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本編
第三十話 佐伯さんの御両親に御挨拶
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「佐伯さん……あれ……」
「うん、いるね、見たことあるのが……」
八月下旬、新幹線を降りて改札口を出たところで何やら見たことのある茶色い物体がヒョコヒョコと観光客に愛想を振り撒いていた。その子は立ち止まって眺めていた私達の視線を感じたのか、ピタリと動きを止めてこちらを見た……ような気がする。そして嬉しそうに跳ねると早歩きでこちらに寄ってきた。あああ、危ないよ、転がっちゃう! そんなことを考えながら慌てて前に出たところで案の定、マツラー君は何かに蹴躓いたのかこちらに倒れ込んできた。
「わわわっ!!」
凭れ掛かってきたマツラー君を慌てて支えた私を後ろから支える佐伯さん。なんだか笑っているのは気のせい?
「もうマツラー君の行動パターンというのは中の人が違っても同じなのか?」
「……みたいです」
なにやら小さな声でマツラー君の中から“すみませーん”という声が聞こえてきた。どうやらいつものバイト君みたい。立原さんを見かけて嬉しくて駆け寄ってしまいました~だって。なんでも全国の御当地マスコット君が京都に大集合するイベントがあるらしくてそれの宣伝をしているらしい。マツラー君は今日は駅前広場の担当だということだった。そこにはマツラー君以外の子もいる。だけど何となくマツラー君が一番可愛いって思えるのは身贔屓からかな。
「立原さん、驚きましたよ。お盆休みでこっちに来るとは聞いてましたけどまさかここで会えるなんて」
マツラー君と一緒にこちらに来ていた広報課の松沢君がチラシを抱えてこちらにやって来た。松沢君は今年の四月に他の部署から異動で広報課に来た人で実家が確か滋賀県だったかな。実家が近いということで今回の遠征の担当に抜擢されていた。関西で一括りにされてますけど実家は田舎で京都はかなり遠いから滅多に来ることも無かったんですけどねと、本人は苦笑い気味だったのは私達だけの秘密だ。
「杏奈さん、どうせならマツラーと一緒に写真を撮らないか? こういうツーショットはなかなかないだろう?」
言われてみれば私、マツラー君と並んで写真を撮ったことがない。私がマツラー君の中にいるんだから当然と言えば当然なんだけど。だからこうやって並んでマツラー君と写真を撮るなんて物凄く不思議な感じ。更には松沢君が持っていたデジカメで私と佐伯さん、そしてマツラー君三人(?)の写真を撮ってくれた。
「これは帰ったら写真にしておきますね。休み明けに立原さんに渡します」
「ありがとう~」
松沢君にお礼と暑いから脱水症状には気をつけてねと中のバイト君に言うと私達はタクシー乗り場へと向かった。
「ねえ佐伯さん」
「ん?」
「お土産のお菓子、これで良かったかな」
「どうして?」
「だってほら、京都には古い和菓子屋さんがいっぱいあって季節の和菓子とかたくさん出ているでしょ? まあこれはこれで美味しいけど、洋菓子でしかもゼリーってどうかなあって……」
新幹線に乗る前に買ったお土産。何にしたら良いか散々迷って最後まで決められず、佐伯さんも好きだって言っていた洋菓子のお店の夏果物のゼリーを買ったんだけど何だか心配。鼻でフフンとか笑われたらどうしよう? その場で笑われるのはまだマシかな、あとで何か言われたらとか考えたら頭が痛くなってきた。
「大丈夫だよ。そこのゼリーは帰ってくる時にいつも買ってこいって祖母に言われるものだから。少なくとも祖母と親父は喜ぶから」
「そう言えば、お婆様も同居?」
「うん。だけど今は不在にしているよ、夫婦そろって軽井沢の別荘に行ってる筈だ。挨拶に行くからいてくれって言ったんだけどね、どうせ結婚式の日に顔を合わせるから急いで会う必要も無いだろうって」
年寄りなのに自由すぎて困るよねと笑った。タクシーは駅から少し外れた閑静な住宅街の中を走っていた。以前は市内の真ん中あたりに住んでいたそうなんだけど家族が増えて手狭になったので引っ越したのだとか。但し今でも昔と変わらず祇園祭では顔役をしているけどねとのこと。そう言う話を聞くと古いお家なんだなって改めてドキドキしてきた。私、大丈夫かな……ホウキが立て掛けてあったら本当にどうしよう。
「はい、到着」
タクシーが止まったのは大きな門の日本家屋。う、うわあ……。降りてから目の当たりにして怖じ気づきそうっていうか怖じ気づいてます!!
「さ、佐伯さん、こんな大きなお宅だって言わなかったじゃないですか!!」
「大きいのは家だけだよ。我が家はただの公務員家庭だから」
「にしては家が大きすぎます!」
往来で大きな声を出す訳にもいかず声を潜めながらの抗議。政治家ならまだしも、ただの公務員がこんな大きなお宅で住んでいるなんてどう考えてもおかしい、それぐらい立派なお宅だった。
「金持ちなのはうちの祖母なんだよ。元々は大きな商家の一人娘でね、祖父に一目惚れして駆け落ちさながら家を出て結婚したんだ。で、何故か財産だけが祖母の元に転がり込んできたらしい。うちの祖父が財産は祖母のものだから好きにしなさいって放っておいた結果がこれなんだ。あ、その辺のことは俺も良く知らないからどういう経緯なのかなんて聞かないでくれよ?」
一体どういうこと? もしかして佐伯さんのお婆様は投資でもしていたとか?
「とにかく、こんなところで話し込んでいたら何事かと思われるよ。さ、行こう」
そう言いながら佐伯さんは何でもないふうな顔をしながらその大きな門をくぐった。
「ただいまー」
玄関の扉を開けてそう言いなが家に入る佐伯さん。そりゃ彼にとってはただいまなんだろうけど……もう何て言うか私にとっては別世界。
「おかえりー、圭祐さん。待ってたよー!」
そんな場違いな明るい声がして佐伯さんと同い年ぐらいの女の人が奥から小走りにやってきた。その人は私の顔を見てニッコリと笑った。
「いらっしゃい。暑い京都に遠路はるばるようこそ!」
「……あ、はい、はじめまして、お邪魔します……」
「兄貴の奥さん。義姉さん、こちらが立原杏奈さん、俺の婚約者です」
「義姉の初美です。ささ、あがってあがって。お義父さんとお義母さんがソワソワしながら待ってるから」
そう言われて上がらせてもらいながらチラリと周囲を伺う。良かった、ホウキはないみたい。いやいや、油断は禁物だよね、そんな見える所にあからさまに置くわけないもの。
「杏奈さん、ホウキはあからさまな場所に置くのが京都流なんだけど」
いきなり私の心の中を読んだのか佐伯さんがニヤニヤしながら言った。
「え?! 本当なんですか?!」
「うそうそ、さすがに京都でもそんなことする人はさすがにいないよ。ホウキもブブ漬けもテレビで作られた都市伝説だよ」
アハハハと笑いながら佐伯さんは私の前を進んだ。……もう笑えないです。
+++
そこは苔むした中庭が見える畳のお部屋。目の前ではお父さんがニコニコ顔でゼリーを食べている。その横に座っているお母さんはちょっと困った顔をしながら笑ってそれを横目で見ていた。
「ごめんなさいね、本当に。このゼリーを売っているお店の隣に住みたいとまで言い出すぐらい好きなのよ、これが。息子のお嫁さんの前でならもう少し理性が保てると思っていたけど駄目だったみたい」
「……ですけど喜んでいただけて良かったです」
「それにしたって喜びすぎだよ」
佐伯さんが呆れた声で呟いた。鮮度が売りのここのゼリーは今時では珍しくお取り寄せとかしてないのよね。だから食べたければ買いに来るしかないわけで、遠方に住む人にとってはなかなか悩ましいスイーツでもあるのだ。だから気持ちは分からなくもない。
「ゼリーに夢中のお父さんのことはさておき、杏奈さん、こんな息子で良いのかしら? 不在がちでたくさん寂しい思いをさせるのが分かっているから私としてはあまりお薦め出来ないのよ? もちろん母親としては息子と結婚してくれると聞いて喜んではいるの。だけど同じ妻の立場としてはね」
そう言いながらお母さんは横でゼリーをスプーンですくっているお父さんの方をチラリと見た。
「ん? なんだい?」
「私がした苦労を杏奈さんにもさせるのかと思うとちょっと複雑なのよって話よ」
「んー……だけど婆さんも貴女もちゃんと家を守ってきてくれたじゃないか、もちろん現在進行形で初美さんも」
佐伯さんのお父さんは去年まで海上自衛隊の幕僚本部にいた元海上自衛官さん。その時にこのゼリーに出会って虜になったんだとか。そしてお兄さんも同じで今は舞鶴総監部で勤務している海上自衛官と何と親子三人が揃って海上自衛官というまさに海の男ばかり。
ちなみにお爺さんとそのお父さんも海軍士官だったというのだからちょっと半端ない海男の家系だ。そう言えばお参りに行った時に出会った年輩の御婦人も同じようなことを言ってらしたっけ。意外とそういう血筋ってあるのかな。あ、ってことは佐伯さんのところの長男君だって可能性あり? つまりは四代目が続く可能性もあるのか、これ凄いかもしれない。
「だけど寂しい思いもたくさんしたわよ。それに誰もが耐えられるとは思えないし我慢して下さいとも言えないでしょう?」
「杏奈さんはそれでも圭祐の奥さんになってくれるって言ってるんだろう? だったら貴女がとやかく言うこともないと思うよ。それに杏奈さんの御両親が近くに住んでいると言うじゃないか。実の御両親が近くに住んでいれば何かと心強いんじゃないのかな」
「それはそうですけどね」
お父さんの言葉にちょっと溜息をついてからお母さんは私の顔を見る。
「うちの男共は海軍馬鹿の集まりだから。色々と苦労することもあるけれど宜しくお願いするわね。もちろん何かあったら相談にのらせてもらうから遠慮なく言ってきなさいね、それなりに経験を積んできているから助言くらいは出来ると思うのよ」
「つまりは反対は無いということで良いのかな?」
佐伯さんが可笑しそうに笑いながら尋ねた。
「当たり前でしょ。こんないいお嬢さんを逃がしたら圭祐、あなた一生このまま独り身よ。あなたはそれで構わないかもしれないけれど息子が独り身でフラフラしていたら私達、安心して余生が送れないじゃないの」
「つまりは自分達の余生の為に俺を杏奈さんに押し付けると言うわけだ」
「またそんなこと言って!」
お母さんは呆れた声をあげる。
「そういう訳だから、杏奈さん、末永く俺のことを宜しく頼むね」
「あ、はい、任せて下さい。ちゃんと最後まで面倒を見ますから!」
「という訳で今度は返品される心配は無いみたいだから安心してほしい」
+++++
その夜は佐伯さんの御実家で夕飯をご馳走になった。夜になってお兄さんが戻って来てたまたま廊下で鉢合わせした時に、お互い見知らぬ相手に驚いてヒャーとかワーとか飛び上がったハプニングはあったものの、それ以外は何事もなく姪っ子さんや甥っ子さんも含めた賑やかで楽しいお食事会だった。途中で佐伯さんの携帯に電話がかかってきて、もしかして緊急な呼び出し?って思っていたらかけてきたのは軽井沢にいるお婆さん。今日の挨拶はどうだったかを知りたくてかけてみえたみたい。ゼリーでオヤジが早々に陥落したと笑いながら話しているのを聞いて、お兄さんがゼリー!と顔を輝かせていたのがなんとも可笑しかった。土壇場まで何にしようか迷っていたお土産だけど正直こんなに喜ばれるとは思っても見なかったよ。
そして泊まっていきなさいというお母さん達の言葉に佐伯さんは渋々といった顔で頷いていた。本当は駅近くのホテルに宿泊するつもりでいて予約もしてあったんだけど、キャンセル料はこっちで持つからとか何とか言われて嫌々ながら同意した感じ。私はお姉さんとゆっくり話が出来るから大歓迎だったんだけど、佐伯さんの考えは違ってたみたい。
「だってゆっくり杏奈さんと話も出来ないし、せっかく二人で泊りがけで来たのにあんまりだろ?」
「だけどたまには御家族とゆっくりお話をする時間も貴重でしょ? お兄さんだってせっかくお休みをとって戻ってきてくださったみたいだし」
「だから困ってるんじゃないか……絶対に遅くまで離してもらえない……」
客室として使っていた和室でお風呂上がりのお肌のお手入れをしている時、佐伯さんが私の隣でぼやいた。いくら婚約したとは言え実家ではお行儀よくしなさいと別々の部屋にされてしまったことも大いに不満らしい。
「たまには親孝行や家族孝行もしなくちゃ」
「やれやれ……出来るだけ早く切り上げてこっちに逃げてくるよ」
そう言いながら佐伯さんはお父さん達の待つリビングへと戻っていった。
それから深夜遅くに佐伯さんは私が寝ているお布団に潜り込んできたみたいなんだけど、それに気が付いたのは朝になってから。二人がちょっと遅くまで出てこなかったのに誰も声をかけてこなかったのは多分、お父さんとお兄さんのお蔭なのかもしれない。
「うん、いるね、見たことあるのが……」
八月下旬、新幹線を降りて改札口を出たところで何やら見たことのある茶色い物体がヒョコヒョコと観光客に愛想を振り撒いていた。その子は立ち止まって眺めていた私達の視線を感じたのか、ピタリと動きを止めてこちらを見た……ような気がする。そして嬉しそうに跳ねると早歩きでこちらに寄ってきた。あああ、危ないよ、転がっちゃう! そんなことを考えながら慌てて前に出たところで案の定、マツラー君は何かに蹴躓いたのかこちらに倒れ込んできた。
「わわわっ!!」
凭れ掛かってきたマツラー君を慌てて支えた私を後ろから支える佐伯さん。なんだか笑っているのは気のせい?
「もうマツラー君の行動パターンというのは中の人が違っても同じなのか?」
「……みたいです」
なにやら小さな声でマツラー君の中から“すみませーん”という声が聞こえてきた。どうやらいつものバイト君みたい。立原さんを見かけて嬉しくて駆け寄ってしまいました~だって。なんでも全国の御当地マスコット君が京都に大集合するイベントがあるらしくてそれの宣伝をしているらしい。マツラー君は今日は駅前広場の担当だということだった。そこにはマツラー君以外の子もいる。だけど何となくマツラー君が一番可愛いって思えるのは身贔屓からかな。
「立原さん、驚きましたよ。お盆休みでこっちに来るとは聞いてましたけどまさかここで会えるなんて」
マツラー君と一緒にこちらに来ていた広報課の松沢君がチラシを抱えてこちらにやって来た。松沢君は今年の四月に他の部署から異動で広報課に来た人で実家が確か滋賀県だったかな。実家が近いということで今回の遠征の担当に抜擢されていた。関西で一括りにされてますけど実家は田舎で京都はかなり遠いから滅多に来ることも無かったんですけどねと、本人は苦笑い気味だったのは私達だけの秘密だ。
「杏奈さん、どうせならマツラーと一緒に写真を撮らないか? こういうツーショットはなかなかないだろう?」
言われてみれば私、マツラー君と並んで写真を撮ったことがない。私がマツラー君の中にいるんだから当然と言えば当然なんだけど。だからこうやって並んでマツラー君と写真を撮るなんて物凄く不思議な感じ。更には松沢君が持っていたデジカメで私と佐伯さん、そしてマツラー君三人(?)の写真を撮ってくれた。
「これは帰ったら写真にしておきますね。休み明けに立原さんに渡します」
「ありがとう~」
松沢君にお礼と暑いから脱水症状には気をつけてねと中のバイト君に言うと私達はタクシー乗り場へと向かった。
「ねえ佐伯さん」
「ん?」
「お土産のお菓子、これで良かったかな」
「どうして?」
「だってほら、京都には古い和菓子屋さんがいっぱいあって季節の和菓子とかたくさん出ているでしょ? まあこれはこれで美味しいけど、洋菓子でしかもゼリーってどうかなあって……」
新幹線に乗る前に買ったお土産。何にしたら良いか散々迷って最後まで決められず、佐伯さんも好きだって言っていた洋菓子のお店の夏果物のゼリーを買ったんだけど何だか心配。鼻でフフンとか笑われたらどうしよう? その場で笑われるのはまだマシかな、あとで何か言われたらとか考えたら頭が痛くなってきた。
「大丈夫だよ。そこのゼリーは帰ってくる時にいつも買ってこいって祖母に言われるものだから。少なくとも祖母と親父は喜ぶから」
「そう言えば、お婆様も同居?」
「うん。だけど今は不在にしているよ、夫婦そろって軽井沢の別荘に行ってる筈だ。挨拶に行くからいてくれって言ったんだけどね、どうせ結婚式の日に顔を合わせるから急いで会う必要も無いだろうって」
年寄りなのに自由すぎて困るよねと笑った。タクシーは駅から少し外れた閑静な住宅街の中を走っていた。以前は市内の真ん中あたりに住んでいたそうなんだけど家族が増えて手狭になったので引っ越したのだとか。但し今でも昔と変わらず祇園祭では顔役をしているけどねとのこと。そう言う話を聞くと古いお家なんだなって改めてドキドキしてきた。私、大丈夫かな……ホウキが立て掛けてあったら本当にどうしよう。
「はい、到着」
タクシーが止まったのは大きな門の日本家屋。う、うわあ……。降りてから目の当たりにして怖じ気づきそうっていうか怖じ気づいてます!!
「さ、佐伯さん、こんな大きなお宅だって言わなかったじゃないですか!!」
「大きいのは家だけだよ。我が家はただの公務員家庭だから」
「にしては家が大きすぎます!」
往来で大きな声を出す訳にもいかず声を潜めながらの抗議。政治家ならまだしも、ただの公務員がこんな大きなお宅で住んでいるなんてどう考えてもおかしい、それぐらい立派なお宅だった。
「金持ちなのはうちの祖母なんだよ。元々は大きな商家の一人娘でね、祖父に一目惚れして駆け落ちさながら家を出て結婚したんだ。で、何故か財産だけが祖母の元に転がり込んできたらしい。うちの祖父が財産は祖母のものだから好きにしなさいって放っておいた結果がこれなんだ。あ、その辺のことは俺も良く知らないからどういう経緯なのかなんて聞かないでくれよ?」
一体どういうこと? もしかして佐伯さんのお婆様は投資でもしていたとか?
「とにかく、こんなところで話し込んでいたら何事かと思われるよ。さ、行こう」
そう言いながら佐伯さんは何でもないふうな顔をしながらその大きな門をくぐった。
「ただいまー」
玄関の扉を開けてそう言いなが家に入る佐伯さん。そりゃ彼にとってはただいまなんだろうけど……もう何て言うか私にとっては別世界。
「おかえりー、圭祐さん。待ってたよー!」
そんな場違いな明るい声がして佐伯さんと同い年ぐらいの女の人が奥から小走りにやってきた。その人は私の顔を見てニッコリと笑った。
「いらっしゃい。暑い京都に遠路はるばるようこそ!」
「……あ、はい、はじめまして、お邪魔します……」
「兄貴の奥さん。義姉さん、こちらが立原杏奈さん、俺の婚約者です」
「義姉の初美です。ささ、あがってあがって。お義父さんとお義母さんがソワソワしながら待ってるから」
そう言われて上がらせてもらいながらチラリと周囲を伺う。良かった、ホウキはないみたい。いやいや、油断は禁物だよね、そんな見える所にあからさまに置くわけないもの。
「杏奈さん、ホウキはあからさまな場所に置くのが京都流なんだけど」
いきなり私の心の中を読んだのか佐伯さんがニヤニヤしながら言った。
「え?! 本当なんですか?!」
「うそうそ、さすがに京都でもそんなことする人はさすがにいないよ。ホウキもブブ漬けもテレビで作られた都市伝説だよ」
アハハハと笑いながら佐伯さんは私の前を進んだ。……もう笑えないです。
+++
そこは苔むした中庭が見える畳のお部屋。目の前ではお父さんがニコニコ顔でゼリーを食べている。その横に座っているお母さんはちょっと困った顔をしながら笑ってそれを横目で見ていた。
「ごめんなさいね、本当に。このゼリーを売っているお店の隣に住みたいとまで言い出すぐらい好きなのよ、これが。息子のお嫁さんの前でならもう少し理性が保てると思っていたけど駄目だったみたい」
「……ですけど喜んでいただけて良かったです」
「それにしたって喜びすぎだよ」
佐伯さんが呆れた声で呟いた。鮮度が売りのここのゼリーは今時では珍しくお取り寄せとかしてないのよね。だから食べたければ買いに来るしかないわけで、遠方に住む人にとってはなかなか悩ましいスイーツでもあるのだ。だから気持ちは分からなくもない。
「ゼリーに夢中のお父さんのことはさておき、杏奈さん、こんな息子で良いのかしら? 不在がちでたくさん寂しい思いをさせるのが分かっているから私としてはあまりお薦め出来ないのよ? もちろん母親としては息子と結婚してくれると聞いて喜んではいるの。だけど同じ妻の立場としてはね」
そう言いながらお母さんは横でゼリーをスプーンですくっているお父さんの方をチラリと見た。
「ん? なんだい?」
「私がした苦労を杏奈さんにもさせるのかと思うとちょっと複雑なのよって話よ」
「んー……だけど婆さんも貴女もちゃんと家を守ってきてくれたじゃないか、もちろん現在進行形で初美さんも」
佐伯さんのお父さんは去年まで海上自衛隊の幕僚本部にいた元海上自衛官さん。その時にこのゼリーに出会って虜になったんだとか。そしてお兄さんも同じで今は舞鶴総監部で勤務している海上自衛官と何と親子三人が揃って海上自衛官というまさに海の男ばかり。
ちなみにお爺さんとそのお父さんも海軍士官だったというのだからちょっと半端ない海男の家系だ。そう言えばお参りに行った時に出会った年輩の御婦人も同じようなことを言ってらしたっけ。意外とそういう血筋ってあるのかな。あ、ってことは佐伯さんのところの長男君だって可能性あり? つまりは四代目が続く可能性もあるのか、これ凄いかもしれない。
「だけど寂しい思いもたくさんしたわよ。それに誰もが耐えられるとは思えないし我慢して下さいとも言えないでしょう?」
「杏奈さんはそれでも圭祐の奥さんになってくれるって言ってるんだろう? だったら貴女がとやかく言うこともないと思うよ。それに杏奈さんの御両親が近くに住んでいると言うじゃないか。実の御両親が近くに住んでいれば何かと心強いんじゃないのかな」
「それはそうですけどね」
お父さんの言葉にちょっと溜息をついてからお母さんは私の顔を見る。
「うちの男共は海軍馬鹿の集まりだから。色々と苦労することもあるけれど宜しくお願いするわね。もちろん何かあったら相談にのらせてもらうから遠慮なく言ってきなさいね、それなりに経験を積んできているから助言くらいは出来ると思うのよ」
「つまりは反対は無いということで良いのかな?」
佐伯さんが可笑しそうに笑いながら尋ねた。
「当たり前でしょ。こんないいお嬢さんを逃がしたら圭祐、あなた一生このまま独り身よ。あなたはそれで構わないかもしれないけれど息子が独り身でフラフラしていたら私達、安心して余生が送れないじゃないの」
「つまりは自分達の余生の為に俺を杏奈さんに押し付けると言うわけだ」
「またそんなこと言って!」
お母さんは呆れた声をあげる。
「そういう訳だから、杏奈さん、末永く俺のことを宜しく頼むね」
「あ、はい、任せて下さい。ちゃんと最後まで面倒を見ますから!」
「という訳で今度は返品される心配は無いみたいだから安心してほしい」
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その夜は佐伯さんの御実家で夕飯をご馳走になった。夜になってお兄さんが戻って来てたまたま廊下で鉢合わせした時に、お互い見知らぬ相手に驚いてヒャーとかワーとか飛び上がったハプニングはあったものの、それ以外は何事もなく姪っ子さんや甥っ子さんも含めた賑やかで楽しいお食事会だった。途中で佐伯さんの携帯に電話がかかってきて、もしかして緊急な呼び出し?って思っていたらかけてきたのは軽井沢にいるお婆さん。今日の挨拶はどうだったかを知りたくてかけてみえたみたい。ゼリーでオヤジが早々に陥落したと笑いながら話しているのを聞いて、お兄さんがゼリー!と顔を輝かせていたのがなんとも可笑しかった。土壇場まで何にしようか迷っていたお土産だけど正直こんなに喜ばれるとは思っても見なかったよ。
そして泊まっていきなさいというお母さん達の言葉に佐伯さんは渋々といった顔で頷いていた。本当は駅近くのホテルに宿泊するつもりでいて予約もしてあったんだけど、キャンセル料はこっちで持つからとか何とか言われて嫌々ながら同意した感じ。私はお姉さんとゆっくり話が出来るから大歓迎だったんだけど、佐伯さんの考えは違ってたみたい。
「だってゆっくり杏奈さんと話も出来ないし、せっかく二人で泊りがけで来たのにあんまりだろ?」
「だけどたまには御家族とゆっくりお話をする時間も貴重でしょ? お兄さんだってせっかくお休みをとって戻ってきてくださったみたいだし」
「だから困ってるんじゃないか……絶対に遅くまで離してもらえない……」
客室として使っていた和室でお風呂上がりのお肌のお手入れをしている時、佐伯さんが私の隣でぼやいた。いくら婚約したとは言え実家ではお行儀よくしなさいと別々の部屋にされてしまったことも大いに不満らしい。
「たまには親孝行や家族孝行もしなくちゃ」
「やれやれ……出来るだけ早く切り上げてこっちに逃げてくるよ」
そう言いながら佐伯さんはお父さん達の待つリビングへと戻っていった。
それから深夜遅くに佐伯さんは私が寝ているお布団に潜り込んできたみたいなんだけど、それに気が付いたのは朝になってから。二人がちょっと遅くまで出てこなかったのに誰も声をかけてこなかったのは多分、お父さんとお兄さんのお蔭なのかもしれない。
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