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本編
第五話 デートじゃなくてお礼です
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「あ、森永二尉?」
久し振りの休みで外出許可をもらって営外に出ていた時、前を歩いている森永二尉を発見した。普段目にしている制服姿ではなくて、それがものすごく新鮮だ。とっても若く見える。ん? 新任幹部だから十分に若いのか、こりゃ失礼しました。
「こんなところで奇遇ですね、二尉」
「……音無か。何をしてるんだ?」
二尉はいきなり呼び止められて驚いた顔をしている。
「何をって外出許可をもらっているんでアレですよ」
「アレとは?」
「アレですよアレ。色々ですよ、普段は食べられないような、アレとかアレを食べ歩くんです」
「アレばかりで何のことかさっぱりだ」
困惑した表情でこっちを見下ろしている。
「つまりですね、甘いものをたくさん食べるんです。これは二尉のせいでもありますね。この前いただいた袖の下が呼び水になって、猛烈に食べたくなってしまったんです」
「……俺のせいなのか?」
「そうです。ところで二尉は甘い物お好きですか? ああ、愚問ですね、あんなチョコを持ち歩いているんですから嫌いなわけがない」
我ながら名推理と自画自賛しながら、困惑したままの森永二尉をどや顔で見上げてみた。
「まあ嫌いではないが……」
「もしかして営外にお住みの彼女さんからの差し入れとか? あ、失礼いたしました。その彼女さんと待ち合わせなのですね、お時間をとって申し訳ありません」
「勝手に話を作るな。彼女の差し入れでもないし待ち合わせもしていない……っていうか、今は誰とも付き合ってすらいない」
最後の方は非常に言いにくそうだった。
「そうなんですか。だったら時間をとらせたお詫びに、アレを食べに行きませんか?」
「だからアレとはなんなんだ」
「ですから甘いものですよ。二尉はここにきて、まだそれほどでもないから御存知ないかもしれませんが、近くにおいしいケーキを出す小さなカフェがあるんですよ。……彼女さんではなかったら、お友達のかたと待ち合わせとか?」
「だから勝手に話を作るな。今日はたまたま休みだから、近辺がどんな感じかと見て回っているんだ」
「何のために?」
「いや、なんとなく」
まさかこんな場所で顔見知りに尋問されるとは思っていなかったらしく、ものすごく困った顔をしている。普段はどちらかと言えばポーカーフェイス的な感じで、食ってかかる大森さんをいなしていることが多いのに、なんだか可愛いではありませんか。
あ、別に二尉が大森さんをいなしているのをわざわざ見物しているわけではなく、調理室から訓練している小隊の様子がよく見えるってだけだから。別に私がこそこそ二尉をつけ回している訳ではない、念のため。
「じゃあせっかくばったり出くわしたんですから、一緒に甘い物を食べに行きませんか?」
そう言ってから、ん? と考え込んだ。
「これは別に、デートのお誘いじゃありませんからね? チョコのお礼です」
「あのチョコレートこそ、二度手間の詫びのつもりだったんだかな」
「まあ細かいことは良いじゃないですか。ケーキ、食べたくないんですか?」
「……食べたいかもしれん」
「なら行きますよ」
いつものカフェへと続く道を歩き始める。そして二尉がついてきていないことに気がついて立ち止まると、振り返った。二尉はさっきの場所に立ち尽くしたままだ。
「何してるんですかー、行きますよ、ほら、前進前進!! 足を動かして!!」
その場で足踏みをして早く来るように促した。そんな私を見た二尉は、やれやれと首を振りながらこっちに歩いてきた。
+++
私が外出許可が出るたびに訪れているのは、個人経営の小さなカフェ。おいしいお茶とケーキ、それだけではなく簡単なランチメニューもあって、御近所さんではかなり評判の良いお店だ。
「あら、今日はお一人様じゃないのね。たまの休みぐらい孤独に浸りたいとか言っていたのに」
お店に入ったとたん、ママさんに声をかけられた。普段がむさ苦しい男だらけの場所にいるから、たまにはこういう小洒落たお店で一人になりたいって思うことがあるのは事実だ。だけど別に、一人でないと死んじゃうぐらい孤独が好きなわけでもない。
「こちら、いまの職場に新しくみえた上司さんなんですよ。まあ簡単に言えば、御親睦みたいなものですね」
「ゴマすりではなくて?」
「部署が全然違うので、ゴマをすろうにもいやはやな感じで」
テーブルに着くと、ケーキの写真が貼られているメニューを二尉の前にひろげた。
「どれもおいしいですけど、季節限定のグレープフルーツタルトがお勧めです」
「ゴマすりだって?」
なにを企んでいるんだ?って顔をされてしまった。
「そんなことするわけないじゃないですか。私は糧食班で森永二尉は偵察隊なんですから、ゴマをすっても無意味でしょ? そうですねえ……あえて言うなら、私の方がゴマをすられる立場じゃないですかね? ほら、皆さんの胃袋の存亡の危機は、私の腕にかかっているわけですし?」
「それは暗におごれと言っているとか?」
「まさか! 階級的年齢的には森永二尉の方が上かもしれませんが、隊生活期間的には私と二尉は大差ないでしょ? ですから自分の食べた物は自分で払う割り勘です」
ママさんにケーキが決まりましたと手をあげる。
「私はグレープフルーツのタルトと紅茶のストレート。二尉はどうされます?」
「じゃあ俺は、モモのショートケーキとコーヒーで……ってなんだ?」
私の顔を不審げに見つめてくる。
「いえ、なんでもないです。じゃあそれでお願いします」
自分で誘っておいてなんだけど似合わない!! 二尉が「モモのショートケーキ」と口にするのなんて、超絶不釣り合い!! ダメだ、このギャップは色々とヤバい。
「分かりました。こちらも自衛隊の人ってことで良いのよね? これからもご贔屓に。うちは男の子でも大歓迎だから」
ママさんは私の心の葛藤に気がついたのか、笑いながらバックヤードへと戻っていった。
「男の子……」
「ママさんからしたら、お客さんは皆“女の子”と“男の子”なんですよ」
ケーキとお茶がテーブルに並ぶと、それを食べながら少しだけ森永二尉のことを聞き出すことに成功した。お父さんも陸上自衛官で、最終的には陸幕にまでいった人だったこと。そしてその背中を見て育ったせいか、自分もその道を進もうと考えて防衛大学校に進み、OCSを経て今に至っていること。
「じゃあ将来的には、お父さんと同じで陸幕コースを狙っているんですか?」
「まさか。それにうちの父親も好きで陸幕にいったわけじゃないんだ。なんだかんだとしがらみに縛られて、仕方なくといった感じだったからな」
「へえ。幹部の皆さんって、あそこには行きたくて仕方がないんだと思ってました。まさか嫌々で行く人がいるなんて、思いもしなかったです」
「俺もいまだかつてそんな人間を見たことが無いな。父親以外は」
幹部っていうのは気苦労がある反面、ものすごく待遇が恵まれているって思っていたけど、意外と大変なんだなあって改めて思った。
「そういう音無は?」
「うちですか? うちの父も自衛官でしたけど、今は長野でのんびりと蕎麦打ちしてますよ。松本駐屯地に転属してきた時に母親と出会って、何故かそのまま居ついちゃったんです」
「ってことはお父さんを見てこっちの道に?」
「うーん、なんて言うんですかねえ……父親よりも、昔の外国映画に出てきた最強の料理人を見て憧れちゃって」
二尉はどういうことだって顔をして一瞬考え込んだけど、すぐにその映画が何か分かったらしくてニッと笑った。
「まさかとは思うがあの映画か……」
「うちの父親が好きで実家にDVDがあるんですよ、しかも全シリーズ!」
「まさか今も目指しているってことは無いよな?」
「今はちゃんと映画と現実の違いは分かってますから。私の今現在の敵は、予算と物価上昇と野菜の価格急騰ですよ」
夢も何もあった物じゃないですよねと、上官の前だというのに溜め息をついてしまった。
「あの、ところでお聞きしたいことが」
「なんだ?」
「二尉の小隊ってまだ落ち着かないんですか?」
とたんに二尉の顔が無表情なものに変わった。
「誰かに探りを入れろとか、そういうのを言われてるわけじゃないんですよ? ただ、ご飯を食べている時でも、結構あの分隊の特定の人あたりがプンスカしているから気になっただけで」
たまに大森さんや山本さんがムカつきながら椅子を蹴ったりしていることは、食堂に居合わせた者だけの秘密だ。
「まさかとは思うが、そっちに迷惑をかけているのか?」
「いえ、少なくとも糧食班にはまったく。ただ、いま調理室にいる陸士長君はもともとは偵察隊の子だから、あと少しでそっちに戻らなきゃいけなくなります。その時にゴタゴタが続いていたらイヤだろうなって少し心配で」
「なんて言うか、綱引きはまだ続いているって感じだな」
「綱引きですか」
つまり大森さん達と二尉の睨み合いはまだまだ続くってこと?
「迷惑をかけているなら、申し訳ないとしか言いようがないな。少なくとも彼等がまだここに残るつもりでいるなら、今後のためにもきちんと決着をつけておいた方が良いと思ってね」
「でもそれって、森永二尉の仕事じゃないですよね? 今に始まったことじゃないなら、もっと上の責任なんじゃ?」
「それはそうだが、次に来た新任幹部がことごとく、彼等の嫌がらせで潰されでもしたら困るだろ? 多大な税金を投入して育成しているんだから」
「でも二尉だって新人さんじゃないですか」
そうだよ、この落ち着いた雰囲気でうっかり忘れそうになるけど、この人だって四月に着任したばかりの新人幹部なんだよ?
「少なくとも俺はあの程度のことではダメージを受けない」
「もしかして楽しんでるなんて言いませんよね?」
二尉は黙ったままでコーヒーカップに口をつけた。なるほど、呆れたことにこの人は、今のこの現状を楽しんでいるのだ。
「どうしようもない連中なら放置しておいても良かった。だが大森も山本も優秀だ。ここで腐らせておくのは勿体ないからな」
「……心配して損しました。やっぱり森永二尉は噂通りの化け物幹部なんだ」
「は?」
眉をひそめてこっちに向けた顔が何となく怖い。
「鬼、悪魔って呼ばれているらしいですよ?」
「あー……それは絶対に俺のことじゃなくて父親のことだな。何故か俺と父親の話がごちゃ混ぜになった噂話が流れているんだ」
「じゃあ、二尉は鬼、悪魔じゃないんですか?」
「鬼、悪魔と呼ばれたのは父親の方だ。俺はそこまでじゃない。これでも至極まっとうな普通の自衛官だ。おい、なんでそこで疑わしそうな目でこっちを見るんだ」
二尉が顔をしかめた。
「えー……鬼か悪魔じゃなくても普通じゃないですよ、そうですね、鋼の神経は持ってそうです」
「……おい」
それからしばらくしてそのカフェを出た。思いのほか長話をしてしまって、甘味処のハシゴをしようと思っていたけど無理のようだ。ちなみに門限は二十二時。
「次は何処に行く予定なんだ?」
「今のケーキでお腹いっぱいになったので、まずは腹ごなしがてらに駅前の本屋へ」
「本屋?」
歩きながら説明する。
「そうです。色々な専門書も取り扱っているお店なんですけどね、主婦の味方であるお料理の本も充実しているんですよ。今後の献立の編成の参考にするために、何冊か買って帰ろうかと。一緒に行きますか?」
「……そうだな」
「駅まではバスも出てますけど私は徒歩です。二尉はそれでよろしいですか?」
「ああ、かまわない」
しばらく二人して歩きながら、そろそろネタバラシをしたくなってきた。
「それと、気がついてないようなのでネタバラシしちゃいますね」
「ん?」
「さっきのカフェのママさんなんですけどね」
「ああ、美人だったな」
その言葉に変な笑いが込み上げてきた。聞いたら驚くだろうなあ……。
「男ですから」
「は?」
「ママさん、男性なんですよ、正真正銘の。しかも、元陸自の自衛官です」
「は?!」
さすがの森永二尉も、ママさんの変装術は見破れなかった模様だ。これでママさんの白星がまた一つ増えたことになる。さすが元偵察隊のママさん、忍者も顔負けだよね♪
久し振りの休みで外出許可をもらって営外に出ていた時、前を歩いている森永二尉を発見した。普段目にしている制服姿ではなくて、それがものすごく新鮮だ。とっても若く見える。ん? 新任幹部だから十分に若いのか、こりゃ失礼しました。
「こんなところで奇遇ですね、二尉」
「……音無か。何をしてるんだ?」
二尉はいきなり呼び止められて驚いた顔をしている。
「何をって外出許可をもらっているんでアレですよ」
「アレとは?」
「アレですよアレ。色々ですよ、普段は食べられないような、アレとかアレを食べ歩くんです」
「アレばかりで何のことかさっぱりだ」
困惑した表情でこっちを見下ろしている。
「つまりですね、甘いものをたくさん食べるんです。これは二尉のせいでもありますね。この前いただいた袖の下が呼び水になって、猛烈に食べたくなってしまったんです」
「……俺のせいなのか?」
「そうです。ところで二尉は甘い物お好きですか? ああ、愚問ですね、あんなチョコを持ち歩いているんですから嫌いなわけがない」
我ながら名推理と自画自賛しながら、困惑したままの森永二尉をどや顔で見上げてみた。
「まあ嫌いではないが……」
「もしかして営外にお住みの彼女さんからの差し入れとか? あ、失礼いたしました。その彼女さんと待ち合わせなのですね、お時間をとって申し訳ありません」
「勝手に話を作るな。彼女の差し入れでもないし待ち合わせもしていない……っていうか、今は誰とも付き合ってすらいない」
最後の方は非常に言いにくそうだった。
「そうなんですか。だったら時間をとらせたお詫びに、アレを食べに行きませんか?」
「だからアレとはなんなんだ」
「ですから甘いものですよ。二尉はここにきて、まだそれほどでもないから御存知ないかもしれませんが、近くにおいしいケーキを出す小さなカフェがあるんですよ。……彼女さんではなかったら、お友達のかたと待ち合わせとか?」
「だから勝手に話を作るな。今日はたまたま休みだから、近辺がどんな感じかと見て回っているんだ」
「何のために?」
「いや、なんとなく」
まさかこんな場所で顔見知りに尋問されるとは思っていなかったらしく、ものすごく困った顔をしている。普段はどちらかと言えばポーカーフェイス的な感じで、食ってかかる大森さんをいなしていることが多いのに、なんだか可愛いではありませんか。
あ、別に二尉が大森さんをいなしているのをわざわざ見物しているわけではなく、調理室から訓練している小隊の様子がよく見えるってだけだから。別に私がこそこそ二尉をつけ回している訳ではない、念のため。
「じゃあせっかくばったり出くわしたんですから、一緒に甘い物を食べに行きませんか?」
そう言ってから、ん? と考え込んだ。
「これは別に、デートのお誘いじゃありませんからね? チョコのお礼です」
「あのチョコレートこそ、二度手間の詫びのつもりだったんだかな」
「まあ細かいことは良いじゃないですか。ケーキ、食べたくないんですか?」
「……食べたいかもしれん」
「なら行きますよ」
いつものカフェへと続く道を歩き始める。そして二尉がついてきていないことに気がついて立ち止まると、振り返った。二尉はさっきの場所に立ち尽くしたままだ。
「何してるんですかー、行きますよ、ほら、前進前進!! 足を動かして!!」
その場で足踏みをして早く来るように促した。そんな私を見た二尉は、やれやれと首を振りながらこっちに歩いてきた。
+++
私が外出許可が出るたびに訪れているのは、個人経営の小さなカフェ。おいしいお茶とケーキ、それだけではなく簡単なランチメニューもあって、御近所さんではかなり評判の良いお店だ。
「あら、今日はお一人様じゃないのね。たまの休みぐらい孤独に浸りたいとか言っていたのに」
お店に入ったとたん、ママさんに声をかけられた。普段がむさ苦しい男だらけの場所にいるから、たまにはこういう小洒落たお店で一人になりたいって思うことがあるのは事実だ。だけど別に、一人でないと死んじゃうぐらい孤独が好きなわけでもない。
「こちら、いまの職場に新しくみえた上司さんなんですよ。まあ簡単に言えば、御親睦みたいなものですね」
「ゴマすりではなくて?」
「部署が全然違うので、ゴマをすろうにもいやはやな感じで」
テーブルに着くと、ケーキの写真が貼られているメニューを二尉の前にひろげた。
「どれもおいしいですけど、季節限定のグレープフルーツタルトがお勧めです」
「ゴマすりだって?」
なにを企んでいるんだ?って顔をされてしまった。
「そんなことするわけないじゃないですか。私は糧食班で森永二尉は偵察隊なんですから、ゴマをすっても無意味でしょ? そうですねえ……あえて言うなら、私の方がゴマをすられる立場じゃないですかね? ほら、皆さんの胃袋の存亡の危機は、私の腕にかかっているわけですし?」
「それは暗におごれと言っているとか?」
「まさか! 階級的年齢的には森永二尉の方が上かもしれませんが、隊生活期間的には私と二尉は大差ないでしょ? ですから自分の食べた物は自分で払う割り勘です」
ママさんにケーキが決まりましたと手をあげる。
「私はグレープフルーツのタルトと紅茶のストレート。二尉はどうされます?」
「じゃあ俺は、モモのショートケーキとコーヒーで……ってなんだ?」
私の顔を不審げに見つめてくる。
「いえ、なんでもないです。じゃあそれでお願いします」
自分で誘っておいてなんだけど似合わない!! 二尉が「モモのショートケーキ」と口にするのなんて、超絶不釣り合い!! ダメだ、このギャップは色々とヤバい。
「分かりました。こちらも自衛隊の人ってことで良いのよね? これからもご贔屓に。うちは男の子でも大歓迎だから」
ママさんは私の心の葛藤に気がついたのか、笑いながらバックヤードへと戻っていった。
「男の子……」
「ママさんからしたら、お客さんは皆“女の子”と“男の子”なんですよ」
ケーキとお茶がテーブルに並ぶと、それを食べながら少しだけ森永二尉のことを聞き出すことに成功した。お父さんも陸上自衛官で、最終的には陸幕にまでいった人だったこと。そしてその背中を見て育ったせいか、自分もその道を進もうと考えて防衛大学校に進み、OCSを経て今に至っていること。
「じゃあ将来的には、お父さんと同じで陸幕コースを狙っているんですか?」
「まさか。それにうちの父親も好きで陸幕にいったわけじゃないんだ。なんだかんだとしがらみに縛られて、仕方なくといった感じだったからな」
「へえ。幹部の皆さんって、あそこには行きたくて仕方がないんだと思ってました。まさか嫌々で行く人がいるなんて、思いもしなかったです」
「俺もいまだかつてそんな人間を見たことが無いな。父親以外は」
幹部っていうのは気苦労がある反面、ものすごく待遇が恵まれているって思っていたけど、意外と大変なんだなあって改めて思った。
「そういう音無は?」
「うちですか? うちの父も自衛官でしたけど、今は長野でのんびりと蕎麦打ちしてますよ。松本駐屯地に転属してきた時に母親と出会って、何故かそのまま居ついちゃったんです」
「ってことはお父さんを見てこっちの道に?」
「うーん、なんて言うんですかねえ……父親よりも、昔の外国映画に出てきた最強の料理人を見て憧れちゃって」
二尉はどういうことだって顔をして一瞬考え込んだけど、すぐにその映画が何か分かったらしくてニッと笑った。
「まさかとは思うがあの映画か……」
「うちの父親が好きで実家にDVDがあるんですよ、しかも全シリーズ!」
「まさか今も目指しているってことは無いよな?」
「今はちゃんと映画と現実の違いは分かってますから。私の今現在の敵は、予算と物価上昇と野菜の価格急騰ですよ」
夢も何もあった物じゃないですよねと、上官の前だというのに溜め息をついてしまった。
「あの、ところでお聞きしたいことが」
「なんだ?」
「二尉の小隊ってまだ落ち着かないんですか?」
とたんに二尉の顔が無表情なものに変わった。
「誰かに探りを入れろとか、そういうのを言われてるわけじゃないんですよ? ただ、ご飯を食べている時でも、結構あの分隊の特定の人あたりがプンスカしているから気になっただけで」
たまに大森さんや山本さんがムカつきながら椅子を蹴ったりしていることは、食堂に居合わせた者だけの秘密だ。
「まさかとは思うが、そっちに迷惑をかけているのか?」
「いえ、少なくとも糧食班にはまったく。ただ、いま調理室にいる陸士長君はもともとは偵察隊の子だから、あと少しでそっちに戻らなきゃいけなくなります。その時にゴタゴタが続いていたらイヤだろうなって少し心配で」
「なんて言うか、綱引きはまだ続いているって感じだな」
「綱引きですか」
つまり大森さん達と二尉の睨み合いはまだまだ続くってこと?
「迷惑をかけているなら、申し訳ないとしか言いようがないな。少なくとも彼等がまだここに残るつもりでいるなら、今後のためにもきちんと決着をつけておいた方が良いと思ってね」
「でもそれって、森永二尉の仕事じゃないですよね? 今に始まったことじゃないなら、もっと上の責任なんじゃ?」
「それはそうだが、次に来た新任幹部がことごとく、彼等の嫌がらせで潰されでもしたら困るだろ? 多大な税金を投入して育成しているんだから」
「でも二尉だって新人さんじゃないですか」
そうだよ、この落ち着いた雰囲気でうっかり忘れそうになるけど、この人だって四月に着任したばかりの新人幹部なんだよ?
「少なくとも俺はあの程度のことではダメージを受けない」
「もしかして楽しんでるなんて言いませんよね?」
二尉は黙ったままでコーヒーカップに口をつけた。なるほど、呆れたことにこの人は、今のこの現状を楽しんでいるのだ。
「どうしようもない連中なら放置しておいても良かった。だが大森も山本も優秀だ。ここで腐らせておくのは勿体ないからな」
「……心配して損しました。やっぱり森永二尉は噂通りの化け物幹部なんだ」
「は?」
眉をひそめてこっちに向けた顔が何となく怖い。
「鬼、悪魔って呼ばれているらしいですよ?」
「あー……それは絶対に俺のことじゃなくて父親のことだな。何故か俺と父親の話がごちゃ混ぜになった噂話が流れているんだ」
「じゃあ、二尉は鬼、悪魔じゃないんですか?」
「鬼、悪魔と呼ばれたのは父親の方だ。俺はそこまでじゃない。これでも至極まっとうな普通の自衛官だ。おい、なんでそこで疑わしそうな目でこっちを見るんだ」
二尉が顔をしかめた。
「えー……鬼か悪魔じゃなくても普通じゃないですよ、そうですね、鋼の神経は持ってそうです」
「……おい」
それからしばらくしてそのカフェを出た。思いのほか長話をしてしまって、甘味処のハシゴをしようと思っていたけど無理のようだ。ちなみに門限は二十二時。
「次は何処に行く予定なんだ?」
「今のケーキでお腹いっぱいになったので、まずは腹ごなしがてらに駅前の本屋へ」
「本屋?」
歩きながら説明する。
「そうです。色々な専門書も取り扱っているお店なんですけどね、主婦の味方であるお料理の本も充実しているんですよ。今後の献立の編成の参考にするために、何冊か買って帰ろうかと。一緒に行きますか?」
「……そうだな」
「駅まではバスも出てますけど私は徒歩です。二尉はそれでよろしいですか?」
「ああ、かまわない」
しばらく二人して歩きながら、そろそろネタバラシをしたくなってきた。
「それと、気がついてないようなのでネタバラシしちゃいますね」
「ん?」
「さっきのカフェのママさんなんですけどね」
「ああ、美人だったな」
その言葉に変な笑いが込み上げてきた。聞いたら驚くだろうなあ……。
「男ですから」
「は?」
「ママさん、男性なんですよ、正真正銘の。しかも、元陸自の自衛官です」
「は?!」
さすがの森永二尉も、ママさんの変装術は見破れなかった模様だ。これでママさんの白星がまた一つ増えたことになる。さすが元偵察隊のママさん、忍者も顔負けだよね♪
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