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さようなら

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「袴田君はいつも龍の書いてある煙草吸ってるよね、あれ沖縄限定のでしょ旨いの?」
「美味しくないですね、そもそも俺煙草ってそんなに好きじゃないんですよ、習慣になってるだけです」
「タールは?」
「17……だった気が、あれ安いんです不味いですけどね」
「不味い煙草を自ら吸うって変わってるね」

 怖い? との言葉とは裏腹に桐生さんは、こないだ良い課長になるには、なんてセミナー行ってきたんだけど全くためにならなかった、本社の課長ってどんなの~と尾台さんに触れる話題は一切出さずに五分後、煙草をもみ消した。

 じゃあ行こっかって歩き出して特に会話もない。
 人を避けて、聖橋の途中でそれまで黙っていた桐生さんは唐突に立ち止まって言った。
















「それでさ、袴田君はどんな汚い手使って、尾台に好きって言わせてるの?」







 俺も数歩先で立ち止まる。

「何だっけ? 忘れ物を届けたんだっけ、冗談下手すぎるよその位であの尾台と仲良くなれる訳ないだろ」
「そうですね」
「酔ってる尾台にセックス強要して翌日同意の上だったとでも言った? 写真撮ってばら撒くぞって脅したの?」
「いいえ」
「こっち向けよ袴田君、そのいいえは肯定に聞こえるよ。利用したの? 彼女のを」

 振り返って眼鏡を直した。

「していません、俺達は男女の関係にはありません」
「それ相応の事はしてるけどって? それって要は袴田君がヘタレだから?」
「お答えできません彼女の身体に関係ある事を俺がしゃべると思いますか」
「ふぅん? じゃあ何、自分がヒーローだとでも言ったの? 君を助けに来たって恩を着せて彼女の心を誘導したの?」
「俺は一度も自分がヒーローだなんて思った事はないです」
「そうか、そうだよな? だって袴田君はさ、僕が本社に直訴しに行った時凄い目付きで僕を見ていたよね。何だコイツ馬鹿じゃねーのって。遺書とかふざけてんのかよって……ずっとそんな顔してお茶出して会長の隣で話聞いてたよね、不遜な態度でさ」
「あの時はまだ内部事情を良く理解していなかったので」
「本当に驚いたよ、まさかあの時の男がうちに来るなんて思わなかったから、眼鏡で顔隠したって僕は本当の袴田君を知ってるけどね」
「結論から言ってもらえますか、何が言いたいんですか」
「結論か……そうだな袴田君って実は凄いエゴイストだったんだなって思っただけ」
「エゴイスト…………」
「ほら、その目……その目を尾台は知ってるの」


 一瞬眉が寄った、目までは意識してなかった。
 視線がぶつかったままどちらとも逸らさず、しばらく沈黙が続いて桐生さんはふうっと深呼吸をした、そしてさっきと違う明るい声で言った。



「なーんてね、負け犬の遠吠えだって流しといて? でも何か言いたくてさそういうのあるじゃん、ごめん気分悪くしただろ? ほんとごめん謝るなら言うなって話だよな」



「いいえ、自分勝手で自己中心的な所は否定しないです」

 そっかって頷いて桐生さんは笑った。


「今更だけどさ、僕ね尾台が好きだったんだよ」


「はい」
「袴田君が来る、ずっとずっと前から、ここポイントね!」

 と白い歯を見せて、桐生さんは橋の手摺に手をかけて川を見た。

「キラキラした笑顔が眩しい女の子、前向きで素直で優しくて可愛くて、尾台を嫌いなんて言うヤツいないんじゃないかな。もちろん僕も見た瞬間射貫かれちゃって、おはようございます! ってはにかんで言われるだけでチョロすぎだよ、ヤバい好き! って思っちゃった。けどさ、袴田君が一番知ってるだろう? うちの会社に来て尾台の笑顔は直に消えてしまうんだ、もちろん僕達には無理にでも笑顔作って接してくれる、凄い頑張ってるけど今までの子みたいに辞めちゃうかな、いや、何にかの理由で葛西さんが会社辞めないかなって他力本願してるうちに葛西さんがいない昼休み、誰も寄り付かない自販機のベンチで横たわってる尾台を見た、お前飯食わないのって聞いたら「夜眠れなくてちょっと今は眠気の方が勝ってるので仮眠です、大丈夫です家で食べてます」って言われて、もう飯食ったからって寝てる彼女に膝を貸した。寝息を立てる肩がどう見ても入社した時より細くなってる癖に、午後目が合えば笑ってる尾台を見て、もうダメだって思った。辞めるんじゃない、この子は死ぬまでここに来るって…………そこからは我武者羅だったよ。営業成績もキープさせて一日の睡眠時間なんてどうでもよかった。同意できないって社員もたけど賛同者の方が多かった、全ての証拠をかき集めて刑事告訴も辞さない覚悟で本社に行った、あの遺書は俺と……むしろ尾台の遺書に近かった。その頃尾台は葛西さんに説教されてる時、もう相槌も打てなくなって言われるままただ謝ってた、皆でフォローしてたけど仕事のミスも多った。当然だ仕事なんてまともにできる環境じゃなかったから、それでも僕達には優しかった。口出ししたいけどそのせいで影で何かされてたら嫌だったし、そんな事したら私のために止めてって彼女は言うだろうから言えなかった。だから本社に直接行った、所長は話になんないから、それで尾台を解放してあげてお前の事がずっと好きだったって気持ちを伝えたかった………………だけどね」





 桐生さんは体を反転させると手摺に寄りかかって俺を見た。






「尾台さ……笑わなかったんだよ。ねえ袴田君、君ならこれがどういう意味だかわかるよね?」







「はい」

「そう、彼女の目に光は戻らなかった…………僕はてっきり尾台が笑わなくなった原因は葛西さんで、それさえ除けばまたあの彼女が戻ってくると思ってた、いや、皆はもうあの彼女に戻ったと思ってる。でも僕は笑顔に違和感を感じたし、何度言われてもおはようございますに、昔の心の疼きを感じなかった。僕に送られていたもどかしい位の熱い視線もなくなってどうしたらいいのか分からなかった。僕だけが気付いてる尾台の疎外と孤立に壁……そんな彼女の口から聞いた桐生さんが好きですの言葉……素直に嬉しいよ、僕の名前が出てきて、でも僕には分かってたそれがどういう好きを意味するのか。当たり前だろ死んでもいいって思ってたんだ彼女のためなら、でもその彼女は死んだ目で僕を好きだって言った。そうしたら僕もう怖くなってしまったんだ。ここまできたのに彼女は僕を好きじゃないってそれが分かってるのに告白なんてできないだろ。皆は両想いだって思ってる、でも当事者は……尾台にその気はないよ…………多分彼女自身も勘違いしてるけどね築いた壁を見ないようにしていつもと同じように笑うんだ、でも昔のような気持じゃない。そんな状態で告白なんてできないだろ? このまま付き合ったって僕といる時間が彼女にとって苦痛になるだけだ。でもさ尾台が心を閉ざした理由が分からないんだよ。聞いても笑って首を傾げるだけ、心配しないで下さい、もう大丈夫ですって避けられちゃう……僕には見つけ出せないパズルのピース、葛西さんじゃなかった尾台の殻、壁、闇、心どこにも入っていけなくて話すら聞いてもらえなくて泣いた、でも死にそうだった彼女を救えたのは嬉しかった。それはもちろん僕だけの力ではないけれど。その時にさ思い出したんだ、袴田君の事……あんなにうちの事業所に興味のない顔して初日だって社交辞令だった君が突然葛西さんの手を握った時は鳥肌が立ったよヒーローが現れたって恐怖した。尾台がああいうの恐がるって分かってたけど、もう止められなかった僕を止めてくれた。それでその時の袴田君の顔は数十分前に面談してた時とは全く別人だった。一目惚れとか? 元々顔見知りだったとか? 色々憶測はあったけど尾台を見る目が全く別人のそれだった」


 喧嘩口調で何か言われるのかと思った、でも穏やかに続く桐生さん独白に俺は一言も口を挟めなかった。

「正直に言うよ、君を利用した。何かうちのやつらとは違う君だったら尾台が変わったりするかなって、でも袴田君はわざとらしい位に作った仮面を外さなかった。あの時確かに尾台に反応していた癖に興味はないと嘘をついた、それが何を意味しているのか見当がついていながらも、何も出来なかった僕はもう尾台から離れるべきだって思っていたけど、そうやって気が滅入ってると決まって彼女が苦いコーヒーをくれるんだよ頑張って下さいって応援してます諦めないでって言うんだ。そして周りもそれを見て僕達が順調にいってるって思ってる」

 桐生さんは大きい溜め息を吐いて空を見た。

「もうなんか良く分かんなくてさ、君と尾台の間に何かあると分かってても肝心の彼女は普段と変わらないしね。他の子に触っても嫉妬もしてくれないし、相変わらず壁は厚いまま、聞いてもはぐらかされちゃうし、でももっと深い関係になったら僕自分を抑えられる自信なくて踏み込まなかった好きなんだから抱きたいだろ。尾台と久瀬さんって仲良すぎるから、もしかして尾台って女の人が好きなのかなって思えてきて。でもやっぱりそんな訳なくて単なる僕の力不足なだけだった」

 ふって自嘲気味に笑って俺を見た。

「初めて聞いたよ尾台が恋してるなんて。ここまできて今更焦ったって遅いんだ彼女に縋ったって僕には勝ち目はないのにね。何をきっかけに袴田君が急に尾台に接近しよう思ったのか知らないけれど、袴田君は僕が何年かけても解けなかった尾台のパズルを一ヶ月で完成させたんだ、完敗だよ完敗」

 頷いて桐生さんは内ポケットから箱を取り出した。



「これ、今期のインセンティブ分の指輪」



 箱を開けて切なげに目を細めてキラリと光る指輪を眺めると桐生さんは躊躇なく指輪を川に向かって投げ捨てた。












「さようなら尾台、大好きだったよ」














 小さすぎて着水の音は聞こえなかった。
 伸びをして桐生さんは言う。



「こうやって気持ちだって投げ捨てられたら簡単なのにな」




「待って下さい」
「何で袴田君が止めるんだよ、胸を張れよじゃないと指輪捨てた僕が虚しいだろ? 分かってたよ、尾台がこの一か月袴田君の事考えて今までにない顔でそわそわしてた。でも僕も抑えきれないものがあって告白してみたんだ、もうなんか必死になって色んな事言ってみたよ? でもただ……彼女を困らせただけだった。当たり前だよな今まで何にも言わなかった癖に今更だよ、いや僕なりに伝えてきたつもりだったんだけど、彼女には何も……本当に何も響かなくて、こないだ初めて気持ちを聞いてくれたんだ、そうだよ袴田君のおかげでね。ダサいけどさ、でも初めから缶を貰い終えたら告白しようと思ってたから後悔はしてないかな、結局受け取らなかったけど。それでささっきご飯の時の尾台見たらなんかもう全然違うじゃん。だからすっぱり諦める、入社したてのあの何にでも前向きだった眩しい笑顔、その表情で尾台は君に話かけてた、僕らはわかって声を掛けたんだ。自分の気持ちに終止符を打ちたかったから、バカだから脇役の癖に君に喧嘩売っちゃったけど。有沢もきっと今頃尾台に別れを告げてるんじゃないかな、ごめんね最後ぐらい二人っきりのさせてやりたかったんだ。ああ、後もう一つごめん袴田君、僕は尾台泣かせちゃったよ嫉妬してほいいから言っとく尾台とキスした。でもほら付き合ってないんだろ君達は」
「はい、まだ……彼女からはっきりした気持ちは」
「なりふり構わずここまできたんだろ? わかるよ、僕だってなりふり構わず彼女を助けようとした。けどできなかった、僕は彼女の心に触れさせてもらえなかった。それを君はした凄いね、なんだったの? 尾台を苦しめていた物って…………ああなんだっけ、袴田君………………マジカル ウィッチ クロニクルって知ってる? 尾台ね消沈する前、商談で失敗するとよくそのキャラクターのセリフで勇気づけてくれてたんだよね。急にアニメ声変わるからびっくりするんだけど、すげー可愛かったんだよな。でもいつの間にかしなくなってた……そしたらこないだたまたま外出先で見かけて、これかって調べるか尾台に聞こうと思ってたんだけど…………なんてそんなの関係ないか、きっと言葉に出来るものではないんだろうね。僕は彼女が好きだから幸せになって欲しいから、昔も今もこの先も“良い人”でいられるように努力するよ、それが僕にできる最善だ」
「桐生さん……」
「そうだ、今指輪も投げちゃったしちょっとお願い聞いてくれないか、尾台にさ金曜日の飲み会の事なしって言っておいて? 言えば分かるだろうから、僕からは言えないや彼女を前にしたらまた指輪買いに行きそうっておっさんがみっともねーな死にたい、苦しいな寂しくなるよ」
「…………」
「袴田君、覚えてる? 初めての飲み会の時これから尾台が参加する飲み会は楽しいといいね、って僕が言ったんだよ。だからさそれは必ず守るよ」

 肩を上げて首を傾げて、桐生さんは歩き出したポケットに手を突っ込んですれ違いざま俺の肩を叩いた。

「ちょっと立ち直るの時間かかりそうだな、年甲斐にもなく泣きそうだよ。僕が幸せにしてあげたかったな~だってやっぱり好きだもんな。ま、仕方ないか邪魔者は退散するよ尾台が元気になって良かった」
「待って下さい、桐生さんはそれでいいんですか」
「何だよそれ、袴田君てドエスなの? また指輪買って僕に公開処刑されろって? 営業だけどそこまでメンタル強くないよ勘弁して、もう終わった恋だ」



 振り返って笑って先に行ってしまった。


「んじゃ、午後も仕事頑張ろ~」






 二度とその背中は振り返らなかった。















 ヒーローが退いた。






 もう俺に立ち塞がる壁はないのになんだよこの敗北感みたいな虚しい気持ちは。
 俺は尾台さんが好きで好きで仕方がないはずなのに 釈然としない心、素直に受け止められない感情。













 直にでも尾台さんの会いたかった。
 抱き締めてキスして俺が好きだって態度で示して欲しかった。







 けれど、偶然なのか必然なのか運命なのか、




















 尾台さんは聖橋で桐生さんが指輪を投げたあの場所に立って川を見下ろし泣いていた。
 それはまるで消えた指輪に涙を流しているようだった………。





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