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本編

55.白豚王子は逃げ出したい

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 それは、全身を覆う長いローブを身に纏った二人組だった。
 フードを被ってはいるが、明るい場所に出てくればその顔が露わになる。

 一人は、長身で細身の鮮やかな朱色の髪と目が印象的な、艷っぽい美女だった。
 女は臆する事も無く、婀娜あだやかな仕草で路地から歩み出てくる。
 もう一人は、こちらも長身だが女よりは少し小柄に見える、鮮やかな緑色の髪と目をした男だった。
 男はニヤーと不気味な笑みを浮かべていて、ギザギザの歯が覗いている。

(……え? なに、この二人? なんで、僕こんなに震えてるの? ……)

 僕は二人の姿を目にした瞬間、全身に悪寒が走った。
 何故だか分からないが恐怖心と焦燥感に駆られて、体が震えて冷や汗が流れる。
 僕の本能が『危険だ!』と、警鐘をかき鳴らしているのだ。

(……怖い、怖い、怖い……逃げなきゃ、早く逃げなきゃ……どうしよう、どうしよう、どうにかして逃げなきゃ……)

 破落戸に押さえられている腕を見て、この拘束さえ解ければ逃げられると思い、僕は破落戸共の隙を伺う。

 唐突に現れた美女の姿に破落戸共がざわつき、ピューと口笛を吹いてはやし立てる。
 破落戸の一人がニタニタと厭らしく下卑た笑みを浮かべて、女に近付いて行き声をかける。

「おおー、こんなちんけな所でこーんな別嬪べっぴんさんにお目にかかれるなんて思わなかったぜー。どうした、俺達の仲間にでも入りてーのかー、んん? たっぷり可愛がってやるぜー? にひひひひ」
「あらん、アタシのこと可愛がってくれるのぉ? 嬉しいわぁ♡」

 女は妖艶に微笑み、破落戸共に流し目を送る。
 そうして、女は近付いて来た破落戸の腰に腕を回して抱き着く。

「おぉっと、おいおい、姉ちゃん随分と大胆だなー、にひひ」
「うふふふふ」

 破落戸は積極的な女に抱き着かれ鼻の下を伸ばすが、直ぐに異質に気付く。

「うっ、ちょ、姉ちゃん、力強っ!? は、離せ、離せったら!!」
「だぁめ、最初の一人目はアナタよ……」

 腰に回された腕は力強く、どんどんと破落戸の身体を締め上げていく。
 軋む身体の痛みに耐えかねて破落戸は女の腕を解こうとするが、女の腕は微動だにせず解けない。
 見れば女の物とは思えない程に力強く筋張っている腕だった。
 抱き着かれた破落戸が足掻いていると、何故か焦げ臭い匂いまでしてくる。
 周囲の破落戸共も異変に気付き、一斉に女に注目が集まる。

 僕は咄嗟に暴れて拘束から抜け出し、親子を連れて逃げようと走る。


「アタシ、なまよりも熱々に焼けた方が好きなの」
「いっ、痛ぇっ! 熱っ、熱い!! なっ、何だよこれ!!?」

 抱き着かれた破落戸の身体から黒い煙が立ち上ったかと思えば、突然、破落戸の身体が発火する。

「うぎゃああああああああああああ!!!!??」

 破落戸が火に包まれて足掻き暴れると、女の被っていたフードがはらりと落ちる。
 隠されていた女の頭上が露になり、それを目にした者達は一様に戦慄する。
 そこには、悍ましく黒光りする大きな角が生えていたのだから。

「ひぃっ! なっ、なんだ、化け物!?」
「き、鬼人だ、鬼人族だ! 人食いの鬼人族だぞ!!」
「こ、このままじゃ、俺達も食われる! 逃げろおおおおおお!!」
「食われるのは嫌だああああ! 助けてくれええええ! うわああああ!!」

 女の正体が判明し、仲間が火達磨にされた姿を目の当たりにした破落戸共は、恐れ戦き錯乱して逃げ惑う。

 頭に生える黒光りする大きな角は人食いで知られる魔族『鬼人族』の特徴だった。
 特に鬼人族は魔力を持つ者を好んで食べる為、弱い魔法使い等は格好の餌食になるのだ。
 女は火を上げる破落戸を抱き締めたまま、ギザギザの歯を覗かせて不気味に笑う。

「うふふふふ、毒素を含んだ人間が食べ放題な土地だなんて最高♡ 一人一人の毒素と魔力は少なくても、いっぱい食べればいいだけの話だし、ここにいる全員を食べ尽くしたら十分に補充できるわね……」

 ニヤリと笑い舌なめずりをする女の周囲からは、禍々しく黒い瘴気が溢れ出す。

 破落戸共は逃げ惑い四方八方に散っていたが、どこにも退路など無かった。
 廃墟同然の場所で辛うじてあった通り道は、何故か腐敗し崩壊した瓦礫で完全に道が塞がれていたのだ。

 高台から見下ろしていた女の連れの男が、逃げ惑う破落戸共の姿を見てぼやく。

「……あーあー、男ばっかで女が全然いねーなー。久々に美味い女の肉が食えると思ったのによー、ちぇー……」


 地獄絵図の如き惨状で、火達磨になり焼き爛れていく破落戸の断末魔が絶えず響き渡る。

「ぎゃああああああああああーーーーーー……」


 バッシャーーーーーーーーーーン


 突然、赤々と火を上げていた破落戸の身体に大量の水が浴びせかけられる。
 それと同時に、咄嗟に水を避けた女は火達磨にしていた破落戸を手放し離れる。

「もう、濡れちゃうじゃない!? なんて事してくれるのよ…………ちょ、ちょっと、何してんの!!?」


 バシャン ビシャン パシャン


 僕は倒した水瓶に残っていた水も掬い、火達磨になっていた破落戸の全身に『泉の癒しの水』をかけて、治癒魔法の呪文を詠唱する。


『水と癒しの精霊よ、我が魔力を以てこの者の傷を癒せ。【治癒回復キュア・ヒール】』


「……う……うぐぅ……くはっ……か、はぁ……はぁ、はぁ……」
「よ、良かった! さすが『癒しの水』の効果、本当すごい!!」

 全身ずぶ濡れのびしょびしょ状態になった破落戸の身体は、焼け爛れた表皮が少しずつ癒され回復していく。

 僕が破落戸の回復に安堵し息を吐くと、女はそんな僕の姿をまじまじと見つめていた。

「……あら、まあ。こんな所にとびっきり美味しそうな子豚ちゃんがいるじゃないの、うふふふふ」

 ギザギザの歯が覗く口が大きく弧を描き、女は堪らないとでも言いたげに舌なめずりして、獲物を狙う蛇の如くその目を爛々とさせて僕を見据える。
 僕はブルルルルと震えて鳥肌が立ち、ドドドドドと心臓が早鐘を打ち、ジワワワワと冷や汗が流れて、蛇に睨まれる蛙の心境になり心の中で泣き叫ぶ。

(うわあぁぁぁぁ、怖い怖い怖い、もう本当に怖いぃぃぃぃ! 無理無理無理、生理的に無理いぃぃぃぃ、怖いよおぉぉぉぉ、嫌だよおぉぉぉぉ、近寄らないでえぇぇぇぇ!!)

 悍ましい目で見据えられた僕は恐怖心からか、腰が抜け足がぷるぷると震え竦んでしまって、上手く身体が動かせない。

「美味しい焼き豚ちゃんにしてあげるわ♡」

 女が僕の方へと歩みを進めながら手を翳すと、女の纏っていた禍々しく黒い瘴気が僕を目がけて迫って来る。
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