」

 心配事が一つ減らせて、ぱあっと気持ちが明るくなる。あかりは笑顔でお礼を言った。

 ――ちょうどそのタイミングで、コンコンと扉がノックされる。

「佐島くん。そろそろいいかな? 明日の準備がしたいんだけど」
「あ、はい。すぐ出ます」

 深澄はぱっと立ち上がると、鞄に飲み終わっていたペットボトルを放り込んだ。
 あかりもやって来たのが先生の誰かであると気がつき、出していたものを急いでしまって、帰る準備を終える。

 そこで外からガラガラと引き戸が開けられ、見覚えはあれど授業を受けたことがない男の先生が顔を覗かせた。

「先生、ありがとうございました。場所を貸していただけて助かりました」
「いやいや、いつも助けてもらってるしね。君が何か悪さするとも思えないから」
「また何かあれば手伝いますので。それじゃ、僕たちは帰ります」
「さ、さようなら」
「はいさようなら」

 深澄が先生に鍵を渡し、あかりに目だけで「行くよ」と合図する。
 あかりは鍵を閉め忘れて良かったと少しドキドキしながら先生に挨拶をして、生徒用玄関へ向かう深澄を追いかけた。

「深澄くん、先生からの信頼が厚いんだね」
「あー、クラス内のいじめっぽいの止めたからかな。あの人担任なんだよね」
「え! すごい」
「別に特別なことはしてないけど」
「いやぁ、それはしてるって言うんじゃないかな」
「そう? ……ほんとはアンタと話すの学校じゃなくてもよかったんだけどさ。静に邪魔されないとこ、学校くらいしか思いつかなくて」

 あかりとしても、先ほどの会話は静に聞かれたくない。確実に今の静を傷つける。
 邪魔、という部分はよくわからないにしても、深澄が学校を選んでくれて良かった。

「本部も家もオッサンやら万智やら人の目があって話なんかできたもんじゃないし、どこか寄ろうにも静とはち合わせたら絶対二人きりにさせてくれないでしょ?」
「最近は私の最寄り駅で待っててくれるから、そもそもはち合わせたりはしないと思うけど……って、あ! しまった、返信してないっ」

 文を考えようとしたところで写真の話に移ったため、すっかり忘れていた。既読スルーになってしまったので心配させているかもしれない。
 慌てて鞄からスマホを取り出そうとすると、深澄にその手を止められる。

「さっき僕がアンタといるって連絡しといたから平気だよ。それより、さ」

 階段を下りながら、深澄があかりの耳元に口を寄せた。

「アンタ吐き出すとこないみたいだし、これからも静のことで悩んだら僕が聞いてあげなくもないけど?」
「え……」
「友達だって、タイムスリップのこと知らないなら相談できないことも多いでしょ。僕ならその辺全部知ってるし、ちょうどいいんじゃない?」

 たしかに、深澄の言う通りだ。事情を知る人が聞いてくれると助かる。
 しかも深澄は静の弟だから変な心配をかけることもないし、さらに静の家族と親しくなれて一石二鳥だ。まさにうってつけの相手である。

 あかりは名案に嬉しくなり、満面の笑みを浮かべた。

「うん、よろしくお願いします」
「…………ん。よろしく」

 距離をとった深澄の顔が赤い。
 なぜ照れたように目を逸らしているのか、といつもなら首をひねるところだけれど、いろいろと話したあかりにはもう勘づける。

「深澄くんも、私相手なら遠慮なく静くんの話できるね」

 そう、深澄もきっとあかりと同じなのだ。
 深澄は性格上、素直に好きな人やことについて誰かと話せない。その上事情を知る人はかなり限られているため、あかり同様の悩みを持っていても不思議ではない。

 静を奪われたくないのに、静のために離れると言える深澄だって、吐き出せる場所があったら良い。

「は!? だ、だから静なんて好きじゃないってずっと言ってるじゃん!」
「そうだね。ね、さっき見せてくれた写真って――」
「僕の話聞いてる!?」

 そんな赤い顔で怒っても、もう怖くない。

 あかりは昇降口に着くまで、吹奏楽の楽器の音を遠くに聴きながら、楽しい気分で静談義に花を咲かせた。
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