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四章 それぞれの夏休み
第41話 闖入者と夏休み
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「ねえ、怒ってるリオ君? そりゃデートを邪魔したのは悪かったけどさ、仕方ないじゃーん。デートの最中に声かけるのは躊躇ったからわざわざ待ってたんだよ? それに後輩のデートに協力してやるのも先輩の甲斐性ってもんでしょ? だからデーt」
「だあああデートデートうるせえ! そーですよデートですけど何か!?」
久しぶりの先輩のノリに、つい声を荒げてしまった。対する彼は今にも口笛でも吹きそうな飄々とした態度だ。落ち着け俺。
「うんうん、仲がよろしいようで。あ、婚約おめでと」
「はあああぁ……まあ、知ってますよね。そりゃどうも」
今日一日の疲れを吐き出すように深く溜息を吐く。後ろのイレアは何がなんだかといった混乱具合だ。
「で、要件はなんです?」
「まあ色々とね。近況報告的な?」
「そういうのいいですから」
「ぶー。リオ君はもっと俺に感謝してくれても良いと思うんだけどなあ」
そう言うと先輩は今までの俺に関わる行動の種明かしを始めた。まあ今日の屋台の店主とか、一部は俺も気付いていたのだが。
「いやー、当主会議の時は驚いたよ。ノーミオ家は焦ってるのかなあ? 急いで手紙書いてさ、リオ君が乗るであろう近くの馬車乗り場に用意をお願いしてさ。あ、これリオ君に払わせちゃったからその時の代金ね」
「どうも。あれも先輩でしたか」
じゃらりと小銭を受け取る。先輩なりの心付けだろうか、やや多い気がするが……いや、多くなかった。全部小銭で返しやがったなコイツ。
まあ確かに、今思えば店主の青年はやけに物分かりが良かった。急いでいると言ったらすぐに鞍を付けた馬に乗せてくれたのだ。馬車乗り場にしては不自然な対応である。
「見つからないように寮に忍び込むのも大変だったんだよ?」
「なら会議の所まで自分で行けば良かったじゃないですか」
「やだよ。流石の俺でも当主三人相手にして逃げるのは無理だし」
先輩はやはり巫女家とは別で動く必要があるようだ。
「うちは……ウンディーノ家とシルフィオ家は、戦争を回避するために先輩と協力したいようですよ。どうですか? 俺が言えば身の自由くらいは保障できます。来ませんか?」
「無理。特にシルフィオ家は関わったらロクなことないだろーし。やるとしても俺は自由に動かさせてもらうよ」
先輩の意思は固い。こうなったら梃子でも動かないのがティフォ・ベントという男だ。
「その後もびっくりしたよ。何の前触れも無く極東から来たっぽい人が国境にいるんだもん。色々調べて前に言ってたリオ君のお母さんかなって分かったけど、ヒヤヒヤしたなあ~。何あの人、怖すぎない?」
「はい、うちの……母です。まあ、もう、元には戻れないんですけどね」
「えっ、待ってどゆこと? そっから先知らないんだよ俺も」
そうか、母さんがティフォ先輩の盗聴を遮ったのだった。自分の知らない情報に珍しく焦る先輩に、俺達と母さんのやりとりを掻い摘んで説明した。
「――だから、母さんとは敵対してるんです。前から怪しいとは思ってたんですけどね」
「親、ねえ……」
実家と縁を切ったと前に言っていた先輩の反応は、歯切れが悪いものだ。
「母さん……極東軍はノーミオ家に協力して戦争を起こそうとしている。だから敵対するしかないんです。先輩が前に言ってた通りですよ」
「そうだなぁ。リオ君がこっち側に着いてくれて助かったよ。で、それ以降はあの手紙だけだね。あれも間に合ってよかったよかった」
「ヒナが怒ってましたよ? 勝手に荷物に入れるなって」
「しょーがないじゃん、どっちの荷物か分かんなかったんだし」
それから、リギスティアさんの方から聞いて俺がイレアと一日中本邸を離れる事を知り、ここに導いて待っていたという。
「ちなみにあの屋台まで来るように、屋台の香りを風の精霊術で送ったりしてたんだよ? 気配も消しながら動いてたし、久々に疲れたよ~。もうちょっと早くここに来ると思ってたのに」
「ストーカーじゃないすか」
そして今に至るらしい。
「で、改めて」
今度はイレアの方に向き、やけに丁寧に頭を下げるティフォ先輩。
「えー、ティフォ・ベントと申します。ドラヴィドとは何も関係無い、ただのティフォ・ベントです。以後よろしく」
「は、はい、よろしくお願いします」
「婚約者だっけ? リオ君の事よろしくね。こいつ人見知りだし、女の子に興味無いと思えば夜中に一人でっっぐぼぁああっ!」
自分でも驚くほど華麗な足さばきで先輩の腹に蹴りを入れる。ありがとう師範。一眼二足三胆四力、武術の心得ここに極まりだ。
「り、リオ?」
「気にすんなイレア。俺と先輩のコミュニケーションだから」
「そ、そう……」
少し引かれてしまったが、全ては先輩の責任だ。
「で、盗聴はもうしないでいいんですか?」
「あ、もう術はかけたから。大丈夫大丈夫、婚約者さんの方は聞かないからさ!」
また断りもなく堂々と盗聴の宣言をした先輩に俺達は揃って白い目を向ける。
「ひー怖い怖い。俺はそろそろ退散するよ。じゃあね~二人とも。またその内来るよー!」
いつも通り俺達の返答も待たずにそう言って、先輩は文字通り飛び去って行った。暗くなり始めた空にはもう金色の髪の残滓も無い。
「……帰ろうか」
「うん、帰ろう。お婆様に報告しなきゃね」
思い出したように湧いて来た疲れに従い、俺達は本邸へと帰るのだった。
「いやー疲れた疲れた」
誰もいない夕闇の向日葵畑の上空を飛ぶティフォ。しばらくして彼が降り立ったのは、潜伏先の一つである協力者の住む民家だ。
「ったく、後輩のデートの邪魔をさせないってのも先輩の務めかね」
彼の今日の行動の中で、可愛い後輩に唯一明かしていない事があった。
「ウンディーノ家のお膝元に間者を寄越すとは……こりゃ相当焦ってるな、ノーミオ家は」
民家の庭の小屋には、昼に街中で捉えて連れて来た男が縛られたまま蹲っている。忠誠心の低い男は自分が雇われた事をあっさりと吐いた。雇い主は偽装してあったようだが、彼の手に掛かればノーミオ家の人間である事はすぐに分かったのだ。
もちろん彼に話しても良かった。だが、ウンディーノ家には知らせずに少し泳がせ、敵の尻尾を掴む。それが狙いだ。
「あーあ。俺は平和に暮らしたいだけなのになあ~」
ぼやきながらも、どこか楽し気に彼は小屋を出て行く。もうロクな情報も持っていない彼の処分はこの家の主がするだろう。彼の今後は知らないし、興味も無い。
「目的のためには多少の犠牲は仕方ない……なんてのはこの場合、向こうの言い分かね。敵の都合なんか関係ねーや」
■□■□
ウンディーノ家に来てから一週間ほど経った。俺が思っていたほど暇ではなく、かと言って忙し過ぎず、充実した日々だ。何かあったのか、たまに屋敷が騒がしい日もあったけど基本的には平和だな。剣術の師範も何度か来ており、最初の時よりも隙が無くなったと言われたのは嬉しい成長である。
デート……出掛けた日の話はすぐにリギスティアさんにしたが、それ以降のアクションは昨日までは特に無い。
「では、どこからでも掛かって来なさい。遠慮は要りませんよ」
そしてようやくリギスティアさんの予定が空いたという今日の午前は、実戦的な稽古の日となったのだ。
「お手柔らかにお願いします、ねっ!」
言うと同時に踏み切る。踏み出しの勢いを乗せた剣先は弧を描き、
「水壁」
ばしゃり、と水の壁に受け止められた。
「くっ、なんのっ!」
捉えられた。剣に纏わりつくそれは、水なんてものじゃない。鉛のように重い。だが、
「ほう。マテリアル・オーダー……便利なものですね」
「リギスティアさんの精霊術ほどじゃないですけどね!」
俺が持つのは稽古用の木剣でも鋼の真剣でもなく、吸い込まれる程に黒い不定形の剣だ。剣先を細らせて抵抗を減らし、水の牢を抜けるくらいは容易い。
「ではこちらから行きます――流弾」
拳大の水弾が高速で飛んでくる。二発、三発。右に避ける? 無理だ。左も、後ろも無理。瞬時に判断した俺は。
「精霊よ――『加速』!」
両足でジャンプ。速度を乗せた跳躍は難なく水弾を躱す。さらに視界は広く、次の一手も打てる!
「はああぁっ!!」
剣を構えたまま、重力に従ってリギスティアさんの真上に突っ込む。
「――水壁」
「流泡!」
遮られるのは分かっていた。故に、躱す。水膜は俺の全身を包み、水壁の上を滑り落ちる。
「『加速』っ!!」
地面に降り立つ寸前。水壁の下、リギスティアさんの姿が見えた瞬間。決まった!
「お見事です。が――」
「らああぁっ!」
剣を突き出した態勢のまま地面と水平に飛ぶ。クソ、体が熱い。無理な加速の術で火と風の配分を間違えた!
「――相手を見失っては、通りませんね」
「あれっ?」
直撃する俺を受け止めるリギスティアさん……を予想していたのだが。
「ふべぁっ!」
刺突は虚しく空を切り、俺は植え込みに突っ込んだ。あれ? リギスティアさんは?
「水壁越しに私の位置を見誤りましたね。光を屈折させて場所を誤魔化すというやり方もあるのですよ」
「な、なるほど……」
でんぐり返し状態で見上げるリギスティアさんは服の裾一つ乱れていない。身じろぎするとばたんと両足が倒れた。痛い。
「ですが、思い切りの良さと回避に留まらない攻撃への切り替えは流石です。私でなければ……そうですね、イレア相手なら十分通用するでしょう」
「ありがとうございます……あの、ちょっといいですか?」
「どうしました?」
「立ち上がれません」
情けないことに、手足に力が入らない。大の字になった俺を見てリギスティアさんは申し訳無さそうな顔をした。
「使用人を呼んできますね。すいません、怪我を治すのであれば夜にソージアが帰るまで待って頂けますか?」
「分かりました。でもごめんなさい」
「いえ、リオさんには怪我をさせないつもりでしたのに。私の想定を上回った時点で、貴方の勝ちですね」
「は、はあ……」
どうやらお褒めに預かったようだ。担架でベッドに運ばれた俺は夜まで眠れもせず、ただただ暇を持て余してしまったのだった。
「お兄ぃ、災難だったねー」
「一生寝たきりとかにならなくて良かったよ……今考えれば恐ろしいな」
ヒナは今日は放送委員の当番だったらしい。夜にソージア先生と一緒に帰って来て、ベッドに大の字に寝転がる俺を見て大笑いしたのだった。慌てて治癒の精霊術をかけたソージア先生が言うには、関節が外れていただけのようだ。
倒れてすぐに医者が診た時も同じ事を言っていたが、先生が戻るまで治療、というか関節を嵌めるのを待っていたのだ。何故か全く痛がらない俺が不思議で様子を見ていたというのもあるが。
「まったく、無茶しないで下さいね、リオ君? 実戦なら動けなくなった時点で終わりですよ?」
「す、すいません……」
「前から思ってたけど、リオ君は無理な攻撃をし過ぎ。一旦退いて立て直すとか考えなさい。ヒナさん、何かあった時には止めてあげてね」
「はーい。お兄ぃって意外と無鉄砲っていうか、怖いもの知らずだよね。あ、悪い意味でね」
ヒナにまで説教されてしまった。あの時は上手くいったと思ったんだが、もっと考えないとな……
「まあ、もし戦う事になったら絶対に一人にはしませんから。敵が一人な訳ありませんからね。今日は例の話もするのでしょう?」
「はい、ティフォ先輩にはこの前会ったので。うちの方針は固まったんですね」
そう、ソージア先生の仕事がひと段落ついて本邸に戻って来た今日、ウンディーノ家としての今後の方針を通達するらしい。先輩と会ってから大きな動きは無かったが、いよいよだろう。
「どうせ今も聞いているんでしょうね。今度姿を現したらとっちめてやるわ」
「捕まるつもりは無いらしいですけどねぇ。意外と呼んだら来たりして。おーい」
開け放たれた窓に向かって声をかけてみる。……しばし沈黙。流石にここには来ないか。来ないよな?
「やめなさいリオ君、本当に来たらどうするのよ」
「そーだよ。もし来たらわたし逃げるからね?」
「だよな。捕まりたくないって言ってたし、来ないか」
「うんうん、巫女家の本拠地に来て逃げれる自信がある奴なんて――そう、この俺くらいだよな!」
一斉に振り返る。窓から降り立ってポーズを決めているのは、たった今話題に上がった男。一瞬時間が止まったような錯覚ののち、
「「「ぎゃああぁぁああ!!!」」」
「ハハハ、そんなに興奮なさるなって!」
「ちょ、いや、なんでいるんだよ! マジか! マジで来る奴がいるかよ!!」
「敵襲! 敵襲です! 総員戦闘配置に! 標的、ティフォ・ベントが現れました!!」
叫ぶ三人と笑う先輩。ソージア先生は屋敷の人に知らせようと声をあげた。
「無駄無駄ァ! この空間から外に声は届かんよ、ホムラちゃん先輩ッ!」
「ならっ!」
そう聞くと部屋を飛び出した先生。ちなみに宣言通りヒナは真っ先に逃げて行った。ぽつんと俺だけがティフォ先輩と部屋に取り残された。
「あのー、先輩」
「なんだねリオ君ッ!」
ビシッと指を差す先輩。よく分からないテンションはまだ続けるようだ。
「どうしてここに? 今度こそマジで捕まりますよ。てか来ないって言ってたじゃん」
「だから俺は捕まらないって。それに、ノーミオ家への対抗策を俺の動き込みで決めてるんだったら、俺がいないとマズいでしょ? 今日はシルフィオ家が誰もいないから来たのさ」
「珍しく正論っすね」
普通の口調で普通の事を言った。確かに先輩がこちらの様子を聞くだけの一方的なやり取りでは連携は取れないだろう。
「それに、俺呼ばれてるんだぜ?」
「はい?」
「向こうはダメ元のつもりだったかもしれないけどさ。もし屋敷に来るなら今日って言われてるんだよなあ。三日くらい前に侵入した時にね」
「三日前……あの時ですか。やけに家全体がざわざわしてたんですよ。先輩のせいだったんだ」
「まあねー。今日も正門から入ろうとしたんだけど、なーんか三人集まってたからサプライズ的な? あ、来た来た」
何がサプライズだよ、と言おうとした時、廊下の外が俄かに騒がしくなった。同時に数人の足音がする。
「失礼します、リオさん。それと……ティフォ・ベント殿」
「リギスティアさん!」
この屋敷の主が、数名の使用人と彼らを呼んだソージア先生を引き連れてやって来た。先輩を呼んだ事を言わなかった彼女は、ある意味この騒ぎの原因かもしれない。
「ええ、まさか本当に来るとは。せめて正門から入りなさい」
「サーセン」
軽く謝ると、使用人達と先生の目が一気に厳しくなった。本当に協力できるのだろうか……
「すぐに会議を始めるので、階下に来なさい。リオさん、彼の監視を頼みます」
「たぶん逃げたら俺の手には負えないので、期待しないで下さいね……」
「だいじょーぶ、終わるまでは逃げないからさ」
終わったらすぐに逃げると言外に告げ、彼を抜いたその場の全員が溜息を吐いた。
■□■□
「さて皆さん。本日集まって頂いたのは、ノーミオ家及びドラヴィド国、そして極東統治領に対する当家の方策を通達するためです。ですがその前に……」
「どもどもー、ティフォ・ベントでーす」
「……協力者である、彼の立場や目的等を表明して頂きます。質問のある方はどうぞご自由に」
溜息を我慢して進行を務めるリギスティアさん。この場にいるのはウンディーノ家の上層部全員だ。俺やヒナ、イレア、ソージア先生といった彼と関わりのある面子はまだしも、それ以外の人物はいきなり現れた破滅的に無礼な輩に眉を顰めていた。
「当主様、宜しいでしょうか」
「ええどうぞ」
最初に手を挙げたのは宰司だ。確か彼はウンディーノ家の実質的なナンバーツー。そして無礼な輩への怒りの度合いは集まった人々の中ではナンバーワンだ。
「ティフォ・ベントと言ったか。貴殿が我々に協力する目的を述べよ。もし虚偽の申し出があれば、ノーミオ家と同じく国家指名手配とする。よいですね、当主様?」
「ええ。ティフォ殿、ここでの発言如何によって貴方への信用が決まります。お互い損の無いようにお願いしますね」
「はいはーい」
軽すぎる返事に参加者の顔色が更に険しくなる。マジでうちの先輩がすいません……
立ち上がった彼に注目が集まる。その一挙手一投足を人々は訝しんでいた。
「まずは俺の目的だけど……大雑把に言うと、恒久的に戦争を止めるって感じかな」
だが一転して、彼の口から語られたのは無謀とも言える目標。
「んじゃ、説明すんね」
大きなどよめきに包まれて、ティフォ先輩の話は始まった。
「だあああデートデートうるせえ! そーですよデートですけど何か!?」
久しぶりの先輩のノリに、つい声を荒げてしまった。対する彼は今にも口笛でも吹きそうな飄々とした態度だ。落ち着け俺。
「うんうん、仲がよろしいようで。あ、婚約おめでと」
「はあああぁ……まあ、知ってますよね。そりゃどうも」
今日一日の疲れを吐き出すように深く溜息を吐く。後ろのイレアは何がなんだかといった混乱具合だ。
「で、要件はなんです?」
「まあ色々とね。近況報告的な?」
「そういうのいいですから」
「ぶー。リオ君はもっと俺に感謝してくれても良いと思うんだけどなあ」
そう言うと先輩は今までの俺に関わる行動の種明かしを始めた。まあ今日の屋台の店主とか、一部は俺も気付いていたのだが。
「いやー、当主会議の時は驚いたよ。ノーミオ家は焦ってるのかなあ? 急いで手紙書いてさ、リオ君が乗るであろう近くの馬車乗り場に用意をお願いしてさ。あ、これリオ君に払わせちゃったからその時の代金ね」
「どうも。あれも先輩でしたか」
じゃらりと小銭を受け取る。先輩なりの心付けだろうか、やや多い気がするが……いや、多くなかった。全部小銭で返しやがったなコイツ。
まあ確かに、今思えば店主の青年はやけに物分かりが良かった。急いでいると言ったらすぐに鞍を付けた馬に乗せてくれたのだ。馬車乗り場にしては不自然な対応である。
「見つからないように寮に忍び込むのも大変だったんだよ?」
「なら会議の所まで自分で行けば良かったじゃないですか」
「やだよ。流石の俺でも当主三人相手にして逃げるのは無理だし」
先輩はやはり巫女家とは別で動く必要があるようだ。
「うちは……ウンディーノ家とシルフィオ家は、戦争を回避するために先輩と協力したいようですよ。どうですか? 俺が言えば身の自由くらいは保障できます。来ませんか?」
「無理。特にシルフィオ家は関わったらロクなことないだろーし。やるとしても俺は自由に動かさせてもらうよ」
先輩の意思は固い。こうなったら梃子でも動かないのがティフォ・ベントという男だ。
「その後もびっくりしたよ。何の前触れも無く極東から来たっぽい人が国境にいるんだもん。色々調べて前に言ってたリオ君のお母さんかなって分かったけど、ヒヤヒヤしたなあ~。何あの人、怖すぎない?」
「はい、うちの……母です。まあ、もう、元には戻れないんですけどね」
「えっ、待ってどゆこと? そっから先知らないんだよ俺も」
そうか、母さんがティフォ先輩の盗聴を遮ったのだった。自分の知らない情報に珍しく焦る先輩に、俺達と母さんのやりとりを掻い摘んで説明した。
「――だから、母さんとは敵対してるんです。前から怪しいとは思ってたんですけどね」
「親、ねえ……」
実家と縁を切ったと前に言っていた先輩の反応は、歯切れが悪いものだ。
「母さん……極東軍はノーミオ家に協力して戦争を起こそうとしている。だから敵対するしかないんです。先輩が前に言ってた通りですよ」
「そうだなぁ。リオ君がこっち側に着いてくれて助かったよ。で、それ以降はあの手紙だけだね。あれも間に合ってよかったよかった」
「ヒナが怒ってましたよ? 勝手に荷物に入れるなって」
「しょーがないじゃん、どっちの荷物か分かんなかったんだし」
それから、リギスティアさんの方から聞いて俺がイレアと一日中本邸を離れる事を知り、ここに導いて待っていたという。
「ちなみにあの屋台まで来るように、屋台の香りを風の精霊術で送ったりしてたんだよ? 気配も消しながら動いてたし、久々に疲れたよ~。もうちょっと早くここに来ると思ってたのに」
「ストーカーじゃないすか」
そして今に至るらしい。
「で、改めて」
今度はイレアの方に向き、やけに丁寧に頭を下げるティフォ先輩。
「えー、ティフォ・ベントと申します。ドラヴィドとは何も関係無い、ただのティフォ・ベントです。以後よろしく」
「は、はい、よろしくお願いします」
「婚約者だっけ? リオ君の事よろしくね。こいつ人見知りだし、女の子に興味無いと思えば夜中に一人でっっぐぼぁああっ!」
自分でも驚くほど華麗な足さばきで先輩の腹に蹴りを入れる。ありがとう師範。一眼二足三胆四力、武術の心得ここに極まりだ。
「り、リオ?」
「気にすんなイレア。俺と先輩のコミュニケーションだから」
「そ、そう……」
少し引かれてしまったが、全ては先輩の責任だ。
「で、盗聴はもうしないでいいんですか?」
「あ、もう術はかけたから。大丈夫大丈夫、婚約者さんの方は聞かないからさ!」
また断りもなく堂々と盗聴の宣言をした先輩に俺達は揃って白い目を向ける。
「ひー怖い怖い。俺はそろそろ退散するよ。じゃあね~二人とも。またその内来るよー!」
いつも通り俺達の返答も待たずにそう言って、先輩は文字通り飛び去って行った。暗くなり始めた空にはもう金色の髪の残滓も無い。
「……帰ろうか」
「うん、帰ろう。お婆様に報告しなきゃね」
思い出したように湧いて来た疲れに従い、俺達は本邸へと帰るのだった。
「いやー疲れた疲れた」
誰もいない夕闇の向日葵畑の上空を飛ぶティフォ。しばらくして彼が降り立ったのは、潜伏先の一つである協力者の住む民家だ。
「ったく、後輩のデートの邪魔をさせないってのも先輩の務めかね」
彼の今日の行動の中で、可愛い後輩に唯一明かしていない事があった。
「ウンディーノ家のお膝元に間者を寄越すとは……こりゃ相当焦ってるな、ノーミオ家は」
民家の庭の小屋には、昼に街中で捉えて連れて来た男が縛られたまま蹲っている。忠誠心の低い男は自分が雇われた事をあっさりと吐いた。雇い主は偽装してあったようだが、彼の手に掛かればノーミオ家の人間である事はすぐに分かったのだ。
もちろん彼に話しても良かった。だが、ウンディーノ家には知らせずに少し泳がせ、敵の尻尾を掴む。それが狙いだ。
「あーあ。俺は平和に暮らしたいだけなのになあ~」
ぼやきながらも、どこか楽し気に彼は小屋を出て行く。もうロクな情報も持っていない彼の処分はこの家の主がするだろう。彼の今後は知らないし、興味も無い。
「目的のためには多少の犠牲は仕方ない……なんてのはこの場合、向こうの言い分かね。敵の都合なんか関係ねーや」
■□■□
ウンディーノ家に来てから一週間ほど経った。俺が思っていたほど暇ではなく、かと言って忙し過ぎず、充実した日々だ。何かあったのか、たまに屋敷が騒がしい日もあったけど基本的には平和だな。剣術の師範も何度か来ており、最初の時よりも隙が無くなったと言われたのは嬉しい成長である。
デート……出掛けた日の話はすぐにリギスティアさんにしたが、それ以降のアクションは昨日までは特に無い。
「では、どこからでも掛かって来なさい。遠慮は要りませんよ」
そしてようやくリギスティアさんの予定が空いたという今日の午前は、実戦的な稽古の日となったのだ。
「お手柔らかにお願いします、ねっ!」
言うと同時に踏み切る。踏み出しの勢いを乗せた剣先は弧を描き、
「水壁」
ばしゃり、と水の壁に受け止められた。
「くっ、なんのっ!」
捉えられた。剣に纏わりつくそれは、水なんてものじゃない。鉛のように重い。だが、
「ほう。マテリアル・オーダー……便利なものですね」
「リギスティアさんの精霊術ほどじゃないですけどね!」
俺が持つのは稽古用の木剣でも鋼の真剣でもなく、吸い込まれる程に黒い不定形の剣だ。剣先を細らせて抵抗を減らし、水の牢を抜けるくらいは容易い。
「ではこちらから行きます――流弾」
拳大の水弾が高速で飛んでくる。二発、三発。右に避ける? 無理だ。左も、後ろも無理。瞬時に判断した俺は。
「精霊よ――『加速』!」
両足でジャンプ。速度を乗せた跳躍は難なく水弾を躱す。さらに視界は広く、次の一手も打てる!
「はああぁっ!!」
剣を構えたまま、重力に従ってリギスティアさんの真上に突っ込む。
「――水壁」
「流泡!」
遮られるのは分かっていた。故に、躱す。水膜は俺の全身を包み、水壁の上を滑り落ちる。
「『加速』っ!!」
地面に降り立つ寸前。水壁の下、リギスティアさんの姿が見えた瞬間。決まった!
「お見事です。が――」
「らああぁっ!」
剣を突き出した態勢のまま地面と水平に飛ぶ。クソ、体が熱い。無理な加速の術で火と風の配分を間違えた!
「――相手を見失っては、通りませんね」
「あれっ?」
直撃する俺を受け止めるリギスティアさん……を予想していたのだが。
「ふべぁっ!」
刺突は虚しく空を切り、俺は植え込みに突っ込んだ。あれ? リギスティアさんは?
「水壁越しに私の位置を見誤りましたね。光を屈折させて場所を誤魔化すというやり方もあるのですよ」
「な、なるほど……」
でんぐり返し状態で見上げるリギスティアさんは服の裾一つ乱れていない。身じろぎするとばたんと両足が倒れた。痛い。
「ですが、思い切りの良さと回避に留まらない攻撃への切り替えは流石です。私でなければ……そうですね、イレア相手なら十分通用するでしょう」
「ありがとうございます……あの、ちょっといいですか?」
「どうしました?」
「立ち上がれません」
情けないことに、手足に力が入らない。大の字になった俺を見てリギスティアさんは申し訳無さそうな顔をした。
「使用人を呼んできますね。すいません、怪我を治すのであれば夜にソージアが帰るまで待って頂けますか?」
「分かりました。でもごめんなさい」
「いえ、リオさんには怪我をさせないつもりでしたのに。私の想定を上回った時点で、貴方の勝ちですね」
「は、はあ……」
どうやらお褒めに預かったようだ。担架でベッドに運ばれた俺は夜まで眠れもせず、ただただ暇を持て余してしまったのだった。
「お兄ぃ、災難だったねー」
「一生寝たきりとかにならなくて良かったよ……今考えれば恐ろしいな」
ヒナは今日は放送委員の当番だったらしい。夜にソージア先生と一緒に帰って来て、ベッドに大の字に寝転がる俺を見て大笑いしたのだった。慌てて治癒の精霊術をかけたソージア先生が言うには、関節が外れていただけのようだ。
倒れてすぐに医者が診た時も同じ事を言っていたが、先生が戻るまで治療、というか関節を嵌めるのを待っていたのだ。何故か全く痛がらない俺が不思議で様子を見ていたというのもあるが。
「まったく、無茶しないで下さいね、リオ君? 実戦なら動けなくなった時点で終わりですよ?」
「す、すいません……」
「前から思ってたけど、リオ君は無理な攻撃をし過ぎ。一旦退いて立て直すとか考えなさい。ヒナさん、何かあった時には止めてあげてね」
「はーい。お兄ぃって意外と無鉄砲っていうか、怖いもの知らずだよね。あ、悪い意味でね」
ヒナにまで説教されてしまった。あの時は上手くいったと思ったんだが、もっと考えないとな……
「まあ、もし戦う事になったら絶対に一人にはしませんから。敵が一人な訳ありませんからね。今日は例の話もするのでしょう?」
「はい、ティフォ先輩にはこの前会ったので。うちの方針は固まったんですね」
そう、ソージア先生の仕事がひと段落ついて本邸に戻って来た今日、ウンディーノ家としての今後の方針を通達するらしい。先輩と会ってから大きな動きは無かったが、いよいよだろう。
「どうせ今も聞いているんでしょうね。今度姿を現したらとっちめてやるわ」
「捕まるつもりは無いらしいですけどねぇ。意外と呼んだら来たりして。おーい」
開け放たれた窓に向かって声をかけてみる。……しばし沈黙。流石にここには来ないか。来ないよな?
「やめなさいリオ君、本当に来たらどうするのよ」
「そーだよ。もし来たらわたし逃げるからね?」
「だよな。捕まりたくないって言ってたし、来ないか」
「うんうん、巫女家の本拠地に来て逃げれる自信がある奴なんて――そう、この俺くらいだよな!」
一斉に振り返る。窓から降り立ってポーズを決めているのは、たった今話題に上がった男。一瞬時間が止まったような錯覚ののち、
「「「ぎゃああぁぁああ!!!」」」
「ハハハ、そんなに興奮なさるなって!」
「ちょ、いや、なんでいるんだよ! マジか! マジで来る奴がいるかよ!!」
「敵襲! 敵襲です! 総員戦闘配置に! 標的、ティフォ・ベントが現れました!!」
叫ぶ三人と笑う先輩。ソージア先生は屋敷の人に知らせようと声をあげた。
「無駄無駄ァ! この空間から外に声は届かんよ、ホムラちゃん先輩ッ!」
「ならっ!」
そう聞くと部屋を飛び出した先生。ちなみに宣言通りヒナは真っ先に逃げて行った。ぽつんと俺だけがティフォ先輩と部屋に取り残された。
「あのー、先輩」
「なんだねリオ君ッ!」
ビシッと指を差す先輩。よく分からないテンションはまだ続けるようだ。
「どうしてここに? 今度こそマジで捕まりますよ。てか来ないって言ってたじゃん」
「だから俺は捕まらないって。それに、ノーミオ家への対抗策を俺の動き込みで決めてるんだったら、俺がいないとマズいでしょ? 今日はシルフィオ家が誰もいないから来たのさ」
「珍しく正論っすね」
普通の口調で普通の事を言った。確かに先輩がこちらの様子を聞くだけの一方的なやり取りでは連携は取れないだろう。
「それに、俺呼ばれてるんだぜ?」
「はい?」
「向こうはダメ元のつもりだったかもしれないけどさ。もし屋敷に来るなら今日って言われてるんだよなあ。三日くらい前に侵入した時にね」
「三日前……あの時ですか。やけに家全体がざわざわしてたんですよ。先輩のせいだったんだ」
「まあねー。今日も正門から入ろうとしたんだけど、なーんか三人集まってたからサプライズ的な? あ、来た来た」
何がサプライズだよ、と言おうとした時、廊下の外が俄かに騒がしくなった。同時に数人の足音がする。
「失礼します、リオさん。それと……ティフォ・ベント殿」
「リギスティアさん!」
この屋敷の主が、数名の使用人と彼らを呼んだソージア先生を引き連れてやって来た。先輩を呼んだ事を言わなかった彼女は、ある意味この騒ぎの原因かもしれない。
「ええ、まさか本当に来るとは。せめて正門から入りなさい」
「サーセン」
軽く謝ると、使用人達と先生の目が一気に厳しくなった。本当に協力できるのだろうか……
「すぐに会議を始めるので、階下に来なさい。リオさん、彼の監視を頼みます」
「たぶん逃げたら俺の手には負えないので、期待しないで下さいね……」
「だいじょーぶ、終わるまでは逃げないからさ」
終わったらすぐに逃げると言外に告げ、彼を抜いたその場の全員が溜息を吐いた。
■□■□
「さて皆さん。本日集まって頂いたのは、ノーミオ家及びドラヴィド国、そして極東統治領に対する当家の方策を通達するためです。ですがその前に……」
「どもどもー、ティフォ・ベントでーす」
「……協力者である、彼の立場や目的等を表明して頂きます。質問のある方はどうぞご自由に」
溜息を我慢して進行を務めるリギスティアさん。この場にいるのはウンディーノ家の上層部全員だ。俺やヒナ、イレア、ソージア先生といった彼と関わりのある面子はまだしも、それ以外の人物はいきなり現れた破滅的に無礼な輩に眉を顰めていた。
「当主様、宜しいでしょうか」
「ええどうぞ」
最初に手を挙げたのは宰司だ。確か彼はウンディーノ家の実質的なナンバーツー。そして無礼な輩への怒りの度合いは集まった人々の中ではナンバーワンだ。
「ティフォ・ベントと言ったか。貴殿が我々に協力する目的を述べよ。もし虚偽の申し出があれば、ノーミオ家と同じく国家指名手配とする。よいですね、当主様?」
「ええ。ティフォ殿、ここでの発言如何によって貴方への信用が決まります。お互い損の無いようにお願いしますね」
「はいはーい」
軽すぎる返事に参加者の顔色が更に険しくなる。マジでうちの先輩がすいません……
立ち上がった彼に注目が集まる。その一挙手一投足を人々は訝しんでいた。
「まずは俺の目的だけど……大雑把に言うと、恒久的に戦争を止めるって感じかな」
だが一転して、彼の口から語られたのは無謀とも言える目標。
「んじゃ、説明すんね」
大きなどよめきに包まれて、ティフォ先輩の話は始まった。
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