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夫・ブランドンはそれを大仰な素振りで破り捨てました。そんなもの、写しでしかないことは明らかでしょうに。
「過去十数年に及ぶ不正の証拠……。事細かな金銭授受の記載。これなど家系図の改ざんをしておりますね」
この証拠探しは私も精いっぱい協力いたしました。これがステュアートの大望の、足がかりになると信じて。
そう。彼の野望、叙爵についての取引で使用したものとばかり思っておりました。
「このようなこと貴族間では周知の事実でありますが、こうして確たる証拠が出てまいりますと……」
ブランドンには手も足も出ないことを、ステュアートは分かっておいでです。このタイミングですから。
マドラインが公爵家に入り懐妊したというまさに今、これが王家の耳に入ろうものなら、ブランドンの権威失墜は免れません。アリンガム家の命運も尽きるでしょう。
「この私を脅迫しようとは! クアークの家督を継ぎたいならば、ただ私にへつらっておればよいものを!」
「家督? ……もはやそのようなもの、どうでもいいのです。あなたこそ黙って私の要求をお呑みください」
いったんは怒髪天を衝く勢いの夫でしたが、何よりも大事なのは面子であります。
項垂れ、下から彼を睨みつけ、弱々しい言葉を発しました。
「何が望みだ……」
私も今の彼の要求など見当がつきません。固唾を呑んで陰から見守っておりました。
「ヒューズ男爵家の廃絶を」
その言葉に私は目を見開きました。それは──。
「なっ、馬鹿を言うな! 我がアリンガム家嫡男の母の生家だぞ!!」
「それを切り捨てるか、この数多の証拠品を抱いたあなたが水底に沈むか──どちらをお望みで?」
私は唐突に胸が熱くなりました。ステュアートにとってヒューズ男爵家など取るに足らない、目の上の瘤にもならない存在です。
証拠品を精査するなどの、準備のすべては、私のためであった……、そんなふうに思い上がってしまいそうでした。
「分かった……あの家の爵位は返上させる。女も家に返そう……」
「王都からの追放で手を打ちましょう」
「ぐぅ……」
妾のことなど慮る夫ではありません。ただいいように使っていたつもりの若造に出し抜かれ、この上なく忌々しいというだけ。
追い詰めるためにステュアートはなおも語ります。
「勲功を称えられ侯爵位を賜ったのはあなたのお父上であった。才覚も人々を惹きつける眩さも持たないまま、家柄、その中の序列にのみ恵まれたあなたの現実には、同情いたします。しかしあなたは他者を味方に引き込むもっとも大切なものが欠落しておられた」
「何だと……!」
「真心……誠実さが。心を持たない人に人は付いてこない」
「お前に私の何が分かる!!」
「ええ、さっぱり分かりません。どうして奥様を思いやって差し上げなかったのか。この敵だらけの政財界、いつ裏切られようとも知れぬ殺伐とした箱庭で、心を癒せる存在は妻であるあの方のみであったでしょうに」
そう、疑惑・反発はいつだって夫を取り巻いていた。それをステュアートが用立てた金で次から次へと黙らせていただけ。
いつ剥がれてもおかしくないメッキの舞台の上で、夫は踊らされていたのです。
「私は商人とかいう下等な出自の女は」
「ははっ。あの方の生家よりの施しをさんざん貪ったうえで、それをおっしゃるのですか。政略とはいえ、縁あって結ばれた女性ひとり幸せにできないで、何が上流階級の頂点を極めた絶対権力者アリンガム御大でしょうか」
(ステュアート……真剣な眼差し、熱を含んだ声色。誰よりも私の寂しさを理解して心に寄り添ってくれたのが、政務上の取引で結ばれたあなただなんて)
「……あなたのこれまでの所業を顧みていただけたなら、私も骨を折った甲斐があります」
夫の辞書に反省という文字などない。もういいのです。今さら反省されたところで、計画内容を変更する気はありませんもの。
言葉もない夫に、ステュアートは退室を促します。
「さて、閣下。ルシール様とマドライン様、婿君をお連れして玄関ホールへ。門前には名のある新聞社の記者らが朗報を待ちわびております。明後日の紙上で、ジェンクス公爵家次代ご夫妻を祝福するおめでたい記事が、一面を飾ることでしょう」
「ふんっ。いいか。必ず証拠のすべてを火中するのだぞ!」
情けない捨て台詞を吐いて夫は出ていきました。
「過去十数年に及ぶ不正の証拠……。事細かな金銭授受の記載。これなど家系図の改ざんをしておりますね」
この証拠探しは私も精いっぱい協力いたしました。これがステュアートの大望の、足がかりになると信じて。
そう。彼の野望、叙爵についての取引で使用したものとばかり思っておりました。
「このようなこと貴族間では周知の事実でありますが、こうして確たる証拠が出てまいりますと……」
ブランドンには手も足も出ないことを、ステュアートは分かっておいでです。このタイミングですから。
マドラインが公爵家に入り懐妊したというまさに今、これが王家の耳に入ろうものなら、ブランドンの権威失墜は免れません。アリンガム家の命運も尽きるでしょう。
「この私を脅迫しようとは! クアークの家督を継ぎたいならば、ただ私にへつらっておればよいものを!」
「家督? ……もはやそのようなもの、どうでもいいのです。あなたこそ黙って私の要求をお呑みください」
いったんは怒髪天を衝く勢いの夫でしたが、何よりも大事なのは面子であります。
項垂れ、下から彼を睨みつけ、弱々しい言葉を発しました。
「何が望みだ……」
私も今の彼の要求など見当がつきません。固唾を呑んで陰から見守っておりました。
「ヒューズ男爵家の廃絶を」
その言葉に私は目を見開きました。それは──。
「なっ、馬鹿を言うな! 我がアリンガム家嫡男の母の生家だぞ!!」
「それを切り捨てるか、この数多の証拠品を抱いたあなたが水底に沈むか──どちらをお望みで?」
私は唐突に胸が熱くなりました。ステュアートにとってヒューズ男爵家など取るに足らない、目の上の瘤にもならない存在です。
証拠品を精査するなどの、準備のすべては、私のためであった……、そんなふうに思い上がってしまいそうでした。
「分かった……あの家の爵位は返上させる。女も家に返そう……」
「王都からの追放で手を打ちましょう」
「ぐぅ……」
妾のことなど慮る夫ではありません。ただいいように使っていたつもりの若造に出し抜かれ、この上なく忌々しいというだけ。
追い詰めるためにステュアートはなおも語ります。
「勲功を称えられ侯爵位を賜ったのはあなたのお父上であった。才覚も人々を惹きつける眩さも持たないまま、家柄、その中の序列にのみ恵まれたあなたの現実には、同情いたします。しかしあなたは他者を味方に引き込むもっとも大切なものが欠落しておられた」
「何だと……!」
「真心……誠実さが。心を持たない人に人は付いてこない」
「お前に私の何が分かる!!」
「ええ、さっぱり分かりません。どうして奥様を思いやって差し上げなかったのか。この敵だらけの政財界、いつ裏切られようとも知れぬ殺伐とした箱庭で、心を癒せる存在は妻であるあの方のみであったでしょうに」
そう、疑惑・反発はいつだって夫を取り巻いていた。それをステュアートが用立てた金で次から次へと黙らせていただけ。
いつ剥がれてもおかしくないメッキの舞台の上で、夫は踊らされていたのです。
「私は商人とかいう下等な出自の女は」
「ははっ。あの方の生家よりの施しをさんざん貪ったうえで、それをおっしゃるのですか。政略とはいえ、縁あって結ばれた女性ひとり幸せにできないで、何が上流階級の頂点を極めた絶対権力者アリンガム御大でしょうか」
(ステュアート……真剣な眼差し、熱を含んだ声色。誰よりも私の寂しさを理解して心に寄り添ってくれたのが、政務上の取引で結ばれたあなただなんて)
「……あなたのこれまでの所業を顧みていただけたなら、私も骨を折った甲斐があります」
夫の辞書に反省という文字などない。もういいのです。今さら反省されたところで、計画内容を変更する気はありませんもの。
言葉もない夫に、ステュアートは退室を促します。
「さて、閣下。ルシール様とマドライン様、婿君をお連れして玄関ホールへ。門前には名のある新聞社の記者らが朗報を待ちわびております。明後日の紙上で、ジェンクス公爵家次代ご夫妻を祝福するおめでたい記事が、一面を飾ることでしょう」
「ふんっ。いいか。必ず証拠のすべてを火中するのだぞ!」
情けない捨て台詞を吐いて夫は出ていきました。
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