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本編
第三十一話 女三人寄れば……え、四人?
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私達がそれぞれの両親の元に挨拶に行った後の両家の動きと言ったら素早いのなんの。佐伯さんですらこれは米軍特殊部隊の電撃作戦並みだねと呆れかえるほど。特に母親同士の結束力はなかなかなもので、それぞれの旦那さんを置き去りにした状態で結納の日取りを決め、場所を決め、とにかくそのまま黙っていたら結婚式の主導権まで握られそうだったので、二人で慌てて釘を刺したほど。
なんて言うかもう少し母親同士で張り合うとかギスギスした雰囲気が漂うとかしないものなの?と思ったりしたけど、お互いに無いものを相手が持っているという凸と凹な感じだったらしく、父親曰く、初対面の時はまるで数十年ぶりに再会した生き別れの姉妹みたいだったらしい。もちろん二人には生き別れの姉妹なんていなくて血の繋がりは無い、念のため。
「母さん、杏奈さんのお母さんと気が合ってノリノリなのは分かるけど、だからって杏奈さんを引き摺り回すのだけはよしてくれよ。ただでさえ休日出勤が多くて杏奈さんも大変なんだから」
佐伯さんが乗る護衛艦が外洋訓練で出港する日、お母さんもこちらに出てみえていたので母親二人と私とで見送りに行くと佐伯さんが怖い顔をして自分のお母さんに念入りに釘を刺した。そして私の母親の方にもちょっとだけ怖い顔をして視線を向ける。
「こちらのお母さんもですからね。次に僕が戻ってきた時に杏奈さんが痩せ細っていたら承知しませんから」
息子と義理の息子に怖い顔をして釘を刺されても二人のお母さんは何処吹く風。ハイハイ、分かったわと異口同音のことを言いながらもその表情からすると全く意に介していない。二人の様子を見ていた佐伯さんもそれは感じたようで苦笑いしながら軽く溜息をついた。
「杏奈さん、二人の手綱を握るのは難しいとは思うけど頼むね。特にうちの母親の言い分で行きたくないやりたくない場合はハッキリと拒否してくれて良いから」
「あら、酷いわね、圭祐。お母さん傷ついちゃったわ」
「何処が傷ついてるんだか。母さんのメンタルはチタン製だと父さんがいつも言っているのを知らないとでも?」
佐伯さんの言葉にお母さんは何だか嫌そうな顔をする。
「滅多に帰ってこないくせに情報共有だけはちゃんとしているのね、貴方達。まったくそんなところだけはお兄ちゃんも含めて変に連帯感が強いんだから。杏奈さんも気をつけてね。海の男同志の繋がりってこういう時に厄介だから」
「あー……なんとなく分かります、はい」
ほら、マツラー君のところに押し寄せてきたお兄さん達とか、マツラー君のお腹にペタリとお祝いのメモ書きを貼りつけたお兄さんとか?
「え、ちょっとそれってどういう?」
「それは内緒です。ネタばらししたら対応策を考えられてつまらないし」
「つまらないって……」
戸惑った顔で私のことを見下ろした佐伯さんに私は知らん振りを決め込むことに。
「そうそう、その意気よ、杏奈さん」
「母さんまで。とにかく、三人で準備をするのは良いけれど無茶はしないように」
「はいはい、分かってますよ。だから貴方はこっちのことは気にせずに行ってらっしゃい」
二人のお母さんは仕方ないから二人だけにしてあげましょうかと口々に言いながらその場から離れていく。佐伯さんはやれやれと首を振って二人を見送った。
「お母さん二人で二倍パワーじゃなくて二乗パワーですね」
「まさかこんな強烈な母親タッグになるとはね。俺がいない間、大丈夫?」
「大丈夫ですよ。これからは準備もあるからお休みの日のマツラー君はバイト君が変わってくれることになってますし」
佐伯さんと婚約して結婚式の準備を始めるということで、私とマツラー君のスケジュールは少しだけ変わることになった。今まで近場の土日祝日は代休を取りながら私が担当していたけれど平日のみの担当となり、土日祝日に限ってはバイト君とマツラー二号君が担当することになったのだ。その代わり三号君は遠征専用要員となり、これからは参加するイベントも更に精査することになっている。
「こっちに出てきたからと言って気を遣わず、疲れた時は遠慮なく誘いを断ってくれたら良いんだからね」
「分かってます。多分、あの様子だと私そっちのけで二人して楽しむんじゃないかしら」
「結婚式の準備を手伝うとか言って出てきている筈なんだけどなあ……」
「お母さん同士が仲良くできて良かったじゃない。顔を合わせるたびに張り合うよりずっと良いでしょ?」
「とにかく、杏奈さんの体調が第一だから」
「私の方は大丈夫。どうしてもって時にはマツラー君になって逃げだすから」
佐伯さんは私の手を取ると指輪に触れながらニッコリと笑った。アメリカ海軍の港ではこういう時あちらこちらで夫婦や恋人同士でキスするシーンが見られるんだろうけど、生憎とここは海上自衛隊の港で日本人は非常に慎ましいのよね。だから残念ながら行ってらっしゃいのキスは無し。
「しばらくは会えないけど」
「佐伯さんも健康には十分に気をつけて下さいね」
私の手を握りながら見下ろしていた佐伯さんはちょっとだけ考え込む素振りを見せた。
「……杏奈さん」
「はい?」
「婚約もしたことだし、そろそろ名前で呼んでくれると嬉しいんだけどな」
「名前?」
「うん」
そう言われて初めて自分がまだ“佐伯さん”って呼んでいることに気が付いた。最初からそう呼んでいたからそれが自然でついそう呼んでいたけど、さすがに苗字で呼び続けるのは他人行儀すぎるかな。
「そっか……そうですね。じゃあ、行ってらっしゃい圭祐さん。わっ、け、圭祐さん?!」
ムギュって抱き締められて思わず声が引っ繰り返る。佐伯……じゃなくて圭祐さんはすぐに離してくれたけどその顔はちょっと残念そう。
「残念だな、マツラー君だったら遠慮なく抱き締められるのにね」
「マツラー君越しに抱き締められても私てきにはちょっと複雑かも」
「人目もあるから今は大人しくしておくよ。これ以上杏奈さんといちゃついていたら後であいつらにからかわれて大変だ」
そう言った圭祐さんの視線の先にはこちらをニヤニヤしながら見ている寺脇さんと奈美子さん夫妻と海津さん。私が自分達の方を見たのでニヤニヤしながら二人して手を振ってきた。
「やだ、恥ずかしい。今のも見られてたってことでしょ?」
「ま、一回のハグくらい見逃してくれるだろ。なにせ俺達は婚約したばかりだし。とにかく体には気をつけて。あまりマツラー君で頑張り過ぎないように」
「圭祐さんもね」
「うん。じゃあ行ってきます。帰ってきたら一緒に指輪を見に行く約束、忘れないように」
「分かってます」
たくさんの家族の人達が桟橋で見送る中、圭祐さん達を載せた護衛艦は出港していった。今回の洋上訓練の期間は約三週間。その後には東南アジアでの多国籍軍が参加する合同演習なんてのがあるらしく、それが今の部署での最後の洋上訓練になるのではってことだった。とは言ってもそれもあくまでも予定で実際のところ周辺事情によって色々と変わるみたいだから確定ではないらしい。ただ、圭祐さんの話しぶりを聞いている限りでは何だか今の職場から離れたくないと思っているんじゃないかなって思う。
「それはね、うちの主人も同じだったみたいよ? 多分、上の息子もそうなんじゃないかしら」
そう言ったのは圭祐さんのお母さん。離れ離れになっていることが多くて家族に寂しい思いをさせることに申し訳ないって気持ちはあるものの、船乗りはあくまでも船乗りで陸にいるのは性に合わないと感じているんだとか。
「それが幹部になった者の運命なんだから仕方ないわよね。ずっと海にいたかったんだったらそれなりの入り方があったわけだし」
「偉くなる為にあちこち異動するのは民間企業と同じなんですね」
「杏奈さんだってお役所内で異動があるでしょ?」
「そうなんですけどね、なんだかマツラー君をしている間は異動させてもらえないような気がしてきました」
「あら、それは大変ね」
それにうちの母親みたいに内情を良く知っているからという理由でなかなか同じ部署から異動させてもらえないという人も中にはいる。
「母、今年で何年目だっけ、秘書課」
「今年で五年目。もういい加減に知事の顔も見飽きたわよ」
「……と、そんな風に言っている特殊な事情の人もいるわけでして。私も油断できません」
「ほんと、宮仕えも大変ねえ。ところで今日はこれから皆さんお暇? 私、これからお参りしてこようと思うんですけどご一緒にいかがかしら」
「金比羅宮さんですか?」
「ええ。見送ったのだから航海安全の祈願もしておかないと片手落ちみたいな気がして落ち着かないのよ」
お義母さん曰く、圭祐さんのお父さんが現役の頃はちゃんとお参りに行っていたらしいんだけどここ暫くはお義兄さんの奥さんに任せていて自らお参りするのは御無沙汰しているらしい。うちの母親も気持ちは分かると言って是非ご一緒しますと頷いた。
+++++
「懐かしいわ、ここにお参りに来たのは何十年ぶりかしら」
「そう言えば、お義母さんはずっと京都にいらっしゃったんですか?」
「ええ。頻繁な異動であちこち引っ越しするより一所に落ち着いていた方が子供を育てるのにも良いだろうって。それに主人の御両親も良い人だったから。だから実際に主人の乗っていた護衛艦を見たのも片手で数えるほどしかないのよ。ここに来たのも確か子供達が小学生の時に夏休みを利用して出てきた時だったかしら」
お母さん二人は息子達の安全祈願のことについてあれこれと思い出話を交えて話し合っている。危険な仕事に就いている息子を持つ母親同士としても話が合うみたいで、その話の内容を聞いている内に祥子さんのお母さんも交えての安全談義とか色々なものに発展しそうな予感がしてきた。なるほど、こうやって母親情報網って拡がっていくのね、納得。
三人で参道を歩いて行くとベンチにあの年輩の御婦人が座っているのが見えてきた。その御婦人を見つけた圭祐さんのお母さんがニッコリと笑って“あら、お早かったですわね”と声をかける。え? もしかしてお知り合い?
「あの、お知り合いですか?」
「え? ああ、主人のお母さん。つまりは姑なの」
「え?!」
「杏奈ちゃん、こちらの方を知ってるの?」
母親に尋ねられて以前に会ったことを話した。そして話しながらそう言えば圭祐さんが写真を見て驚いた顔をしていたなと思い出す。そりゃ驚くわよね、私と一緒に先輩な神様よりも怖い存在のお婆ちゃまが写っていたら。
「船乗り三代どころか四代目になる可能性があるんですね?」
そう言えばお爺ちゃんも元海上自衛隊の人だって話だし、圭祐さんの息子君の雄大君が船乗りになりたいなんて言い出したら四代続くことになるわけで。だけどまさか圭祐さんのお婆ちゃんだったとは世の中って狭い……ん? もしかして?
「あのう、もしかしてあの時はわざわざ京都から出ていらしてたんですか?」
「圭祐がね、結婚したい人がいるんだって話をしていたからどんな娘さんなのか気になっちゃって。主人からは止めておきなさいって言われたんだけれど、気になりだしたら確かめたくなるのが私の悪い癖でね。寺脇さんの奥さんに頼んで会える算段をしてもらったってわけ」
圭祐さんのお婆ちゃんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。何てこと! 奈美子さんも一枚噛んでいたなんて。
「結婚式当日に種明かしをして驚かせようって言ったらさすがに当日にビックリはあまりにもあんまりだって言われちゃってね。だからこうやって種明かしをしに軽井沢から出てきたのよ」
「もしかしてお義母さんも御存知だったんですか?」
「いいえ。昨日の晩に電話で聞いて初めて知ったのよ、もうビックリ。だけど怪しいとは思っていたのよ、好奇心旺盛なお義母さんが杏奈さんが京都に来た時に会おうとしないで軽井沢に行ってしまうんだもの」
私と圭祐さんのお母さんが話している間に、うちの母親とお婆ちゃまが仲良く喋りはじめた。もう打ち解けちゃってる……。この分だと立原家の親族一同と佐伯家の親族一同が親しくなるのも時間の問題じゃないかと思えてきた。まあ仲良くなるのは良いことだけど。
「さあ、お参りをしましょうか。ここでお喋りを続けていたら神様が痺れを切らしちゃうわ」
お婆ちゃまがそう言ったので四人で航海安全の祈願をしに本殿へと向かった。これだけの人数でお参りしたんだからきっと今回の圭祐さんの航海は何事も無く終えられる筈。
女三人寄れば姦しいなんてコトワザがあるけどそれが一人増えて四人ともなればそれはそれは賑やかになるわけで、そんな話を私から聞いた父親は、だったら旦那同士も同盟を結ばないと太刀打ちできないねえと笑っていた。その時はアハハと笑って聞き流していたけど割と父親は本気だったらしくって、いつの間にやら佐伯家の旦那さん達と携帯電話の番号を交換していた。しかも圭祐さんまでその旦那同士同盟に引き摺り込んじゃっていたんだから本当に油断も隙も無いったら……。
なんて言うかもう少し母親同士で張り合うとかギスギスした雰囲気が漂うとかしないものなの?と思ったりしたけど、お互いに無いものを相手が持っているという凸と凹な感じだったらしく、父親曰く、初対面の時はまるで数十年ぶりに再会した生き別れの姉妹みたいだったらしい。もちろん二人には生き別れの姉妹なんていなくて血の繋がりは無い、念のため。
「母さん、杏奈さんのお母さんと気が合ってノリノリなのは分かるけど、だからって杏奈さんを引き摺り回すのだけはよしてくれよ。ただでさえ休日出勤が多くて杏奈さんも大変なんだから」
佐伯さんが乗る護衛艦が外洋訓練で出港する日、お母さんもこちらに出てみえていたので母親二人と私とで見送りに行くと佐伯さんが怖い顔をして自分のお母さんに念入りに釘を刺した。そして私の母親の方にもちょっとだけ怖い顔をして視線を向ける。
「こちらのお母さんもですからね。次に僕が戻ってきた時に杏奈さんが痩せ細っていたら承知しませんから」
息子と義理の息子に怖い顔をして釘を刺されても二人のお母さんは何処吹く風。ハイハイ、分かったわと異口同音のことを言いながらもその表情からすると全く意に介していない。二人の様子を見ていた佐伯さんもそれは感じたようで苦笑いしながら軽く溜息をついた。
「杏奈さん、二人の手綱を握るのは難しいとは思うけど頼むね。特にうちの母親の言い分で行きたくないやりたくない場合はハッキリと拒否してくれて良いから」
「あら、酷いわね、圭祐。お母さん傷ついちゃったわ」
「何処が傷ついてるんだか。母さんのメンタルはチタン製だと父さんがいつも言っているのを知らないとでも?」
佐伯さんの言葉にお母さんは何だか嫌そうな顔をする。
「滅多に帰ってこないくせに情報共有だけはちゃんとしているのね、貴方達。まったくそんなところだけはお兄ちゃんも含めて変に連帯感が強いんだから。杏奈さんも気をつけてね。海の男同志の繋がりってこういう時に厄介だから」
「あー……なんとなく分かります、はい」
ほら、マツラー君のところに押し寄せてきたお兄さん達とか、マツラー君のお腹にペタリとお祝いのメモ書きを貼りつけたお兄さんとか?
「え、ちょっとそれってどういう?」
「それは内緒です。ネタばらししたら対応策を考えられてつまらないし」
「つまらないって……」
戸惑った顔で私のことを見下ろした佐伯さんに私は知らん振りを決め込むことに。
「そうそう、その意気よ、杏奈さん」
「母さんまで。とにかく、三人で準備をするのは良いけれど無茶はしないように」
「はいはい、分かってますよ。だから貴方はこっちのことは気にせずに行ってらっしゃい」
二人のお母さんは仕方ないから二人だけにしてあげましょうかと口々に言いながらその場から離れていく。佐伯さんはやれやれと首を振って二人を見送った。
「お母さん二人で二倍パワーじゃなくて二乗パワーですね」
「まさかこんな強烈な母親タッグになるとはね。俺がいない間、大丈夫?」
「大丈夫ですよ。これからは準備もあるからお休みの日のマツラー君はバイト君が変わってくれることになってますし」
佐伯さんと婚約して結婚式の準備を始めるということで、私とマツラー君のスケジュールは少しだけ変わることになった。今まで近場の土日祝日は代休を取りながら私が担当していたけれど平日のみの担当となり、土日祝日に限ってはバイト君とマツラー二号君が担当することになったのだ。その代わり三号君は遠征専用要員となり、これからは参加するイベントも更に精査することになっている。
「こっちに出てきたからと言って気を遣わず、疲れた時は遠慮なく誘いを断ってくれたら良いんだからね」
「分かってます。多分、あの様子だと私そっちのけで二人して楽しむんじゃないかしら」
「結婚式の準備を手伝うとか言って出てきている筈なんだけどなあ……」
「お母さん同士が仲良くできて良かったじゃない。顔を合わせるたびに張り合うよりずっと良いでしょ?」
「とにかく、杏奈さんの体調が第一だから」
「私の方は大丈夫。どうしてもって時にはマツラー君になって逃げだすから」
佐伯さんは私の手を取ると指輪に触れながらニッコリと笑った。アメリカ海軍の港ではこういう時あちらこちらで夫婦や恋人同士でキスするシーンが見られるんだろうけど、生憎とここは海上自衛隊の港で日本人は非常に慎ましいのよね。だから残念ながら行ってらっしゃいのキスは無し。
「しばらくは会えないけど」
「佐伯さんも健康には十分に気をつけて下さいね」
私の手を握りながら見下ろしていた佐伯さんはちょっとだけ考え込む素振りを見せた。
「……杏奈さん」
「はい?」
「婚約もしたことだし、そろそろ名前で呼んでくれると嬉しいんだけどな」
「名前?」
「うん」
そう言われて初めて自分がまだ“佐伯さん”って呼んでいることに気が付いた。最初からそう呼んでいたからそれが自然でついそう呼んでいたけど、さすがに苗字で呼び続けるのは他人行儀すぎるかな。
「そっか……そうですね。じゃあ、行ってらっしゃい圭祐さん。わっ、け、圭祐さん?!」
ムギュって抱き締められて思わず声が引っ繰り返る。佐伯……じゃなくて圭祐さんはすぐに離してくれたけどその顔はちょっと残念そう。
「残念だな、マツラー君だったら遠慮なく抱き締められるのにね」
「マツラー君越しに抱き締められても私てきにはちょっと複雑かも」
「人目もあるから今は大人しくしておくよ。これ以上杏奈さんといちゃついていたら後であいつらにからかわれて大変だ」
そう言った圭祐さんの視線の先にはこちらをニヤニヤしながら見ている寺脇さんと奈美子さん夫妻と海津さん。私が自分達の方を見たのでニヤニヤしながら二人して手を振ってきた。
「やだ、恥ずかしい。今のも見られてたってことでしょ?」
「ま、一回のハグくらい見逃してくれるだろ。なにせ俺達は婚約したばかりだし。とにかく体には気をつけて。あまりマツラー君で頑張り過ぎないように」
「圭祐さんもね」
「うん。じゃあ行ってきます。帰ってきたら一緒に指輪を見に行く約束、忘れないように」
「分かってます」
たくさんの家族の人達が桟橋で見送る中、圭祐さん達を載せた護衛艦は出港していった。今回の洋上訓練の期間は約三週間。その後には東南アジアでの多国籍軍が参加する合同演習なんてのがあるらしく、それが今の部署での最後の洋上訓練になるのではってことだった。とは言ってもそれもあくまでも予定で実際のところ周辺事情によって色々と変わるみたいだから確定ではないらしい。ただ、圭祐さんの話しぶりを聞いている限りでは何だか今の職場から離れたくないと思っているんじゃないかなって思う。
「それはね、うちの主人も同じだったみたいよ? 多分、上の息子もそうなんじゃないかしら」
そう言ったのは圭祐さんのお母さん。離れ離れになっていることが多くて家族に寂しい思いをさせることに申し訳ないって気持ちはあるものの、船乗りはあくまでも船乗りで陸にいるのは性に合わないと感じているんだとか。
「それが幹部になった者の運命なんだから仕方ないわよね。ずっと海にいたかったんだったらそれなりの入り方があったわけだし」
「偉くなる為にあちこち異動するのは民間企業と同じなんですね」
「杏奈さんだってお役所内で異動があるでしょ?」
「そうなんですけどね、なんだかマツラー君をしている間は異動させてもらえないような気がしてきました」
「あら、それは大変ね」
それにうちの母親みたいに内情を良く知っているからという理由でなかなか同じ部署から異動させてもらえないという人も中にはいる。
「母、今年で何年目だっけ、秘書課」
「今年で五年目。もういい加減に知事の顔も見飽きたわよ」
「……と、そんな風に言っている特殊な事情の人もいるわけでして。私も油断できません」
「ほんと、宮仕えも大変ねえ。ところで今日はこれから皆さんお暇? 私、これからお参りしてこようと思うんですけどご一緒にいかがかしら」
「金比羅宮さんですか?」
「ええ。見送ったのだから航海安全の祈願もしておかないと片手落ちみたいな気がして落ち着かないのよ」
お義母さん曰く、圭祐さんのお父さんが現役の頃はちゃんとお参りに行っていたらしいんだけどここ暫くはお義兄さんの奥さんに任せていて自らお参りするのは御無沙汰しているらしい。うちの母親も気持ちは分かると言って是非ご一緒しますと頷いた。
+++++
「懐かしいわ、ここにお参りに来たのは何十年ぶりかしら」
「そう言えば、お義母さんはずっと京都にいらっしゃったんですか?」
「ええ。頻繁な異動であちこち引っ越しするより一所に落ち着いていた方が子供を育てるのにも良いだろうって。それに主人の御両親も良い人だったから。だから実際に主人の乗っていた護衛艦を見たのも片手で数えるほどしかないのよ。ここに来たのも確か子供達が小学生の時に夏休みを利用して出てきた時だったかしら」
お母さん二人は息子達の安全祈願のことについてあれこれと思い出話を交えて話し合っている。危険な仕事に就いている息子を持つ母親同士としても話が合うみたいで、その話の内容を聞いている内に祥子さんのお母さんも交えての安全談義とか色々なものに発展しそうな予感がしてきた。なるほど、こうやって母親情報網って拡がっていくのね、納得。
三人で参道を歩いて行くとベンチにあの年輩の御婦人が座っているのが見えてきた。その御婦人を見つけた圭祐さんのお母さんがニッコリと笑って“あら、お早かったですわね”と声をかける。え? もしかしてお知り合い?
「あの、お知り合いですか?」
「え? ああ、主人のお母さん。つまりは姑なの」
「え?!」
「杏奈ちゃん、こちらの方を知ってるの?」
母親に尋ねられて以前に会ったことを話した。そして話しながらそう言えば圭祐さんが写真を見て驚いた顔をしていたなと思い出す。そりゃ驚くわよね、私と一緒に先輩な神様よりも怖い存在のお婆ちゃまが写っていたら。
「船乗り三代どころか四代目になる可能性があるんですね?」
そう言えばお爺ちゃんも元海上自衛隊の人だって話だし、圭祐さんの息子君の雄大君が船乗りになりたいなんて言い出したら四代続くことになるわけで。だけどまさか圭祐さんのお婆ちゃんだったとは世の中って狭い……ん? もしかして?
「あのう、もしかしてあの時はわざわざ京都から出ていらしてたんですか?」
「圭祐がね、結婚したい人がいるんだって話をしていたからどんな娘さんなのか気になっちゃって。主人からは止めておきなさいって言われたんだけれど、気になりだしたら確かめたくなるのが私の悪い癖でね。寺脇さんの奥さんに頼んで会える算段をしてもらったってわけ」
圭祐さんのお婆ちゃんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。何てこと! 奈美子さんも一枚噛んでいたなんて。
「結婚式当日に種明かしをして驚かせようって言ったらさすがに当日にビックリはあまりにもあんまりだって言われちゃってね。だからこうやって種明かしをしに軽井沢から出てきたのよ」
「もしかしてお義母さんも御存知だったんですか?」
「いいえ。昨日の晩に電話で聞いて初めて知ったのよ、もうビックリ。だけど怪しいとは思っていたのよ、好奇心旺盛なお義母さんが杏奈さんが京都に来た時に会おうとしないで軽井沢に行ってしまうんだもの」
私と圭祐さんのお母さんが話している間に、うちの母親とお婆ちゃまが仲良く喋りはじめた。もう打ち解けちゃってる……。この分だと立原家の親族一同と佐伯家の親族一同が親しくなるのも時間の問題じゃないかと思えてきた。まあ仲良くなるのは良いことだけど。
「さあ、お参りをしましょうか。ここでお喋りを続けていたら神様が痺れを切らしちゃうわ」
お婆ちゃまがそう言ったので四人で航海安全の祈願をしに本殿へと向かった。これだけの人数でお参りしたんだからきっと今回の圭祐さんの航海は何事も無く終えられる筈。
女三人寄れば姦しいなんてコトワザがあるけどそれが一人増えて四人ともなればそれはそれは賑やかになるわけで、そんな話を私から聞いた父親は、だったら旦那同士も同盟を結ばないと太刀打ちできないねえと笑っていた。その時はアハハと笑って聞き流していたけど割と父親は本気だったらしくって、いつの間にやら佐伯家の旦那さん達と携帯電話の番号を交換していた。しかも圭祐さんまでその旦那同士同盟に引き摺り込んじゃっていたんだから本当に油断も隙も無いったら……。
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