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第十四章 価値

① 救うべき命、見捨てるべき命

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 ユウナギはこのところ、あの幸福な夢を思い出しては、心地よい浮遊感に身を委ねていた。今からでも、いつであっても、きっと彼は国よりも何よりも私を選んでくれるの、と胸を焦がし、そしてすぐにそんな浅はかな自分を責める。戦を止められない罪滅ぼしとして、潔くそこで果てるのは覚悟の上でいたかった。

 そんな切羽詰まった日々の最中に、敵国方面から中央へ一報が届く。それは隣国に放った密偵の使用する、連絡経路を通ってきた暗号文であった。


「アヅミからの連絡……!?」
「ええ。敵国は手始めに、こちらのむらをひとつ乗っ取ろうと画策中だそうです。あい対し戦いを始めるでなく、これは奇襲。東部の邑を崩しそこから全土に、ということでしょう」

 ユウナギは歓喜した。敵国の計画の話など今は耳に入ってこない。アヅミが生きていた。それだけで、神への感謝の心でいっぱいだ。
 喜びの中、トバリの手にあるその密書を取ろうとする。したら彼は、さっと手を引っ込めた。

「罠かもしれません」
「……!」
 真顔になるユウナギ。トバリはそんな彼女を切なげな眼差しで見る。彼女は「そんなことない」と言いたいだろう。しかしその言葉には責任がのしかかる。女王は大勢の人の命を預かっているのだ、「信じたいから」などと安易に言えるはずもない。

「……密書の中に一枚、ふみが添えられていました。あなた宛ての」
「!」
 それも丞相に葬られる可能性の高いものだ。それでもアヅミは彼に委ねた。

「これも罠かもしれない。しかし、あなたに届けましょう」

 ユウナギは少し震える手でそれを受け取った。そこには見事な筆跡でこう書かれている。

“むしのいい話だと分かっておりますが、どうか信じてください
あなたに助けていただいた命は
いつ消えても惜しくない、つまらないものですが
残りの生でただの一度でも、己を誇らしく思える瞬間が欲しいのです”

 ユウナギは、確かに彼女は生きていて、生への執着の垣間見えることが嬉しくて、温かな気持ちで目を潤ませた。

「信じるわ。……敵国のそれはどういう計画なの?」
「どうやらこれで開戦となりそうですね」

 トバリは説明する。それは現時点から4日後の朝に、そのむらの全民を捕虜として捕えると計画されているようだ。なのでこちらは民を避難させた上で応戦したい。中央から送る隊は明朝に立たせても4日かかる。しかし伝書で連絡するだけなら2日。隊は間に合わないのでまず民を逃がすことに専念したい。たとえ邑中むらじゅうの集落が焼かれようとも人々さえ生存させれば、と考えている。しかし1日の猶予で邑の馬車などを使って他へ逃がせるのは全民のおよそ7割。それをどういった者にするのか、という話だ。

「3割の者を見捨てる、ということ?」
「そうです」
 ユウナギは動揺した。その3割の捕らえられた民の受ける仕打ちを思うと。

「それをあなたに委ねます」
「え?」
「国の民の命運は、あなたのものですから」

 目線をまっすぐに言い渡してくる彼が、ユウナギには手厳しく思えた。しかしそのための女王だ。これに関して丞相にできるのは、あくまで助言。
 彼は言う。今夜、月の上る頃、女王の決定により関係者は夜明けに向けて準備を始める。女王の決意までの制限時間は10刻ほどだ。

 ユウナギの顔は強張った。

「あなたはどう思う?」
「それはもちろん、これを考えるほとんどの者は同じ意見になると思いますが、若者を優先して逃がすべきですよね」

 それはユウナギにも分かる。生産性が違う。よって捕えられた後の人質としての価値も違う。しかし命を選別するにそれでは、単純過ぎるとも思える。

「間違いではないと分かるわ。でもそんな簡単に決めていいのかしら」

 トバリは彼女の次の言葉を静かに待つ。

「生産性で言ったら、健康体で体力のある40の大人と病床の10の子の差は? 病床の子はその子で、将来性というのもある、今は病床でもいつかは働けるかも。かといって今は働けなくても、長く人々のために働き貢献した老人が、今働き盛りの若者と、命の価値が違うとは思えない」

 彼女はここで“命の価値”を口にしてしまった。納得のいくまで考え抜かなくては、後々まで引きずることになる。

「そのための時間です。より細かく指令を出してください。現地で役人らが混乱しないように」
「あの、ナツヒの意見も聞きたいのだけど」
「今日は狩りに出ているのではなかったかな。誰か居所を知っているだろうか」

 トバリが下の者らに尋ねるのも待ちきれず、ユウナギは巫女衣裳を脱ぎ捨て、中央の人間に聞いて回った。もはや女王が誰と話していてもお構いなしだ。このたびの女王はそういう存在だと周知されている。
 彼の居場所の情報を掴んだ彼女は、中央を出て少し行ったところの森に入った。ナツヒは結局見つからず、そして言わずもがな、またどこかへ冷たい強風に吹き飛ばされていったのだった。



「ここは……洞窟かしら」
 ユウナギはうっそうと茂る木々に包まれた岩崖の、洞窟の入り口にいた。日の光に照らされ、深そうないわやだと知る。その時、奥から物音が聞こえてきた。

「誰だ、そこにいるのは?」

 奥から用具を持って人が出てきた。それはユウナギより少し背の低い少年だ。彼は自分の仲間かと思って出てきたようで、そこにいたのが妙齢の女性であることに驚く。ユウナギも早速自己紹介してもいいものかためらい、とりあえず友好的な態度で接してみることに。

「初めまして。私、初めてこの辺に来たのだけど。あなたはここで何をしているの?」

 上品なお姐さんに声を掛けられ、彼はなかなか気分が上がった様子。
「秘密基地を作っているんだ」

 ユウナギは首を傾げる。彼の言うには、先人がある程度掘っていた穴を子どもたちで見つけ、みなで更に掘ろうという話になった。それを彼の祖父が見知って、子らはなんとなく大人には咎められるのだろうと感じていたが、彼はそれどころか積極的に協力してくれた。道具も祖父からの物のようだ。

「ここ2年くらいで意外と広くなったんだ!」
 少年はとても明るく、この洞穴についてべらべらと話す。祖父にこの秘密基地を認めてもらえたことがよほど嬉しかったらしい。農作業の片手間にやる遊びなので、少しずつ大きくなるのを感じる程度のようだが。

「いつかここに住めるようにしたくてさ」
「面白そうね」
 利便性は置いといて、とユウナギは思った。

「ここは集落の近くなの?」
「近くと言えば近くだけど。森の入り口だよ。昔はきっとこの辺に家があったんだ。そばに貝塚もあるし」
 ユウナギはそう聞くと、過ぎ去った時代への浪漫を感じる。

 ふたりは話をしている間にどんどん打ち解けてゆき、少年は泊まるところもないというそのお姐さんを自宅に連れて帰ることにした。

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