運命の人

まる。

文字の大きさ
上 下
62 / 163
第3章 噛み合わない歯車

第1話~視線~

しおりを挟む
「ええーっ!?」

 店中に絵里香の声が響き渡る。絵里香は自分が思っていたより大声を出した事に気付いたのか、慌てて両手で口を塞いで周囲に小さく頭を下げた。

「もう、絵里香ってば」
「だって!」

 絵里香に誘われ仕事帰りに二人で飲みに来た。どうやら絵里香の方にも大事な話がある様だったが、挨拶代わりに恋の進展状況を質問されて、叶子は躊躇いながらも先日の休暇の話をした。絵里香にしてみれば、叶子の返答が予想出来るものではなかったのだろう。公衆の面前で、先程の様な大声を張り上げてしまう失態を犯してしまった。

「ほ、本当に!?」

 絵里香は頭を低くすると目をまん丸に見開きながら、小さな声で再確認する。叶子は少し恥ずかしそうにして、上目遣いで小さく頷いた。

「ちょ、ちょっと待って、頭の中整理するね。――えと、……ご飯作って、一緒にお風呂に入ってー」
「そこ違う! 一緒にお風呂なんて入ってないからっ」
「ああ……で。お酒飲んでいい感じになって……でも、彼は途中で寝ちゃったんだよね?」
「うん」
「で? 次の朝? 再チャレンジ?」
「してないってば」

 つい先ほど、事の流れを一通り説明したと言うのに、絵里香の頭の中では事実が色々と塗り替えられている。妄想が激しすぎて叶子は思わず噴き出した。

「あ、家まで送ってもらった時に、嫌がる彼を無理矢理家の中に連れ込んで――?」
「なんか話が歪曲されてる様な気がするけど。……まぁそんなとこ」
「ええええー!? カナってそんなタイプだったっけぇー?」

 さも、とんでもないとでも言いた気に、叶子は頭をブンブンと振った。

「だよねぇー。……なんで?」
「なんでって言われても。自分でも良くわかんないのに」
「あー、きっとそれだけハマっちゃってるのだろうねー。その彼に」

 そう言って、絵里香はテーブルの上に置いてある叶子の携帯電話を指差した。

「?」
「だって誰と飲む時もそうだけど、カナは恋人がいてもテーブルに携帯電話置いたりしないじゃん」
「えーっと……。どういう事?」
「もう! 鈍いなぁ!」

 腕を組んで絵里香は頬を膨らませた。

「彼からの電話、待ってるんでしょ? 掛かってきてもすぐ取れるように目のつくとこに置いて」
「……」

 そう言われるとそうかもしれない。
 今までこういった席では携帯電話はずっとバックの中にしまい込んだままだったのに、無意識のうちにすぐ手に取れる所に置いている。絵里香によってその事に気付かされると、彼女には悪いとは思うものの、無性に彼に会いたい気持ちが膨らんできた。

「会ってみたいなぁ、カナの彼」
「そのうち、ね」

 その言葉に反応したかのように彼女の携帯電話がブルブルと震え始める。当然の事ながら、二人の視線は叶子の携帯電話に集中した。

「彼?」
「あ、うん。……ちょっといいかな?」
「もちろん!」

 自分の幸せを心から願ってくれている。そんな親友の笑顔にホッと安堵の表情を浮かべ、受話ボタンを押した。

「もしもし。――あ、そうなんだ。……あの、実は今友達と飲みに来てて……うん悪いけど」

 何とタイミングが悪いのだろう。あれからと言うもの、思っていた通りジャックとは全然会っていない。いつ連絡が入ってもいいようにと、どこにも寄り道をせず真っ直ぐ家に帰っていたというのに、よりによってたまの息抜きのつもりで出掛けた日に「今なら少し会える」だなんて本当にタイミングが悪い。
 流石に絵里香の目の前で「今から行く」などと言えない叶子は、残念そうにして彼に断りを入れた。
 会話の内容にピンと来た絵里香は、電話の向こうの彼に聞こえない様にして小声で言った。

「ねね、逢いたいって言ってるの? ならさ、ここに呼んじゃいなよ!」
「え? ……でも」
「もしもし? カナ?」

 突然の事で動揺したが、いずれは絵里香にも会わせたいとは思っていた。少し躊躇したものの、叶子は思い切ってジャックに訊ねた。




「うん。じゃあ後で」

 電話を終えると、絵里香が身を乗り出して返事を聞きたそうにしている。

「どう? 彼来るって?」
「うん。でも、まだ仕事中だから少ししかいれないけどって」
「ぎゃー! 大変! メイク直ししなきゃ!」
「何それっ」

 絵里香はそう言うや否や、慌てて化粧室へと向かった。



 ◇◆◇

 しばらくすると、突然店の中がざわつき始め、店内にいる人の視線が一箇所に集中した。
 その先を見ると膝下まであるブラックコートの襟を立て、革の黒い手袋を手から外しながら、店の入り口でキョロキョロと叶子を探しているジャックが居た。
 ここの店の従業員ですら、そんな彼の姿に目を奪われている。「いらっしゃいませ」と挨拶をするところか、明らかに誰かを探している風だというのに声を掛ける事すら忘れてしまっている様子だった。

(やっぱり目立つ人だなぁ)

 変な緊張感を感じつつもおずおずと叶子が手を上げる。それに気付いたジャックの顔に一気に笑顔が溢れ出し、コツコツと革靴を鳴らしながら早足で歩いてきた。
 瞬間、人々の嘆きの声が聞こえると共に、予想通り皆の視線が容赦なく突き刺さる。女性同士のグループは勿論、恋人同士ですら目の前にいる彼氏そっちのけで、女の子が悔しそうな表情を浮かべていた。

「こっちへ座っ――」
「逢いたかったよ」

 席を詰める為に立ち上がった途端、ジャックの長い腕が叶子を包み込んだ。耳元で囁く様にしてそう言われてしまえば、否応なしに身体中が熱を帯び始める。
 たったこれだけの事だと言うのに、身も心も全てが溶かされていく様な気がした。

「……、――っ」

 周りの人の羨ましがる様な声が耳に入ってくる。途端、恥ずかしさの余り顔を真っ赤にした叶子は、慌ててジャックの胸元を押し返した。

「そ、そんな大袈裟な。……たっ、たった一週間程度じゃない」
「えー? この間はたった一週間でも、心配で居てもたってもいられなかったくせに」

 意地の悪い顔をして、叶子の顔を覗き込みながらジャックは笑った。
 何故今ここでそんな意地悪な事を言うのだろか。心の中で叫びながらも、否定できない叶子は俯きながら必死に弁明した。

「?」
「あ、あ、あれは! 電話も無かったか……っらぁ!?」

 両頬を大きな手で包まれ、俯いていた顔を無理に上げさせられる。ジャックと視線を合わせると彼の眉間にみるみる皺が刻み込まれた。

「な、に?」

 一段と周りの声が騒がしくなるのが確認しなくてもわかる。もういっそのことこのまま溶けて無くなってしまいたいとさえ思った。

「大分飲んだの? 真っ赤だよ?」
「ちっ、違う!」

 確かに飲んでるから少しは赤いのかも知れないけれど、今顔が赤いのは明らかにジャックの所為だ。ちゃんと理由を説明したいけれど、今の彼に理解してもらうには時間が掛かりそうだ。

「こ、これはね」
「違うの? じゃあ熱でもあるとか?」

 叶子が頭を悩ませている内に勝手に自己判断したのか、額にかかる前髪を上へと掻き揚げられる。と、同時に端正な顔立ちが近づいてきた。

(いやっ、ち、ちょっと! 流石にこんな人前じゃ――無理!)

「な、な、な、無い無い! 熱なんてこれっぽっちも無いよ!」
「そう? でも、さっきよりまた一段と赤くなってきてるよ」

 慌てて背中を反らし、更に頬を染める。追い討ちを掛けるように又もや頬を両手で包まれ、じっと見つめられた。心配そうにしていた彼の目が徐々に緩んでいく。甘い顔を急に見せつけられ、一瞬ここが何処だか忘れてしまっていた。

「――。……!」

 ハッと手放していた意識を戻す。このままではいけないと、周囲から注がれる視線に全く気付いていない様子のジャックに、何とか今の状況を把握してもらおうと必死になった。

「ちっ、ちがっ! ま、まわり! 周りを見て!」
「??」

 そう言われたジャックは素直に周囲を見回す。すると、店内の女性達がうっとりした目でジャックを見つめ、色めき立っているのがわかった。
 それに応じるかのようにニッコリと微笑むと、「キャー」と黄色い声があちらこちらで上がっている。ジャックは慣れているのだろう、いつもの事だと言わんばかりに叶子に視線を戻すと、小さく首を傾げていた。

「いや、だからね――、あ」

 ふと、側で立ち呆けている友人に気付き、慌てて彼の手から逃れた。

「あ、お、お帰り」
「ただいま。遅くなってごめんね、トイレ混んでたんだ」

 心なしか絵里香の顔が引きつっている様に見える。そりゃ、いきなり友人のこんな姿を見せつけられれば誰でも引くだろう。
 絵里香には後でゆっくり説明するとして、まずは気を取り直してジャックを紹介した。

「あ、絵里香。こちらが……」
「こんばんは。初めま――あれ?」
「こんばんは、ジャックさん。ご無沙汰してます」
「え?」

 叶子はキョトンとした顔で、何度もジャックと絵里香の顔を交互に見ていた。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

婚約破棄を突きつけに行ったら犬猿の仲の婚約者が私でオナニーしてた

Adria
恋愛
最近喧嘩ばかりな婚約者が、高級ホテルの入り口で見知らぬ女性と楽しそうに話して中に入っていった。それを見た私は彼との婚約を破棄して別れることを決意し、彼の家に乗り込む。でもそこで見たのは、切なそうに私の名前を呼びながらオナニーしている彼だった。 イラスト:樹史桜様

【完結】やさしい嘘のその先に

鷹槻れん
恋愛
妊娠初期でつわり真っ只中の永田美千花(ながたみちか・24歳)は、街で偶然夫の律顕(りつあき・28歳)が、会社の元先輩で律顕の同期の女性・西園稀更(にしぞのきさら・28歳)と仲睦まじくデートしている姿を見かけてしまい。 妊娠してから律顕に冷たくあたっていた自覚があった美千花は、自分に優しく接してくれる律顕に真相を問う事ができなくて、一人悶々と悩みを抱えてしまう。 ※30,000字程度で完結します。 (執筆期間:2022/05/03〜05/24) ✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼ 2022/05/30、エタニティブックスにて一位、本当に有難うございます! ✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼ --------------------- ○表紙絵は市瀬雪さまに依頼しました。  (作品シェア以外での無断転載など固くお断りします) ○雪さま (Twitter)https://twitter.com/yukiyukisnow7?s=21 (pixiv)https://www.pixiv.net/users/2362274 ---------------------

性欲の強すぎるヤクザに捕まった話

古亜
恋愛
中堅企業の普通のOL、沢木梢(さわきこずえ)はある日突然現れたチンピラ3人に、兄貴と呼ばれる人物のもとへ拉致されてしまう。 どうやら商売女と間違えられたらしく、人違いだと主張するも、兄貴とか呼ばれた男は聞く耳を持たない。 「美味しいピザをすぐデリバリーできるのに、わざわざコンビニのピザ風の惣菜パンを食べる人います?」 「たまには惣菜パンも悪くねぇ」 ……嘘でしょ。 2019/11/4 33話+2話で本編完結 2021/1/15 書籍出版されました 2021/1/22 続き頑張ります 半分くらいR18な話なので予告はしません。 強引な描写含むので苦手な方はブラウザバックしてください。だいたいタイトル通りな感じなので、少しでも思ってたのと違う、地雷と思ったら即回れ右でお願いします。 誤字脱字、文章わかりにくい等の指摘は有り難く受け取り修正しますが、思った通りじゃない生理的に無理といった内容については自衛に留め批判否定はご遠慮ください。泣きます。 当然の事ながら、この話はフィクションです。

同居離婚はじめました

仲村來夢
恋愛
大好きだった夫の優斗と離婚した。それなのに、世間体を保つためにあたし達はまだ一緒にいる。このことは、親にさえ内緒。 なりゆきで一夜を過ごした職場の後輩の佐伯悠登に「離婚して俺と再婚してくれ」と猛アタックされて…!? 二人の「ゆうと」に悩まされ、更に職場のイケメン上司にも迫られてしまった未央の恋の行方は… 性描写はありますが、R指定を付けるほど多くはありません。性描写があるところは※を付けています。

車の中で会社の後輩を喘がせている

ヘロディア
恋愛
会社の後輩と”そういう”関係にある主人公。 彼らはどこでも交わっていく…

同期の御曹司様は浮気がお嫌い

秋葉なな
恋愛
付き合っている恋人が他の女と結婚して、相手がまさかの妊娠!? 不倫扱いされて会社に居場所がなくなり、ボロボロになった私を助けてくれたのは同期入社の御曹司様。 「君が辛そうなのは見ていられない。俺が守るから、そばで笑ってほしい」 強引に同居が始まって甘やかされています。 人生ボロボロOL × 財閥御曹司 甘い生活に突然元カレ不倫男が現れて心が乱される生活に逆戻り。 「俺と浮気して。二番目の男でもいいから君が欲しい」 表紙イラスト ノーコピーライトガール様 @nocopyrightgirl

社長の奴隷

星野しずく
恋愛
セクシー系の商品を販売するネットショップを経営する若手イケメン社長、茂手木寛成のもとで、大のイケメン好き藤巻美緒は仕事と称して、毎日エッチな人体実験をされていた。そんな二人だけの空間にある日、こちらもイケメン大学生である信楽誠之助がアルバイトとして入社する。ただでさえ異常な空間だった社内は、信楽が入ったことでさらに混乱を極めていくことに・・・。(途中、ごくごく軽いBL要素が入ります。念のため)

処理中です...