運命の人

まる。

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番外編

運命な貴女(ひと)・後編

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 突然の自己主張に戸惑いながらも、ジャックは叶子の気持ちを優先する事にした。彼女の言い分がわからないわけでも無いし、結婚式と言うのはどちらかと言うと女性の為にあるものだとも思っているからこそ、当の主役がやりたくないのだと言えばそれでいいのだとジャックは考えた。本当は、かたっくるしい形式にこだわらなくとも彼女さえいればそれで満足だったのだが、一目でいいからドレス姿の叶子を見てみたくなり結果、説き伏せる結果となる。
 以前、シーツを身体に巻きつけながらバスルームへと歩いていくその後姿に、ウェディングドレスを身に纏った彼女を重ねた。その時は、そんな姿を拝める日が来るとは到底思えず、大きな溜息を吐いたのを覚えている。
 あの時に感じたやり切れない気持ちを糧にしてきたからこそ、今の自分があるのだと思った。

 人は、目の前に立ちはだかった壁が高ければ高いほど、なんとしてでもそれを乗り越えその先を見たくなる。
 彼もまた、そう思う一人だった。
 なのに、

「え? 今、なんて……?」

 本当は聞こえているのにわざと聞き返したジャックに対し、叶子は困惑の表情を浮かべている。聞こえたけど、聞き間違いであって欲しい――。そんな願いも虚しいものに終わった。
 叶子は手にしたフルートグラスに注がれているシャンパンを一気に喉に流し込むと、覚悟を決めるかのようにしてジャックに視線を向けた。

「……だから、籍は入れなくていい、って――」
「……は?」

 今日一日で、彼女の結婚に対する要望を一気に聞かされた。婚約指輪は失くしそうだからいらない、式はとやかく言われるのが耐えられないから挙げたくない。ここで部屋を取ったから自分で車を運転してきた彼も一緒に飲みたいと言えば、ホテルは落ち着かないからイヤだと言いキャンセルした。お陰でせっかく今日の日の為に特別なディナーを用意して貰ったと言うのに、彼はいつものペリエで喉を潤す羽目となる。
 そして、今度は籍を入れたくないと来た。
 彼の提案をことごとく跳ね除ける彼女に、一抹の不安さえ感じさせられる。
 女性だからこそ、理想の結婚式というものがあるのだとは思うけれども、叶子の並べ立てた全てが、とてもじゃないが一般的に言う“理想”のそれとは程遠いものだと、男の自分ですらわかる。

(これってもしかして、マリッジブルーってやつかな?)

 今まで恋人としての彼女しか見てこなかったが今後もこうやって自分の意見を退けられることが度々あるとなれば、そのうち我慢がきかなくなるかもしれない。彼女の何十倍も自我が強いと自負しているジャックは、大事にならなければいいのだが、と今後の二人の先行きを危惧した。

「あ! 勘違いしないでよ? 別に貴方と結婚したくない、って言ってるわけじゃないから」

 不安の色を隠しきれない彼の表情に気付いた叶子が、胸の前で両方の掌を広げてそれをブンブンと振って見せた。
 そう言われても、これだけ否定的な条件を並べておいて、尚も自分と結婚する意思があるのだとは到底思えず、彼はかぶりを振る。

「カナ、君の話を聞いて結婚する気があるって思える方がおかしいよ」

 あまりのショックに食欲も失せたのか、手にしたナイフとフォークをプレートの上に置き、彼は顔を両手で覆った。

「やだ、そうじゃないってば」
「何が違うって言うのさ」

 顔を少し上げ、鼻と口元を両手で覆いながら、恨めしそうに目を向けると、アルコールでほんのりと上気させた頬で彼女は眉尻を下げていた。

(――ああ、ぎゅってしたい……)

 困った顔の叶子を見ると、無性に抱き締めたくなる衝動に駆られる。だが、今この状況でそんな事をすれば元の木阿弥。いつ緩んでもおかしくない今の自分の顔を彼女に悟られてはいけないと、ジャックは両手で顔を覆い続けた。

「貴方からしてみれば、馬鹿らしいって思うのかもしれないけど、“お金が目的だ”って思われたくなくって……。だって、ほら、私ってフツーの一般人だし」
「ほんっと、馬鹿らしいよ……」

 呆れた様な声でそう言うと、彼女は小さな口を少しだけ尖らせた。

「それにね、貴方の子供達も本当はそうして欲しいんじゃないかな」
「子供達にはちゃんと話して許可を得たっ……て。だから、こんなに時間が掛かったんだって言ったでしょ?」

 子供達の一人でも首を縦に振らない以上は彼女に会う事は出来ないと決め、不安になりながらも彼はぐっと耐えてきたと言うのに彼女は自分のその気持ちがわからないのだろうかと困惑する。今日と言う日はきっと思い出に残るような一日になるものだと思っていたのに、次第に不穏な空気が漂いだしたのを感じ妙な緊張感が彼を締め付けた。

 両手を顔から離し、椅子の背もたれに身体を預ける。ノンアルコールで聞くには耐えがたい会話の内容に、顔だけでなく耳も覆いたくなった。

「やっぱり私っていう人間を実際に見て、ちゃんと認めてもらいたいって思ったのよね」
「……」
「貴方に説き伏せられて仕方なく――、じゃなくて、ちゃんと自分の意思で私の事を認めて欲しいの。……って、別に絶対認めてもらえる自信が有るってわけじゃないんだけどね」

 偉そうな事を言ってしまったと思ったのか、叶子は肩を竦め苦笑した。

「――それは、……困るよ」
「えっ?」

 椅子の背もたれに預けていた身体を起き上がらせると、テーブルの上に置いてある彼女の手を彼の大きな手でそっと包み込む。

「もっと自信を持って貰わないと。そんな弱気じゃ、僕がおじいさんになるまで認めてもらえないんじゃないかなぁ?」
「えー? ……私はおじいさんでもいいわよ?」
「僕はおばあさんのカナはヤダ」
「!?」

 思いっきりふくれっつらになった叶子を見て、とうとうジャックは我慢が出来なくなってしまった。人差し指をクイッと曲げて彼女を自分の方に近づけさせると同時に彼も上体を寄せ、手元にあったワインリストで二人の顔を隠す。そして、誰にも見られないように叶子の唇にトンっと口づけた。
 流れるようにして行われたその行動に、叶子はすっかり面を食らっている。はたと意識を戻すと大胆な行動に出たジャックに目くじらを立て顔を赤らめた。
 顔が赤い理由がアルコールのせいなのか、怒っているからなのか、はたまた照れているからなのかはわからないが、どんな彼女であっても“愛しい”と思った事に変わりは無い。だから、彼はそんな彼女に向かって再びあの言葉を言った。

「僕と結婚してくれませんか?」
「……っ、――は、い」

 目を丸くしたと思ったらすぐに視線を反らし、俯きながら叶子はイエスと言った。


 ◇◆◇

 恋愛の延長線上にあるもの。身体を重ね合わせるというのは二人の愛をより深め、そして確かめあうと言う事を素直に表現出来る手段の一つに過ぎない。だが、互いに生まれたままの姿になり、相手に悦んで貰う為に必死で尽くしているのを見ると、相手に対する愛情が一層強くなっていくのが良くわかる。

「カナ、キスして?」
「――う、ん」

 家に戻った途端、二人は声を掛けずとも自然とベッドへとなだれ込んだ。いつもは主導権を握っている彼が、自らその権利を彼女に渡す。火照りの収まらない頬と虚ろな瞳に射抜かれて、身も心も蕩けそうな感覚がジャックを襲った。
 焦らすように繰り返される触れるだけのキス。次第にたどたどしく侵入を始める彼女の舌に絡め取られないように、彼も控えめに彼女の舌に自身の舌を這わせた。

「――あっ、もう……」
「ごめん、もう色々と限界」

 結局、あっと言う間に立場が入れ替わり、ジャックは叶子を組み伏せてしまう。深い所を味わおうと彼女の唇に触れようとしたその時、

「ね、え。今日、待ち合わせの場所、何であそこにしたかわかった?」
「さぁ?」

 これからと言う時にそんな質問をされ、じれったいと思いつつも顔から笑みが絶え間なく零れ落ちるのが自分でもわかる。本当は、早く唇を塞ぎたくて仕方が無いのをグッと我慢し、鼻先を擦り合わせながら彼女の話に耳を傾けた。

「初めて出会った場所だから、あの時のこととか思い出してくれるかなーって思ったの。私の事考えてる貴方の顔が見てみたくて」
「――っ、」

 彼があの時そう思っていたのと同じく、彼女も同じ事を考えていたのだと知り、心底驚いた。
 あの時の自分を見て、彼女の目に自分はどんな風に映ったのだろう。喉から出掛かっていた言葉を彼はすぐに飲み込んだ。聞かずともわかる。きっと、彼女も自分と同じ事を思っていただろうから。

「そんなかわいいこと今言うなんて、君は本当にずるいな。こんなに煽られたら、僕もう知らないからね?」
「え? ――きゃっ!」

 再び彼女の手首をベッドに縫い付けると、じゃれあうようにしてキスの雨を降らせた。

 ・
 ・
 ・
 ・
 ・

「――カナ?」
「……」

 ジャックがバスルームから戻って来た時には、叶子は既に夢の中にいるようだった。長い毛の絨毯を踏みしめベッドに腰を下ろすと、うつ伏せになりシーツを抱きしめるようにして寝息を立てている彼女に彼は目を細めた。
 色白の素肌に手の甲を幾度と無く滑らせていく。露出された肩にチュッと音を立てて口づけを落とし、顔を隠していた髪をかき集めては耳にかけた。
 少し腰を上げ、サイドテーブルから手の中にすっぽりと収まってしまうほどの小さな箱を取り出し、彼は苦笑いを浮かべている。

「せっかく、新しい手品覚えたのになぁ」

 そう呟きながらその箱の蓋を開けると、中には主張し過ぎない程度の小さな石がちりばめられた、いかにも叶子に似合いそうなシンプルな指輪が鎮座していた。
 それをおもむろに取り出し、彼女を起こしてしまわないようにそっと左手の薬指にそれを沈める。
 指輪に軽く口づけては、

「早く目を覚まさないかなぁ」

 ニコニコと笑みを浮かべながら、彼女が目を覚ますまでじっと寝顔を見つめていた。




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