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ボリジの章

⑩ 情熱的に口説かれて?

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『先生、これなんですけど。どうぞ』

 ブラギ君から渡された教科書これの書名は……《1週間でマスター! らくらくウルズ語》

 はたして言語が1週間でマスターできるのか……という疑問は置いておこう。
 出版社は……ええと、セントヘベレケ書院? 全部ウルズ語で書かれているから祖国のよね……聞いたことがないわ。

 ここでぼそっと、後方から呟きの声が。
『オールマルクス侯爵家様は有り余る私財を投入してさ、レア教材も入手できていいよな』

 えっ、これ高価なの?

『ウルズ語の教科書なんて、国内では流通してなくて今はまだ入手できないのです。これは国境付近のブローカー経由で極秘裏に取り引きし、ウルズ国から取り寄せました』

 そんな大それたことを……。

 でもこれ。“女性を初めて連れ出した先でのフレーズ”、“彼女を帰したくない時の必殺フレーズ”……女性を口説いてばっかりだわ!

『待て、オールマルクス侯爵家次男! 僕も予習は完璧だ。先生への挨拶なら負けない!』
 後方で勢いよく立ち上がった男子生徒。

『ええと、あなたは……』

「センセイ! 君ハ、僕ノ、太陽ダ!」
「んっ!?」
「薔薇ノ、ようニ、美シイ!!」

 情熱的……。

『……ありがとう。あなたの教科書も提出してくれるかしら』
『はい』

 素直に渡してくれた。

 《あたらしい古典ウルズ語》版元カエルカ書房……知らないな。にしても古典語か。聞かされた私もちょっと照れてしまうような、古めかしい表現だわ。

 ん、辺りでガリガリ書き込む音がする?

(キミハ……ガリガリ……
ボクノ……ガリガリガリ……
タイヨウ……ガリ……)

『あっ、みんな、今のウルズ語メモしないで!』

 勉強熱心なのは良いけれど。

『……教科書は私監修のもと編纂します。この2冊は資料として借りるわね』
 没収ではないから。

 この時、ガタガタっと鳴る椅子の音。また勢いをつけて立ち上がったのは。

『まったく、いいかげんになさい男子! いくら先生が若くて綺麗な女性だからって白昼堂々風紀の乱れる無作法、厳格な規律を重んじるこの王立学院において、退学も辞さずと覚えておくことですわね!』

 このクラスで少数派の女子生徒。名簿を見てみると30余名のうち女子は6名。先に女子の顔を覚えるのが効率的かしら。

『あなたは、女子学級委員のアンドレアンさんね』

 眉毛が凛々しく、利発な顔立ちの子だ。

『イリーナ・アンドレアンです。先生も、男子にもてはやされて教師の本分を忘れるのは、いかがなものかと思いますわ』

 睨まれた。しっかりした女子、厳しい、ちょっと怖い……。

 こんな感じで順番に自己紹介をしてもらい握手を交わしていった。生徒同士もまだ交流がなく、これからお互いを認識といったところのようで。

『さて、次の君は……』

 ん?

 いちばん後ろに着席する男子生徒……。頭にターバンを乱雑に巻き、ツンツンと銀の髪がはみ出して、今までの生徒とは少し風体ふうていが違う。

 長身過ぎて机に身体がおさまらないらしく、横に足を出している……はみ出してしまうのは仕方ないけれど、その態度……まさかこれが噂に聞く、“不良”というもの!? 確かアンジュが、外の世界にはそういう“ヤンチャな子”がいたりすると話していた。

 左目には黒の眼帯……まさかそれ、学生同士の戦闘で傷を負って?

 暴力を振るわれたらどうしよう。
 ああ、教師になるのだからそんな先入観はダメ。ちゃんと目を見て対話をすれば、きっと心を開いてくれるわ。

 あら?
 彼のもう片方の目は、澄みきったクリアブルーの……まるで天使のような、清らかな美しさ……

 ん? クリアブルー……?

 待って? すごく見覚えある。星くずを散りばめたような煌めく銀髪、それも。

「えええっ??」

────ダインスレイヴ様──!??

 なんでここに!? 他の生徒と同じくデザイナーズ制服をお召しで、ふてぶてしい感じで、なんでここに座られているんですか!?

 ここで私の脳裏を掠める、マルグレット先生の“上は25歳……”のお言葉。

「あなたのことでしたか……」
『…………』

 彼が私を清々しい瞳で睨む。えええ……なんで不機嫌なのでしょう……。

 名簿を見ると、氏名はレイ=ヒルドとあり、それ以上の情報が一切書かれていない。

『レイ君、よろしく……』
「センセイ、ヨロシク」

 やっぱり怒ってますよね? 帰ったらゆっくり話を聞こう。

 気を取り直して、また次々に生徒の名を聞いていった。
『さて次は、エリクソン家の……』

 順番を待つ生徒を目に入れたら、その彼は項垂れて微動だにしなかった。

『寝ちゃってるの? 起き……』
 私が彼の肩に手を伸ばした瞬間、返事なく、斜め後ろに倒れて────

「!? 大丈夫!?」
 この時、私は彼が床に倒れ込んだゆえに、身体を打ったことを心配したのだった。

 しかし。

「え?」
 この子、息してない!!

 慌てて彼を揺さぶった。
「起きて! ねえ、しっかりして!」

 焦る私。こういう時、どうするかなんて知らない。

「誰か……」

 泣きそうになった私の肩に手を置き、“彼”が仕切りだしたのはその時だ。

『応急処置を施す。委員長、職員室に連絡を。お前たち、つきあたりの倉庫から担架を持ってこい。みなで運ぶぞ!』

『『『は、はい!!』』』

『ユニヴェール、見て覚えろ』
『……は、はい』

 彼の処置を私はただ、隣で、震えながら見ていた──……。

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