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第1章 ファスティアの冒険者
第36話 その名、刻まれし時
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「ちわーッス。あれッ、あんたは……」
「あっ。よかった、目が覚めたんですねっ」
カルミド夫婦の寝室の隣室――小さめの部屋の窓際に置かれたベッドでは、昨日、二人が〝はじまりの遺跡〟で救助した男が上半身を起こし、外を眺めていた。
「えっと……? あ、はい」
二人が自身に話しかけていることに気づき、男はそちらへ顔を向ける。
昨日は暗がりの遺跡だったこともあって彼の顔もよくわからなかったが、こうして見るとエルスたちよりも歳は上に見える。少なくとも、少年と呼べる年齢はとうに過ぎているだろう。
この青年は黒髪で瞳の色も黒く、現在はカルミドと同じ部屋着を着用していた。
「あの……、君たちは……?」
青年は首を傾げ、ごく当然の質問をする。気を失っていた彼にとって、二人は初対面なのだ。
「ああ、すまねェ。俺は冒険者のエルス! こいつは相棒のアリサだ!」
「冒険者? そうなんだ、初めまして。えっと、僕は――」
そこまでを言い、青年は何かを考えるように少し黙る――
「――ごめん。自己紹介したいんだけど、何も覚えてないんだ。自分の名前も」
どうやら、意識を取り戻した青年には記憶がなく、自分がどこの誰だったのかすらも心当たりがないようだ。そんな彼をカルミドは自宅へ受け入れ、しばらくの間療養もさせてくれると申し出てくれたらしい。
「そうなんですね……。でも、ちゃんと目を覚ませてよかった。元気そうだし」
「んー? 元気なのか? 記憶喪失になってンだぞ?」
「あ、そっか……。ごめんなさいっ」
エルスからの指摘を受け、アリサは深々と頭を下げる。そんな二人のやり取りを見て、青年からは思わず笑顔がこぼれた。
「あはは、気にしないでください。そのうち思い出すでしょうし、実は僕もそれほど気にしてないんです」
「大丈夫なのか? 結構な大ゴトだと思うぞ……」
「はい。むしろなんだか新鮮で、別の世界に来たような不思議な感覚ですね」
「へぇ、そういうモンなのか……。そう聞くと、ちょっと楽しそうだなぁ」
明るく笑う青年につられ、エルスも思わず笑顔になる。アリサもエルスの少し後ろで、楽しそうに微笑んだ。
「ああ。でも、名前が無いことだけは、ちょっとだけ不便かな」
「確かに。なんて呼べばいいのかわからねェしなぁ」
「ちょっとでも、なにか手がかりがあればいいんだけどねぇ」
「なんッか無ェかなぁ……。うーん……」
エルスは腕を組み、眉間に皺を寄せながら昨日の出来事を思い出す。とはいえ、青年がオークに襲われた場面くらいしか、エルスには思い出せる手がかりもない――。
「あッ!――そうだ、なんか魔法使ってたよなッ!」
「えっ、魔法? この人が?」
「おうッ! あの……アリサが使ってるアレみたいなヤツだ!」
――言いながらエルスは、両手で輪っかを作ってみせる。
「あっ、光魔法のエンギルのこと? そんなに格好わるくないけど……」
「それだ!――ッて、別に通じりゃイイだろッ」
「そうなんだ?……僕が魔法を……」
――青年は呟き、自身の両手を見つめる。
「ごめん、やっぱり使い方も何も思い出せないや」
「うーん。そっか、残念――」
「いや、待った――ッ! まだあるぜッ、こいつだッ!」
エルスは自信ありげに手を叩き、冒険バッグから古びた〝木彫りの守護符〟を取り出した。身に着けるための鎖は切れ、本体には赤黒い汚れが付着しているが、他に目立った損傷は見当たらない。
「これ、昨日あそこで拾ったんだ。あんたが最初に倒れてたトコの近くでさ!」
「あ……これ……は……」
――青年は呟き、身を乗り出すように守護符に顔を近づける。
「おッ? もしかしてあんたのか?」
「いや……どうだろう……。でも……。なんだか……」
魅入られたようにそれを見つめる青年に、エルスは守護符を手渡す。小さな水晶こそ嵌っているが、これはファスティアをはじめ各地の土産物屋でも簡単に手に入る品物で、金銭的な価値は無いに等しい。
「それ、あんたにやるよ! 何か思い出せるかもしれねェしな!」
「えっ、いいの? じゃあお言葉に甘えて……。ありがとう」
「おうッ! 役に立ったなら、わざわざ拾ったかいがあったッてモンだぜ!」
エルスの言葉に、青年は守護符を両手で握りしめ、にっこりと笑みを零した――。
「あとは……。名前だけでも思い出せればいいんだけどねぇ……」
口元に指を当てながら考えていたアリサだったが、解答を思いついたかのように小さく手を挙げる。
「ねぇ、いっそ新しく名前を考えてみたら?」
「おまえ、さすがにそれはどうなんだ……?」
「だって名前が無いと、何て呼べばいいかわからないし」
「え? うーん、新しい名前か……」
青年は少し考え、エルスの方を見る――
「――何か良い名前、あるかな?」
「へッ? 俺か……? いやぁ、そういうのは自分で決めたほうがイイような……」
「記憶が無いせいか、何も思いつかなくて。それに、自分で自分の名前を決めることって無いからね」
「まッ、そりゃそうか……。でも名無しよりもマシな名前ッて……」
エルスは言いかけ、閃いたかのように指を立てる――
「――ナナシ! いっそ〝ナナシ〟でどうだッ!?」
「えっ、名無し? それってそのままじゃ……」
「名無しじゃねェ、ナナシだ! ナ・ナ・シ!」
「ナナシ――か。うん、悪くないかも」
手元のアミュレットに目を落としたまま、青年は満足そうに頷く。アリサは不満げだが、当の名づけられる本人は気に入ったようだ。
「そうか! じゃ、これからはナナシってことで!――へへッ、よろしくな! ナナシ!」
「あはは、ありがとう。じゃあ僕はナナシだ。よろしくね、エルス、アリサ」
「えぇっ……。いいのかなぁ?――よろしくね、ナナシさんっ!」
自己紹介をし、少年のような顔で笑うナナシ。心なしか、部屋の中も明るく輝いたように感じる。改めての挨拶を済ませ、三人はそれぞれに握手を交わす――。
「よしッ! じゃあ色々と解決したことだし、俺たちは行くぜ! 外で仲間が待ってるんだ!」
「解決したっけ? ナナシさんの名前が決まっただけのような」
「それだけでもいいだろッ? 何事もコツコツってヤツさ!」
「そうだね、二人のおかげで助かったよ。知らない世界で、初めての友達ができたみたいな感覚で。嬉しかった」
「おうッ! 俺も楽しかったぜ! またなッ!」
こうして、謎の青年・ナナシと友人になった二人。彼に手を振り、エルスとアリサは部屋を出る――。
ひとり残ったナナシは、窓の外を見遣る。空から射す日光は眩しさを感じるものの――外の世界は、やや薄暗さを増しはじめていた。
「あっ。よかった、目が覚めたんですねっ」
カルミド夫婦の寝室の隣室――小さめの部屋の窓際に置かれたベッドでは、昨日、二人が〝はじまりの遺跡〟で救助した男が上半身を起こし、外を眺めていた。
「えっと……? あ、はい」
二人が自身に話しかけていることに気づき、男はそちらへ顔を向ける。
昨日は暗がりの遺跡だったこともあって彼の顔もよくわからなかったが、こうして見るとエルスたちよりも歳は上に見える。少なくとも、少年と呼べる年齢はとうに過ぎているだろう。
この青年は黒髪で瞳の色も黒く、現在はカルミドと同じ部屋着を着用していた。
「あの……、君たちは……?」
青年は首を傾げ、ごく当然の質問をする。気を失っていた彼にとって、二人は初対面なのだ。
「ああ、すまねェ。俺は冒険者のエルス! こいつは相棒のアリサだ!」
「冒険者? そうなんだ、初めまして。えっと、僕は――」
そこまでを言い、青年は何かを考えるように少し黙る――
「――ごめん。自己紹介したいんだけど、何も覚えてないんだ。自分の名前も」
どうやら、意識を取り戻した青年には記憶がなく、自分がどこの誰だったのかすらも心当たりがないようだ。そんな彼をカルミドは自宅へ受け入れ、しばらくの間療養もさせてくれると申し出てくれたらしい。
「そうなんですね……。でも、ちゃんと目を覚ませてよかった。元気そうだし」
「んー? 元気なのか? 記憶喪失になってンだぞ?」
「あ、そっか……。ごめんなさいっ」
エルスからの指摘を受け、アリサは深々と頭を下げる。そんな二人のやり取りを見て、青年からは思わず笑顔がこぼれた。
「あはは、気にしないでください。そのうち思い出すでしょうし、実は僕もそれほど気にしてないんです」
「大丈夫なのか? 結構な大ゴトだと思うぞ……」
「はい。むしろなんだか新鮮で、別の世界に来たような不思議な感覚ですね」
「へぇ、そういうモンなのか……。そう聞くと、ちょっと楽しそうだなぁ」
明るく笑う青年につられ、エルスも思わず笑顔になる。アリサもエルスの少し後ろで、楽しそうに微笑んだ。
「ああ。でも、名前が無いことだけは、ちょっとだけ不便かな」
「確かに。なんて呼べばいいのかわからねェしなぁ」
「ちょっとでも、なにか手がかりがあればいいんだけどねぇ」
「なんッか無ェかなぁ……。うーん……」
エルスは腕を組み、眉間に皺を寄せながら昨日の出来事を思い出す。とはいえ、青年がオークに襲われた場面くらいしか、エルスには思い出せる手がかりもない――。
「あッ!――そうだ、なんか魔法使ってたよなッ!」
「えっ、魔法? この人が?」
「おうッ! あの……アリサが使ってるアレみたいなヤツだ!」
――言いながらエルスは、両手で輪っかを作ってみせる。
「あっ、光魔法のエンギルのこと? そんなに格好わるくないけど……」
「それだ!――ッて、別に通じりゃイイだろッ」
「そうなんだ?……僕が魔法を……」
――青年は呟き、自身の両手を見つめる。
「ごめん、やっぱり使い方も何も思い出せないや」
「うーん。そっか、残念――」
「いや、待った――ッ! まだあるぜッ、こいつだッ!」
エルスは自信ありげに手を叩き、冒険バッグから古びた〝木彫りの守護符〟を取り出した。身に着けるための鎖は切れ、本体には赤黒い汚れが付着しているが、他に目立った損傷は見当たらない。
「これ、昨日あそこで拾ったんだ。あんたが最初に倒れてたトコの近くでさ!」
「あ……これ……は……」
――青年は呟き、身を乗り出すように守護符に顔を近づける。
「おッ? もしかしてあんたのか?」
「いや……どうだろう……。でも……。なんだか……」
魅入られたようにそれを見つめる青年に、エルスは守護符を手渡す。小さな水晶こそ嵌っているが、これはファスティアをはじめ各地の土産物屋でも簡単に手に入る品物で、金銭的な価値は無いに等しい。
「それ、あんたにやるよ! 何か思い出せるかもしれねェしな!」
「えっ、いいの? じゃあお言葉に甘えて……。ありがとう」
「おうッ! 役に立ったなら、わざわざ拾ったかいがあったッてモンだぜ!」
エルスの言葉に、青年は守護符を両手で握りしめ、にっこりと笑みを零した――。
「あとは……。名前だけでも思い出せればいいんだけどねぇ……」
口元に指を当てながら考えていたアリサだったが、解答を思いついたかのように小さく手を挙げる。
「ねぇ、いっそ新しく名前を考えてみたら?」
「おまえ、さすがにそれはどうなんだ……?」
「だって名前が無いと、何て呼べばいいかわからないし」
「え? うーん、新しい名前か……」
青年は少し考え、エルスの方を見る――
「――何か良い名前、あるかな?」
「へッ? 俺か……? いやぁ、そういうのは自分で決めたほうがイイような……」
「記憶が無いせいか、何も思いつかなくて。それに、自分で自分の名前を決めることって無いからね」
「まッ、そりゃそうか……。でも名無しよりもマシな名前ッて……」
エルスは言いかけ、閃いたかのように指を立てる――
「――ナナシ! いっそ〝ナナシ〟でどうだッ!?」
「えっ、名無し? それってそのままじゃ……」
「名無しじゃねェ、ナナシだ! ナ・ナ・シ!」
「ナナシ――か。うん、悪くないかも」
手元のアミュレットに目を落としたまま、青年は満足そうに頷く。アリサは不満げだが、当の名づけられる本人は気に入ったようだ。
「そうか! じゃ、これからはナナシってことで!――へへッ、よろしくな! ナナシ!」
「あはは、ありがとう。じゃあ僕はナナシだ。よろしくね、エルス、アリサ」
「えぇっ……。いいのかなぁ?――よろしくね、ナナシさんっ!」
自己紹介をし、少年のような顔で笑うナナシ。心なしか、部屋の中も明るく輝いたように感じる。改めての挨拶を済ませ、三人はそれぞれに握手を交わす――。
「よしッ! じゃあ色々と解決したことだし、俺たちは行くぜ! 外で仲間が待ってるんだ!」
「解決したっけ? ナナシさんの名前が決まっただけのような」
「それだけでもいいだろッ? 何事もコツコツってヤツさ!」
「そうだね、二人のおかげで助かったよ。知らない世界で、初めての友達ができたみたいな感覚で。嬉しかった」
「おうッ! 俺も楽しかったぜ! またなッ!」
こうして、謎の青年・ナナシと友人になった二人。彼に手を振り、エルスとアリサは部屋を出る――。
ひとり残ったナナシは、窓の外を見遣る。空から射す日光は眩しさを感じるものの――外の世界は、やや薄暗さを増しはじめていた。
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