政治家の嫁は秘書様

鏡野ゆう

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新人秘書の嫁取り物語

新人秘書の嫁取り物語 第四話

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「小日向さん、奥様の懐柔作戦に乗せられたら駄目ですよ」
「作戦だなんて酷いです、影山さん。私はただ、髪を切り行きたいから相談しているだけなのに」
「ですから、あと二週間、正確には一週間と六日ですが、我慢してくださいと、重光先生からも言われているでしょう。そんな泣きマネしても、ダメなものはダメです」
「だけど枝毛を放置なんて、女の子としては我慢できません、それにマネじゃなくて、本当に泣きそうなんです」
「……」

 ああもう、と言った感じで、影山さんが手を額に当てた。

 現在、私は病院から抜け出して、髪を切りに行く為の作戦を遂行中。こういうことは、男の人に訴えても切実さが伝わらないと思って、女性の小日向さんに訴えることにしたのだ。頑張ってウルウル目をした哀れな小動物(当社比)っぽい感じで訴えてみたんだけど、どうかな? 影山さんは泣きマネしても駄目とか言ってるけど、かなりいい感じでこっちが押していると思うんだ。

 だいたい本気で危ない事態だったら、私だって出掛けようなんて思わない。だけど今回のこれは、どう考えても仮病っていうか仮怪我でしょ? 百歩譲って怪我だとしても超大袈裟過ぎ。そんな嘘八百屋さん達に協力しているんだから、少しぐらい妥協してもらっても良いんじゃないかって思うのよね。

「……たしかに枝毛は切実ですね」
「小日向さん……」
「杉下さんは、なんとおっしゃっているんですか?」

 影山さんがなにか言おうとしたけど、小日向さんはそれを無視して私に質問してきた。

「影山さんが言ってる通り、我慢してくださいって。私としては、髪だけ切ることができたらそれで満足なんで、以後は余程のことが無い限り、大人しくしているつもりではいるんですけど」
「なるほど」
「小日向さん!」
「影山さんは少し黙っててもらえますか?」
「……!!」

 再び口を挟もうとした影山さんに対して、小日向さんがピシャリと言い放った。うわ、なんだかカッコいい!! ドラマに出てくる戦うヒロインみたい!! 私、小日向さんに惚れちゃうかも!!

「ところで奥様、そのカットサロンの電話番号と担当の名前、教えていただけますか」
「いいですよ」

 ベットの横に置いてあった携帯電話を手に取って、アドレス帳を呼び出してから小日向さんに渡す。小日向さんはそれを見て、自分の携帯電話を取り出してボタンを押し始めた。どうするつもりなんだろう。

「……重光事務所のものですが、重光夫人の担当をされている、小池さんをお願いしたいのですが」

 相手が出るのを待っている間も、影山さんがなにか言いたげな顔をしたけど、小日向さんはすっと彼に背中を向けて会話拒否の姿勢をとった。黙ったままで、これだけ意思表示ができるのって凄い。しかも、それがすっごくさまになっていてカッコいいったら! 拒否された影山さんは困惑した顔のまま私を見る。

「沙織さん……」
「私はどうしても行きたいんです」
「……」

 影山さんはガックリと肩を落とし、壁に頭をゴンゴンとぶつけている。その向こうでは、小日向さんが小池さんと話をしているようだ。お店の間取りとか出入口のこととか、それと着つけはしているかとか。ん? 着つけと今回のことと、なにが関係あるんだろう。

「ではその予定でお願いします。こちらを出発する時に、あらためて連絡をさせていただきますので、対応をよろしくお願いします。では」

 電話を切ると再び私の方を見た。

「ここの病室を担当されている看護師さんとも話がしたいのですが、そちらはわかりますか?」
「えっとたしか~、御手洗みたらい師長さんという女性の方です」
「今日は来てますか?」
「はい。朝、ご挨拶にみえました。いろいろと心得ていらっしゃる、ベテランさんだと思います。ここに来ていただきましょうか?」
「お願いします」

 私が、ナースコールではなく内線で詰め所に連絡している間に、小日向さんはさらに何処かに連絡を入れている。どうやら相手は杉下さんか竹野内さんみたい。あの二大巨頭の壁を打ち破ることができるのかな。

「それは承知しています。ですが、私の仕事は重光議員の事情を斟酌しんしゃくすることではなく、奥様の安全を守ることです。その立場から最善の策を提案しているだけです」

 何故かこちらにチラリと視線を向けた。

「奥様が勝手に抜け出して政治生命云々な問題にするか、奥様を監禁して離婚云々な問題にするか、私の提案を呑んで奥様の希望をかなえるか、この三択だと思われますが。……わかりました、それでは今お話した通りのプランで、奥様をカットサロンにお連れします。では」

 も、もしかしてOKが出た? 電話を切った小日向さんは、さっきと変わらない表情をしている。

「カットサロンに行くことに関しては、杉下さんから了解を取ることができました」
「凄いです! あの杉下さんから許可をもぎ取っちゃうなんて」

 お願いしたのは私だけど、まさか本当にOKを貰っちゃうなんて、小日向さんって何者?!

「警護対象を、目立たせることなく素早く目的地に移動させるのは基本です。それを応用したプランを提案したまでです」
「そうなんですか、でも凄い」
「それに……」

 少しだけ首をかしげてから、口元に笑みらしきものを浮かべた。

「首相夫人の時も、似たようなことが何度かありましたから」
「まじですか」
「まじです。もちろん浮気とかそういうたぐいのものではありませんよ」

 それは分かってる。水元先生と奥様は、見ていてうらやましくなるぐらいのオシドリ夫婦だもの。そんな奥様は大のお出かけ好き。だけどお出掛けすると、必ずマスコミが、首相夫人が何処そこの展示会に行ったとか、何とかっていう映画を鑑賞したとか騒ぐものだから、最近ではなかなか気軽に出かけられないのよねって、よく溜め息をついていたっけ。あ、もしかして最近お出かけができないのは、小日向さんが怪我で休職していたからなのかもしれない。奥様も、小日向さんの復帰を心待ちにしていたってことはなかったのかな。だったらこちらの事情とは言え、申し訳ないことをお願いしてしまったかも。

 そんなことを考えているとドアがノックされ、担当の御手洗師長さんが入ってきた。

「お待たせしました、奥様。私に御用だとか?」
「お忙しい時に申し訳ありません。私というか、こちらの者が」

 そう言って小日向さんを手で示す。

「重光夫人の身辺警護を担当している小日向と申します。実は少し、お願いしたいことが何点かあるのですが」

 そう言って、小日向さんは御手洗さんに事情を説明し始めた。最初は目を丸くしていた御手洗さんも、途中からとても楽しそうな顔をして話に聞き入っている。なんて言うか、イタズラに加担する時のワクワク感みたいなそんな感じなのかな。ただ、それとは正反対に、影山さんはベッドの足元にあるソファに座ってかなりドンヨリ状態。

「影山さーん、大丈夫ですかー?」
「……誰のせいですか」

 こちらを見る目が、いつもより一割増しのドンヨリさんだ。

「あ、もしかして私のせいですか? でも、杉下さんからはOK出たんですよ?」
「奥様がそんなワガママだったと知ってショックですよ」
「私、いつもこんな感じですし、ワガママなのは、絶対に幸太郎先生の方だと思うんですけど」
「……」

 あ、さらにドンヨリ度が増したかも。でも否定できないよね?

「申し訳ない申し訳ないと言い続けるヒマがあるなら、奥様の希望をかなえるために、少しは協力したらどうなんですか、影山さん」

 あ……影山さん、とどめ刺されちゃった感じになっちゃった。

「では小日向さん、私は包帯を取りに行ってきますね」
「奥様のお出掛けの準備もありますから、一時間後ぐらいで問題ないと思います」
「わかりました。では後ほど」

 小日向さんのプランというのは、まずは見つからないようにするのが最優先事項。だから、病院からカットサロンに行くのにも、最新の注意を払わなくてはならない。そしてカットしてもらうのも、普段のように店舗でしてもらうのではなく、奥にある別室に案内してもらうこと。それで、お店に電話した時に着つけをしているかって話をしていたのね。そして当然のことながら、お店に入るのも裏口から。どうやらスタッフ専用の出入口があるらしいので、今回はそこを使わせてもらうことになったらしい。

「自分にできる協力なんてないでしょう」
「今の車は報道関係者に車両ナンバーが割れているのでは?」
「……つまりは私用の車を出せと?」
「分かっているなら、さっさと行ってください」

 影山さんが溜め息をついて立ち上がった。

「……戻って来るのに一時間半ほどかかりますが」
「行けるなら何時でも」
「そういうことなので安全運転でお願いします」
「わかりました。では行ってきます」

 なんだか影山さんの後姿に哀愁が漂っている……。

「ちょっと気の毒だったかな、影山さん……」
「そんなことないと思いますよ。本音では、奥様の希望をかなえて差し上げたい思っていたはずです。しかし影山さんは秘書で、奥様ではなく重光先生に雇われている身ですから、簡単にうなづくわけにはいかなかったんでしょう」
「でも、先生に雇われているのは小日向さんも同じでしょ?」
「私の仕事は奥様の身辺の警護ですから、たとえ雇い主が重光先生でも奥様の希望が最優先です。……なんですか?」
「カッコいいです、小日向さん!」

 きっと私、うっとりとした顔で見上げていたんだと思う。そんな私に見詰められたせいで、小日向さんは物凄く困惑した顔をしていた。

「こういうのはカッコいいんですか……」
「ですです」
「そうなんですか。それはお褒めの言葉として受け取っておきます。それで、奥様にしていただかなくてはいけないことが、一点だけあるのですが……」

 そうそう、話の途中だった。見つからないようにするのが大前提ではあるんだけど、万が一ってこともある。婚約した時の騒動を考えれば、なにか起きても不思議じゃないものね。絶対に見つからないなんて、有り得ないって考えておいたほうが良いに決まってる。そこで、私はちゃんと怪我をしたことにしておくんだって。だからプロの御手洗さんに、その偽装をお願いすることにしたらしい。

「包帯を巻かれてしまう前に、出掛ける準備はしておいたほうが良いですよ。メイクも着替えも、グルグル巻きにされた片手があると大変ですから。ところで奥様」
「なんでしょう」
「私の前で泣きマネをしなくても大丈夫ですからね」

 やっぱりバレてたか。

 そういうわけで、御手洗さんが戻ってくるまでにメイクと着替え、そして影山さんが戻ってくるまでに手の包帯の準備をすることになった。


+++++


「まったく、さーちゃん」

 病室に入ってきたと同時に、幸太郎先生が苦笑いして溜め息をついた。

「なによ。だいたいね、枝毛を見つけちゃった幸太郎先生が悪い。それを私に言わなければ、私だってこんなこと言い出さなかったんだもの」
「俺のせいかよ」
「そう、先生のせい」

 なんだかなあと呟きながら、ベッドの上で御礼状の封緘ふうかんをしている私の横に座った。そして短くなった髪を、ちょっと残念そうな顔をして見ている。

「切っちゃったのか。俺、長いほうが好きだったのに」
「だって枝毛、本当に凄かったんだよ。一度このぐらいまで切ったほうが良いって話になってね。怒ってる?」
「切ったこと?」
「ううん。病院を抜け出したこと」
「いや。俺もかなり無茶してるからさーちゃんのこと言えないし。それに、ちゃんと小日向さんがプラン立てしてくれて出掛けたんだから、問題ないよ」

 ただいまのキスを一つしてくれると、先生はシャワーと着替えをするために立ち上がった。

「杉下さんは? 怒ってた?」
「いや。とんでもない人を引っ張ってきましたねって、俺が嫌味を言われたぐらいかな。あの様子だと多分、小日向さんのことを感心していたんだと思うよ。ただし、今回が最後だぞ?」
「わかってる。退院までの残りは、大人しくここでお礼状を書いて読書三昧するから」
「杉下が、さーちゃんが読んでいる本の新刊が出ていたのを買ったから、明日届けるから楽しみにしておいてくれってさ」

 それを聞いて一安心。だけどきっと私にも嫌味攻撃があるよね。覚悟しておかなくちゃね。
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