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カナデ編

第八話 春休み中

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 店の仕事は最初は簡単なことから。一通りの仕事内容や物の場所などを教えてもらい、基本的には給仕のみ。お水とおしぼりを出し、注文を取り、それを洸樹さんに伝え、用意されたものをお客様へ持って行く。それだけだった。
 しかし初めてはやはり緊張するもので、少し震えながら、声もうわずりながらの接客になってしまった。

 基本的にこの店には常連さんしか来ないらしい。朝からは特にこの店のあるマンションの住人。いわゆる高級マンションの住人さんが、朝から優雅にこの店の朝食と珈琲目当てでやって来る。

 朝からなのに住人たちで店は満席になる。まあ、元からテーブルは四つしかないのだけれど。

 大体がご年配のご夫婦。優雅でこの店の落ち着きのある雰囲気がよく似合うお客様ばかり。皆様、上品そうな方たちばかりだった。

 カウンターにも少しだけ若い方もいたが、それでも記憶にある「リディア」の両親くらいの歳だろうか、四十代くらいの男性。

 皆さん、私の姿を初めて見たとき、とてもにこやかに挨拶をしてくれた。とても皆さん、お優しそうで、私はやはり居心地の良さを感じ、この店の持つ雰囲気のおかげか、すぐに緊張も解れ、皆さんとも普通に会話が出来るようになった。

「へー、奏ちゃん、生活費を稼ぐためにバイトしてるの? 偉いね~」

 一人のご年配の男性にそう言われ、両親がいないことを言おうかと思ったが、その時洸樹さんが人差し指を口に当てシーッという仕草をした。
 あ、むやみに自分のプライベートを話さないほうが良いのね……。
 洸樹さんが珈琲を持って行ってくれ、と呼んだ。その時小声で、

「いくら仲良くなったとしてもお客様に何でも話さなくて良いんだからね?」
「はい」

 あまりに無防備だったためしゅんとすると、洸樹さんはそっと頭を撫でた。

「ここのお客様は良い人たちばかりだけど、どこから話が広がるか分からないからね。そこはちゃんと自己防衛しなきゃ駄目よ?」
「はい、すいません」
「あらやだ、怒った訳じゃないんだから、そんなにしょげないで」

 洸樹さんはそう言うと、頭を撫でながらフフッと笑った。それに釣られ一緒に笑うと、洸樹さんは少し安心したような表情になった。


 春休み中はひたすらずっとバイトに勤しみ、朝から夕方まで、さらにはバーになった夜にも少しだけ入ったりもした。バーにやって来るお客様も常連さんばかりで基本的にはしっとり静かな雰囲気で、とても大人な空間だった。

 しかしやはりそこはバーでお酒を提供するため、何が起こるか分からないし、帰りが危険だということで、洸樹さんはあまり夜にはバイトに入らせてはくれなかった。
 たまに蒼汰さんが手伝いに現れたときだけ、夜のバイトにもお許しが出て、蒼汰さんと一緒に帰ることを条件に夜の九時までバイトに入った。

 蒼汰さんと一緒のときは決まって洸樹さんのオムライスを食べてから、蒼汰さんと二人で帰宅する、とういうのが定番となってしまった。何だか申し訳ないわ。

「何だか私のせいで蒼汰さんも九時で上がることになってしまい申し訳ありません」
「ん? あぁ、良いよ、そんなこと」

 蒼汰さんは笑いながら言った。

「元々洸ちゃんのところでバイトしているのは、親の都合のようなものだし」

 蒼汰さんいわく、過保護な親で心配性だから従兄弟の洸樹さんの店以外ではバイトをしては駄目だと言われているらしい。しかし、いつまでも過干渉なことが嫌で、ちょっとした反抗心で違うところでバイトをしているらしい。

 洸樹さんには話を合わせてもらって、週に数回しか洸樹さんの店へは行っていないのだそう。
 だから気にするな、と笑った。

「私には羨ましいです……」

 ボソッと口に出てしまった。

「え?」
「あ、いえ、何でもありません!」

 蒼汰さんが不思議そうに私を見詰めていた。

「す、すいません、羨ましいだなんて! ……、その……、私には両親がいないもので……」

 両親も祖母もいない、「リディア」のときには両親はいたが、身近な存在ではなかった。泣いたときに縋りつけるような存在ではなかった。心配をしてくれる姿も想像出来なかった。

「あぁ、そっか、ごめんね! 無神経だったよね、ごめん……」

 蒼汰さんは焦ったように謝ってくれた。申し訳ない! 謝らせてしまった。どうしよう。

「すいません! 羨ましいだなんて、私のほうこそ無神経でした!」

 蒼汰さんには蒼汰さんなりの悩みもあっただろうに、ただ上辺だけで羨ましいだなんて!

「ハハッ、何で水嶌さんが謝るの、僕が親のスネかじっているのに我儘で親の意見を無視しているだけなのにさ。水嶌さんは偉いよ」

 蒼汰さんはそう言いながら微笑んだ。優しい笑顔だ。やはり笑うと洸樹さんと似ている。

「ありがとうございます。でも私は偉くないのです……」
「? どうして? 水嶌さんはたった一人で生きていて、僕からしたらそこら辺の同年代よりずっと偉いよ」
「ありがとうございます……」

 でもそれは「カナデ」が偉いのよ。私ではないわ。私はずっと両親もいてお金にも困らず、何不自由なく暮らしていたわ。両親に甘えることが出来なくとも、私の周りには常に人がいて、何でもやってくれていた。お金を気にしたことも、生活に必要なことも意識をしたことがなかった。

「カナデ」だからこその蒼汰さんの言葉に素直に喜べない自分が何とも情けない気分になる。せっかく褒めてもらえているのに……。

「水嶌さん?」

 蒼汰さんは不思議そうに見詰めていた。それはそうよね。褒めてもらえているのに暗い顔をしていては駄目だわ。

「いえ、すいません、ありがとうございます。でも私ももっと頑張らないとです」
「?」

 空元気だと自分でも分かるが、そこは何でも良いから元気を出さないと!

「来週から大学も始まりますね! ドキドキします!」
「そうだね、入学式は無事に終わったんだっけ?」

 蒼汰さんは不思議そうにしながらも、私の空元気に触れないでいてくれた。

 入学式……、そう、入学式も緊張したのよね。新しく買ったスーツを着て大学の講堂で行われた入学式。大学の規模がそれほど大きくないためか、別の場所を貸し切って行う訳ではなく、そのまま大学講堂で行われた。

 大学は高校のときの同級生も何人かいたため、声を掛けられ緊張した。「カナデ」になり初めてカナデの友人に再会。記憶のカナデはとても気さくですぐに友人が出来る、顔の広い人間だった。そのため入学式でもとても気さくに声を掛けられたのだけれど、あまりの緊張に固くなっていたためか、不審がられてしまった。

 友人たちに「何か変わった?」と不審がられ、焦りながらも否定していると、そこはやはりカナデだからか、友人たちは笑いながら「変な奏!」と言われ、大笑いされただけで終わったのだった。

「フフ」

 やはりカナデは凄いわね。皆に好かれていたのだな、とその時のシーンを思い出し少し笑った。

「何か楽しいことでもあった?」

 蒼汰さんはその様子を微笑みながら聞いてくれた。

「えぇ、高校の友人と再会したもので」
「あぁ、なるほどね」

「あ、そうだ。うちの学校、生徒数はよそと比べて少ないけど、部への勧誘は熱いから気を付けてね」
「え……」

 蒼汰さんから苦笑しながらの忠告だった。
 部への勧誘……、こ、怖いです……。
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