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潮時

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 給湯室でコップを洗う、いつもの冷水が冷たく感じないのは何でだろう。



 そっか、別れちゃったんだ…………佐々木さんとめぐちゃん。


 漠然とした事実だけが頭の中を行ったり来たりする。
 なんだろ、この胸のずきずきした感じ。


 何が不満なの、この結果で良かったんじゃないの、だって私はそういうの良くないよって言おうと思ってたんじゃん。

 今度飲みに誘って説得して? 何とか言い包めて、そしたらめぐちゃんが別れて? それで解決……だったんだろうか。

 だってそうでしょ、大きな事件になる前に不倫なんて止めてほしかったんじゃないの。
 これで合ってるよ。

 でも私はめぐちゃんがあんな顔してても、別れなよって言ったのかな。
 めぐちゃんは私の事、たくさん応援してくれてるのに。


 息が詰まる、呼吸苦しい。

 そしたら、パタンって背後から音がして。

「俺の尾台さんが給湯室にいる~」

 って最近毎晩電話してくる総務の人の声がした。
 チラッて見て、またカップに視線を戻した。

「あれ? どうしました尾台さん具合悪いんですか、家まで送ります」
「悪くないですよ、ちょっと辛かっただけ」
「そうなの? 顔見せて下さい」

 袴田君は横に立って、顎クイッてしてきた。

「袴田君……」
「ああ、具合じゃなくて気持ちが辛かったの、何かあったんですか誰かにいじめられた? 教えて下さい懲罰与えますから」
「だめ!」
「じゃあ何ですか、教えてくれるまでここから出さないよ」
「えっと、あの…………めぐちゃんが付き合ってた人と別れて……何でか私まで苦しくなってただけ」
「そうですか」

 とりあえずって袴田君はキスしてきて、ちょっとよろけそうになった腰を引き寄せられる。
 袴田君は唇を合わせたまま顎にあった手でドアの鍵閉めた。
 目を瞑って舌を入れてきて、顔の向き変えて深く唇擦り合わせてくる。
 口の中舐め尽くされて全部吸ったら、袴田君の喉が鳴って唇が離れた。

「気持ち良かった? 濡れてないですか?」
「もう! 何言ってんのばか!」

 ふふって笑って袴田君は体を解放すると給湯室の鍵を開けた。

「尾台さんが笑ってくれて良かった」
「ちゅーで誤魔化しただけでしょ!」
「でも鬱々した気持ちで仕事するの嫌でしょ?」
「そーだけどぉ!」

 袴田君は私の手からカップを取ると水切りかごに置いて、お尻のポケットから出したハンカチで手を拭いてくれた。

「答えなんて一つしかないですよ。気になるなら、そのままにしておけないから、動くしかないです」
「うん、わかってる」
「だからと言って理解する必要も受け入れる必要もないと思います」
「うん?」
「全知全能の言葉なんてこの世にないじゃないですか、人なんて分かり合えなくて当然です。それ前提で譲歩し合って生きてるだけでしょう。それが我慢できないならぶつかるしかないです」
「嫌われないかな」
「辛かったらいつでも俺の所においで? 俺はそんな分かり合えない人間関係の中で唯一尾台さんと一つになれる存在だから」

 眼鏡直してニコッてされて、

「やだもう!! 仕事中にきゅんってさせなくていいからぁ!!」
「ん? ん? 袴田君ゲージ上がっちゃいました?」
「ないからそんなゲージ!」

 直ぐ意地悪にやりになってムカつく!
 ていって押し退けて自席戻って髪縛って仕事仕事!!





 いつも通り夕方にはノルマ達成して、後は明日の打ち合わせと、スケジュール調整確認、それとメンテナンスだなぁとパソコンと向き合っていたら、背中から。

「尾台、今何してる?」
「報告書の…………エクセルマクロをメンテナンスしてます」
「おぉ~相変わらず訳わかんねー画面」
「そんな事ないですよ基本さえしっかり理解できれば何となくわかるんです。わからないのは調べればいいし」
「いやぁ~僕には無理だなぁ~こんなのいじってまるでIT技術者みたいじゃん」
「まさか、私ができるのは部署内のマクロ化です。技術者って社内システムをマクロで組めるってレベルですよ。私ができるのは契約書や取引先別の資料やデータ集計できる程度です。ルーチン作業を自動化して自分の業務を効率化するために学んだ術ですよ。やろうと思えば誰でもできます」
「うん、言ってる意味わかんね」
「すみません」 
「皆使ってるけど尾台がいなくなるとメンテナンスできるヤツいないから困っちゃうな」
「大丈夫ですよ、今は総務にシステム課の方がいますから」
「ああ、たまに話してるね」
「はい、分からない所教えてもらってるんです」

 そこでようやく、パソコンから視線を逸らしたら桐生さんは私の頭の上に肘を置いた。


「ありがたいけどさ、やらざる終えなくて身に付いた術って感じ? 前は一人で十人のアシスタントやらされてたじゃん。仕事それだけじゃねぇもんな」
「え? …………そんな、あーっと……これやってるのは私が楽したいからですかね」
「嘘下手すぎか」
「…………すみません」
「謝るなよ、いつも感謝してる」
「いえ、営業さんあっての事務なので気にしないで下さい、私一人いたって無意味ですから。それで私に何か用ですか、後腕重いので止めて下さい」
「ああ別に? 僕今から外出るから何か郵便物でもあるかなって」
「…………そうですか、庶務はさっき久瀬さんにまとめて頼んだので大丈夫です」
「そっか、後これ」

 桐生さんは机にコトッとカップを置いた。

「さっき給湯室に忘れてったろ? 袴田君が持ってたよ」
「ああ……そっか、ありがとうございます」
「何か飲む? 外行く前に一服したいから作ってきてやるよ」
「いえ、いらないです」
「ちょっとちょっと~知らないの? 僕上司なんだけど、断るとかありえなくない?」
「だってじゃあ同じものでって頼んだらコーヒー出てくるんですよね。飲めないもの無理に飲むのも頼んでこっそり捨てるの感じ悪くないですか」
「尾台」
「はい?」

 桐生さんは私のカップを自分の唇に当てて少しだけ首を傾げた。


「僕だってコーヒー嫌いなんだよ。苦いじゃん」


「ん? だって……缶」
「あれは尾台がくれたから飲んでただけだよ?」
「え…………でも、私は桐生さんがコーヒー飲んでたから」
「それは多分貰いもんだな、僕も人から貰ったもの捨てられないタイプだから」
「それは申し訳な」
「いいんだよ。何を貰ったかじゃないから、肝心なのは誰から貰ったか、だろ?」
「うん? ああ、そうですね」
「で? 何か飲む?」
「同じものでいいです」
「了解~」

 桐生さんは満足そうに頷いてカップを持って踵を返した。
 少しだけ背中を見てたら佐々木さんが話しかけて、何か書類受け取って談笑してる。
 佐々木さん……笑ってる。
 笑ってるんだ、別に泣けなんて言わないけど……ステータス重視なんだっけ。
 どっちが別れるって言ったのかな、やっぱり佐々木さん?




「ふぅ疲れた~もう皆バイト使い荒すぎ~」
「あっ」

 ドサッと隣の机にファイルが置かれて薄い香水の匂いが鼻を掠める、横見たら両手振るっためぐちゃんが立っていた。

「印鑑忘れるし最悪だったよ~まっ、バイク便のお兄さんイケメンだったからよし!」
「おかえり」
「うんただい…………」

 めぐちゃんの位置からじゃ佐々木さん丸見えって思って座って座ってって服引っ張ったら、めぐちゃんは既に佐々木さんの方をじっと見ていた。

「めぐちゃん?」
「……………………そろそろ」
「ん?」
「何でもないです、それより頼まれてたファイルってこれでいいですか?」
「えっと……」

 ファイルを開かれて中身を確認して、冷静装ってるけど実は胸ズキンって痛かった。
 聞こえた、めぐちゃんは「そろそろ潮時かな」って小さく呟いた。
 ああ、やっぱりそれって会社辞めちゃうって意味だよね。

 そっか社内恋愛って別れたら気まずいよね。
 別れた人の顔見たくないって思っても間接的にその人の情報が入ってきたりするし。

「はい、尾台お待たせ」

 他のファイルも確認してたら、デスクに湯気が立つカップが置かれた。
 甘い香りが漂うココアだった。

「わぁ、いいなえっちゃん」
「久世さんのもあるよ」
「え? マジですか~やーん。嬉しいありがとう桐生さん、ついでに高収入の優しいイケメンも紹介して下さ~い」
「ココアのついで凄くない? 熱いから気を付けてね」
「もち桐生さんでもオッケーですよ☆」
「はいはい、ほら尾台こっそり捨てないでね」
「捨てないですよ、ありがとうございます」
「じゃあ、僕行くね」
「いってらっしゃい」

 桐生さんは茶髪を撫でつけると手を振って笑顔で立ち去った、めぐちゃんはココアを一口飲んで、あまーいって笑った。
 笑ってくれて良かった、きっとあの紙コップのココアは自分のだったんだろうけど、桐生さんって本当に何でもスマートにこなす人だな、さすが営業トップ。

「めぐちゃん」
「なぁに?」
「あのさ……今日、飲みに行きませんかね」
「ん? 別にいーよ?」
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