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第2話
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事故から三か月。
夫であったパルディール侯爵を亡くしたフランチェスカ様は黒いレースのヴェールで顔を覆い、同じく黒のレースのドレスを身につけている。
ヴェールからプラチナブロンドの髪が風で揺れる姿は儚げで、その隣にはエリオット様がフランチェスカ様を守るナイトように寄り添っていた。
エリオット様のフランチェスカ様に向ける眼差しは愛おしさを表し、それを目の当たりにすると胸が苦しくなった。
『この庭園は、フランと二人で過ごした場所なんだ』
哀しげな表情で、呟くようにそう言ったのはいつだっただろう。
しがない伯爵令嬢であった私、リリー・ウィンチェスターがエリオット様と結婚に至ったのは、陛下からの王命と言ってもいい婚約の打診があったからだった。
フランチェスカ様が記憶を失い、婚約解消から約二年。
いまだに婚約に前向きな姿勢を見せない殿下に、陛下が痺れを切らしていた。
そんな時陛下が思い出したのが、過去の婚約者候補達だった。
今頃になって婚約者候補達の婚約者の有無を調査したところ、婚約者がいないのは私だけだったらしい。
記憶を掘り起こすと、確かに十歳の頃王宮へ呼ばれ、殿下の婚約者候補五人の中の一人に選ばれた。
半年も経たないうちにフランチェスカ様が正式な婚約者に決まったけれど。
私は十七歳。
学園卒業まで三ヶ月。
お父様が外務大臣ということもあり、同じ道を志していた私は、卒業後王宮に文官としての就職が決まっていた。
お父様を説得し、婚約者も作らず勉強漬けの毎日。
周りからは変わり者と言われていたが、夢に向かってあと一歩・・・・・・そんな矢先の出来事だった。
今までの私の努力は・・・・・・。
「お断り、なんていうのは・・・・・・」
「無理だろうな」
済まない。お父様にそう言われてしまえば、従うしかなかった。
私の努力を知っているお母様と弟に慰められ、私は学園卒業後、殿下の婚約者となった。
殿下が二十一歳、私が十八歳だった。
この時すでに数ヶ国語を修得し、学園を首席で卒業した私の妃教育は驚くほど順調に進んだ。
問題といえば、殿下との関係だった。
悲しみに暮れる殿下とは目も合わないし、会話すら成立しなかった。
ほぼ王命ともいえる婚約に夢を見ることはなかったけれど、話している相手を見て欲しいと思った。
でも、仕方がなかったのかも知れない。この頃、フランチェスカ様とパルディール侯爵令息との結婚が一ヶ月に迫っていたから。
フランチェスカ様とパルディール侯爵令息は決して王宮での夜会に参加しないが、噂はあちこちで囁かれていた。
『パルディール侯爵令息は、フランチェスカ様をそれは大事にされていて』
『劇場でお二人に会いましたの。
それはお似合いでしたわ』
私や殿下の姿を見れば、ピタリと止む噂話。
頭にきて注意すれば、それ以降噂話を耳にすることは無くなった。
◇◇◇◇◇
ハァーッ。
小さな溜息を吐いて、私は殿下の部屋の前に佇んでいた。
『エリオットの様子を見てあげて欲しいの』
王妃様にお願いされれば、どんなに気が進まなくても断れなかった。
『今日、フランチェスカ嬢とパルディール侯爵令息の結婚式なの』
王妃様が事前に話をしていたのか、私の姿を見ると側近は軽く頭を下げ、鍵はかかっておりません。と小声で教えてくれた。
これはあなたの仕事なんじゃ?
あなた側近でしょ?
喉まで出かかった言葉を飲み込んで取手に手をかけると、まだ昼過ぎだというのに部屋の中は薄暗く、淀んだ空気が漂っていた。
パタンーー
閉まった扉を慌てて開けようとした時だった。
「・・・・・・そのままでいい」
かすれたような声が聞こえて、思わず掴みかけた取手を離してしまった。
いや、でも・・・・・・。
扉が閉まったままなのは・・・・・・。
もう一度開けるのが正しいのを理解しつつも、王妃様からお願いされたお役目を果たすのが先決と判断した。
廊下には側近、護衛も居る。
意を決して声がした方へゆっくりと足を進めると、そこには足を投げ出すようにソファに座る殿下がいた。
いつも整えられている髪はボサボサで、シャツもはだけている。
目のやり場に困っていると、床に倒れてるワインボトルが目に入った。
ああ・・・・・・だから殿下に近づくとアルコールの匂いがしたのね。
テーブルに置かれているグラスに水を注いで差し出すと、顔を上げた殿下と初めて目が合った。
憂いに沈んでいるブルーの瞳は、まるで救いを求めているように感じ、何故か目が離せなかった。
『今日、フランチェスカ嬢とパルディール侯爵令息の結婚式なの』
王妃様の心配そうな声が聞こえてきた。
かといって、声をかけるにも何を言ったらいいのか分からない。
正体不明な居心地の悪さも感じる。
そろそろ部屋を出ようか。そう思った時、腕を軽く引かれてソファに膝をつく状態で座り込んでしまった。
「ちょっ・・・・・・」
ちょっと、急に腕を引かないでください!
そう言おうとしたのに。
「・・・・・・少しの間、このままでいさせてくれ」
私の体にがっしり抱きついてきた殿下によって、絞り出すような切なさを含んだ声によって、私は言葉を続けることが出来なかった。
婚約中の男女が密室で抱き合うべきじゃないでしょ。
いつもの冷静な自分が頭の中で問いかける。
そんなこと、分かってる。
力いっぱい押し返して、この部屋を早急に退出すべきだと。
分かってる。
なのに私は殿下の背中に手を置いて、優しくさすった。
傷ついて、震えているこの人を放っておけない。
そんな言い訳をして。
そして、殿下の体がゆっくり離れると、今度は顔がグッと近づいてきて、
「リリー」
かすれた声で呼ばれ、私と殿下の唇は重なった。
夫であったパルディール侯爵を亡くしたフランチェスカ様は黒いレースのヴェールで顔を覆い、同じく黒のレースのドレスを身につけている。
ヴェールからプラチナブロンドの髪が風で揺れる姿は儚げで、その隣にはエリオット様がフランチェスカ様を守るナイトように寄り添っていた。
エリオット様のフランチェスカ様に向ける眼差しは愛おしさを表し、それを目の当たりにすると胸が苦しくなった。
『この庭園は、フランと二人で過ごした場所なんだ』
哀しげな表情で、呟くようにそう言ったのはいつだっただろう。
しがない伯爵令嬢であった私、リリー・ウィンチェスターがエリオット様と結婚に至ったのは、陛下からの王命と言ってもいい婚約の打診があったからだった。
フランチェスカ様が記憶を失い、婚約解消から約二年。
いまだに婚約に前向きな姿勢を見せない殿下に、陛下が痺れを切らしていた。
そんな時陛下が思い出したのが、過去の婚約者候補達だった。
今頃になって婚約者候補達の婚約者の有無を調査したところ、婚約者がいないのは私だけだったらしい。
記憶を掘り起こすと、確かに十歳の頃王宮へ呼ばれ、殿下の婚約者候補五人の中の一人に選ばれた。
半年も経たないうちにフランチェスカ様が正式な婚約者に決まったけれど。
私は十七歳。
学園卒業まで三ヶ月。
お父様が外務大臣ということもあり、同じ道を志していた私は、卒業後王宮に文官としての就職が決まっていた。
お父様を説得し、婚約者も作らず勉強漬けの毎日。
周りからは変わり者と言われていたが、夢に向かってあと一歩・・・・・・そんな矢先の出来事だった。
今までの私の努力は・・・・・・。
「お断り、なんていうのは・・・・・・」
「無理だろうな」
済まない。お父様にそう言われてしまえば、従うしかなかった。
私の努力を知っているお母様と弟に慰められ、私は学園卒業後、殿下の婚約者となった。
殿下が二十一歳、私が十八歳だった。
この時すでに数ヶ国語を修得し、学園を首席で卒業した私の妃教育は驚くほど順調に進んだ。
問題といえば、殿下との関係だった。
悲しみに暮れる殿下とは目も合わないし、会話すら成立しなかった。
ほぼ王命ともいえる婚約に夢を見ることはなかったけれど、話している相手を見て欲しいと思った。
でも、仕方がなかったのかも知れない。この頃、フランチェスカ様とパルディール侯爵令息との結婚が一ヶ月に迫っていたから。
フランチェスカ様とパルディール侯爵令息は決して王宮での夜会に参加しないが、噂はあちこちで囁かれていた。
『パルディール侯爵令息は、フランチェスカ様をそれは大事にされていて』
『劇場でお二人に会いましたの。
それはお似合いでしたわ』
私や殿下の姿を見れば、ピタリと止む噂話。
頭にきて注意すれば、それ以降噂話を耳にすることは無くなった。
◇◇◇◇◇
ハァーッ。
小さな溜息を吐いて、私は殿下の部屋の前に佇んでいた。
『エリオットの様子を見てあげて欲しいの』
王妃様にお願いされれば、どんなに気が進まなくても断れなかった。
『今日、フランチェスカ嬢とパルディール侯爵令息の結婚式なの』
王妃様が事前に話をしていたのか、私の姿を見ると側近は軽く頭を下げ、鍵はかかっておりません。と小声で教えてくれた。
これはあなたの仕事なんじゃ?
あなた側近でしょ?
喉まで出かかった言葉を飲み込んで取手に手をかけると、まだ昼過ぎだというのに部屋の中は薄暗く、淀んだ空気が漂っていた。
パタンーー
閉まった扉を慌てて開けようとした時だった。
「・・・・・・そのままでいい」
かすれたような声が聞こえて、思わず掴みかけた取手を離してしまった。
いや、でも・・・・・・。
扉が閉まったままなのは・・・・・・。
もう一度開けるのが正しいのを理解しつつも、王妃様からお願いされたお役目を果たすのが先決と判断した。
廊下には側近、護衛も居る。
意を決して声がした方へゆっくりと足を進めると、そこには足を投げ出すようにソファに座る殿下がいた。
いつも整えられている髪はボサボサで、シャツもはだけている。
目のやり場に困っていると、床に倒れてるワインボトルが目に入った。
ああ・・・・・・だから殿下に近づくとアルコールの匂いがしたのね。
テーブルに置かれているグラスに水を注いで差し出すと、顔を上げた殿下と初めて目が合った。
憂いに沈んでいるブルーの瞳は、まるで救いを求めているように感じ、何故か目が離せなかった。
『今日、フランチェスカ嬢とパルディール侯爵令息の結婚式なの』
王妃様の心配そうな声が聞こえてきた。
かといって、声をかけるにも何を言ったらいいのか分からない。
正体不明な居心地の悪さも感じる。
そろそろ部屋を出ようか。そう思った時、腕を軽く引かれてソファに膝をつく状態で座り込んでしまった。
「ちょっ・・・・・・」
ちょっと、急に腕を引かないでください!
そう言おうとしたのに。
「・・・・・・少しの間、このままでいさせてくれ」
私の体にがっしり抱きついてきた殿下によって、絞り出すような切なさを含んだ声によって、私は言葉を続けることが出来なかった。
婚約中の男女が密室で抱き合うべきじゃないでしょ。
いつもの冷静な自分が頭の中で問いかける。
そんなこと、分かってる。
力いっぱい押し返して、この部屋を早急に退出すべきだと。
分かってる。
なのに私は殿下の背中に手を置いて、優しくさすった。
傷ついて、震えているこの人を放っておけない。
そんな言い訳をして。
そして、殿下の体がゆっくり離れると、今度は顔がグッと近づいてきて、
「リリー」
かすれた声で呼ばれ、私と殿下の唇は重なった。
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