俺の彼女は中の人

鏡野ゆう

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本編

第十八話 杏奈さんのママン

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「杏奈、健ちゃんから聞いたわよ、お付き合いしている人がいるんだって?」

 兄貴が突然やって来た日の二日後の週末の夜、母親から電話がかかってきた。やっぱりと言うか案の定と言うか。兄貴のことだから私の家で鉢合わせしたってことは言わずに男ができたらしいぞ?程度しか話してはいないと思いたい。

「……うん。お母さんにはお正月休みの時に話そうと思ってたんだけどね、ほら、お休みがずれちゃっててそっちは忙しかったでしょ? だからつい話しそびれちゃって」
「どんな人? いや、電話で聞くのはあれよね、明日は休み? 会って直接聞きたいわ。お昼ご飯をご馳走してあげるからこっちに出てきなさいよ」
「えー……久し振りのまともな休みなんだから休ませてよお……」

 ここ暫くまともな休みが取れていなかったから貴重な土日休みの連休なのに。しかも、大きな声では言えないけど平日に佐伯さんが泊まっていったせいで予定していた一週間の体力配分が狂ってしまって色々と辛いんだってば、母よ……。もちろんそんなことは言えないのでマツラー君のせいにして断る口実にしようとしたら電話の向こうで盛大な溜め息をつかれてしまった。

「なに年寄り臭い事いってるのよ、まだ二十代の貴女が今からそんなのでどうするの? そんなところはお父さんそっくりなんだから困った子ね。明後日も休みなんでしょ? 寝てたいなら明後日に一日中でも寝ていたら良いじゃない。とにかくお昼だけでも出てきなさい、来なかったら私から押し掛けるわよ」
「勘弁してぇ……」

 もう母ってば元気過ぎ……。兄貴を見ていて思うんだけどこういう無尽蔵なエネルギーに満ち溢れている人って本当に羨ましい。

「何処が良い? 勝手に決めちゃうからね。んーと、久し振りにイタリアンなんて食べたい気分だから十一時に青猫、うん、それが良いわ。良いわね、青猫に十一時だから。来なかったら本当に押し掛けるからね」
「分かりましたあ……」

 せっかく明日はゆっくり寝ていようと思ってたのに無念だあ……。


+++++


 という訳で次の日の朝、あくびを噛み殺しながら家を出る。実のところあれから佐伯さんと長電話してしまって寝るのが遅くなってしまったんだよね。明日は母親とランチデートなんですよって話したら、とうとうお兄さんから話が行ったのかな?って笑っていた。佐伯さんのことをどう話しておいたら良い?って尋ねれば、本当のことを話せば良いよだって。バツイチのことも子供がいることも隠す必要はないってことらしい。下手に隠し立てすると碌なことが無いからねって言われたので、事実のみを話そうと決めていた。

「杏奈ちゃん、こっちよー」

 待ち合わせの場所に行くとお店の前で母親が手を振っている。本当に元気だよね、母。なんで美津子さんはいつもあんなに元気なんだろうって父親も言っていたけど全く同感。兄貴が無駄に体力があって元気なのは絶対に遺伝に違いない。ほんと、その溢れ出るエネルギーを私にも分けて欲しい。

「なんでそんなに元気かなあ……」
「そんなことないわよ。年相応に体力も落ちているのよ? だけどそんなこと言っていたらますます老けこんじゃうでしょ? 奥さんがいつまでも若々しかったらパパだって誇らしいじゃない?」
「パパね……」

 小さい頃は私も両親のことをパパママと呼んでいたけどいつの間にかそう呼ぶのをやめていた。だけど母親は今も相変わらず父親のことを“パパ”って呼んでいる。ちなみに父親は私の覚えている限り母親のことをいつも“美津子さん”と呼んでいてそこも今と昔では変化なし。

「そうよ。パパの為じゃなければ誰の為だと思ってるわけ?」
「いやいや、愚問でした。全てが父の為なのね」
「当然でしょ。さ、予約してあるんだからさっさと入りましょ。あたしの奢りなんだから好きなもの食べなさいね」
「ここの蕪とベーコンのクリームパスタ、前に食べた時に美味しかったから頼んで良い?」
「何でも良いって言ってるじゃない。その代わり、洗いざらい話してもらうわよ」
「洗いざらいって尋問じゃないんだから……」

 そう言いながら二階のお店に入ると見晴らしの良い窓側の席に案内された。それから暫くはメニューを前にあれこれ言いながらデザートまでを決めて、久し振りの二人っきりの食事だからってことで昼からワインまで頼んでしまった。母親は後からパパが聞いたらきっと拗ねるわよって笑いながら言った。

「さて、それで?」

 手にしたグリッシーニを適当な長さに折って口にしていると早速母親が切り出してきた。お茶飲み話もお互いの近況報告も無しにいきなりぶつけてくるなんて余程気になっているらしい。確かに社会人になってから誰かと付き合ったなんて話は一度も無かったから母親として気になる気持ちは分からないではないけれど、それにしてもちょっとせっかち過ぎるんじゃないの、母?

「それでって、何処から聞きたいの?」
「んー、先ずは出会ったきっかけから包み隠さず吐きなさい」
「もしかして水曜日にやってる刑事ドラマにはまってるでしょ?」
「尋問するの一度やってみたくて」

 母親はニッコリと笑うと聞く体勢に入った。私が佐伯さんと出会った経緯を話すとそこからは母親のターン。とにかく根掘り葉掘り聞かれる聞かれる。女同士だから容赦がなくてそこまで質問する?ってなところまで質問してきた。

「でも意外だったわあ……」

 一通り話を聞いた母親がワインを一口飲みながら呟いた。いつの間にかパスタも食べ終わって目の前にはデザートが置かれている。

「何が?」
「うん? 杏奈ちゃんが職場の人とお付き合いせずに企画パーティで会った人と付き合うなんて」
「正確には仕事先の港で会った人だけど」
「まあそうとも言うけど。あたし、杏奈ちゃんは絶対に職場の人と付き合うんじゃないかって思ってたわ。ほら、同じ課にいる先輩の東雲さん? あの辺りじゃないかって予想してたのよね」

 いきなり思いもしなかった人の名前が出てきてちょっとビックリ。どうしてそこで東雲さんの名前が出てくるのかな?

「なんでそこで東雲さんの名前が出てくるのよ」
「だって杏奈ちゃんの話によく出てきてたし独身さんでイケメンさんだって話だったし? そりゃ杏奈ちゃんにその気が無さげなのがちょっとネックかしらとは思っていたけれど、相手から交際を申し込んで来たら分かんないかなって思ってた」

 そんなに話をしていた自覚はないんだけどな。確かに職場ではかなりモテる人だから、バレンタインとかクリスマスとか女の子達にとって大事なイベントの時期は色々なエピソードに事欠かない人ではあるけれど。そう言えば佐伯さんも東雲さんのことを何気に意識していたっけ……。

「どうしたの?」
「うん? 佐伯さんもね、東雲さんのことを気にしていたから」
「ははーん。じゃあ気が付いていなかったのは杏奈ちゃんだけだったのか」
「え?」
「まあ知らないなら知らないままで通せば良いわよ。今更だし」
「ちょっと、それってどういうこと? もしかして東雲さんが私のこと好きだったってこと?」
「そうかもね。私はその人に会ったことないから何とも言えないけれど佐伯さんが気にするってことはそういうことなのかも。それに過去形なのかしらね、どうなのかしら。まあでも、話を聞いているだけだと真面目そうだし人のものを横から掠め取るようなことはしなさそうだから安心よね」

 待って、ちょっと待って。何で今更そんなこと言い出しちゃうかな。週明けから東雲さんにどういう態度で接すれば良いか困っちゃうじゃない。今聞いたことはなかったことに……出来るのかな私。変に意識して態度がギクシャクしたらどうしよう。あ、そうか、来週はしばらくマツラー君で出動だから顔を合わす機会は少ないから何とかなるかも。

「で、実際のところどうなの? 佐伯さんとはそのままお付き合いを続けていけそうなの?」

 そんな私の心の葛藤なんてお構いなしに母親は質問を続けてくる。人に爆弾を投げつけておいてまったく……。やれやれと溜息をつきながら質問の答えを考えた。

「今のところはお互い会えないなりに上手くいってると思う。だけど、それって佐伯さんがまだここから近い横須賀勤務だからって可能性もあるのよね。これが呉とか舞鶴とか、今より遠方に行っちゃった場合どうなるのかってのは私にも分からないかな。なんかね、二時間以内に戻れない場所に行く時は移動許可がいるんだって。海に出ていることも多いし簡単に休みを取って戻ってくるってことが出来ないみたい」
「ってことは、遠くに行ったら今より更に会えなくなるってことよね」
「そういうこと。下手したらお盆とお正月にしか顔を合わせられないってことにもなるかも」

 私の言葉を聞いてフムフムと考えている。

「杏奈ちゃん、もしその人と結婚するとしたら仕事はどうするつもり? 仕事を辞めて専業になればついて行くことも可能よね、少なくとも子供ができるまでは」
「お母さん、私達まだそこまで考えてないよ。今は長い期間を離れ離れで暮らしていてもちゃんとお付き合いできるかどうか試している最中なんだから」
「やあねえ、お互いの家に泊まったりエッチするまでになってるのに今更お試しとか有り得ないでしょ?」

 そんなことハッキリと口にしないで下さい、母よ。思わず周りを見てしまった。幸いなことに皆さん自分達の食事に夢中で他人の話なんて聞いていない様子。

「そりゃ私だってお年頃の女だから結婚とかそういうのを意識しない訳じゃないけどさ、佐伯さんは自分がバツイチだから一歩踏み出せないって感じかなあ。私に一目惚れしたとか言いながらも将来のことなんて一度も口にしないし。とにかくお試し期間だっていうのが頭にしっかりあるのかな。あ、だけど兄貴とは仲良くしてたし兄貴も佐伯さんのことをどういう訳だか気に入ったみたい」
「それなりにお付き合いするつもりがなければ健人君と親しくなろうとは思わないわよね。まあいい大人が自宅で鉢合わせしちゃったからって取っ組み合いの喧嘩をするわけにもいかないだろうけど」

 ただ、どうしてあの二人があんな短時間で打ち解けてしまったのかは未だに謎ではあるのよね。まあ現役の消防士と自衛官が玄関先で乱闘なんて怖くて洒落にならないから、打ち解けてくれたことに関して理由はどうであれ良かったとは思ってるけど。

「母はどう思う?」
「どうって?」
「だから、万が一、私が佐伯さんと結婚なんてことになったら」
「そりゃ家を離れている時間が長いからそれなりに心配ではあるわよ。もし杏奈ちゃんが彼について行って遠くに行っちゃったらあたし達もなかなか助けてあげられないしね。だけど、先ずは一歩踏み出せない彼を何とかしなくちゃいけないと思うわ。杏奈ちゃんが彼と結婚したいって思ってるなら逃がす手は無いんじゃないかしら、なかなか素敵な人みたいだし」

 首を傾げながらこちちらを見る。

「彼の気持ちは横に置いておいて、杏奈ちゃんはどうなの?」
「私? 今は佐伯さん以外の人とどうのこうのなんて考えられないし、彼がお嫁さんに貰ってくれるっていうなら行っても良いかなあって……」

 そこで母親がチッチッチッと人差し指を振ってきた。

「ダメダメ、そんな消極的な態度じゃ。捕まえておくつもりならもっとがんがん攻めなきゃ」
「攻めなきゃって、押し売りするわけにもいかないでしょ?」
「別に押し売れとは言ってないわよ。出来る女っいうのはね、相手に何としてでも自分のことを手に入れたいって思わせることが出来る技を持っているものなのよ。もちろん男っていうのは変なプライドの高い生き物だから、あっちが女に誘導されたなんて気が付かないようにね」
「……」

 何だか母が無茶なことを言っている気がするのは私だけ?

「自分が選んだんだって満足させておくのがミソね」
「ミソって……無茶苦茶だよ、母」
「あら、杏奈ちゃんはあたしの娘だもの、出来ない訳ないじゃない」
「ちょっと、それってどういう……?」

 私の問いに母親は“さあね”と言って悪戯っぽく笑った。
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