6 / 103
【1】名もなき朝の唄《ハコの動画配信》
5.名もなき朝の唄 名もなき朝の写真
しおりを挟む
「葉子が使ったらいい。待っていたんだろ。だから、動画を配信していたんだろ。ま、東京の学校に出しただけあったわ。唄は、うん、けっこう聴ける」
黙って歌手になる道を歩む娘を見守って、そして、訳のわからない動画配信をくじけずに続けている娘に対して、初めていたわりの言葉をかけてくれた。
「大事に使わせていただきます」
葉子が大事に管理していたデータは、今日からは父の許可のもと、葉子が使用できるようになった。
「お父さん。給仕長はもう雇わないの?」
秀星が死去してから、その席が空いたままで、彼の教え子である葉子と地元で雇った若いギャルソンだけでなんとかこなしてきた。
「いま、募集はしている。だけどさ、おまえが、だいぶできるようになってくれていて助かっている。まさかな、カメラまで自分で買って、秀星と同じように俺の料理を毎日撮影して、毎日あいつのパソコンでWEBサイトにアップしてくれるだなんてな……。あいつ……、まさか、娘をこんなふうに育てて、店のために、遺してくれて……」
だめだ。父は彼がいなくなってから変に涙もろくなっている。
弟分であって、そして、オーナーシェフとメートル・ドテルという相棒だったのだろう。
雪解けが進んできたころ。眩しい陽射しが湖面にさす朝。ハコは初めてカメラのまえに姿を現す。
「ハコです。配信を始めて九ヶ月。ほぼ毎朝、ここで。今日はここで同じように毎朝この時間に写真を撮影していた私の上司の、命日です」
秀星の死を利用していると言われるだろう。
でもハコは続ける。これもエゴだ。
「皆様が察しているとおり、私は東京で歌手を目指していましたが挫折して、いまここで働いています。夢は叶わなかったけれど、自分が好きなものをそのまま愛して生きていくことをその人が教えてくれました。……いえ、最初はわからなかったんです。でもその人がどうして毎日ここで写真を撮影していたのか。プロにもなれなかったのに、どうして写真のために生き続けているのか。表現者として知りたかったからです」
コメントが続々と入ってくるのが見える。
だがハコにはもう関係がない。
「答えがわかりました。上司は、それをエゴだと言い、それはしあわせなことだとも言っていました。上司は既に近しい縁者がいませんでした。これまで共に家族のように過ごしてきた私の父が特別縁故者として、写真の所有権を申請し手続きが完了いたしました。SNSで私の唄と共に、発信していきます。上司は毎日毎日ここで撮影していましたので、その日の日付に合わせてアップしていきます。上司がエゴだと言っていた、でも、愛してくれた大沼の自然をご覧いただければ、引き継いだ者として嬉しく思います」
その日からハコは、秀星のSNSアカウントを追悼アカウントとして遺し、自分のアカウントで詳細を説明した後、写真をおなじ日付に合わせてアップしていった。
ハコの動画配信から、ハコが唄った曲名を記録してきたSNSから、それまでのフォロワーが閲覧しにやってくるようになった。
逝去した上司の作品を引き継ぐ唄い手『ハコ』
亡き男性が遺した自然の美しさと、彼女の声がリンクしネット上で盛況
そんなふうに広まっていく。
でもハコはこれを成功とは思っていない。
もう東京にはいかない。ここで生きていく。
「秀星さん、私、知ってるよ。こうしてたくさんの人に見られるためじゃなかったよね」
僕は、大沼で見られる景色がぜーんぶほしいんだ。
ほんっとに美しいんだよ。宝石を手に入れたと言えばわかってくれる?
最後の写真は連写されていて、続けて並べると、吹雪いていたところから、すっと雪が少なくなり、夜空が明け、駒ヶ岳と湖面が薄紫に染まり、湖面に星が映りそうな雪開けだった。
険しい吹雪から、ふっと現れる美しい静寂。
世知辛い世の中を生きてきた彼が体感したかった瞬間だったのではないだろうか。
これをずっと見つめていたんだ。
死んでもほしいもの、見ていたいものはこれだったに違いない。
秀星は、シャッターを押しているその時に、至高の幸福を得ている。
ハコは、名もなき人として、朝に唄い始めてから、幸福を得ている。
でも。この表現が誰かに通じれば、届けば、なにかのためになるなら、またそれだけでしあわせだ。
名もなき人の、名もなき朝の唄。
名もなき人の、名もなき美しき写真。
手に入れたいものが、そこにあった。
「雪解けですね。今日は家入レオ『僕たちの未来』です」
⇒ 次章 逝去した秀星視点『名もなき朝の写真』
黙って歌手になる道を歩む娘を見守って、そして、訳のわからない動画配信をくじけずに続けている娘に対して、初めていたわりの言葉をかけてくれた。
「大事に使わせていただきます」
葉子が大事に管理していたデータは、今日からは父の許可のもと、葉子が使用できるようになった。
「お父さん。給仕長はもう雇わないの?」
秀星が死去してから、その席が空いたままで、彼の教え子である葉子と地元で雇った若いギャルソンだけでなんとかこなしてきた。
「いま、募集はしている。だけどさ、おまえが、だいぶできるようになってくれていて助かっている。まさかな、カメラまで自分で買って、秀星と同じように俺の料理を毎日撮影して、毎日あいつのパソコンでWEBサイトにアップしてくれるだなんてな……。あいつ……、まさか、娘をこんなふうに育てて、店のために、遺してくれて……」
だめだ。父は彼がいなくなってから変に涙もろくなっている。
弟分であって、そして、オーナーシェフとメートル・ドテルという相棒だったのだろう。
雪解けが進んできたころ。眩しい陽射しが湖面にさす朝。ハコは初めてカメラのまえに姿を現す。
「ハコです。配信を始めて九ヶ月。ほぼ毎朝、ここで。今日はここで同じように毎朝この時間に写真を撮影していた私の上司の、命日です」
秀星の死を利用していると言われるだろう。
でもハコは続ける。これもエゴだ。
「皆様が察しているとおり、私は東京で歌手を目指していましたが挫折して、いまここで働いています。夢は叶わなかったけれど、自分が好きなものをそのまま愛して生きていくことをその人が教えてくれました。……いえ、最初はわからなかったんです。でもその人がどうして毎日ここで写真を撮影していたのか。プロにもなれなかったのに、どうして写真のために生き続けているのか。表現者として知りたかったからです」
コメントが続々と入ってくるのが見える。
だがハコにはもう関係がない。
「答えがわかりました。上司は、それをエゴだと言い、それはしあわせなことだとも言っていました。上司は既に近しい縁者がいませんでした。これまで共に家族のように過ごしてきた私の父が特別縁故者として、写真の所有権を申請し手続きが完了いたしました。SNSで私の唄と共に、発信していきます。上司は毎日毎日ここで撮影していましたので、その日の日付に合わせてアップしていきます。上司がエゴだと言っていた、でも、愛してくれた大沼の自然をご覧いただければ、引き継いだ者として嬉しく思います」
その日からハコは、秀星のSNSアカウントを追悼アカウントとして遺し、自分のアカウントで詳細を説明した後、写真をおなじ日付に合わせてアップしていった。
ハコの動画配信から、ハコが唄った曲名を記録してきたSNSから、それまでのフォロワーが閲覧しにやってくるようになった。
逝去した上司の作品を引き継ぐ唄い手『ハコ』
亡き男性が遺した自然の美しさと、彼女の声がリンクしネット上で盛況
そんなふうに広まっていく。
でもハコはこれを成功とは思っていない。
もう東京にはいかない。ここで生きていく。
「秀星さん、私、知ってるよ。こうしてたくさんの人に見られるためじゃなかったよね」
僕は、大沼で見られる景色がぜーんぶほしいんだ。
ほんっとに美しいんだよ。宝石を手に入れたと言えばわかってくれる?
最後の写真は連写されていて、続けて並べると、吹雪いていたところから、すっと雪が少なくなり、夜空が明け、駒ヶ岳と湖面が薄紫に染まり、湖面に星が映りそうな雪開けだった。
険しい吹雪から、ふっと現れる美しい静寂。
世知辛い世の中を生きてきた彼が体感したかった瞬間だったのではないだろうか。
これをずっと見つめていたんだ。
死んでもほしいもの、見ていたいものはこれだったに違いない。
秀星は、シャッターを押しているその時に、至高の幸福を得ている。
ハコは、名もなき人として、朝に唄い始めてから、幸福を得ている。
でも。この表現が誰かに通じれば、届けば、なにかのためになるなら、またそれだけでしあわせだ。
名もなき人の、名もなき朝の唄。
名もなき人の、名もなき美しき写真。
手に入れたいものが、そこにあった。
「雪解けですね。今日は家入レオ『僕たちの未来』です」
⇒ 次章 逝去した秀星視点『名もなき朝の写真』
0
お気に入りに追加
188
あなたにおすすめの小説
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
花好きカムイがもたらす『しあわせ』~サフォークの丘 スミレ・ガーデンの片隅で~
市來茉莉(茉莉恵)
キャラ文芸
【私にしか見えない彼は、アイヌの置き土産。急に店が繁盛していく】
父が経営している北国ガーデンカフェ。ガーデナーの舞は庭の手入れを担当しているが、いまにも閉店しそうな毎日……
ある日、黒髪が虹色に光るミステリアスな男性が森から現れる。なのに彼が見えるのは舞だけのよう? でも彼が遊びに来るたびに、不思議と店が繁盛していく
繁盛すればトラブルもつきもの。 庭で不思議なことが巻き起こる
この人は幽霊? 森の精霊? それとも……?
徐々にアイヌとカムイの真相へと近づいていきます
★第四回キャラ文芸大賞 奨励賞 いただきました★
※舞の仕事はガーデナー、札幌の公園『花のコタン』の園芸職人。
自立した人生を目指す日々。
ある日、父が突然、ガーデンカフェを経営すると言い出した。
男手ひとつで育ててくれた父を放っておけない舞は仕事を辞め、都市札幌から羊ばかりの士別市へ。父の店にあるメドウガーデンの手入れをすることになる。
※アイヌの叙事詩 神様の物語を伝えるカムイ・ユーカラの内容については、専門の書籍を参照にしている部分もあります。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
透明な僕たちが色づいていく
川奈あさ
青春
誰かの一番になれない僕は、今日も感情を下書き保存する
空気を読むのが得意で、周りの人の為に動いているはずなのに。どうして誰の一番にもなれないんだろう。
家族にも友達にも特別に必要とされていないと感じる雫。
そんな雫の一番大切な居場所は、”150文字”の感情を投稿するSNS「Letter」
苦手に感じていたクラスメイトの駆に「俺と一緒に物語を作って欲しい」と頼まれる。
ある秘密を抱える駆は「letter」で開催されるコンテストに作品を応募したいのだと言う。
二人は”150文字”の種になる季節や色を探しに出かけ始める。
誰かになりたくて、なれなかった。
透明な二人が150文字の物語を紡いでいく。
表紙イラスト aki様
君の未来に私はいらない
南 コウ
ライト文芸
【もう一度、あの夏をやり直せるなら、君と結ばれない未来に変えたい】
二十五歳の古谷圭一郎は、妻の日和を交通事故で亡くした。圭一郎の腕の中には、生後五か月の一人娘、朝陽が残されていた。
圭一郎は、日和が亡くなったのは自分のせいだと悔やんでいた。罪悪感を抱きつつ、生後五か月の娘との生活に限界を感じ始めた頃、神社の境内で蛍のような光に包まれて意識を失った。
目を覚ますと、セーラー服を着た十七歳の日和に見下ろされていた。その傍には見知らぬ少女が倒れている。目を覚ました少女に名前を尋ねると「古谷朝陽」と名乗った。
十七歳になった娘と共に、圭一郎は八年前にタイムリープした。
家族三人で過ごす奇跡のような夏が、いま始まる――。
※本作はカクヨムでも投稿しています。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
夢の国警備員~殺気が駄々洩れだけどやっぱりメルヘンがお似合い~
鏡野ゆう
ライト文芸
日本のどこかにあるテーマパークの警備スタッフを中心とした日常。
イメージ的には、あそことあそことあそことあそこを足して、4で割らない感じの何でもありなテーマパークです(笑)
※第7回ライト文芸大賞で奨励賞をいただきました。ありがとうございます♪※
カクヨムでも公開中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる