2 / 7
② 片目
しおりを挟む
いつの間にか絶望していた。私の壮健や寿命に何ら関与しない、ちょっとしたたんこぶのようなもの。
足の小指なのだ、誰がそこに気付くわけでもない。しかし私はこのように通常の人とは違うせいで、きっと年頃になっても人として女性として、誰にも愛されることがないのではと、そう思いつめた。
それからは塞ぎ込む日々だった。社交場には欠席するようになる。靴が他のご令嬢とは違うと見つけられたら、もう生きてはいけないから。
代わりに、勉学に打ち込んだ。家で家庭教師と話をしている時間が最も落ち着く。
その家庭教師のひとりで、医師を志す女性と出会ったのは10の頃。学問のかたわら、興味深い話を多く聞けた。人を救いたい、そんな彼女の志に私は憧れを募らせる。
私もそうでありたい。人の役に立ちたい。人を慰めたい。心を癒したい。
「お父様、お母様。私、看護婦になると決めました」
ある日、私は両親にこう打ち明けた。貴族の身分を捨ててでも、と。当然父は大反対だ。しかし彼は私を猫可愛がりする立場、私の突拍子もない考えを叱りつけることはしない。
が、了承しなければそのうち諦めるだろうと高を括っていたようだ。
結局、時を経て、根負けしたのは両親の方であった。もちろん貴族の娘という肩書を捨てるのは許されず。だが、父の紹介する施設への実地訓練生としてなら、期間限定で認めるとのこと。
つまり「そこで音を上げて現実を思い知れ」というのだろう。実際、私は甘やかされて育った娘、自分でもちろん分かっている。私はまず人の役に立つことよりも、そこで職務に耐えられる、と証明することを目下の課題とした。
それでも未来への扉が大きく開いた気がしたのだ。
14の私が遣わされた所は、紛争地域の負傷者を収容する野戦病院であった。
思っていたよりよほど過酷な現場だ。これは父が「一日も早く帰るよう」と膳立てした結果。ここで看護婦長を除く職員は、私の出自を知らない。甘やかされる余地もない。もちろん構わない。私はこの熱意ゆえに、どんなところでもやっていけると自負があった。
――と意気込んでいたが、とんでもない。どんなに忙しくても、身体に疲労が溜まっても、それには耐えた。しかし負傷者の目を覆いたくなるような状況に、家に帰りたいといつも隠れてむせび泣く。そのたびに「もう帰るところはないと思え」と自分に暗示を掛けてみた。
そんな頃、とある病室の前を通りがかる。少し開いた扉が気になり閉めようと私は寄っていった。その前に、ふっと中を覗いてしまったのだ。
「きゃっ……」
私は驚き、後退りする。そこで一瞬、目に映ったのは、金色の髪の、鋭い目つきの、碧色した瞳の虎……、手負いの虎であった。いや、断定することではない。そこに獣など存在するわけないのだから。
ただ今にも噛みついてきそうな眼光で睨まれたので、私の脳裏にそう映ってしまったのだ。きっと戦場から運ばれた負傷者であったのだろうが……。私はそれから二度と開いた扉を覗かないようにしていた。
そこに派遣され三月が過ぎ、仕事にもなんとか慣れたという頃、看護婦長に私は呼ばれた。
「特別室の患者様、ですか?」
「ええ、あなたに任せるわ」
特別に個室を与えられているクラスの方なら少尉以上か。身分がどうあれ、一患者には変わりない。ただ心を尽くすのみ、だが。
「私はまだ若輩者ですが……」
なぜわざわざ私のところにそんな仕事が回って来るのか。
「正直に話すと……もはや誰一人としてそこに入室したがらないのよ」
「えっ。どうしてでしょう」
「そこのお方、ご身分は伏せるけれど、いい御家の方で、気難しいのよね」
気難しい、で済む話ではないのだろう。
「正直におっしゃってください。暴力がおありなのですか?」
「いえ。ただ叫ばれたり、物を投げられたり……。彼はここに運ばれてきてからも絶望と戦っているようね。心の持ってゆき場がないのよ。まだお若い方だし」
「絶望……どうして」
この病院には、運ばれても治療の甲斐なく、命の灯消えゆく患者、死ぬに死ねずもがき苦しみ、挙句に死神の迎えの来る患者も多い。
「彼はね……」
――片目を戦場で失ったのよ。
私はその病室に向かう途中、考えていた。片目を失い、いつしか完全に光を失う恐怖を思う。絶望の淵から逃れられずに? でも、命の灯は消えていない。
「ここは……」
私はその病室の前に立ち止まり、思い出した。
「あの時の……」
息を呑み、ノックをして入室した。
足の小指なのだ、誰がそこに気付くわけでもない。しかし私はこのように通常の人とは違うせいで、きっと年頃になっても人として女性として、誰にも愛されることがないのではと、そう思いつめた。
それからは塞ぎ込む日々だった。社交場には欠席するようになる。靴が他のご令嬢とは違うと見つけられたら、もう生きてはいけないから。
代わりに、勉学に打ち込んだ。家で家庭教師と話をしている時間が最も落ち着く。
その家庭教師のひとりで、医師を志す女性と出会ったのは10の頃。学問のかたわら、興味深い話を多く聞けた。人を救いたい、そんな彼女の志に私は憧れを募らせる。
私もそうでありたい。人の役に立ちたい。人を慰めたい。心を癒したい。
「お父様、お母様。私、看護婦になると決めました」
ある日、私は両親にこう打ち明けた。貴族の身分を捨ててでも、と。当然父は大反対だ。しかし彼は私を猫可愛がりする立場、私の突拍子もない考えを叱りつけることはしない。
が、了承しなければそのうち諦めるだろうと高を括っていたようだ。
結局、時を経て、根負けしたのは両親の方であった。もちろん貴族の娘という肩書を捨てるのは許されず。だが、父の紹介する施設への実地訓練生としてなら、期間限定で認めるとのこと。
つまり「そこで音を上げて現実を思い知れ」というのだろう。実際、私は甘やかされて育った娘、自分でもちろん分かっている。私はまず人の役に立つことよりも、そこで職務に耐えられる、と証明することを目下の課題とした。
それでも未来への扉が大きく開いた気がしたのだ。
14の私が遣わされた所は、紛争地域の負傷者を収容する野戦病院であった。
思っていたよりよほど過酷な現場だ。これは父が「一日も早く帰るよう」と膳立てした結果。ここで看護婦長を除く職員は、私の出自を知らない。甘やかされる余地もない。もちろん構わない。私はこの熱意ゆえに、どんなところでもやっていけると自負があった。
――と意気込んでいたが、とんでもない。どんなに忙しくても、身体に疲労が溜まっても、それには耐えた。しかし負傷者の目を覆いたくなるような状況に、家に帰りたいといつも隠れてむせび泣く。そのたびに「もう帰るところはないと思え」と自分に暗示を掛けてみた。
そんな頃、とある病室の前を通りがかる。少し開いた扉が気になり閉めようと私は寄っていった。その前に、ふっと中を覗いてしまったのだ。
「きゃっ……」
私は驚き、後退りする。そこで一瞬、目に映ったのは、金色の髪の、鋭い目つきの、碧色した瞳の虎……、手負いの虎であった。いや、断定することではない。そこに獣など存在するわけないのだから。
ただ今にも噛みついてきそうな眼光で睨まれたので、私の脳裏にそう映ってしまったのだ。きっと戦場から運ばれた負傷者であったのだろうが……。私はそれから二度と開いた扉を覗かないようにしていた。
そこに派遣され三月が過ぎ、仕事にもなんとか慣れたという頃、看護婦長に私は呼ばれた。
「特別室の患者様、ですか?」
「ええ、あなたに任せるわ」
特別に個室を与えられているクラスの方なら少尉以上か。身分がどうあれ、一患者には変わりない。ただ心を尽くすのみ、だが。
「私はまだ若輩者ですが……」
なぜわざわざ私のところにそんな仕事が回って来るのか。
「正直に話すと……もはや誰一人としてそこに入室したがらないのよ」
「えっ。どうしてでしょう」
「そこのお方、ご身分は伏せるけれど、いい御家の方で、気難しいのよね」
気難しい、で済む話ではないのだろう。
「正直におっしゃってください。暴力がおありなのですか?」
「いえ。ただ叫ばれたり、物を投げられたり……。彼はここに運ばれてきてからも絶望と戦っているようね。心の持ってゆき場がないのよ。まだお若い方だし」
「絶望……どうして」
この病院には、運ばれても治療の甲斐なく、命の灯消えゆく患者、死ぬに死ねずもがき苦しみ、挙句に死神の迎えの来る患者も多い。
「彼はね……」
――片目を戦場で失ったのよ。
私はその病室に向かう途中、考えていた。片目を失い、いつしか完全に光を失う恐怖を思う。絶望の淵から逃れられずに? でも、命の灯は消えていない。
「ここは……」
私はその病室の前に立ち止まり、思い出した。
「あの時の……」
息を呑み、ノックをして入室した。
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説
竜王陛下と最愛の番
しましまにゃんこ
恋愛
三年前、第一王子から突然婚約破棄を突き付けられたフェリシエは、国で一番身分の高い公爵令嬢でありながら、冷遇され、寂しい生活を送っていた。
フェリシエの心を慰めてくれるのは、友達の小さな蜥蜴だけ。
そんなフェリシエにある日新しい政略結婚の話が舞い込む。
相手はなんと、新しく即位した竜王陛下で……
愛に飢えた不遇な公爵令嬢と、可愛くてちょっぴり危険な竜王陛下の王道溺愛ストーリーです!
小説家になろう、他サイトでも掲載しています。
【完結】フランチェスカ・ロレインの幸せ
おのまとぺ
恋愛
フランチェスカ・ロレイン、十六歳。
夢は王都に出て自分の店を持つこと。
田舎町カペックで育ったお針子のフランチェスカは、両親の死をきっかけに閉鎖的な街を飛び出して大都会へと移り住む。夢見る少女はあっという間に華やかな街に呑まれ、やがてーーー
◇長編『魔法学校のポンコツ先生は死に戻りの人生を謳歌したい』の中で登場する演目です。独立しているので長編は読んでいなくて大丈夫です。
◇四話完結
◇ジャンルが分からず恋愛カテにしていますが、内容的にはヒューマンドラマ的な感じです。
世界最強の公爵様は娘が可愛くて仕方ない
猫野真鶴
ファンタジー
トゥイリアース王国の筆頭公爵家、ヴァーミリオン。その現当主アルベルト・ヴァーミリオンは、王宮のみならず王都ミリールにおいても名の通った人物であった。
まずその美貌。女性のみならず男性であっても、一目見ただけで誰もが目を奪われる。あと、公爵家だけあってお金持ちだ。王家始まって以来の最高の魔法使いなんて呼び名もある。実際、王国中の魔導士を集めても彼に敵う者は存在しなかった。
ただし、彼は持った全ての力を愛娘リリアンの為にしか使わない。
財力も、魔力も、顔の良さも、権力も。
なぜなら彼は、娘命の、究極の娘馬鹿だからだ。
※このお話は、日常系のギャグです。
※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しています。
※2024年5月 タイトルとあらすじを変更しました。
愛されなかった公爵令嬢のやり直し
ましゅぺちーの
恋愛
オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。
母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。
婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。
そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。
どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。
死ぬ寸前のセシリアは思う。
「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。
目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。
セシリアは決意する。
「自分の幸せは自分でつかみ取る!」
幸せになるために奔走するセシリア。
だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。
小説家になろう様にも投稿しています。
タイトル変更しました!大幅改稿のため、一部非公開にしております。
完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。
音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。
だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。
そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。
そこには匿われていた美少年が棲んでいて……
偽物令嬢〜前世で大好きな兄に殺されました。そんな悪役令嬢は静かで平和な未来をお望みです〜
藍未
恋愛
国で唯一の公女、シオン・グレンジャーは国で最も有名な悪女。悪の化身とまで呼ばれるシオンは詳細のない闇魔法の使い手。
わかっているのは相手を意のままに操り、心を黒く染めるということだけ。
そんなシオンは家族から疎外され使用人からは陰湿な嫌がらせを受ける。
何を言ったところで「闇魔法で操られた」「公爵様の気を引こうとしている」などと信じてもらえず、それならば誰にも心を開かないと決めた。
誰も信用はしない。自分だけの世界で生きる。
ワガママで自己中。家のお金を使い宝石やドレスを買い漁る。
それがーーーー。
転生して二度目の人生を歩む私の存在。
優秀で自慢の兄に殺された私は乙女ゲーム『公女はあきらめない』の嫌われ者の悪役令嬢、シオン・グレンジャーになっていた。
「え、待って。ここでも死ぬしかないの……?」
攻略対象者はシオンを嫌う兄二人と婚約者。
ほぼ無理ゲーなんですけど。
シオンの断罪は一年後の卒業式。
それまでに生き残る方法を考えなければいけないのに、よりによって関わりを持ちたくない兄と暮らすなんて最悪!!
前世の記憶もあり兄には不快感しかない。
しかもヒロインが長男であるクローラーを攻略したら私は殺される。
次男のラエルなら国外追放。
婚約者のヘリオンなら幽閉。
どれも一巻の終わりじゃん!!
私はヒロインの邪魔はしない。
一年後には自分から出ていくから、それまでは旅立つ準備をさせて。
貴方達の幸せは致しません!!
悪役令嬢に転生した私が目指すのは平凡で静かな人生。
殿下は君と恋がしたい!
寝頭ふみんしょー
BL
この世界は剣と魔法の国
魔族、妖精族、エルフにドワーフそして人間
ある日、弱くて短命の人間の中に黄金の血液を持つ子供が産まれました。
黄金の血液は魔素が含まれており、体液を摂取することで魔力強化も叶う
魔法を扱う者には喉から手が出るほど欲しいものでした。
犬系残念王子様・ルイス
病弱鈍感公子・ユツキ
ルイスはユツキのことが大好きなのに鈍いユツキはその気持ちに一切気がつかない
そんな時、ルイスは隣国の王子の成人式に出席することになる。ルイスは小旅行がてらユツキを誘いアプローチを試みるが…
ファンタジー世界で巻き起こるあまあま健気ボーイズラブ
夫の告白に衝撃「家を出て行け!」幼馴染と再婚するから子供も置いて出ていけと言われた。
window
恋愛
伯爵家の長男レオナルド・フォックスと公爵令嬢の長女イリス・ミシュランは結婚した。
三人の子供に恵まれて平穏な生活を送っていた。
だがその日、夫のレオナルドの言葉で幸せな家庭は崩れてしまった。
レオナルドは幼馴染のエレナと再婚すると言い妻のイリスに家を出て行くように言う。
イリスは驚くべき告白に動揺したような表情になる。
子供の親権も放棄しろと言われてイリスは戸惑うことばかりでどうすればいいのか分からなくて混乱した。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる