俺の彼女は中の人

鏡野ゆう

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本編

第三十四話 マツラー君jrがやって来た?

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「……」

 新婚旅行から帰ってきて新居で暮らし始め何となく二人での生活パターンに慣れてきた頃、キッチンで夕飯の用意をしていた時に急に胸焼けみたいなムカムカした感じがこみあげてきた。シンクの前でムカムカがおさまるまでジッとしていたら圭祐さんが怪訝な顔をしてこちらを見てきた。

「どうした?」
「ん? うん、ちょっと気持ち悪くなった。お酒、たくさん入れ過ぎたかな……」

 火にかけているお鍋ではカレイの煮つけを作っている。最近、貰い物の日本酒が溢れていてキッチンの収納を圧迫しているからそれを消化するためにと水代わりにたくさん使ってみたんだけど、さすがに量が多すぎたみたいで火にかけてアルコールを飛ばしている途中にその匂いで酔いそうになっていた。こんなふうに気持ち悪くなったってことは匂いで酔っぱらったんだと思う。ちょっとした一過性の二日酔いみたいな感じかな?

「寺脇さんにいい加減お酒を送ってくるのを止めてらわないと。一升瓶が凄いことになっちゃって、そのうち床下収納の底が抜けちゃうかも」

 寺脇さんは今年度から大湊の地方隊へと転属になって現在は単身赴任中。

 そこで美味しい日本酒を見つけたと言って我が家に幾つか送ってくれているんだけど、私はあまり日本酒は飲まないし圭祐さんも休みの日以外は飲まないから飲み切れない状態でどんどん増えてきて困っている。気持ちは物凄く嬉しいし大歓迎なんだけど、実家とか兄貴にお裾分けするのにも限度ってものがあるのよね。その点で寺脇さんは容赦がなくて困っちゃう。

「……あれ、圭祐さん?」

 リビングにいたはずの圭祐さんの姿が見えない。もしかして寺脇さんに電話する為に携帯電話を取りに行ったとか? 幾ら休みだからって迅速過ぎ。そんなことを考えていたら何やら紙袋を手に戻ってきて私の横にやってきた。しかも何気に変な顔をしている。

「どうしたの?」
「これ、使ってみた方が良いと思うよ、杏奈さん」
「なに? お酒に酔わないように洗濯ばさみで鼻をふさぐとか? あ、コットンで鼻の穴をふさぐとか?」
「違う違う」

 そう言いながら気まずそうな顔をしたまま紙袋を私に押しつけてきた。何だろう?と首を傾げながら紙袋を受け取って中を覗いてみる。

「これって……?」
「ずっと一緒にいるわけだし俺だってカレンダーを見て計算ぐらいできるからね」

 そこに入っていたのは妊娠検査薬。

「これ、圭祐さんが買ったの?」
「ちょうど年輩の薬剤師さんがレジに立っている時で良かったよ。バイトの若い子の時だったら絶対に変な目で見られていただろうからさ」

 まあそれでも生温かい笑顔を向けられて恥ずかしかったんだけどねと付け加えた。

「本当に自分で買いに行ったんだ……でもどうして買う気になんてなったの?」
「なんて言うかね、もしかしたらって思うことが色々とあって。杏奈さんが自分で思い至ればそのまま捨てようかとも思っていたんだけど全然だったし」
「???」
「なんて言うか……ほら、毎晩一緒に寝ているわけだから来るべきものが来てないのも気が付くわけで」

 言いにくそうにその言葉を口にした圭祐さんの様子に、そう言えばとカレンダーを見た。そう言えば毎月の来るべきものがこの月は来ていない。お引越しや新婚旅行、そして圭祐さんとの新しい生活を始めたことで何となくバタバタしていたからすっかり忘れていた。

「確かに遅れてるかも」
「だろ?」
「調べた方が良いのかな?」
「そりゃ医者に行く方が確かだけど」

 紙袋の中のモノを改めて見下ろす。恥ずかしい思いをしてまで買ってきてくれたんだから使ってみるべきよね、きっと。

「あとで使ってみる」
「うん」

 何となくお互いに気まずいと言うか恥ずかしいと言うか微妙な空気になったまま夕飯の用意を続けることに。カレイは俺が見ているから杏奈さんは他のことをして良いよと圭祐さんがお鍋の方を受け持ってくれたので有り難くその場を離れる。気分が悪くなったのは酔った訳じゃなくて悪阻つわりの可能性もあるのか。そんなことを考えるとちょっと嬉しくなったりして。

「あのさ、圭祐さん」
「ん?」
「あとでって言ったけど、今、使っても良いよね?」
「杏奈さんの好きにすれば良いよ。調べるにしたって心の準備ってのがあるだろ?」
「だけど思い当ったら急にワクワクしてきて早く知りたくなったの」

 私の言葉に圭祐さんが可笑しそうに笑った。

「分かった。行っておいで、ここは俺がちゃんと見てるから」
「うん。えっと……違ってもガッカリしないでね?」
「それはこっちのセリフだよ。その点は大丈夫?」
「……多分」
「ま、違ったら今夜からまた頑張ればいいだけの話だよね」

 悪戯っぽい笑みを浮かべながらそんなことを口にする。

「今夜からってこれ以上どう頑張れるんだか……」

 これ以上頑張られたら私の体が絶対もたないよ……。そう思いながらトイレに向かった。先ずは説明書を読まなきゃ。こういうの使うの初めてで頭では分かっているし箱に“簡単に分かる”とか印刷されていても心配なものは心配。個室に入ると蓋をあげずにそこに座って箱を開封して説明書を読む。ふむふむ、やっぱり思っていた通りのやり方なのね、これなら大丈夫。そんなわけで改めてそれを使うことにした。


+++


「……圭祐さん」

 キッチンを覗き込むと圭祐さんはひたすら人参の皮むきをしていた。人参サラダを作る予定だったから下準備をしてくれるのは非常に有り難いけど何だかちょっとやり過ぎな感じが……。私が声をかけると手を止めてこちらに顔を向ける。

「どうだった?」
「どうだったと思う?」

 私の問い掛けにそれまでさり気無い顔をしていた圭祐さんはニッコリと笑った。

「ってことは当たりだったわけだ」
「うん、陽性だった。お医者さんに行かなきゃ確定じゃないけどね。なにニヤニヤしてるの?」
「ん? ほら、結婚式の夜。あの時にできた子なのかなって」
「かも」

 タイミング的にはそんな感じだよね。あの時に感じたいつもと違う感じは本当に赤ちゃんが来たってことだったのかな。だとしたら凄いかも、私も圭祐さんもそれを感じたわけだし。

「そうか。ここに新しい家族がいるんだな」

 圭祐さんはこっちにやって来て私の前の膝をつくと、凄く嬉しそうな顔をしてお腹を触ってきた。

「ほら、そんなニヤニヤした顔してないでご飯の用意しなきゃ。私が空腹で倒れたら困るでしょ?」
「これからは色々と気をつけて食べないとね」
「もう気が早い。とにかくお医者さんに行ってからだから。ほらほら、人参の皮むきがまだ残ってます、佐伯一尉殿。任務の途中放棄は許しませんよ」
「了解しました、奥様」

 圭祐さんは軽く敬礼の真似事をすると立ち上がって人参の皮むきを再開した。そのまま千切りもしてくれると言うのでお任せして、私はもう一品作る用意を始める。

「そう言えば人参の皮むきしていて思い出したんだけどさ、陸自の知り合いにこういうことが得意な奴がいてね」
「こういうことってお料理?」
「って言うか、刃物を使うのが得意?」

 料理人に向いている人?と思っていたらその一言で一気に怪しげな話になってきた。

「それって、もしかして切り刻むのは野菜だけじゃありませんとか言いたい人ってこと?」
「んー……そうかも。そいつが所属しているのは空挺部隊なんだけどさ、そこにいるのが惜しいぐらい料理が得意なんだよ。野菜の飾り切りとか直ぐに覚えてしまうぐらいだから、料理人に向いているんじゃないかというのは本当だと思う。」

 確かアメリカのハリウッド映画にもそんな主人公がいたよね? あんな感じの人が陸自にもいるってこと? え? 空挺部隊ってそんな人ばかりの集まり? な、なんだかちょっと怖いかも。私、そういう人達って外国の軍隊にしかいないと思ってた。

「意外だな、圭祐さんに陸自のお知り合いがいるなんて」
「そう? 陸海空の枠を超えた同世代の交流って意外と多くて空自にも知り合いはいるよ。飛ぶのが三度の飯より好きって奴だけど。休暇が取れるようなら今年は航空祭に行ってみようか、そいつのこと紹介するよ」
「もしかして圭祐さんのお知り合いの人って変な人が多い……?」
「そりゃ奥さんがマツラーな俺だからねえ」

 そう言いながら呑気に笑っている。もしもしマツラー君は公式的にれっきとした男の子なんですよ、女の子じゃないんですからね?

「ああ、それでマツラーが出たついでに。仕事を続ける事に関して俺は何も言うつもりはないけど、妊娠しているのが確かだって話になったら、さすがに中の人はちょっとやめた方が良いんじゃないかなって思う」
「うん。それは私も考えてる。週明けにお医者さんに診てもらって確定したら課長に話をしてバイト君のシフトを考えてもらう」
「杏奈さんのマツラー君は可愛いから見られなくなるのは残念だけどね」


+++++


 そして週明け、さっそくお休みを貰って産婦人科に行ったら間違いなく妊娠しているってことだった。七週目ってことでやっぱり結婚した日の夜に私達の元にやってきてくれたってことが確定。そのことを圭祐さんに話したら、リムパックでのうちの命中率並だねってすっごく嬉しそうにニヤニヤしていた。

 このことではニヤニヤする程度で舞い上がることもなく冷静に私の妊娠を受け止めてくれているから、やっぱり二度目ともなると余裕ができるのかなあって感心していたんだけど、それが勘違いだって分かったのはその日の深夜になってから。

「……?」

 深夜、何か後ろでボソボソ言ってる声がして目が覚めた。私のことを後ろから抱きしめてお腹を撫でていた圭祐さんが何やら喋っているみたい。もしかして盛大な寝言? 今まで寝言なんて言ったことないのに珍しいな。

「赤ん坊だぞ、赤ん坊。俺と杏奈の赤ん坊だ。男かな女かな……いやいや、どっちでも良いよな、元気に産まれてきてくれるなら」

 私のお腹を撫でながら呟いていたのはそんなこと。もしかしてこれは寝言じゃなくて独り言?

「ずっと陸上勤務でいられたら良いんだけどな。ああ、それは海自にいる限り駄目だよな、再来年からは何処に飛ばされるんだろうなあ、息子、いや娘か、とにかくまたなかなか会えなくなるんだよなあ……」

 なんだか無念そうな呟きに思わず笑いそうになってしまったけど頑張って堪えた。私に聞かれていたなんて分かったら圭祐さんショック死するかもしれないし、ここは頑張って我慢しないと。

「杏奈に会えなくなるのも辛いのに子供にも会えないなんて……いや、まだそんなこと考えるのは早いじゃないか、あと一年以上はこっちにいられるんだから」

 そう言いながら私のことを抱き締めてきた。普段はなかなかこんなこと言わない人だからちょっと意外だった。だけど圭祐さんの本心を聞けて嬉しいかな。私は目を閉じたまま圭祐さんの腕の中で寝返りを打って抱きついた。

「けいすけさーん、うるさいですよぅ」

 出来るだけ寝ぼけているような声でそう呟くと圭祐さんはちょっとだけギョッとしたようだった。

「杏奈さん? 今の聞いてた? 起きてる?」

 その問い掛けは無視して彼にしがみついたまま寝ることにする。焦っている圭祐さんの問い掛けを何度か無視するうちにそのまま本当に眠ってしまった。

 そして朝になってご飯の用意をしている私のことを探るように伺っているのがとっても可笑しい。

「なに? 私の顔に何かついてる?」
「いや、そんなことないよ」
「じゃあさっきから何で私のこと見てるの?」

 テーブルにお皿を並べながら首を傾げてみせると圭祐さんは気まずそうに新聞に視線を落とした。それからちょっと困ったような顔をして上目遣いで私のことを見上げてくる。

「……昨日のことなんだけどさ」
「昨日? 昨日がどうかした?」
「夜中、杏奈さん、起きた?」

 やっぱり昨晩の独り言を聞かれたかどうか気になっているらしい。ここで実はあの時に起きていて圭祐さんの独り言を聞いたって打ち明けたらどうするんだろう? もちろん旦那様想いの私はそんなこと絶対に言わないけれど。

「私が一度寝たらなかなか起きないの知ってるでしょ? 私のことを圭祐さんが無理やり起こさない限りは起きてない筈だけど? もしかして起こそうとしたの?」
「いや、そんなことしてないよ。起きてないなら良いんだ」
「もしかして私、何か凄い寝言でも言った?」

 ちょっとだけギクッてなったのが分かった。

「いや、杏奈さんはいつもと同じで大人しく俺に抱かれて寝てたよ。俺の気のせいだと思うから気にしないで」
「……そう。なら良いんだけど」

 圭祐さんの知らない秘密ができてちょっと気分が良い朝かも!!
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