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夢の章

19.大丈夫

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 あかりはその後もバイトをしながら勉強を毎日行い、時々友達に誘われてプールや花火へ行ったり、パジャマパーティーを楽しんだ。離れて暮らす姉とも久しぶりにご飯を食べに行くと、夏休み前に友達に言われたように、雰囲気が良い方に変わったと褒められた。

 気がつけば夏休みもあと半分となったところで、あかりはスマホを前に正座をしていた。

(毎日の挨拶ならしてるけど、あの日からまだ一度も会えてない)

 静が忙しいのはわかっている。
 イベントがなくてもリンク相手と仲を深める必要があるし、仲間からのお誘いだって四人それぞれから来てしまうと一週間なんてすぐ終わってしまう。
 しかしすでに海での本編ストーリーは終わっているはずなのだ。それなのに静からはいつもならしてくれる、忙しくなくなったという報告が来ない。
 もちろん主人公なのだから暇な時間なんてそもそもないのだろうけれど、あかりは嫌な想像に震えてしまう。

(もしかして、静くん……私のこと、忘れちゃったんじゃ)

 一ヶ月も会っていないのだ。
 他校の、大して役にも立たない女のことなど頭から抜けていても無理はない。どちらかが会いに行かなければ姿を見かけることすら稀なのだから。

(いやいや、毎日メッセージは送ってくれてるし! ということはまさか、怒ってるのかも)

 最後に会った日、静に迷惑をかけすぎた自覚はある。
 来てと呼び出して走らせて働かせ、終いには寝落ちするというあかりの所業が腹に据えかねたのだろうか。
 それとも熱でぼんやりしているのをいいことに、手を引っ張ってもらったり寄りかかったり支えてもらったりと、スキンシップをしてもらおうとしていたように見えたのかもしれない。決してそんなつもりではなかったと言い訳させてほしい。
 しかもその奉仕活動に対する感謝をその日に軽くしか伝えていない。治った当日に菓子折りを持って誠意を見せるべきだったと、あかりは何もしなかった自分を責めた。

 もしくは、七月最終日の花火大会を断ったのが原因だろうか。
 せっかくお試しで付き合ってやってるのに誘いを断るなんて何様だ、だったらもう誘ってなんかやらない、こんなお試しなんかやめてやるーーそう思われてしまっていたら。

(待って待って、静くんはそういう人じゃないでしょ)

 もしそんな考え方をする人だったら、初日からあかりに優しい条件なんて出すはずがない。
 一旦落ち着こう。不安になりすぎてマイナスの考え方しかできなくなっている。

「ひゃ!?」

 あかりが深呼吸をしていると、スマホが短く鳴った。一人しかいないのに声を出してしまって恥ずかしい。
 どうせ何かのアプリの通知だろうと思って画面をタップする。

『近いうち、空いている日はある?』

 あかりはスマホを落とした。
 静のことを考えていたら、本人からメッセージが来てくれた。先ほどとは違う意味で震えてしまう。

(は、早く返事を……)

 スマホのカレンダーを開いてスケジュールを確認する。トークアプリとカレンダーを交互に開きながら日付を打ち込んで、無駄に息をひそめて送信マークを押す。
 すると、あかりが送ったものと同時に静から都合のいい日が表示された。

 あかりは少なくとも文字上では変わりのない静に心底ほっとして、静いわくデートの日取りを決めたのだった。


◇◇◇


 約一ヶ月ぶりの静は、眩しかった。
 もともとは色白な方だったのが、少し日に焼けてワイルドさを増している。暑いからか前髪を少しだけ上げていて、格好よさが激増していた。
 あかりは思わず胸元を押さえて、静から目をそらしてしまう。静を前にすると勝手に頬が染まるので、そこはもう諦めることにした。

「あかり?」
「あっ、ごめん。い、行きましょう」

 またしても迎えに来てくれた静に返事をして、家に鍵をかけた。

「それ、持つよ」
「え、あ、ありがとう……」

 階段を下りながら、あかりの少し大きな手荷物を静が受け取る。その腕がまたたくましくなった気がして、あかりは俯いた。
 静耐性というものがあるとしたら、会えない間にゼロになってしまったような気分だった。いつも緊張はしていたけれど、初めて会えた日のようにガチガチになっている。
 そのせいか静もいつものように手を繋ごうとは言ってくれない。そのことにまたネガティブな発想が出てくるけれど、単純に暑いからかもしれないと思い直した。

 メッセージのやり取りをしたのは昨日のことだ。たまたまお互いに日付を出し合って、かみ合う近い日が今日だった。
 正直寂しかったのでとても嬉しい。ただそれと心の準備が比例しているかといえば、していないと言わざるを得ない。

(帽子があってよかった。絶対変な顔してる)

 二人は駅に向かう途中、あかりのバイト先の前を通った。
 旦那さんはとりあえず良くなり、奥さんと店に立ち始めた。なかなかの人気店なので、あかりがいて助かる、このまま続けてほしい、と嬉しい言葉をいただいている。
 カウンターに立っていた奥さんと目が合って手を振れば、それを見た静が店に視線を動かす。奥さんがびっくりしたような顔をしたからか、会釈をしてくれた。

「知り合いなの?」
「うん、よくお世話になってて」

 バイト先だ、とわざわざ言ってもいいものかとあかりは悩んだ。今度来てほしいと言っているみたいに聞こえないかと変な心配をしているうちに駅に着いてしまったので、そんな細かいことを知りたいとは思われていないだろうと考えて、やめておいた。





 電車に乗り込んで向かうのは動物園だ。
 電車で一時間もしないところに有名な動物園があって、近くには美術館や博物館、コンサートホール、商店街などがある。
 静は以前蒼真と一緒に買い物に来たことがあるらしく、その時にデートにどうかと教えてもらったのだそうだ。

 夏休みとはいえ、行楽地は混むだろう。そう考えてはいたものの、動物園の前に乗り換える電車内の混雑が予想以上だった。
 静となんとか乗り込めたものの、ぎゅうぎゅうである。あかりの後からも人が乗ってくるので、ドアの方を向いたまま後ろに押し込まれていく。
 やっとドアが閉まったのは、あかりにとっては高いところにしかつり革がない場所で、それでもなんとか手を伸ばして指を引っ掛けることに成功した。

(静くんも辛そう)

 あかりの手荷物を持つ静は、それが潰れてしまわないよう腕に持ち手を通して座席付近のポールに捕まっている。申し訳なくて様子を窺っていると、静と目が合った。移動するのは無理そうだと苦笑いして、途中で人が減るのを待つことにした。

 しばらく体験していない通勤ラッシュを思い出してあかりは心を無にしようとするけれど、夏は全員汗ばんでいて気持ちが悪い。お互い様だとはわかっていても、電車の揺れで触れてしまった肌が湿っているとやっぱり不快だ。
 早く次の駅に着いてほしい、と目を閉じて俯いていると、ふと誰かの手があかりのおしり辺りに当たっている気がした。

(気のせい、だよね)

 これだけの人がひしめき合っているのだ。鞄を持つ手がちょうどその位置にきてしまっただとか、きっとそういうことだろう。
 あかりはそう思いつつ念のため体をずらそうとしたけれど、当然それほど動けない。仕方ないので、電車の揺れで人が傾いて隙間ができるタイミングでやってみることにした。

「っ!」

 しかしそのチャンスが来る前に、その手はよりはっきりあかりの形を確かめるように動き出す。
 明らかな犯罪行為だと理解した瞬間鳥肌を立てたあかりは、うるさく鳴り出した心臓のせいで息が浅くなる。とっさの小さな悲鳴すら出なかった。
 嫌だ、と思ってせめてもの抵抗でそこに力を入れてみるけれど、相手は気にすることなく続けている。

(やだ、気持ち悪い、助けてーー)

 あかりは無意識に静の方を見る。けれど彼は窓の外に視線を向けていて、あかりの様子には気づく気配はなかった。
 どちらにしても距離があるので助けに来られないし、こんなところを見られるのも怖い。夏だというのに青褪めたあかりは、目をぎゅっとつむって早くこの時間が終わるようにと祈った。





「ーーあかり、降りるよ」

 その声が聞こえた途端はっと息ができるようになった。

 目を開けば少し遠くから手をあかりに伸ばす静がいる。
 震える手を彼のものに重ねれば、いつの間にか止まっていた電車の外へと引っ張り出された。

 呆然と息切れするあかりは静に先導されて、流れていく人並みに逆らって歩く。
 ホームの端に着いたあかりは、やっとここがまだまだ目的の駅ではないことに気がついた。

「し、ずかくん? なんで降り……」
「触っても大丈夫?」
「え?」

 すでに手を繋いでいるというのにと思いつつ、あかりは頷く。
 すると瞬きをする間もなく静があかりを強く引き寄せ、腕の中に閉じ込めた。

「ごめん、すぐに助けられなくて」
「え……」

 気がつかれていたらしいとわかって、あかりはうろたえた。
 情けない、恥ずかしい、触られるような格好をしていたからだ。そんな感情が渦巻いて、あかりは思わず涙を溢れさせる。

「警察に突き出してやればよかった。離れなければよかった」

 静は怒ってくれているようで、それを嬉しいとも思うものの、静のせいではないのに自分を責めているのが悲しかった。

「ごめん、ね。あれくらい、我慢できれば」

 気がつけばたった一駅のことだった。
 大した時間ではなかったというのに、そう言うだけで小さくしゃくり上げてしまって、静の抱擁が強くなる。

「あかりは何も悪くない。全部アイツが悪い」

 白のオフショルダーと黒のスキニーパンツ。動きやすく、少しでもかわいくと思っただけだった。
 また静に迷惑かけて、助けてもらって。

 ーーその時、昨日考えていたことが蘇って、背筋が凍った。

「やだ……っ、嫌いにならないで」

 静は、突然あかりが静の背中にすがりつき、ぎゅっと抱きついたことに息を呑んだ。

「なんで……ならないよ。なるわけない」
「でも、私、いっぱい迷惑かけてーー」
「迷惑だなんて思ったことない。大丈夫だよ」

 ぽんぽんと宥めるように静があかりの背を叩く。大丈夫、大丈夫と声をかけながら。

 あかりはそんな静の言葉に、やっと体の強張りが解けていくのがわかった。
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