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【後日談2】トロワ・メートル
16.夢見るオジサン
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あの人が愛を握りしめて逝ったのなら、私もあの人からもらった愛を握りしめて生きていこう。
静かな東屋で甲斐チーフとランチを終えて、二人一緒にレストランに帰る。
また制服に着替えて、給仕長室を覗くと、パソコンに向かって事務仕事をしている蒼と目が合った。
「ごめん。引き留められなかったんだよ」
いつもの明るく元気な雰囲気の彼ではなかった。葉子から見ると、ちょっと不機嫌な蒼に見える。
「別に、いいよ。一緒にお昼を食べて、いろいろお話しできたから」
「はあ、もうさ。『ハコちゃんが行っちゃう、行っちゃうだろ。早く道を教えろ』って。もう、なんだか、俺が知っている元給仕長じゃなくて、ほんんっっとに、おじいちゃんなんだよぅ」
あ、いつもの砕けた『蒼くん』になったと、葉子は内心ホッとした。
「大沼で過ごしていた秀星さんのことも教えたし、私も知らない秀星さんの神戸の話とか聞いたよ」
「へえ、どんなこと?」
「実は蒼君と一緒で、ご両親がお歳を取ってから誕生された一人っ子長男だったって話。ご兄弟がいないのは相続の時にわかっていたんだけど、ご両親にとってやっと生まれた男の子だったっていうのは、蒼君も知っていたのかなって」
「あー、知っていたよ。なにかのきっかけになったら、話していたと思うよ。両親が歳を取ってから産まれた男子っていう共通点も確かにあったよ。俺はさ、元気いっぱいのびのび育ててもらったけど、秀星さんのところはけっこう教育に力を入れていたらしいよ。でも、大学を卒業後、すぐにフレンチの世界に入ったみたいだね。なんかさ、写真の次に興味があったのがフレンチだったんだってさ。ご両親がお好きだったんだって」
「そうなんだ。それはチーフからも聞かなかった」
途端に、蒼がきらっとした元気の良い笑顔になった。
「だろ、だろ! 俺と秀星先輩のほうが仲が良かったの。あのおじいちゃんはね、仕事面の先輩しか知らないから」
あ、機嫌が悪いのわかった。葉子は蒼の素っ気なさをやっと理解する。
どっちにヤキモチ妬いていたのかな? 葉子とお師匠さんが一緒にランチをしたから? それとも、秀星先輩を語るのは後輩の俺のほうなんだからね――という自負?
「誰が、おじいちゃんだっ」
給仕長室の入り口に立っていた葉子のすぐ後ろから、そんな低い声が聞こえてきてビクッとする。甲斐チーフだった。しかも、休憩時間中だからなのか、いまは上司でも元は部下の蒼を睨んでいる。
だが蒼も負けない。
「おじいちゃんでしょう。ハコちゃんの後を追いかけるって駄々をこねている姿といったらもう、俺が知っている甲斐給仕長ではなかったですよ。ほんっと、おじいちゃん!!」
やっぱり。駄々をこねていたんだと葉子は密かに頬を緩ませ、笑うのを堪える。
「でも、そのおかげで。秀星がどう過ごしていたか知れたしな。仕事をしていると、そんな話もなかなかできなかったもんだから」
「まあ、そうでしょうけれど――」
「すまんな。奥さんの後をついていくジジイで」
「そういうことじゃないですってば……。お聞きになったのでしょう。あそこはですね、」
「わかってる」
あそこは葉子と秀星の思い出の場所だから、ほいほいついて行っちゃダメということを言いにくそうにしている夫の蒼に対して、甲斐師匠が『皆まで言うな。よーくわかった』とばかりに上手に遮ったように葉子には見えた。
なんか、気遣わせているなと、葉子も申し訳なくなってくる。
そんな空気を甲斐チーフが切り替えるようにして、蒼を給仕長室まで訪ねてきた訳を言い出す。
「篠田給仕長。デザートワインをひとつ準備することはできませんかね。いま葉子さんにレクチャー中なんだ」
「ええ? シャトー・ディケムとかですかあ? 心当たりがあるっちゃありますけど。店には……」
「いますぐには準備はできないってことなんだな。銘柄は問わないんだが」
急にワインの話に切り替わった。蒼もなんとなくお師匠さんが、葉子になにを教えようとしているのかわかっている顔をしている。
「まあ、シャトー・ディケムでなければ、トカイ……」
「それ以上は言わない!! そこ葉子さんに宿題にしているから」
「あ、そうでしたか。ああ、なるほど。もしかして世界三大貴腐ワインのお勉強ですか。ということは、現物がほしいって事は、デザートワインの温度比べかな」
「そう! って、それも言っちゃいかんだろ」
「わ、すみません。あー、もう~、俺、喋っちゃう。いろいろ喋っちゃうよー。お口チャック、自信ない~」
結局、ホールできっちりお仕事サービス中以外では、蒼も敵わないお師匠さんという関係になってしまうようだった。
でも葉子は『トカイ? 温度比べ?』としっかり頭の中にメモをしておく。
自宅に帰ったら、そこから調べてみよう。案外、お喋り大好き旦那さんが、張り切ってぜーんぶ教えてくれるかもしれない、なんて。お口のチャック、自宅なら簡単に開いちゃいそうと妻になった葉子は思ってしまった。
それは甲斐チーフにも見抜かれる。
「もう、奥さんがかわいいばっかりの旦那になって、葉子さんが調べるまえに、あれこれ言うんじゃないぞ」
「ええ、まったくなにも教えちゃいけないんですかあ」
「聞いてきたら、教えてあげてくれ。たーだし、自宅で、夫の時のみ限定」
「ええ~、職場も一緒なのに難しいこといいますね」
しっかり見抜かれていたので、葉子は澄ましたふりをして『やっぱり自分で調べよう』と思い直した。
「なんか、俺が教えたくなってきちゃいました」
「ダメだからな。篠田が忙しいから、俺にしてほしいと採用してくれたんだから、俺の役目を奪わない」
「わっかりました。デザートワインのこと考えておきます」
葉子の勉強のために、準備してくれることになったようだった。
それを聞いた甲斐チーフも『よしよし』とご機嫌になって、休憩室へ戻っていく。
師匠が去ると蒼が、事務仕事をしていたパソコンモニターに向かってふっとため息を漏らしていた。
「あー、もう。内緒にしておきたかったなー」
なんのことだろうかと、まだ給仕長室の入り口に立ったままそこにいる葉子も聞き返してみる。
「もしかして内緒で保管しているの? デザートワイン」
「あっ、独り言……、だったんだけど。ま、いいか。葉子ちゃんのためだ。おいで。ここに座って」
どちらかがパソコンデスクに座っている時、ふたり一緒になる時に片方が座るいつもの丸椅子を蒼がそばに寄せた。
葉子もまだ休憩中なので、蒼のそばへと向かい、目の前に座る。
「あるよ。俺のコレクションにデザートワイン。ワインだから棚じゃないところに保管してるんだ。それ、出してあげるから」
「え、でも。コレクションなら大事にとっておいてあるんでしょ」
「大事だよ……。だってさ、葉子のために買ったんだから」
「私のため?」
「そう。葉子のため」
夜ふたりきりの時に、葉子を愛おしそうに見つめてくれる目と、同じ視線を向けてくれる。
決して、夫と妻だと馴れ合わない職場なのに、だった。だから、葉子も思わず頬を染めて熱くなっている。
「ただし。甲斐さんの『宿題』提出に合格したらだ」
宿題を合格したら。そのワインをお勉強のために出してくれるという。
「私のためって……。どうして? お店のワインでは……、ダメだよね。商品だもんね」
「そういうこと。それに夫の俺が持っているんだから、勉強中の妻に出すほうがいいでしょう。どっちにしても葉子のためになるなら、近々開けちゃってもいいかなと思うから気にしないで」
「でもお勉強のために、持っていたわけではなかったんでしょう」
なんのために、そのデザートワインを買っておいてくれたのか。
蒼が少し躊躇った様子を見せてから、教えてくれる。
「えーっと、実は、来年の結婚記念日にと思って、買っちゃっていました!」
「え!! 来年!?」
確かに『葉子のため』だった。
「結婚が決まってね。探してこっそり買っておいたのね。すぐに手に入るものでもないんでね。いまのうちにと探していたんだ。あちこち、神戸時代にお付き合いのあった酒屋さんとか問屋さんに問い合わせちゃったり」
さすが。ロマンチストな男。結婚が決まった時点で、記念日の準備を既に始めていたとは、葉子は呆気にとられるばかり。
しかし絶対に、葉子からは気がつかないし、やろうとも思わない秘密の行動だった。
「い、いいの。それ開けちゃって」
「記念日に開けて、ふたりきりでロマンチックに乾杯するのと、ソムリエのお勉強で、それを体験するのとどっちがいいかな」
答えは決まっていた。そして心の奥で、夫に謝っていた。
「お勉強で……」
「わーーー!! 言うと思った!! だーーーって、葉子ちゃんってば、ぜーんぜん、アニバーサリー体質じゃないんだもんっ。絶対に現実的にプラスになるほうを選ぶって思ってた!!!」
本当にそのとおりだ。葉子から『記念日しよ』なんて提案をすることはまずない。
それでもだった。蒼が準備してくれた『ロマンチック』は、葉子だって嫌いじゃないし、むしろ、ふたり一緒に楽しむことも大好きだ。
やっぱり記念日にふたりで、そう言えばよかったと葉子は後悔をする。
「ご、ごめんなさい。せっかく蒼君が……」
謝ろうとしたら、目の前からガバッと蒼が抱きついてきたので、葉子はギョッとする。
え、ここ職場。そんな素振り、一度もみせなかった職場!!
だがすぐに『ダラシーノ大音響』が耳をつんざく。
「うわーん!! 謝らないで、葉子ちゃん!!! 俺、葉子ちゃんのためなることなら、全然、記念日いらないから。ただ俺が『夢見るオジサン』だから、気にしないで!!!」
夢見るオジサンに抱きつかれ、耳元で大声で騒がれて、葉子はなんだか伝えたい言葉を忘れてしまった。
ああ、でもこれも。夫『蒼君』の気遣いなんだろうな。葉子はそう気がついていた。
気にしないで葉子。葉子の勉強のためになるなら、記念日なんて関係ないよ。すぐ気にするんだから。気にしない!!! を、オーバーリアクションをすることで、吹っ飛ばしているのだろう。
そしてきっと。来年の結婚記念日には、また新しいことを思いついて『ロマンチック』な準備をしてくれるのだろう。
葉子はそっと微笑んで、抱きついている夫の黒髪を愛おしく撫でた。
静かな東屋で甲斐チーフとランチを終えて、二人一緒にレストランに帰る。
また制服に着替えて、給仕長室を覗くと、パソコンに向かって事務仕事をしている蒼と目が合った。
「ごめん。引き留められなかったんだよ」
いつもの明るく元気な雰囲気の彼ではなかった。葉子から見ると、ちょっと不機嫌な蒼に見える。
「別に、いいよ。一緒にお昼を食べて、いろいろお話しできたから」
「はあ、もうさ。『ハコちゃんが行っちゃう、行っちゃうだろ。早く道を教えろ』って。もう、なんだか、俺が知っている元給仕長じゃなくて、ほんんっっとに、おじいちゃんなんだよぅ」
あ、いつもの砕けた『蒼くん』になったと、葉子は内心ホッとした。
「大沼で過ごしていた秀星さんのことも教えたし、私も知らない秀星さんの神戸の話とか聞いたよ」
「へえ、どんなこと?」
「実は蒼君と一緒で、ご両親がお歳を取ってから誕生された一人っ子長男だったって話。ご兄弟がいないのは相続の時にわかっていたんだけど、ご両親にとってやっと生まれた男の子だったっていうのは、蒼君も知っていたのかなって」
「あー、知っていたよ。なにかのきっかけになったら、話していたと思うよ。両親が歳を取ってから産まれた男子っていう共通点も確かにあったよ。俺はさ、元気いっぱいのびのび育ててもらったけど、秀星さんのところはけっこう教育に力を入れていたらしいよ。でも、大学を卒業後、すぐにフレンチの世界に入ったみたいだね。なんかさ、写真の次に興味があったのがフレンチだったんだってさ。ご両親がお好きだったんだって」
「そうなんだ。それはチーフからも聞かなかった」
途端に、蒼がきらっとした元気の良い笑顔になった。
「だろ、だろ! 俺と秀星先輩のほうが仲が良かったの。あのおじいちゃんはね、仕事面の先輩しか知らないから」
あ、機嫌が悪いのわかった。葉子は蒼の素っ気なさをやっと理解する。
どっちにヤキモチ妬いていたのかな? 葉子とお師匠さんが一緒にランチをしたから? それとも、秀星先輩を語るのは後輩の俺のほうなんだからね――という自負?
「誰が、おじいちゃんだっ」
給仕長室の入り口に立っていた葉子のすぐ後ろから、そんな低い声が聞こえてきてビクッとする。甲斐チーフだった。しかも、休憩時間中だからなのか、いまは上司でも元は部下の蒼を睨んでいる。
だが蒼も負けない。
「おじいちゃんでしょう。ハコちゃんの後を追いかけるって駄々をこねている姿といったらもう、俺が知っている甲斐給仕長ではなかったですよ。ほんっと、おじいちゃん!!」
やっぱり。駄々をこねていたんだと葉子は密かに頬を緩ませ、笑うのを堪える。
「でも、そのおかげで。秀星がどう過ごしていたか知れたしな。仕事をしていると、そんな話もなかなかできなかったもんだから」
「まあ、そうでしょうけれど――」
「すまんな。奥さんの後をついていくジジイで」
「そういうことじゃないですってば……。お聞きになったのでしょう。あそこはですね、」
「わかってる」
あそこは葉子と秀星の思い出の場所だから、ほいほいついて行っちゃダメということを言いにくそうにしている夫の蒼に対して、甲斐師匠が『皆まで言うな。よーくわかった』とばかりに上手に遮ったように葉子には見えた。
なんか、気遣わせているなと、葉子も申し訳なくなってくる。
そんな空気を甲斐チーフが切り替えるようにして、蒼を給仕長室まで訪ねてきた訳を言い出す。
「篠田給仕長。デザートワインをひとつ準備することはできませんかね。いま葉子さんにレクチャー中なんだ」
「ええ? シャトー・ディケムとかですかあ? 心当たりがあるっちゃありますけど。店には……」
「いますぐには準備はできないってことなんだな。銘柄は問わないんだが」
急にワインの話に切り替わった。蒼もなんとなくお師匠さんが、葉子になにを教えようとしているのかわかっている顔をしている。
「まあ、シャトー・ディケムでなければ、トカイ……」
「それ以上は言わない!! そこ葉子さんに宿題にしているから」
「あ、そうでしたか。ああ、なるほど。もしかして世界三大貴腐ワインのお勉強ですか。ということは、現物がほしいって事は、デザートワインの温度比べかな」
「そう! って、それも言っちゃいかんだろ」
「わ、すみません。あー、もう~、俺、喋っちゃう。いろいろ喋っちゃうよー。お口チャック、自信ない~」
結局、ホールできっちりお仕事サービス中以外では、蒼も敵わないお師匠さんという関係になってしまうようだった。
でも葉子は『トカイ? 温度比べ?』としっかり頭の中にメモをしておく。
自宅に帰ったら、そこから調べてみよう。案外、お喋り大好き旦那さんが、張り切ってぜーんぶ教えてくれるかもしれない、なんて。お口のチャック、自宅なら簡単に開いちゃいそうと妻になった葉子は思ってしまった。
それは甲斐チーフにも見抜かれる。
「もう、奥さんがかわいいばっかりの旦那になって、葉子さんが調べるまえに、あれこれ言うんじゃないぞ」
「ええ、まったくなにも教えちゃいけないんですかあ」
「聞いてきたら、教えてあげてくれ。たーだし、自宅で、夫の時のみ限定」
「ええ~、職場も一緒なのに難しいこといいますね」
しっかり見抜かれていたので、葉子は澄ましたふりをして『やっぱり自分で調べよう』と思い直した。
「なんか、俺が教えたくなってきちゃいました」
「ダメだからな。篠田が忙しいから、俺にしてほしいと採用してくれたんだから、俺の役目を奪わない」
「わっかりました。デザートワインのこと考えておきます」
葉子の勉強のために、準備してくれることになったようだった。
それを聞いた甲斐チーフも『よしよし』とご機嫌になって、休憩室へ戻っていく。
師匠が去ると蒼が、事務仕事をしていたパソコンモニターに向かってふっとため息を漏らしていた。
「あー、もう。内緒にしておきたかったなー」
なんのことだろうかと、まだ給仕長室の入り口に立ったままそこにいる葉子も聞き返してみる。
「もしかして内緒で保管しているの? デザートワイン」
「あっ、独り言……、だったんだけど。ま、いいか。葉子ちゃんのためだ。おいで。ここに座って」
どちらかがパソコンデスクに座っている時、ふたり一緒になる時に片方が座るいつもの丸椅子を蒼がそばに寄せた。
葉子もまだ休憩中なので、蒼のそばへと向かい、目の前に座る。
「あるよ。俺のコレクションにデザートワイン。ワインだから棚じゃないところに保管してるんだ。それ、出してあげるから」
「え、でも。コレクションなら大事にとっておいてあるんでしょ」
「大事だよ……。だってさ、葉子のために買ったんだから」
「私のため?」
「そう。葉子のため」
夜ふたりきりの時に、葉子を愛おしそうに見つめてくれる目と、同じ視線を向けてくれる。
決して、夫と妻だと馴れ合わない職場なのに、だった。だから、葉子も思わず頬を染めて熱くなっている。
「ただし。甲斐さんの『宿題』提出に合格したらだ」
宿題を合格したら。そのワインをお勉強のために出してくれるという。
「私のためって……。どうして? お店のワインでは……、ダメだよね。商品だもんね」
「そういうこと。それに夫の俺が持っているんだから、勉強中の妻に出すほうがいいでしょう。どっちにしても葉子のためになるなら、近々開けちゃってもいいかなと思うから気にしないで」
「でもお勉強のために、持っていたわけではなかったんでしょう」
なんのために、そのデザートワインを買っておいてくれたのか。
蒼が少し躊躇った様子を見せてから、教えてくれる。
「えーっと、実は、来年の結婚記念日にと思って、買っちゃっていました!」
「え!! 来年!?」
確かに『葉子のため』だった。
「結婚が決まってね。探してこっそり買っておいたのね。すぐに手に入るものでもないんでね。いまのうちにと探していたんだ。あちこち、神戸時代にお付き合いのあった酒屋さんとか問屋さんに問い合わせちゃったり」
さすが。ロマンチストな男。結婚が決まった時点で、記念日の準備を既に始めていたとは、葉子は呆気にとられるばかり。
しかし絶対に、葉子からは気がつかないし、やろうとも思わない秘密の行動だった。
「い、いいの。それ開けちゃって」
「記念日に開けて、ふたりきりでロマンチックに乾杯するのと、ソムリエのお勉強で、それを体験するのとどっちがいいかな」
答えは決まっていた。そして心の奥で、夫に謝っていた。
「お勉強で……」
「わーーー!! 言うと思った!! だーーーって、葉子ちゃんってば、ぜーんぜん、アニバーサリー体質じゃないんだもんっ。絶対に現実的にプラスになるほうを選ぶって思ってた!!!」
本当にそのとおりだ。葉子から『記念日しよ』なんて提案をすることはまずない。
それでもだった。蒼が準備してくれた『ロマンチック』は、葉子だって嫌いじゃないし、むしろ、ふたり一緒に楽しむことも大好きだ。
やっぱり記念日にふたりで、そう言えばよかったと葉子は後悔をする。
「ご、ごめんなさい。せっかく蒼君が……」
謝ろうとしたら、目の前からガバッと蒼が抱きついてきたので、葉子はギョッとする。
え、ここ職場。そんな素振り、一度もみせなかった職場!!
だがすぐに『ダラシーノ大音響』が耳をつんざく。
「うわーん!! 謝らないで、葉子ちゃん!!! 俺、葉子ちゃんのためなることなら、全然、記念日いらないから。ただ俺が『夢見るオジサン』だから、気にしないで!!!」
夢見るオジサンに抱きつかれ、耳元で大声で騒がれて、葉子はなんだか伝えたい言葉を忘れてしまった。
ああ、でもこれも。夫『蒼君』の気遣いなんだろうな。葉子はそう気がついていた。
気にしないで葉子。葉子の勉強のためになるなら、記念日なんて関係ないよ。すぐ気にするんだから。気にしない!!! を、オーバーリアクションをすることで、吹っ飛ばしているのだろう。
そしてきっと。来年の結婚記念日には、また新しいことを思いついて『ロマンチック』な準備をしてくれるのだろう。
葉子はそっと微笑んで、抱きついている夫の黒髪を愛おしく撫でた。
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こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
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