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【後日談1】シェフズテーブルで祝福を
5.ダラシーノ・ファミリー
しおりを挟むいつもはコックコートの父も、ボウタイに黒ジャケットが制服の蒼も、この日は『ネクタイとスーツ』姿だった。
そして、もうひとり。
「あー、めちゃくちゃ遠いな大沼~。おなじ道内で飛行機乗り継ぎとかきっつー」
弟の『昴』も帰省して前日に到着。黒いスーツを準備してくれていた。弟と葉子は三つ歳が離れていて、彼はオホーツク地方の町役場勤めをしている。
「遠いところから、ありがとね」
おなじ道内と言えども、函館からオホーツクとなると、東京大阪よりも離れているため、弟も女満別空港から新千歳空港、函館空港と飛行機を乗り継いで駆けつけてくれた。
「まあさ、姉ちゃんが婚約するって聞いてびっくりしたけどさ。それより、声が出なくなったほうが百倍びっくりしていたんだけどさ! 声が出たと思ったら結婚って! しかも、あの、ダラシーノ!」
「えっと、積もる話がいっぱいあるね。なんかこう、一気に決まっちゃったものだから」
「そりゃなあ。あちらさんの年齢を考えたら、一、二年付き合ってみましょうなんて言っていたら、……いくつになんの? あのおじさん」
まだ二十代後半を迎えたばかりの弟から見たら、完全におじさんだよねと葉子も苦笑いしかでてこない。
「しかも、広島のお姉さんってアラフィフだって!? 俺とほぼ親子になっちゃうよな!」
実家のダイニングでくつろぐ弟の口が止まらない。
そんな弟がふと気がついたのか、リビングの向こうに見える和室へと視線を向けた。
「秀星さんも連れてくのかよ。厨房に」
「ううん。今日は……」
「……、写真集、もうすぐだな」
「うん……」
「この三年、動画の向こうにいる姉ちゃん、痛々しかった。だから敢えて観ないようにしてた。すげえ必死に唄ってるのがさ……。もういいじゃん。マイペースでやって、蒼さんに甘えてゆっくりしろよ」
「うん、そうするつもり」
「秀星さんも、そう思ってるよ。あそこまでやってくれなくて良かったとでもいいそうだよ」
「ここまでやりたかったのが、私のエゴだから」
弟の昴が黙ってしまった。秀星が亡くなった時は、弟も非常にショックを受けていたひとりで、オホーツク地方から葬儀にも駆けつけてくれたことを思い出す。その時も、姉弟で『なんで、どうして』を繰り返して、ふたりで泣いた。
その時に葉子は弟の昴には、ふいに漏らしていたのだ。『秀星さんが言っていたエゴって。このことだったのかな』と。
弟は『姉ちゃんの配信は観ていない』とは言っているが、毎日ではなくとも、折に触れて『ハコ』がどうなっているか、なにを伝えようとしているのかは、遠くから見守ってくれていたようだった。姉が引き出そうとしている『亡くなった人のエゴ』を、彼も秀星の在りし日の姿を思い浮かべながら感じていたはずなのだ。
それでも昴も遠い道東地方で職務に忙しくしていたので、お互いの日常はそっと触れずに過ごしてきたところがある。
弟も姉の口から出てきた『エゴ』に思うところがあるのか、手元にある冷茶のコップをなにかを振り払うように掴んで飲み干している。
葉子が東京から大沼に帰ってくるより先に、弟の昴と秀星は対面していた。当時、弟はまだ札幌の大学生だったので、年末年始は特急に乗って帰省してきていたのだ。そこに、のほほんとしたカメラ好きのおじさんがいた。父と兄弟のように親しい姿を昴も見てきている。
帰省する度に、優しい笑顔で『おかえり』と迎えてくれ、父と母が忙しくしていても、秀星が駅まで迎えに来てくれたり、『おなか空いているかな? ランチの軽食を持ってきてあげようね』と温かい飲み物も入れてくれたりして、世話をしてくれた思い出があるという。
その時も給仕長室でたくさんの写真を見せてくれたらしい。
そのせいか、昴も葉子同様に自分でも一眼レフカメラを買ってしまい、仕事に役立てていると聞いている。
「北見から呼ぶのはどうかと思ったんだけど、ありがとうね」
「遠くはなったけれど、オホーツクはいいところだよ。都市部ではない町役場だけれど、気に入ってるよ。そのうちに姉ちゃんもダラシーノと来いよ」
「うん、いいねそれ。流氷とか見たいな」
「ダラシーノうるさそうだな。『うっわー、これが流氷、生きているうちに出会えるとは思わなかった、感げっきー!』って、やりそうー。音声割れ割れでさ」
なんだ、弟もよく観てるのではと思えるほどに、ダラシーノモードを把握しているので、葉子は笑い声を立ててしまった。
弟は札幌の大学を卒業後、公務員希望だったため、採用が決まったのがオホーツク地方にある北見近辺の町役場だった。
「あ、これ土産。広島のご家族にもどうかなって。女性が好きそうだから」
北見のハッカ油に、ファーストフラッシュのカモミールティーを買ってきてくれていた。
北見は玉ねぎやホタテ、ハーブにハッカなどで有名な都市である。その近隣に住んでいるので、いつもお土産に買ってきてくれる。
「私のぶんも? ありがとう。あ、このハーブキャンディ、喉によさそう!」
「喉と声を大切にしろっちゅーの。無理すんなよ」
「わー、かっこいい。昴ったら、男前!」
葉子は東京、昴は札幌と離れてまったく会えない時期もあったが、姉弟仲は変わらなかった。
弟もだいぶ大人の男の顔になってきたなと葉子は思っている。
そんな自分は、そろそろ三十が目の前。蒼が『若いね、かわいいね』と言ってくれるものだから、自分のことをまだ子供のように感じてしまうことが多い日常だが、弟と会うと『あ、私も年相応の大人にならなくちゃ』と思ってしまう。
実家家業の手伝いをしているとはいえ、やはり実家にいる世間知らずと言われても仕方がないと思うこの頃だった。
だからなのかな。秀星が厳しかったのも、今後の葉子のためだった気がする。
「昴、お疲れのところ申し訳ないけれど、手伝ってくれるかな。葉子も、ウェルカムドリンクの準備をしておきなさいよ」
いつもキビキビきりっとしている母の『深雪』が、今日は黒いパンツスーツ姿でダイニングに現れた。
父とスーシェフとパティシエは、もう調理に取りかかっていた。
蒼は函館空港までご両親とお姉さんをお迎えに行っているところ。
姉弟ふたりで『はーい』と返事をして、ダイニングタイムは終了、解散した。
弟が先にレストランへと出て行ったが、葉子はひとり残った実家のリビングで佇む。
今日の葉子は紺色のプリーツドレスを着ていた。
そのまま、和室へと赴き、実家の仏壇とは別の場所にある、桐生家の仏前へと向かう。
正座をして、合掌をする。左手には蒼が選んでくれた婚約指輪が光っている。
「らしくないかな。今日の私……。歌手を諦めて、他になにもできなかった私が、結婚だって。秀星さんのおかげ。今日、広島のご両親と真由子お姉さんが来ます。秀星さんにも会いに来るからね」
またひととき黙って合掌する。
「秀星さんが、もし……、あの日、帰って来ていたら……」
あの写真を撮り終えて、無事に帰ってきていたら?
蒼は神戸にいただろうし、広島のご両親に会うこともなかったかもしれない。いや、秀星に会いに来たかもしれない蒼と、やっぱり出会っていたかもしれない。
そうしたら、今日のような日に、秀星もきっとテーブルにいたと思う。
父が家族として、葉子の叔父だか兄のようにして、そこに『居ろ』と許していたと思う。
『あはは、篠田君。今日ぐらいはビシッとしておきなよ』
『はあ? 俺、いつもビシッとしてると思いますよ! なにいってんすか、先輩ったら、もうっっ』
『葉子ちゃん、クレープフランベ、大丈夫かな。篠田君、ちゃんと教えたの? 心配だなー。君、ときどき抜けてるから』
『はい? ちょっと俺、いま、おかんむりなんすけどっ』
そんな姿も会話も笑顔も、自然に浮かべられる。
きっとそうだったと思う。
蒼はどうしてあんなことを言ったのだろう?
『これが最後という決意をしていたんじゃないかな』
その後に『なんでこんなことを言った、俺』と後悔するような顔をしていたように葉子には見えた。
「蒼君だからこそ、秀星さんの気持ち、見つけていた気がするの。でもきっと、内緒なんだね……」
蒼の心の片隅にも、永遠にこの人がいるのだろう。
その人と毎日、お喋りをしている。
今日は二人揃ってスーツを着て、また落ち着いた先輩とうるさい後輩で言い合っていたはず。
『ハコちゃん、おめでとう』
やっぱり、あなたがすぐに浮かぶよ。
湖畔で『ハコちゃん、おはよう』と会いにきてくれた、あの笑顔で、きっと言ってくれているね。
「うん。秀星さんが生きていても、蒼君に出会っていたと思う。でもポルシェは捨てなかったかもね?」
あなたがいなくなって『変わった気持ち』。そこに葉子が現れたのだから。
あなたの『死』で結びついたのだろうけれど、どちらかの人生であっても、葉子はしあわせだったと思える。
そう。もうどう考えても、どうにもならないのだ。
シェフズテーブル。
シェフが調理するすぐそばでもてなす特別なテーブル。
テーブルを二家族分、前日の夜に厨房へ運んだ。
蒼と葉子の給仕のふたりで、テーブルにクロスをかける作業『ナパージュ』も一緒に行った。白のスーナップ(アンダークロス)に、厳かな紺のナップ(トップクロス)を二人で選び、テーブルを飾る花器にグリーンとフラワーも一緒に準備した。
いつも父や料理人たちが行ったり来たりしている通路を埋めたが、今日の父は片側通路のみで調理を行う準備も完璧とのことだった。
一度お会いしたことがあるご両親とお姉さんなので、幾分か葉子も気持ちが落ち着いている。
だが、父は初対面なので、下準備を終えたあとは到着まで厨房の中を行ったり来たりしている。
今日はグレーのスラックスに、白いワイシャツ、母に強引に選ばれただろう桜色のネクタイをしている。そこにエプロンをしての調理だった。
「ちょっとシェフ、落ち着きないですよ」
「やっぱりお父さんなんだな」
スーシェフの石田さんと、パティシエの松本さんに笑われている。
二人とも父の札幌時代からの同僚で、この店についてきてくれたおじさんたち。葉子も子供のころからよく知っているお二人だった。
そのスーシェフの石田さんが、ふっと呟く。
「秀星君も、よろこんでいるだろうね。ハコちゃん、ハコちゃんって、大事に育てていたもんね。仕事で厳しいのも愛情だったと思うよ。十和田さんと、このレストランに、まさか、歌手になろうとしていた娘を、サービスができるセルビーズとして遺してくれたんだもんな。それどころか、あんなにできるメートル・ドテルまで連れてきてくれたよ。これでこのレストランも安泰かな」
落ち着きなくうろうろしていた父の動きが止まる。
こちらに背を向けたまま、じっと黙ってうつむいている。父も秀星のことを鮮明に思い出しているのかもしれない。
だがパティシエの松本さんが、その空気を感じ取ったのか、笑い出す。
「うっるさいメートル・ドテルだけどな!」
「そうなんだよなあ。十和田さんとの掛け合いが絶妙すぎてびっくりする。だんだん息が合ってきてさ。なんかのコンビだろって思ってる」
それを聞いた父が振り返った。
「うるさい。あいつがぽんぽん返してくるだけだからな」
「いーじゃないですか。仲が良い舅と婿になれそうで、そこも安心かなー」
「あ、そろそろ到着かな。葉子ちゃん、ドリンクの準備はいいかな」
石田さんが壁時計を見て動き出す。
「はい。では私もホールに控えています」
「シェフ、そろそろ」
「おう。では、サマッシュ・シルブプレ!」
父の『準備をおねがいします』の声がけに、葉子はスーシェフとパティシエのおじ様たちと一緒に『ウィ、シェフ!』と元気に返答して、それぞれの役割へと動き始める。
蒼と選んだシャンパンを氷を入れたワインクーラーで冷やして、ホールの入り口で待っている。
「姉ちゃん、そろそろ? 俺も手伝うよ」
「ありがとう」
昴もきりっと上等のネクタイを締めて、黒いスーツ姿で隣に並んでくれた。こちらの弟も父と同様、初対面の人がやってくるので緊張しているようだった。
やがて、蒼の黒いSUV車が店先に駐車したのが見えた。
『あー、もう、うるさい!! ほんっと、父ちゃんと姉ちゃん、うるさいったら、うるさい。ちょっと黙って、静かにしてっ。ついたから、大人しくして、ここから、フレンチレストランだからねっ』
『そんな、かしこまらんでもええってことやったやろ。というか、蒼、今日、落ち着きがないのはおまえのほうや』
『ほんとよ。嫁ぎ先に気遣うお嫁さんみたいやん、蒼ったら』
賑やかな声が聞こえてきた。
弟がそれだけで目を丸くしてる。
「わ。めっちゃ、ダラシーノ・ファミリーってかんじ」
「あはは。そうなのよ。ずーっと喋ってる」
『俺、もう疲れちゃったよ!!』
そんな蒼の声も聞こえてきた。
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