拝啓 愛しの部長様

鏡野ゆう

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第二部 二人のクリスマスと年越しの巻

第十四話 ゆく年くる年 2

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「うっわー、絶景ぇ~!!」

 貸切り状態の大きな露天風呂からは熱海の町並みと海が一望できた。お湯が熱いぐらいなので外で長時間景色を眺めていても全然寒くない。

「いいよねえ……こんな露天風呂が家の近くにもあれば毎日でも通っちゃうのにぃ」

 お風呂の縁に頭を乗せて空を見上げながらまったり。まだ明るいけど夜になったら星が見えて綺麗かも。時間があれば夜にまた来よう。時間があれば、だけど。

 しばらく目を閉じてポヤーンとしていたら誰かが入ってきた気配がしてお湯を使う音がした。あ、そう言えばもう一組のお客さんがいるんだっけ。その人が入ってきたのかな?

「溺れるぞ」

 その低い声を聞いた途端に本当に溺れそうになった。部長?!

「あれ? ここ混浴じゃないですよね?!」
「そこでもう一組のお客さんと会ってな。話しているうちに、二組しかいないんだからそれぞれ貸し切りでって話になったわけだ。伯父貴に許可は貰っておいたから心配するな」

 何故かニンマリと笑みを浮かべる部長。

「何です?」
「そのもう一組の客ってのがだな、有名な俳優夫婦でだな」
「まさか!!」
「そのまさか。水嶋彼方と松下日和だった」

 もう鼻血ものですね。っていうか部長だけズルイッ! 私も日和さんとお会いしたかったのにっ!

「私、日和さんと一緒に温泉入りたかったですよ……」
「なんだ、俺とじゃ不満だっていうのか?」
「そうじゃないですけど、部長とはこれからも一緒に入る機会はあるじゃないですか。でも日和さんと一緒に温泉に入るなんて機会はそうそう無いですよ?」
「まあ確かに松下日和と一緒に温泉に入りたいかって聞かれたら、俺だって是非にって思うだろうなあ……」

 でしょ?と言いながら何か引っかかりを感じてしまった。

「綺麗ですもんね、日和さん。スタイルもいいし、雑誌とかで読む限りではお肌もすべすべらしいですよ。それに比べて私ときたら……」

 ふぅと溜息をついて口元までお湯に浸かった。周囲は食べても太らないのは羨ましいって言うけれど、自分としてはもうちょっと肉づきが良い身体になれないものか思う時がある。特に部長とお付き合いを始めてから私って貧弱な身体つきかも?などと真剣に考えこんじゃうんだよね。

「お前だって綺麗だよ」
「いいですよ、気を遣ってもらわなくても。自分のことぐらい分かってますから」

 ちょっと拗ねた口調になってしまうのは仕方がない。プクプクとお湯の中で泡を出しながらぶーたれていた私を部長は抱き寄せて向かい合わせになるように膝の上に乗せた。

「別に気を遣ってなんかいないぞ? お前は綺麗だ。それにここも俺の手にピッタリだし」

 両手が胸を包み込む。ん?と首を傾げてニヤッと笑ったのは何故?

「胸、少し大きくなったか?」
「え?! やっ……揉まないで下さい、こんなところで!」
「いつも風呂でやってることだろ、今更なんで恥ずかしがるんだ」
「だって外ですよ、しかもまだ明るいじゃないですかっ!」

 いくら二人だけだからって恥ずかしすぎます!と膝の上から慌てて降りて隣に移動した。部長ってこういうところがフリーダム過ぎる。え? ルー大柴みたいな表現はやめろ? だって他になんて表現したら良いのか分からないんだもの。とにかく部長はエッチに関してはフリーダム過ぎて困ることがあるのは本当のこと。その半分くらいを商品開発の時に発揮してくれれば随分と助かるんだけどなあ。

 お湯の中で子供みたいな攻防戦を繰り広げていると、何かガサガサ音が横の方でするので何気なく目がそちらに向いた。

「ん?」
「……」

 鼻がヒクヒクしている茶色い毛むくじゃらの生き物が目と鼻の先にいる。いわゆる耳が長くて足の速い、多分ニンジンが好きな生き物さん。

「うきゃぁぁぁあ!!!」

 目の前に現れた耳の長い茶色い毛玉と目が合って思わず叫び声をあげて、恥ずかしいとか言ってたことなんてすっかり忘れ、横にいた部長に抱きついてしまった。あちらも私の叫び声に驚いたのか文字通り脱兎の如く走り去る。

「ななななな、なんですか、あれっっ!」
「野兎だろ。この辺は山の手だから珍しくないぞ。たまに狸も見かける。お前、驚き過ぎだ」

 愉快そうにクスクス笑っている部長の肩や腕を叩く。

「だってだって!! お風呂に入っていて兎と目が合うなんて普通ないですよ? 驚かない方がおかしくないですか?!」
「そうか?」
「そうですよ!」
「しかし、今のお前の叫び声といったら……プッ」

 クスクス笑いがゲラゲラ笑いに変わった。

「だって驚いたんですもん!」
「旅館中にきこえたんじゃないのか、今の」

 嘘っ! そんな大きな声だった?

「俺達、露天風呂で何してるんだって思われているだろうなあ……」
「もうやだぁ!!」

 恥ずかしいのとゲラゲラ笑っている隣のフリーダム男に腹が立つのとで居ても立ってもいられなくなって置き去りにして先に出ることにした。立ち上がった時にお尻を撫でられたので顔に目一杯お湯かけてあげました。何か文句言ってたけど知ーらない。

 浴衣と半纏を着て脱衣所から出て部屋に戻ろうと玄関口に通りかかると、女将さんがちょうど掃き掃除を終えて中に入ってくるところだった。

「なにか叫び声が聴こえたけど大丈夫だった? 転びでもしたのかしらって心配していたんだけれど」
「あ、兎が目の前にいて思わず……すみません」

 やっぱり聴こえていたのか、恥ずかしい……。

「あら、運が良かったわね。周囲が自然に囲まれているから動物は多いのだけれど、露天風呂まで近づいてくるなん珍しいのよ」
「そうなんですか。お騒がせしました、なにせ予想外の出会いだったもので」
「最初は正樹君が何かしたのかしらって思ったんだけれど、それだったらあんな悲鳴はあげないわよね」

 ウフフと笑う女将さん。いや、それはそれで恥ずかしいのでそんなこと想像しないで下さい。

「でも正樹さんがあんなに楽しそうに笑っているの、久し振りに聞いたわ。最近はずっと難しそうな顔をしていたから心配していたの」
「会社ではいつも難しそうな顔してますよ? ここにシワ寄せて」

 自分の眉間に指を差した。

「ああ、それは遺伝かしら。うちの旦那も面白くないことがあると同じようにここにシワが寄るのよ。あ、そうだ。今日は夕飯に年越し蕎麦も一緒に出すけれど、愛海さんはいつもどうしてるの?」
「私は実家の長野に帰省していることが多くて、こっちみたいな天ぷら乗せたりするのじゃなくて、ざる蕎麦みたいな感じで食べてました」
「うちは温かいのでカマボコと天カスにネギだけど、それで良いかしら?」
「お蕎麦なら何でも大歓迎です」

 部長がお風呂から出てきたので、女将さんとのお話を切り上げて一緒に部屋に戻った。

 部屋に戻ると何と和室にコタツが出ていてたので服を吊るしてから嬉々としてコタツにはいった。もちろん籠に盛られたミカンも完備。やっぱりコタツにミカンは欠かせないよね。

「そう言えば部長のお部屋にはコタツなかったですよね」

 さっそくミカンに皮をむきながら部長のお宅を思い浮かべる。

「エアコンとガスファンヒーターがあるからな。これと言って必要性を感じない。お前のうちにもコタツなんてなかったよな?」
「リビングのある小さなテーブルがあったじゃないですか。あれ、実は冬になるとコタツになるんですよ。今年はまだ布団を出してないんですけどね」

 部長も服を置いてから和室に戻ってきてコタツに足を突っ込むとゴロンと横になった。

「こんなのに入って横になったら出るのが嫌になりそうだ」
「だから私、いつもテーブルの上に携帯とPC、テレビのリモコンを置いて、横にポットとか用意してからコタツに入ります」
「物ぐさの極みだな」
「だって出たくなくなるんですもん、トイレ以外は。あ、テレビを見るならリモコンありますよ」

 コタツに入る前にいつもの癖でテレビのリモコンを持ってきていたのだ。

「はい、座布団。枕の代わりにどうぞ」
「手慣れているなあ……」
「そりゃ、コタツ生活が長いですから。実家でも自分の部屋に小さいのありましたし」

 そのまま部長はテレビをつけて年末のバラエティ番組にチャンネルをあわせた。お決まりのお笑い芸人さん達が何やら賑やかに喋っている。私の方はと言うとミカンを食べ終えて皮をゴミ箱に入れてから枕にしようと座布団をもう一枚引き寄せて座っていたものに重ねた。

「離れた場所でゴロゴロしてないでこっちにこい」

 部長はチラリとこちらに視線を向けると、少しだけ横にずれて自分の前に場所を開けてくれた。

「はーい」

 開けてもらった場所からコタツに足を突っ込むと、部長の胸に背中をひっつけるような感じで横になる。なんだかマッタリ感が半端ない。

 しばらくの間はクスクスと笑いながらテレビを観ていたのだけれど、お風呂に入ってほかほかしているのと、部長に凭れかかりながらコタツに入って寝っ転がっているのが心地良いのとでお笑い芸人のバカ笑いが響いている中そのまま眠ってしまったのだった。
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