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第十三章 未来

① 隠し通せなかった

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 ユウナギはこの頃うまく眠れない。

 彼女の耳にも入ってくる。東に送った国の密偵と連絡が途絶えただとか、東の国境に配備された兵士が不審死を遂げただとか。
 最近どうもきな臭いが、中央の人間の多くは以前の防衛戦で大勝を博した記憶も新しく、国の危機を憂う雰囲気もそれほどはない。

 しかしユウナギだけは知っている――。

 命の期限が刻々と迫っている、その現実が彼女を眠る間も苛むようになってしまった。

 自覚している。愛しい人のために、下の者のために、民のために、と口では言っていても、そうありたいと願っていても、実際は恐くてどうしようもなくて、まだ死にたくない、今すぐ逃げ出したい。

 自分だけは――、

そう考えてしまう己が情けなくて自己嫌悪を繰り返している。

 行商人に注文して入手した魔術師の薬を煎じて飲み、軒下でうたた寝する日が続いていた。


「昨晩もよく眠れませんでしたか」
 この頃、ユウナギの側に控えているのはサダヨシだ。ユウナギはとにかく誰かにこの焦燥感を、言葉を聞いてもらいたくて、しかしそれはトバリではいけなかった。彼に対しては常に後ろめたさを感じている。未来を知っても彼の命を救う手立てがないことに。

 彼女はいつも“あの男”のことを思い出している。以前の、周遊中の時空移動で出会ったあの男。そして彼の側にいた男。彼らには更に前の移動先で遭ったことがある。
 サダヨシに尋ねてみた。この国を取り込もうと企む隣国の王の、最側近について知ることはあるか、を。彼はひとつだけ答えた。長く、美しい白髪はくはつを持つ眉目秀麗な参謀である、と伝わってきたようだ。

 ユウナギは確信する。国々の乗っ取りを実現した王というのは、やはり彼だった。ということはつまり、自分は彼を広い外の世に開放した、その一手を担ってしまった。このような後ろ暗い事実、誰にも話せない。

 そういった訳でよそよそしいユウナギの態度を感じ取り、トバリも陰では、女王の支えになれていない己の無力さに打ちひしがれる日々であった。


 サダヨシはため息交じりで語る。
「攻めてくることが分かっていて、それならこちらから、となる力もない。防衛していてもいつかジリ貧になるだけです」
「どうしても力が足りないの?」
「どれだけ切り捨てられるものがあるか、という違いです。こちらも平民の男を存分に動員し戦場に繰り出せば、勝機はありますが。それをお望みでないのでしょう?」

 ユウナギは苦しい顔でうなずく。

「軍事力というのはやはり数なので。ただ軍の大きさが敵わない、それが勝敗を決するすべてです」
 ナツヒも彼の率いる兵たちも、日々訓練を怠らず努力を重ねているのに、と悔しく思う。しかし個人の武力の問題ではなく。

「たくさん徴兵して一時凌いだとしても、国の日常が崩れるわ。民の暮らしが立ち行かなくなれば、それだって命の危機。人口も減って、結局いつかは取られるんでしょう!?」
「そうですね。軍の規模に対抗するなら、予め隣国同士で固く結束しておかねばなりませんでした。向こうは力づくでそうしてきたのだから。我が国も周辺国も、もう何十年と内政内政、互いにそうなのだから、それほど互いに意識を向けることなく平穏が続いてしまった。私も入隊して12年、この役に就いて10年、取りかかりが甘かったと後悔しています」

 彼は軍師としてここ数年で得た情報を頼りに、戦術を駆使し小さな軍で大きな敵を出し抜く方法を考えているのだが、どう机上で模擬攻略しようにも難しいと感じるようだ。力不足を悔いる彼を、ユウナギは改めて労った。

「戦というものは結局、その前段階で決まってしまうものです。向こうの王の国取りは20余年を掛け、優秀な参謀の計画により体系的になされてきました。20年の時は巻き戻せません」
「私が20年以上前のここに飛んだ時、そういうことを話しておければよかったのに!」

 神の力は一方的、そして一時的に与えられるだけ、思い通りにはならない。十分身に染みていることだが、ここにきてとどめの無力感だ。神の加護に関してすら、あの男に勝るものではなかった。

「もう敵国をどうにか打ち負かそうなどとは考えない。私たちの課題は、いかに国の民の命を、平穏を守るかということよ。それに専念しましょう」

 この時のふたりは、人払いをしていただけで無防備だった。その室外で聞き耳を立てる者がいたことに、少しも気付いていなかった。



 その夜、眠りに誘われかけた頃、ぎいぎいと音がしてユウナギははっと目を覚ました。侍女かなと思ったが、どうもその足音は女性のそれより重いのだ。

 ユウナギは寝床から出て戸口に寄って行った。戸を開けようとしたらそれは先に開いてしまい、彼女は一瞬ひやりとする。

「……兄様……」
 彼女の冷静な部分がそれを小声にした。

 どうして彼がここに、と考える間もなく、彼からの言葉を聞いた。

「夜這いに来ました。声は上げないでくださいね」
「…………?」

 戸を静かに閉める彼に、ユウナギはこれは夢だろうなとぼんやり思う。なんて現実のように確かな夢なのだろうと。夢ではあるが鼓動が高鳴る。目が覚めるまでに終いまでみなくては。これは今までみた中でも特段に至福の夢だ。

「兄様!」
 彼女は彼の腕の中に飛び込んだ。とても温かくて、やはり夢なのだと思う。すると彼の長い指が顔の輪郭をなぞってきて、軽くあごを持ち上げられる。

 そして暗がりの中、互いの目が合うと、彼女の胸は締め付けられ、目を開けていられなくなった。

「目を開けて」
 声が優しい。溶けてしまいそうな自分を感じる。瞼を開けると、本能で大好きだと言える顔がすぐそこにある。

「私の前で、一糸まとわぬ姿になってもらえますか?」
「……え?」
「あなたの心すべて」
「心……」

 ユウナギは雲行きが怪しいと感じた。これは確かに現実の出来事で、彼は自分を包み込みに来たのではない、剥がしに来たのだ。

「どういうこと? 私の心はずっと前からあなたのもので、それをあなたがどうしようと……」
 彼女は早々に目線を逸らしていた。

「そのように閉ざしたままなら、私は命を断ちます」
「! タチの悪い冗談だわ!」
「冗談ではない。女王の心を聞けない、信頼もされない丞相など、存在する理由もありません」

 やはりすべて見抜かれていた。彼はもう大抵のことは分かっている。ただ女王に無下にされ、重要な何かを打ち明けられない己の存在だけが、彼にとっては事実なのだ。

「違う!」
 彼女は再び彼に飛びついた。

「私の心が弱いだけ! あなたが苦しむのを見るのが怖くて、そんなふうに私は私のことばかりで、存在する価値がないのは私の方」
「それだけ抱え込んでいるものが、あなたを苦しめているのでしょう? それを私にも分け与えてくれませんか」
「怖くて悔しくて、何の希望もない現実よ。分け与えても半分にはならない……」

 彼はその温かい手で彼女の手を取った。
「私を思って、この小さな手でひとり抱え、耐えていてくれたのですね」
 そして彼女の後ろ頭にその手を回し、強く抱きしめた。
「ありがとう」

 ユウナギは嬉しさと悔しさが混ざり合う、どうにも表しようのない気持ちで、しばらく彼の腕の中、ただ涙を流していた。


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