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第5章 予想もつかないことって結構あるもんですね
第6話〜何も知らない〜
しおりを挟む先程見せた小田桐の動揺っぷりがどうも気になる。後で様子を見て聞いてみよう。そんな事を考えながら宅配業者から荷物を受け取った後、扉を閉めようとドアに手を掛けた。
「……?」
ふと、すぐ側に人の気配を感じ、何気なくその方向へと目を向けた。するとそこには、綺麗にネイルが施された手でハンカチをパタパタと団扇代わりに扇ぐブロンドの白人女性が立っていて、その青い瞳が訝しげに私を見つめていた。
コツコツとヒールの音を立てながらその女性が近づいて来る。外国語で一言二言話しかけられたが、当然意味がわからず私は困惑した。
「あ、ちょっと……」
「貴方が彼のメイド?」
小田桐を呼んでこようと片手で“待て”のポーズをしたら、意外にも流暢な日本語で喋り始めた。にしても“メイド”はないだろう。
「――あ、いえ、私はそういうんじゃ」
「?」
きっとこの人は私を梨乃さんと間違えている。「違う」と否定した私に対し、じゃあ一体何者なのかとまるで不審者を見るような顔つきで、私の頭の先からつま先まで何度も視線を往復させていた。
恋人です。なんて言おうものなら、そう言った先の表情が目に見えるようだ。この女性と小田桐がどういう関係なのかはわからないが、こうも梨乃さん以外の人間がここにいる筈が無いと言わんばかりに見つめられると、今だけでも自分は梨乃さんのフリをした方がいいのかも知れないとつい思ってしまう程だった。
「おい、どうかした――、っ」
いつまでも戻らない事に不思議に思ったのか、後ろから小田桐がやって来た。この女性の顔を見るや否や小田桐の顔はみるみる強張り始め、近づいてきた足をピタリと止めた。
「あら。あなたやっぱりいたのね、ブランドン。大事な婚約者に対して居留守を使うなんて。……一体どういう事かしら?」
「……今日来るなんて聞いてないぞ、カレン」
「どうしてあなたの“婚約者”である私が、いちいちあなたにお伺いを立てないといけないの?」
そう言ってチラリと横目で私を見ながら、部屋の中に入ろうとその女性は一歩前に出た。
――え?
聞き間違いでなければ確かに私の耳には“婚約者”と聞こえた。
まるで私にあてつけるかのように“婚約者”という言葉を連呼するその女性に対し、流石の私も動揺を隠し切れない。学生の頃、親同士が勝手に決めた会った事も無い婚約者がいると言う話は聞いた事があるが、この女性がその婚約者だと言うことだろうか。
どう言う事か知りたくて小田桐に顔を向けても一切私には目もくれず、その女性と「聞いていない」「言う必要がない」などと延々押し問答を続けている。仕方なく、そのやり取りをしばらく黙って見ていたが、小田桐の恋人なはずの私はどうにも蚊帳の外に放り出された様な気分だった。
「で? 私は中に入れさせてもらえないのかしら?」
横で小さくなっている私に又視線が向けられたのがわかり、前で組んだ手をぎゅっと握り締めた。
以前、彼の父親に堂々と恋人宣言した時のように、この女性にもちゃんと言ってくれるのを心の奥底で期待してしまっている。しかし、あの時とは違って今まで感じた事のないようなざわつきが胸の奥で湧き上がり、私は不安で押しつぶされそうだった。
普段はすぐに言い合いになってしまうけれど、私が仕事で遅くなる日はきまって暗い夜道を心配して駅まで迎えに来たり、同一人物とは思えないほど甘い言葉も吐く。そんな一面があるのを知ってからは、どんなに暴言を吐かれても自分は小田桐に“愛されている”のだと確信していた。
なのに、何故か今はそんな自信など持てそうにもない。
自分に向けられない視線と言うものが、これほどまでに孤独感を生み出すものだと言う事を肌で感じた。
「芳野」
大きな溜息を吐き、小田桐が重い口を開く。次に告げられた言葉はあまりにも自分が期待していたそれとは全くかけ離れているものだった。
「……悪い、ちょっと用事が出来た」
「――。……あっ、う、うん」
――『芳野は俺の恋人だ』
今だけはそんな言葉が聞きたかったのに、まるで『お前には何も関係のないこと』かの様な扱いに、目の前で何かがガラガラと音を立てて崩れていくような感覚に陥った。
――嘘でしょ? 後から来たこの女性を優先するの?
「に、荷物。……取ってくる」
――私は、……あんたの何なの?
「……ああ」
「――っ」
嫌な予感は見事的中してしまった。その場に居たたまれなくなった私は急いで荷物を取りに部屋へと戻ると、そのままの勢いで逃げるようにして玄関を飛び出し下へと向かうエレベーターのボタンを押した。何度振り返ってもそこに小田桐の姿は無く、箱の中に飛び乗った途端、私の視界は徐々にぼやけていった。
カレンと名乗る女性が突然訪ねて来てから、結局小田桐は最後まで私と目を合わせる事は無かった。せめて目を見て話してくれれば幾分この気持ちもマシになったのかもしれない。焦点の合わない目で自分の足元を見詰める小田桐の横顔が、いつまで経っても私の頭の中をチラついて決して離れる事は無かった。
「な、……んなのよっ、一緒に住もうって言ったのだって、そっちじゃん」
もしかしたら間違いを犯した事に気が付いて追いかけて来てくれるかも知れない。自分らしくないと思いつつも、自転車のハンドルを握りながら自分の家に向かってトボトボと歩いていた。
だが、人の気配がする度後ろを振り返ってみても、やはりそこに小田桐の姿は無い。追いかけてくるはずもない人を未練がましく待っていると思うと、自分が情けなく、みじめに思えた。
どうやら私は小田桐に愛されているのだと自己暗示に掛かっていたらしい。彼の優しさに甘え、自分から小田桐の為に何かしてやろうとか思うことすらしなかった。慣れない仕事に手一杯になり小田桐のことなんてずっとおざなりにして、いつの間にか小田桐と言う存在が私の中でかなりの割合を占めていたことにも気付かず、向こうから来てくれるのをいい事にずっと胡坐をかいていた。
冷静になって考えてみれば高校生の時ならともかく、今現在の小田桐の事を私は何も知らない。仕事も何をしてるのかイマイチよくわからないし、趣味も、どんな人と付き合いがあるのか、あったのか、なんて私から聞いたこともなければ小田桐から聞かされた事もない。口は悪いが根は優しく、街を歩けば誰もが目を引くほど整った顔と、それに見合う長身と長い足。家は超がつくほどお金持ちだけど、本人に至ってはからあげちゃんをこよなく愛する庶民派。所詮、私が小田桐について知っている事なんて、数日一緒に居たら誰でもおのずとわかるような事ばかり。
「これって、……恋人って呼べるのかな」
ぬるま湯にずっと浸かっていた身体を無理矢理湯船から引き摺り出され、急激な温度変化に直面した私に“後悔”の二文字を浮き立たせた。
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