俺の彼女は中の人

鏡野ゆう

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本編

第二十三話 マツラー君と男同士の話

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 夏休み前の最後のイベントが終わり、マツラー君を業者さんに引き渡す為に私と東雲さんは役所の公用車であるマツラー君専用のワンボックスカーに乗っていた。市庁舎に戻る前にイベント会場から業者さんへ直行なので私はマツラー君の中に入ったまま車に乗り込む。最近ではそれなりにコツを掴んだので中に入ったままでも車に乗ってシートに座れるまでになっていた。本当に慣れって凄い。ただシートベルトは短い手ではさすがに自力ではめられなくて東雲さんや武藤さんにしてもらっている。着ぐるみでも中に人が入っている以上は安全第一、ちゃんとシートベルトをしなくちゃね。

「なんだか違和感無いよね、そうやってマツラー君がシートに座ってもぞもぞ動いていても」
「どういうことです?」

 バックミラー越しにこっちを見ている東雲さんの愉快そうな笑みが見えた。

「つまりは既に生き物として認知されているってこと」
「着ぐるみじゃなくて?」
「うん。俺の中では既にそいつは着ぐるみじゃなくてマツラーっていう新種の生物だな」
「へえ。それって他の人もそうなんですかね」
「少なくとも小さい子供達はそう思っているだろうね」

 そう言えばマツラー君のカビた手を拭いてくれた子もそんな感じだったっけ。

「ところでマツラー君。せっかくマツラー君と二人っきりだし男同士の話なんてのをしたいんだけど聞いてくれるかな」
「へ?」

 東雲さんの急な言葉に思わず声が引っくり返ってしまう。私じゃなくてマツラー君? そりゃマツラー君はどうやら男の子らしいって話になっていて公式設定の性別不詳をそろそろ男の子にしようかって話にもなっている。だけどそれはあくまでも外側であって中の人はあくまでも私、つまり女の子っていうほど若くないけど少なくとも男の子じゃない私。まさか東雲さんまで私の正体がマツラー君だと思い込んでないわよね?

「しばらくはマツラー君もと会えなくなるから業者に到着するまで俺の話に付き合ってくれると嬉しい。他の人にはちょっと話せないからさ」

 あくまでも東雲さんはマツラー君に話しかけているようなので、仕方なく片手を振ってOKサインを出した。他の人には話せないって中にいる私はどうすれば? 両耳を塞いでおかなくちゃいけないってことかな?

「マツラー君って好きな子いる?」
「……」

 そんな問い掛けに条件反射で体を傾げて考える仕草をしてしまう……慣れって本当に恐ろしい。

 遠征組の二体は色々な地方にお邪魔して各地のマスコットさんと仲良くやっている写真を撮っているし、私の方も関東のイベントで出会ったマスコット君達と記念写真を撮っている。ただ、御当地マスコットの傾向なのか、どちらかと言うと女の子キャラより男の子キャラの方が圧倒的に多いので男の子同士のツーショットが多いような気はする。だから好きな子って質問されても出会いの少ないマツラー君的にはちょっと困るかもしれない。だってね、男の子が好きなんてことになったらそれはそれでちょっと危ない雰囲気でしょ?

「まだ一歳だから気になる子はいないかあ……」

 その言葉に思いっ切り頷く。激しく体を前後に降るマツラー君を見て東雲さんは可笑しそうに笑った。そうそう、マツラー君は大きいけどまだ一歳なんだから好きな子とか気になる子とかまだまだ早い。東雲さんにそう言われて今更ながら納得。

「俺さ、実のところ数年前から気になる子が職場にいたんだよね」

 ほうほうという具合に体を横に揺らす。信号待ちで横に止まった車の運転手さんがこちらをガン見しているのでサービスしなきゃと手を振ってみた。あ、なによ、慌てて視線を逸らすなんて酷い。マツラー君はこんなに可愛いのに。

「三歳年下でね、新しい部署に異動した時に初めて顔を合わせたんだけど俺好みの可愛い子だなって思ったんだ。年も近いし、彼女も俺のこと頼りにしてくれていたし、ちょっと期待していたところもあったんだな」

 ん? 何処かで聞いたことがあるような話。私も東雲さんより三歳年下だし、初めて会ったのは私が入庁して広報課に配属になった初日だった筈。

「その彼女に彼氏ができたらしくてね。しかも今は結婚を前提にして付き合っているんだ。俺、その話を聞いた時もの凄くショックを受けた。だって彼女も自分の仕事に夢中で彼氏が欲しいとか結婚したいとかそんな素振り一度も見せなかったからさ」
「……」
「まあ彼女のそんな態度に安心して何もアクションを起こさなかった俺も俺なんだけどね。それに相手の人もいい人みたいだしさ。で、今更だけどちゃんと告白しなかったことを後悔しているところ」

 東雲さんはちょっとだけ残念そうに溜息混じりの笑みを浮かべた。

「マツラー君はまだ一歳で生まれたばかりだから分からないかもしれないけど、後悔先に立たずって諺、覚えておいた方が良いと思うよ。どんな気持ちでもちゃんと相手に伝えないとね」

 マツラー君は相変わらずノホホンとした表情で東雲さんを見ているけど、中の人はちょっと固まってます。佐伯さんや母親からそれとなく言われるのと本人の口から直接 ―― 東雲さんは私にではなくマツラー君に喋っているつもりなんだけど ―― 聞くのとでは全然違う。こういう時ってどんなリアクションをしたら良いのかな。東雲さんははっきりとは名前を出していないけれど、数年前から気になっていた人って私のことよね、やっぱり。

「彼女に伝えたかった言葉、ちょっと変えなきゃいけないところもあるんだけど、こんな感じで言いたいと思ってるのがあるんだ。マツラー君、今から言って聞かせるからどう思うか意見を聞かせてくれよ」

 え? ちょっとそれ困る、絶対に困る。ほら、マツラー君はまだ一歳だから大人の感情の機微なんて分からないですし!! じゃなくて真面目な話、私が中にいるんですけど!! あ、もしかして私のことじゃなくて別の人だったり?

「杏奈さん、今更ですが俺は貴女のことが好きでした。貴女の横に立つのが自分でないのがちょっと無念だけど貴女と彼の幸せを願っています」

 きっと外から見たらジタバタしていたマツラー君が急に変な恰好で固まって止まったからおかしな状態だったと思う。

「どう思う? ちょっと高校生とか中学生みたい青臭すぎ? 過去形にしたのは既に踏ん切りがついたっていう意思表示なんだけど伝わるかな?」
「……」

 ど、どう思う?って……。東雲さん、マツラー君の中にいるのはバイト君じゃなくて、その“杏奈”さんなんですけど……。

「ふむ、そのリアクションからしてやっぱり本人には伝えない方が良いのかな。彼女と彼の間に波風が立っても困るもんな。だったら黙っておくことにするよ。もちろんマツラー君も俺がいま言ったことはその人には絶対に言わないようにね。 男同士の約束だから」

 本人にはって、その人に言わないようにって! とっくに言っちゃってるじゃない東雲さん!! 内心で修羅場になってる私のことなんてまるで無視の東雲さん、その後は業者さんのところに到着するまで普段通りののんびりした口調でマツラー君にあれやこれやと家族で出掛けたキャンプでの面白話をしてくれていた。中の人は無視なの?!って叫びたくなる私のことなんて全く気にしていない様子で。


+++++


「あの、東雲さん?」
「ん? なに?」

 普段と同じように穏やかな笑顔でこちらを見る東雲さん。あまりにも普通だから逆に問い質しにくくなってしまって結局のところ言い出せなくなってしまった。

「いえ。……マツラー君の手のカビ、綺麗になるでしょうか? ショッピングモールで手を拭いてくれたあの子にまた会ったら絶対に手をチェックされちゃいますよね」

 手が黒いままだったら“マツラー君、お風呂入ってないのー?”ってまた言われちゃうかもしれない。

「大丈夫だと思うよ。地方遠征でかなり汚れた二体も無事に綺麗になったからね。手の先についたカビぐらいぐらい業者さんにとっては何でもないと思う。心配?」
「まあ私の分身みたいなものですから。自分の手があんなふうに汚れていたら困るじゃないですか」
「立原さんにとっても大事な存在なんだね、マツラーは」
「一年近く中の人をしていたら愛着もわきますよ」
「そりゃそうだ。今回はクリーニングだけじゃないんだろ? 足の先の修繕もあるから大掛かりなメンテナンスだね」

 足先が擦り切れていたのは業者さんの方でも気になっていたみたいで、クリーニングする時にこれ以上は毛が抜け落ちないようにって気を遣ってくれていたみたい。今回はちゃんと予算も降りたので剥げてきた足もきちんと修繕が出来るからこれで暫くは一安心。

「ところで立原さん、彼氏さんってもしかして、今は太平洋の真ん中にいるの?」

 市庁舎に戻る途中、東雲さんが尋ねてきた。

「あー、そうかもしれません」
「数週間前にニュースで太平洋で米軍との合同演習に向かう護衛艦の映像が流れていたよね。あれ、もしかしてそういうことも話してくれないとか?」
「何て言うか、まだ詳しい話を聞かせてもらえる段階じゃないみたいで」
「へえ、恋人でも予定とか詳しく話してくれないんだ。よく港で見送ったり出迎えたりしているのはやっぱり家族だからってことなのか」
「そうみたいです」

 多分、寺脇さんの御家族は見送りに行ったんじゃないかな。そんなことを考えるとちょっと寺脇さんの奥さんやお子さんが羨ましいなって思ってしまうけど、こればかりは仕方がない。それに出発の日を教えてもらっていたとしても、その日は休日出勤で仕事をしていたから行けなかったと思うし。まあ知っていて行けないのと知らないで行けないのとでは全然感じ方が違うんだけど。

「それに私も敢えて詳しくは聞かないようにしてるんです。ほら、聞かなければうっかり誰かに喋っちゃいけないことを話す心配も無いでしょ? 訓練や出港の日だけで護衛艦の運用状況が外部に漏れることがあるらしくて、そういうのは非常に拙いそうなので」
「なるほど。色々と俺達の知らない事情があるんだね」

 想像以上に大変なんだねえと呟く。

「そうみたいです。だから佐伯さんから届くメールに添付されてくる晩御飯の写真とかで今どこにいるのか推測するしかなくて」
「晩飯?」
「たまに御当地のフィギュアとかキーホルダーと一緒にそこで食べた食事の写真をメールで送ってくれるんです。それを見て大体どの辺にいるんだろうなって見当をつけてるんですよ」
「ああ、それで最近の立原さんは写メ魔なのか。あれは彼に送る為に撮っているってわけだ」
「お互いに食べ物とか不思議な御当地グッズの写真のやり取りだからあまり恋人同士のメールって感じじゃないですけどね」

 それでも佐伯さんが贈ってくれる御当地の珍しい料理やグッズの写真は、なかなか旅行に行く機会の無い私にとっては凄く楽しみにしているものの一つでもある。

「良いんじゃないかな、そういうのも。変にラブラブしたメールばかりだと逆に長続きしないと……なに? 俺、何かおかしなこと言った?」
「ラブラブって……」
「いやあ、そういうメールを何て説明したら良いのか分からなくてさ。前に姪っ子が口にしていたラブラブってのが浮かんだから使ってみたんだけど変かな」

 私がクスクスと笑っているので東雲さんはちょっと恥ずかしそうに首を傾げた。

「まあラブラブで間違ってはいないでしょうけど。東雲さんの口からそんな単語が飛び出すとは思ってもみなくて」
「姪っ子に会うたびに御教授されておりますので」
「なかなか楽しそうな姪っ子さんですね」
「んー……何て言うか何でもかんでも覚えるから彼女の前で迂闊なことが言えないのが辛いんだけどね」

 賢いのも考えものだよねって肩をすくめてみせる。

 そういう訳でマツラー君は皆より一足早く夏休みに突入してメンテナンスに入り、私の方はと言えば本来の業務である広報誌の編集作業で忙しい毎日を送ることになった。マツラー君に男同士の話をした東雲さんと顔を合わせても気まずい思いであたふたする暇もないぐらい忙しかったのは、お互いにとって不幸中の幸いだったかもしれない。
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