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終章 希望
⑩ 求婚
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日も暮れると肌寒い、そんな季節になってきた頃、建設中の家屋がなんとか暮らせるほどに整った。それは庶民のための、ありふれた竪穴住居である。建設の進行を、あまり詳しく確認していないユウナギでも知っている、それは家族が寄り添って暮らす家なのだ。
そろそろ新しい家屋へ移り住めるとなり、ナツヒはユウナギと話をしなくてはいけないと実感した。
ずっと考えていた。このままふたりでそこに入れるわけがない。しかし勇気を出せずに、ここまで来たのだった。
冬の訪れはすぐそこだ。温暖な季節のあいだに、慣れない生活で一心不乱の時を過ごすことができた。思えばそれは神の采配だったのだ。
よく晴れた日の夜ユウナギは、寝床の洞穴を抱える小さな丘の上で、腰を降ろし星空を眺めていた。夜はもうだいぶ寒く、皮の衣を余分に羽織っている。そんな彼女を下から見つけたナツヒも、たたっと駆け上ってきて隣に座った。
ふたりは夜空を高く見上げ、しばらく何も話さずにいた。
ユウナギは寂しいのだろうかと、ナツヒは考えた。今後も方角を知ることすらないだろうが、遠く離れてしまった故郷に、生まれ育ったあの地に帰りたいのかを聞きたくなった。
あの頃も彼女は孤独だったかもしれない。そうであろうとも彼女は人が大好きで、人懐っこく、人に親身で、そんな彼女を慈しむ人はきっと大勢いたのだ。もしかしたら誰か、彼女を待つ人がまだ、あの地にいるのかもしれない。
それでも。
「俺にはこの世でお前だけなんだ」
「……え?」
遠い日を思い返すように、空を見上げるナツヒが告げる。
「俺は、神に選ばれた巫女を守るために生まれた兵士だった。物心ついてからずっと、そう言われてきたからさ」
ここで彼はユウナギに、力強いまなざしを向けた。
「でもこれからは……ただの人としてのお前を、誰に命じられたからでもなく、守って生きていく」
そして彼女をまず片腕で寄せ、それからもう片方の腕で胸に抱き込み、これを申し込んだ。
「だから、もうそろそろ、俺の妻になってください」
少しの時が流れた。胸の中のユウナギは何も言葉にしないので、彼にはとてもとても長い時間に感じられた。
気まずいナツヒは頭も目線もうろうろし始める。その挙句、どうにもいたたまれなくなり、彼女の顔をのぞきこんだ。
「ユウナギ?」
すると、彼女はまったく音もたてず、目に溜め込んだ大粒の涙をこぼしているのである。
「あぁ、悪い!」
彼女の腕を掴んだ手を、ぱっと離すナツヒ。
「やっぱりだめだよな、俺じゃ……」
わりと強気に告白していても、受け入れてもらえる自信なんてなかったのだ。他の想い人がいる事実を、隣でずっと眺めてきたのだから。それこそほぼ初めから。
なかったことにしようと、慌てて彼女を宥めようとする。が、それを遮るように
「違う!」
と、彼女は叫んだ。急に声を張り上げられナツヒは驚く。
彼女は潤んだ瞳でまっすぐに彼を見た。
「私にだって、ナツヒだけだよ! 今までだってきっと、ずっと……。これからも……終わりの日まで一緒に生きたいのは、あなたしかいない」
彼にはそれがまったく思いがけない言葉で、口を小さく開けたまま固まってしまった。
「あなたと本当の家族になれたら、私のゆく先は絶え間なく幸せだって、未来なんて視えなくても分かる。命の終わる時までずっと、私はあなたと出会えた運命に感謝する」
そんな、彼にとっては信じられない、夢のようなこたえを口にするのに、流れる涙のわけを知りたくて、彼はただ次の言葉を待つ。
「……でも私は兄様と、いつか生まれ変わったら、また巡りあい、共に生きようと約束をした。それはただの、兄様の最後の優しさだったのかもしれない。でも、たとえもうこの世のどこにもいなくても、彼も私の、何よりも大切な人……約束をたがえるようなことは……。だから……いつかあなたとの別れの時がきても、次の世もまた逢いましょうと、私は口にすることができない……」
ユウナギは申し訳なくて、どうしたらいいのか分からなくて、顔を伏せてしまった。
「そんなの構わねえよ」
そこまで静かに言葉を聞いていたナツヒは言い切った。そして地に着く彼女の手を覆うように握る。それを受け、ユウナギはゆっくり顔を上げた。
「お前を娶れる未来なんて、ここに来るまで存在し得なかったんだ。そんなことが叶うなら、俺は次の生なんていらない。来世なんかいらないから、今生で、最後まで離れることなく共にいてくれ」
ユウナギはそんな彼の目をじっと見た。ただただ、じっと見つめた。そして。
「……はい」
まっすぐに目を見つめた後で、一言だけ答えた。
その時、この上ないほど幸せな様相で微笑んだユウナギが、どうにも可愛くて愛しくて、ナツヒは立ち上がり彼女を引っ張り上げ、夜空に向かって思いきり高く抱き上げた。
なのに、わりとすぐに下ろした。それから誰もいないし何もないのに、彼が周りをきょろきょろ見まわすので、ユウナギはなんだろう?と思う。
「……くちづけてもいいか?」
「!」
その言葉にユウナギは、一気に頬を染めて、少し拗ねたようにこう言うのだった。
「……妻にそんなこと聞かないでよ……」
そしてふたりは満天の星空の下でくちづけた。この世にまるで、存在するのは互いだけのような、そんな心地で、そのひと時を過ごした。
その初冬の果てない星空は、この世でいちばん美しい舞台だった。
そろそろ新しい家屋へ移り住めるとなり、ナツヒはユウナギと話をしなくてはいけないと実感した。
ずっと考えていた。このままふたりでそこに入れるわけがない。しかし勇気を出せずに、ここまで来たのだった。
冬の訪れはすぐそこだ。温暖な季節のあいだに、慣れない生活で一心不乱の時を過ごすことができた。思えばそれは神の采配だったのだ。
よく晴れた日の夜ユウナギは、寝床の洞穴を抱える小さな丘の上で、腰を降ろし星空を眺めていた。夜はもうだいぶ寒く、皮の衣を余分に羽織っている。そんな彼女を下から見つけたナツヒも、たたっと駆け上ってきて隣に座った。
ふたりは夜空を高く見上げ、しばらく何も話さずにいた。
ユウナギは寂しいのだろうかと、ナツヒは考えた。今後も方角を知ることすらないだろうが、遠く離れてしまった故郷に、生まれ育ったあの地に帰りたいのかを聞きたくなった。
あの頃も彼女は孤独だったかもしれない。そうであろうとも彼女は人が大好きで、人懐っこく、人に親身で、そんな彼女を慈しむ人はきっと大勢いたのだ。もしかしたら誰か、彼女を待つ人がまだ、あの地にいるのかもしれない。
それでも。
「俺にはこの世でお前だけなんだ」
「……え?」
遠い日を思い返すように、空を見上げるナツヒが告げる。
「俺は、神に選ばれた巫女を守るために生まれた兵士だった。物心ついてからずっと、そう言われてきたからさ」
ここで彼はユウナギに、力強いまなざしを向けた。
「でもこれからは……ただの人としてのお前を、誰に命じられたからでもなく、守って生きていく」
そして彼女をまず片腕で寄せ、それからもう片方の腕で胸に抱き込み、これを申し込んだ。
「だから、もうそろそろ、俺の妻になってください」
少しの時が流れた。胸の中のユウナギは何も言葉にしないので、彼にはとてもとても長い時間に感じられた。
気まずいナツヒは頭も目線もうろうろし始める。その挙句、どうにもいたたまれなくなり、彼女の顔をのぞきこんだ。
「ユウナギ?」
すると、彼女はまったく音もたてず、目に溜め込んだ大粒の涙をこぼしているのである。
「あぁ、悪い!」
彼女の腕を掴んだ手を、ぱっと離すナツヒ。
「やっぱりだめだよな、俺じゃ……」
わりと強気に告白していても、受け入れてもらえる自信なんてなかったのだ。他の想い人がいる事実を、隣でずっと眺めてきたのだから。それこそほぼ初めから。
なかったことにしようと、慌てて彼女を宥めようとする。が、それを遮るように
「違う!」
と、彼女は叫んだ。急に声を張り上げられナツヒは驚く。
彼女は潤んだ瞳でまっすぐに彼を見た。
「私にだって、ナツヒだけだよ! 今までだってきっと、ずっと……。これからも……終わりの日まで一緒に生きたいのは、あなたしかいない」
彼にはそれがまったく思いがけない言葉で、口を小さく開けたまま固まってしまった。
「あなたと本当の家族になれたら、私のゆく先は絶え間なく幸せだって、未来なんて視えなくても分かる。命の終わる時までずっと、私はあなたと出会えた運命に感謝する」
そんな、彼にとっては信じられない、夢のようなこたえを口にするのに、流れる涙のわけを知りたくて、彼はただ次の言葉を待つ。
「……でも私は兄様と、いつか生まれ変わったら、また巡りあい、共に生きようと約束をした。それはただの、兄様の最後の優しさだったのかもしれない。でも、たとえもうこの世のどこにもいなくても、彼も私の、何よりも大切な人……約束をたがえるようなことは……。だから……いつかあなたとの別れの時がきても、次の世もまた逢いましょうと、私は口にすることができない……」
ユウナギは申し訳なくて、どうしたらいいのか分からなくて、顔を伏せてしまった。
「そんなの構わねえよ」
そこまで静かに言葉を聞いていたナツヒは言い切った。そして地に着く彼女の手を覆うように握る。それを受け、ユウナギはゆっくり顔を上げた。
「お前を娶れる未来なんて、ここに来るまで存在し得なかったんだ。そんなことが叶うなら、俺は次の生なんていらない。来世なんかいらないから、今生で、最後まで離れることなく共にいてくれ」
ユウナギはそんな彼の目をじっと見た。ただただ、じっと見つめた。そして。
「……はい」
まっすぐに目を見つめた後で、一言だけ答えた。
その時、この上ないほど幸せな様相で微笑んだユウナギが、どうにも可愛くて愛しくて、ナツヒは立ち上がり彼女を引っ張り上げ、夜空に向かって思いきり高く抱き上げた。
なのに、わりとすぐに下ろした。それから誰もいないし何もないのに、彼が周りをきょろきょろ見まわすので、ユウナギはなんだろう?と思う。
「……くちづけてもいいか?」
「!」
その言葉にユウナギは、一気に頬を染めて、少し拗ねたようにこう言うのだった。
「……妻にそんなこと聞かないでよ……」
そしてふたりは満天の星空の下でくちづけた。この世にまるで、存在するのは互いだけのような、そんな心地で、そのひと時を過ごした。
その初冬の果てない星空は、この世でいちばん美しい舞台だった。
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