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第3章 噛み合わない歯車
第1話~視線~
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「ええーっ!?」
店中に絵里香の声が響き渡る。絵里香は自分が思っていたより大声を出した事に気付いたのか、慌てて両手で口を塞いで周囲に小さく頭を下げた。
「もう、絵里香ってば」
「だって!」
絵里香に誘われ仕事帰りに二人で飲みに来た。どうやら絵里香の方にも大事な話がある様だったが、挨拶代わりに恋の進展状況を質問されて、叶子は躊躇いながらも先日の休暇の話をした。絵里香にしてみれば、叶子の返答が予想出来るものではなかったのだろう。公衆の面前で、先程の様な大声を張り上げてしまう失態を犯してしまった。
「ほ、本当に!?」
絵里香は頭を低くすると目をまん丸に見開きながら、小さな声で再確認する。叶子は少し恥ずかしそうにして、上目遣いで小さく頷いた。
「ちょ、ちょっと待って、頭の中整理するね。――えと、……ご飯作って、一緒にお風呂に入ってー」
「そこ違う! 一緒にお風呂なんて入ってないからっ」
「ああ……で。お酒飲んでいい感じになって……でも、彼は途中で寝ちゃったんだよね?」
「うん」
「で? 次の朝? 再チャレンジ?」
「してないってば」
つい先ほど、事の流れを一通り説明したと言うのに、絵里香の頭の中では事実が色々と塗り替えられている。妄想が激しすぎて叶子は思わず噴き出した。
「あ、家まで送ってもらった時に、嫌がる彼を無理矢理家の中に連れ込んで――?」
「なんか話が歪曲されてる様な気がするけど。……まぁそんなとこ」
「ええええー!? カナってそんなタイプだったっけぇー?」
さも、とんでもないとでも言いた気に、叶子は頭をブンブンと振った。
「だよねぇー。……なんで?」
「なんでって言われても。自分でも良くわかんないのに」
「あー、きっとそれだけハマっちゃってるのだろうねー。その彼に」
そう言って、絵里香はテーブルの上に置いてある叶子の携帯電話を指差した。
「?」
「だって誰と飲む時もそうだけど、カナは恋人がいてもテーブルに携帯電話置いたりしないじゃん」
「えーっと……。どういう事?」
「もう! 鈍いなぁ!」
腕を組んで絵里香は頬を膨らませた。
「彼からの電話、待ってるんでしょ? 掛かってきてもすぐ取れるように目のつくとこに置いて」
「……」
そう言われるとそうかもしれない。
今までこういった席では携帯電話はずっとバックの中にしまい込んだままだったのに、無意識のうちにすぐ手に取れる所に置いている。絵里香によってその事に気付かされると、彼女には悪いとは思うものの、無性に彼に会いたい気持ちが膨らんできた。
「会ってみたいなぁ、カナの彼」
「そのうち、ね」
その言葉に反応したかのように彼女の携帯電話がブルブルと震え始める。当然の事ながら、二人の視線は叶子の携帯電話に集中した。
「彼?」
「あ、うん。……ちょっといいかな?」
「もちろん!」
自分の幸せを心から願ってくれている。そんな親友の笑顔にホッと安堵の表情を浮かべ、受話ボタンを押した。
「もしもし。――あ、そうなんだ。……あの、実は今友達と飲みに来てて……うん悪いけど」
何とタイミングが悪いのだろう。あれからと言うもの、思っていた通りジャックとは全然会っていない。いつ連絡が入ってもいいようにと、どこにも寄り道をせず真っ直ぐ家に帰っていたというのに、よりによってたまの息抜きのつもりで出掛けた日に「今なら少し会える」だなんて本当にタイミングが悪い。
流石に絵里香の目の前で「今から行く」などと言えない叶子は、残念そうにして彼に断りを入れた。
会話の内容にピンと来た絵里香は、電話の向こうの彼に聞こえない様にして小声で言った。
「ねね、逢いたいって言ってるの? ならさ、ここに呼んじゃいなよ!」
「え? ……でも」
「もしもし? カナ?」
突然の事で動揺したが、いずれは絵里香にも会わせたいとは思っていた。少し躊躇したものの、叶子は思い切ってジャックに訊ねた。
「うん。じゃあ後で」
電話を終えると、絵里香が身を乗り出して返事を聞きたそうにしている。
「どう? 彼来るって?」
「うん。でも、まだ仕事中だから少ししかいれないけどって」
「ぎゃー! 大変! メイク直ししなきゃ!」
「何それっ」
絵里香はそう言うや否や、慌てて化粧室へと向かった。
◇◆◇
しばらくすると、突然店の中がざわつき始め、店内にいる人の視線が一箇所に集中した。
その先を見ると膝下まであるブラックコートの襟を立て、革の黒い手袋を手から外しながら、店の入り口でキョロキョロと叶子を探しているジャックが居た。
ここの店の従業員ですら、そんな彼の姿に目を奪われている。「いらっしゃいませ」と挨拶をするところか、明らかに誰かを探している風だというのに声を掛ける事すら忘れてしまっている様子だった。
(やっぱり目立つ人だなぁ)
変な緊張感を感じつつもおずおずと叶子が手を上げる。それに気付いたジャックの顔に一気に笑顔が溢れ出し、コツコツと革靴を鳴らしながら早足で歩いてきた。
瞬間、人々の嘆きの声が聞こえると共に、予想通り皆の視線が容赦なく突き刺さる。女性同士のグループは勿論、恋人同士ですら目の前にいる彼氏そっちのけで、女の子が悔しそうな表情を浮かべていた。
「こっちへ座っ――」
「逢いたかったよ」
席を詰める為に立ち上がった途端、ジャックの長い腕が叶子を包み込んだ。耳元で囁く様にしてそう言われてしまえば、否応なしに身体中が熱を帯び始める。
たったこれだけの事だと言うのに、身も心も全てが溶かされていく様な気がした。
「……、――っ」
周りの人の羨ましがる様な声が耳に入ってくる。途端、恥ずかしさの余り顔を真っ赤にした叶子は、慌ててジャックの胸元を押し返した。
「そ、そんな大袈裟な。……たっ、たった一週間程度じゃない」
「えー? この間はたった一週間でも、心配で居てもたってもいられなかったくせに」
意地の悪い顔をして、叶子の顔を覗き込みながらジャックは笑った。
何故今ここでそんな意地悪な事を言うのだろか。心の中で叫びながらも、否定できない叶子は俯きながら必死に弁明した。
「?」
「あ、あ、あれは! 電話も無かったか……っらぁ!?」
両頬を大きな手で包まれ、俯いていた顔を無理に上げさせられる。ジャックと視線を合わせると彼の眉間にみるみる皺が刻み込まれた。
「な、に?」
一段と周りの声が騒がしくなるのが確認しなくてもわかる。もういっそのことこのまま溶けて無くなってしまいたいとさえ思った。
「大分飲んだの? 真っ赤だよ?」
「ちっ、違う!」
確かに飲んでるから少しは赤いのかも知れないけれど、今顔が赤いのは明らかにジャックの所為だ。ちゃんと理由を説明したいけれど、今の彼に理解してもらうには時間が掛かりそうだ。
「こ、これはね」
「違うの? じゃあ熱でもあるとか?」
叶子が頭を悩ませている内に勝手に自己判断したのか、額にかかる前髪を上へと掻き揚げられる。と、同時に端正な顔立ちが近づいてきた。
(いやっ、ち、ちょっと! 流石にこんな人前じゃ――無理!)
「な、な、な、無い無い! 熱なんてこれっぽっちも無いよ!」
「そう? でも、さっきよりまた一段と赤くなってきてるよ」
慌てて背中を反らし、更に頬を染める。追い討ちを掛けるように又もや頬を両手で包まれ、じっと見つめられた。心配そうにしていた彼の目が徐々に緩んでいく。甘い顔を急に見せつけられ、一瞬ここが何処だか忘れてしまっていた。
「――。……!」
ハッと手放していた意識を戻す。このままではいけないと、周囲から注がれる視線に全く気付いていない様子のジャックに、何とか今の状況を把握してもらおうと必死になった。
「ちっ、ちがっ! ま、まわり! 周りを見て!」
「??」
そう言われたジャックは素直に周囲を見回す。すると、店内の女性達がうっとりした目でジャックを見つめ、色めき立っているのがわかった。
それに応じるかのようにニッコリと微笑むと、「キャー」と黄色い声があちらこちらで上がっている。ジャックは慣れているのだろう、いつもの事だと言わんばかりに叶子に視線を戻すと、小さく首を傾げていた。
「いや、だからね――、あ」
ふと、側で立ち呆けている友人に気付き、慌てて彼の手から逃れた。
「あ、お、お帰り」
「ただいま。遅くなってごめんね、トイレ混んでたんだ」
心なしか絵里香の顔が引きつっている様に見える。そりゃ、いきなり友人のこんな姿を見せつけられれば誰でも引くだろう。
絵里香には後でゆっくり説明するとして、まずは気を取り直してジャックを紹介した。
「あ、絵里香。こちらが……」
「こんばんは。初めま――あれ?」
「こんばんは、ジャックさん。ご無沙汰してます」
「え?」
叶子はキョトンとした顔で、何度もジャックと絵里香の顔を交互に見ていた。
店中に絵里香の声が響き渡る。絵里香は自分が思っていたより大声を出した事に気付いたのか、慌てて両手で口を塞いで周囲に小さく頭を下げた。
「もう、絵里香ってば」
「だって!」
絵里香に誘われ仕事帰りに二人で飲みに来た。どうやら絵里香の方にも大事な話がある様だったが、挨拶代わりに恋の進展状況を質問されて、叶子は躊躇いながらも先日の休暇の話をした。絵里香にしてみれば、叶子の返答が予想出来るものではなかったのだろう。公衆の面前で、先程の様な大声を張り上げてしまう失態を犯してしまった。
「ほ、本当に!?」
絵里香は頭を低くすると目をまん丸に見開きながら、小さな声で再確認する。叶子は少し恥ずかしそうにして、上目遣いで小さく頷いた。
「ちょ、ちょっと待って、頭の中整理するね。――えと、……ご飯作って、一緒にお風呂に入ってー」
「そこ違う! 一緒にお風呂なんて入ってないからっ」
「ああ……で。お酒飲んでいい感じになって……でも、彼は途中で寝ちゃったんだよね?」
「うん」
「で? 次の朝? 再チャレンジ?」
「してないってば」
つい先ほど、事の流れを一通り説明したと言うのに、絵里香の頭の中では事実が色々と塗り替えられている。妄想が激しすぎて叶子は思わず噴き出した。
「あ、家まで送ってもらった時に、嫌がる彼を無理矢理家の中に連れ込んで――?」
「なんか話が歪曲されてる様な気がするけど。……まぁそんなとこ」
「ええええー!? カナってそんなタイプだったっけぇー?」
さも、とんでもないとでも言いた気に、叶子は頭をブンブンと振った。
「だよねぇー。……なんで?」
「なんでって言われても。自分でも良くわかんないのに」
「あー、きっとそれだけハマっちゃってるのだろうねー。その彼に」
そう言って、絵里香はテーブルの上に置いてある叶子の携帯電話を指差した。
「?」
「だって誰と飲む時もそうだけど、カナは恋人がいてもテーブルに携帯電話置いたりしないじゃん」
「えーっと……。どういう事?」
「もう! 鈍いなぁ!」
腕を組んで絵里香は頬を膨らませた。
「彼からの電話、待ってるんでしょ? 掛かってきてもすぐ取れるように目のつくとこに置いて」
「……」
そう言われるとそうかもしれない。
今までこういった席では携帯電話はずっとバックの中にしまい込んだままだったのに、無意識のうちにすぐ手に取れる所に置いている。絵里香によってその事に気付かされると、彼女には悪いとは思うものの、無性に彼に会いたい気持ちが膨らんできた。
「会ってみたいなぁ、カナの彼」
「そのうち、ね」
その言葉に反応したかのように彼女の携帯電話がブルブルと震え始める。当然の事ながら、二人の視線は叶子の携帯電話に集中した。
「彼?」
「あ、うん。……ちょっといいかな?」
「もちろん!」
自分の幸せを心から願ってくれている。そんな親友の笑顔にホッと安堵の表情を浮かべ、受話ボタンを押した。
「もしもし。――あ、そうなんだ。……あの、実は今友達と飲みに来てて……うん悪いけど」
何とタイミングが悪いのだろう。あれからと言うもの、思っていた通りジャックとは全然会っていない。いつ連絡が入ってもいいようにと、どこにも寄り道をせず真っ直ぐ家に帰っていたというのに、よりによってたまの息抜きのつもりで出掛けた日に「今なら少し会える」だなんて本当にタイミングが悪い。
流石に絵里香の目の前で「今から行く」などと言えない叶子は、残念そうにして彼に断りを入れた。
会話の内容にピンと来た絵里香は、電話の向こうの彼に聞こえない様にして小声で言った。
「ねね、逢いたいって言ってるの? ならさ、ここに呼んじゃいなよ!」
「え? ……でも」
「もしもし? カナ?」
突然の事で動揺したが、いずれは絵里香にも会わせたいとは思っていた。少し躊躇したものの、叶子は思い切ってジャックに訊ねた。
「うん。じゃあ後で」
電話を終えると、絵里香が身を乗り出して返事を聞きたそうにしている。
「どう? 彼来るって?」
「うん。でも、まだ仕事中だから少ししかいれないけどって」
「ぎゃー! 大変! メイク直ししなきゃ!」
「何それっ」
絵里香はそう言うや否や、慌てて化粧室へと向かった。
◇◆◇
しばらくすると、突然店の中がざわつき始め、店内にいる人の視線が一箇所に集中した。
その先を見ると膝下まであるブラックコートの襟を立て、革の黒い手袋を手から外しながら、店の入り口でキョロキョロと叶子を探しているジャックが居た。
ここの店の従業員ですら、そんな彼の姿に目を奪われている。「いらっしゃいませ」と挨拶をするところか、明らかに誰かを探している風だというのに声を掛ける事すら忘れてしまっている様子だった。
(やっぱり目立つ人だなぁ)
変な緊張感を感じつつもおずおずと叶子が手を上げる。それに気付いたジャックの顔に一気に笑顔が溢れ出し、コツコツと革靴を鳴らしながら早足で歩いてきた。
瞬間、人々の嘆きの声が聞こえると共に、予想通り皆の視線が容赦なく突き刺さる。女性同士のグループは勿論、恋人同士ですら目の前にいる彼氏そっちのけで、女の子が悔しそうな表情を浮かべていた。
「こっちへ座っ――」
「逢いたかったよ」
席を詰める為に立ち上がった途端、ジャックの長い腕が叶子を包み込んだ。耳元で囁く様にしてそう言われてしまえば、否応なしに身体中が熱を帯び始める。
たったこれだけの事だと言うのに、身も心も全てが溶かされていく様な気がした。
「……、――っ」
周りの人の羨ましがる様な声が耳に入ってくる。途端、恥ずかしさの余り顔を真っ赤にした叶子は、慌ててジャックの胸元を押し返した。
「そ、そんな大袈裟な。……たっ、たった一週間程度じゃない」
「えー? この間はたった一週間でも、心配で居てもたってもいられなかったくせに」
意地の悪い顔をして、叶子の顔を覗き込みながらジャックは笑った。
何故今ここでそんな意地悪な事を言うのだろか。心の中で叫びながらも、否定できない叶子は俯きながら必死に弁明した。
「?」
「あ、あ、あれは! 電話も無かったか……っらぁ!?」
両頬を大きな手で包まれ、俯いていた顔を無理に上げさせられる。ジャックと視線を合わせると彼の眉間にみるみる皺が刻み込まれた。
「な、に?」
一段と周りの声が騒がしくなるのが確認しなくてもわかる。もういっそのことこのまま溶けて無くなってしまいたいとさえ思った。
「大分飲んだの? 真っ赤だよ?」
「ちっ、違う!」
確かに飲んでるから少しは赤いのかも知れないけれど、今顔が赤いのは明らかにジャックの所為だ。ちゃんと理由を説明したいけれど、今の彼に理解してもらうには時間が掛かりそうだ。
「こ、これはね」
「違うの? じゃあ熱でもあるとか?」
叶子が頭を悩ませている内に勝手に自己判断したのか、額にかかる前髪を上へと掻き揚げられる。と、同時に端正な顔立ちが近づいてきた。
(いやっ、ち、ちょっと! 流石にこんな人前じゃ――無理!)
「な、な、な、無い無い! 熱なんてこれっぽっちも無いよ!」
「そう? でも、さっきよりまた一段と赤くなってきてるよ」
慌てて背中を反らし、更に頬を染める。追い討ちを掛けるように又もや頬を両手で包まれ、じっと見つめられた。心配そうにしていた彼の目が徐々に緩んでいく。甘い顔を急に見せつけられ、一瞬ここが何処だか忘れてしまっていた。
「――。……!」
ハッと手放していた意識を戻す。このままではいけないと、周囲から注がれる視線に全く気付いていない様子のジャックに、何とか今の状況を把握してもらおうと必死になった。
「ちっ、ちがっ! ま、まわり! 周りを見て!」
「??」
そう言われたジャックは素直に周囲を見回す。すると、店内の女性達がうっとりした目でジャックを見つめ、色めき立っているのがわかった。
それに応じるかのようにニッコリと微笑むと、「キャー」と黄色い声があちらこちらで上がっている。ジャックは慣れているのだろう、いつもの事だと言わんばかりに叶子に視線を戻すと、小さく首を傾げていた。
「いや、だからね――、あ」
ふと、側で立ち呆けている友人に気付き、慌てて彼の手から逃れた。
「あ、お、お帰り」
「ただいま。遅くなってごめんね、トイレ混んでたんだ」
心なしか絵里香の顔が引きつっている様に見える。そりゃ、いきなり友人のこんな姿を見せつけられれば誰でも引くだろう。
絵里香には後でゆっくり説明するとして、まずは気を取り直してジャックを紹介した。
「あ、絵里香。こちらが……」
「こんばんは。初めま――あれ?」
「こんばんは、ジャックさん。ご無沙汰してます」
「え?」
叶子はキョトンとした顔で、何度もジャックと絵里香の顔を交互に見ていた。
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