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【11】 さよなら、花守人

④ なにか見えていただろ?

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 今度は舞が入院生活になってしまった。
 足の骨折はなく捻挫、身体は打撲と肋骨骨折だった。三日ほどで退院の予定。

 病室にやってきた父に散々叱られた。森の中には入らないと約束した。何故入ったのかと厳しく追及され『美羽を助けただろうカラスを追いかけてしまった』と子供みたいな返答しかできなかった。

 肋骨の痛みを抑える鎮痛剤のおかげで、なんとか穏やかにベッドの上で過ごしていた。精神的にも少し疲れていたのか、寝ていることも多い。

 日中は通院中の父が面倒を見に来てくれるが、日が暮れると優大が訪ねてくる。

「これ。頼まれていたやつ」

 もの凄く不機嫌な顔をして、彼がやってきた。紙袋に入っているのは、舞の着替え。彼に部屋から持ってきてもらうように頼んだ。しかも下着だった。

「ありがとう。三日の入院だから、上はレンタルの患者着でいいんだけれど。下着はやっぱりね」
「おまえ、そういうのは父ちゃんに頼むもんじゃねえのかよ」
「なんで。お父さんに見られるほうが嫌だよ。中学生になってから、自分の下着は自分で洗ってきたし、お父さんに触らせたことなんて一回もないから」
「だからって。おまえ……、他人の男、しかも、その、触れさせたこともない男にさ。留守の間に部屋に入らせて、タンスを開けさせて、ずらっと並んだ、その……」

 キャミソールにブラジャーにショーツと、男性が見るには憚るものばかり、優大に持ってくるように頼んだ。女性のランジェリーボックスを目の当たりにしてしまい、大変戸惑ったことだろうと申し訳なくは思っている。

「……いいじゃん。どうせ、これから幾つも見ることになるんだから」

 優大がびっくりして、すぐに顔を真っ赤にしたのがわかった。そういう舞もきっと頬が赤くなっているはず。

「だ、だから。おまえ、言い方ってもんあるだろ!」
「じゃあ。他人のほうが、父に見られるよりマシです」

 呆れたように優大が目を覆ってうなだれた。

「身も蓋もねえな。さっきのほうがマシじゃねえかよ」
「娘はそんなもんなんだって。だって。頼める女性いないんだもの」
「確かにな。こんな時、やっぱ母ちゃんとか姉妹がいれば、だよな。美羽がいたら中学生でもあいつに頼んだんだろ」

 舞もこっくり頷く。が――。

「でも、これからは優大君がいるから」

 また彼が顔を赤くして、黙って俯いてしまった。

「少しは声が出るようになったな」
「うん。鎮痛剤が効いているから。切れるとちょっと辛い。でも肋骨は自然治癒だから仕方ないね」
「庭、どうする。冬支度がまだだっただろ」
「お父さんが高橋チーフに相談してくれて。花のコタンの職員さんを何人かつれて、出来るだけの片付けと冬支度をしてくれるって」

 それなら、よかった――と優大もほっとひと息ついてくれた。

「これ。甘食とフィナンシェと、クッキー、その他もろもろだ」

 舞が好きなおやつばかり持ってきてくれた。スミレ・ガーデンカフェの紙袋に包まれているものを、舞も『ありがとう』と受け取る。

 中身を確かめて笑顔になる。

「私が気に入っている優大君のお菓子ばっかり」

 マドレーヌも入っていた。それを見つめているうちに……、急に涙が出てきた。
 もう。このお菓子を、カラク様と食べることができなくなったんだと。

「舞……」

 彼がそっと、大きな手で舞の背中を撫でてくれる。なんで泣いているのか、慌てるのかと思っていたら、優大は思いのほか落ち着いていた。

 舞が入った部屋は入院患者はいないが、優大が人目を気にするようにベッド周辺のカーテンを閉めた。椅子に座り直すと、少し躊躇っているようにして、黙っている。これからの男と女としての関係について、しっかり話し合うつもりなのかなと舞は思ってしまい、心構えを整える。

「聞きたいことがある」
「はい」
「おまえ。やっぱりなにか見えていただろ」

 ん? しおらしく『はい』と答えたのに、まったく違うことを問われている。しかも、いつか彼が納得して聞き流したはずの話題が蒸し返されている?

「カムイだと思えるものが見えていたんだろ。アイヌの姿をした男だ」

 ドキリとさせられ、舞は目を丸くした。

「どうして。アイヌの男性だと思ったの?」
「あの日、おまえが納屋からちっとも帰ってこないことに気がついたのは、日が暮れてしばらく、十八時ごろだ。真っ暗になった納屋に行ったら、ドアが開いたまま、おまえがどこにもいない。ガーデンにもいない。もしやと思って森に入ってみたら、足跡がずっと奥へと続いていた。なんで、嘘だろと思った。いままで森に一度も入ったこともなかったおまえが、なんで森へ、しかも雪が積もった日の夜に入っていたんだと、尋常じゃないものを感じた。すぐにオーナーに知らせて、警察、救急、消防団が駆けつけて、森に入ってくれた」
「ほ、本当に。ごめんなさい。すごい迷惑かけちゃって」

 父が酷く舞を叱責したのは、町の皆さんに心配を掛けるような軽率な行動を娘が取って、騒ぎになったからでもあった。舞も反省している――。でも優大はまだ静かに続けた。

「途中で足跡が途切れていたんだよ。そこから、捜索隊が八方にちらばることになったんだが、おまえの痕跡がひとつも見当たらなかった。雪が積もった暗い森の中を、何時間も歩き回るのは捜索している人間にも危険だ。おまえの父ちゃん、捜索隊を危険な目に遭わせられない、でも娘は絶対に見つけて欲しいという葛藤と戦っていたが、徐々に決断を迫られていた。そこで俺はもう一度、おまえの足跡を納屋から辿ることをしようと、一度、森の外に出た。懐中電灯でひとつひとつ、おまえの足跡を追って、左右のアカエゾマツの並木の奥も確認して――。そうしたら、目の前にいたんだ。黒髪のアイヌの姿をした男が、カラスを何羽も従えて立っていたんだ」

 カラク様だ! 優大の目の前にも現れていた。いや、優大が舞を見つけたい一心で引き寄せた? そうだ。カララク・カムイは迷っているものを導くのが使命――だから?

「すげえ綺麗な顔をした男だった。黒髪がカラスの羽のように虹色をまとって。俺を静かに見るだけで、なにも話しかけてこないんだ。で、不思議なんだけどよ。気がついたら俺、雪道に寝そべって倒れていたんだよ。まるで眠らされたかのように。俺、言ったことがあるだろ。カムイが人の姿で現れるのは、夢の中でお告げをするときだって。それで俺、ピンときた。あのカラスたちは、美羽を助けたカラスで、その中の一羽がハマナスを咥えて飛んでいたやつで、そして……おまえがいつもひそひそとはなしていたのはこの男だったんじゃないかと――」

 舞はもう頬に涙が流れ出していた……。

「それで……? カララク様はどうしてくれたの」
「いつの間にか倒れていて目を開けたら、その男はいなかった。でも、カラスだけが残っていて、俺についてこいとばかりに先へ行っては振り返って集まっていて、俺が追いつくと先へと飛んで、そのうちに俺と一緒に走って先へ先へと案内されたのが、あの谷の淵だったんだよ。それからも周りのアカエゾマツにもカラスたちが止まってカアカア鳴いて、谷の底へと飛び降りるヤツもいて確信した。ここに、舞がいるんだって」

 舞の頭上にカラスが集まってきた時のことなのだろう。

「その男と、いつもひそひそ話していたんだろ。そいつが、美羽を助けてくれたんだろ。カラスのカムイだ。婆ちゃんも見えていたんだな。そして新たにやってきた舞となにかが通じたんだろう」

 やっぱり。カラク様が優大を、遭難した舞のところまで導いてくれていた。止めどもなく流れる涙を拭いて、舞も真実を告げるため、意を決する。

「そうだよ。そのカムイ様、優大君のお菓子が大好きで、いつも私と一緒に食べていたの。お父さんのオレンジティーも大好きで、優大君が作ったガトーショコラと合わせて食べたいと言い出したのも、カララク様。少しずつ、道しるべを示してくれて、あのカフェを導いてくれていたの。お花が大好きで、よく散歩に来ていた。いつも肝心なときに、道しるべを示してくれた人なの」
「それ……。マジでカララク・カムイじゃねえかよ」
「でも。大昔にお役目を忘れて失態を犯したとかで、あの丘から出ることが出来ずに、いつもうろうろしているみたい……な、夢をみたんだけど。それもカララク様が見せてくれたのかな。危険を知らせる役目があったのに、あの丘の花畑で遊んでいて忘れてしまって、近くの川が氾濫したときにアイヌのコタンが全滅したとかなんとか」

 優大が青ざめている。この近くには天塩(てしお)川という大きな河があって、氾濫もよく起こしていたことを、地元で育った者としてよく知っているとのことだった。

「石狩峠の強情なキムン・カムイ、熊のカムイのユーカラと似ているな」
「そうなの。骨がまだ朽ちていないから、カムイの国に帰ることができない……とも言っていたような気がする。でも夢ぽくて、私の気のせいか思い込みかも」

 それでも、あの声の語りは、カラク様がカムイとして舞の夢に現れたと思いたい。

「でも。初めて目の前に現れた時、アイヌの姿じゃなかったの。いまと同じ現代ファッションをご自分のお好みでお召しになっていたみたいで。今年に入ってからなの。急にアイヌの民族衣装で姿を現すようになった。いつだったかな。夏の頃から『思い出してきたら、この姿しかできなくなった』と言って、お別れを言いに来たときも……、あの姿で……。最後に、さよならをした時も……、あの美しい模様がある着物の背中で……谷間に消えちゃって……」

 さようなら、私の花守人――。

 優しい声が蘇ってきて、舞は泣きさざめく。もうなにも話せなかった。
 優大が立ち上がって、舞を抱きしめてくれる。黙って、優しく、長く。
 もう僕は必要ありませんよ。
 その言葉も蘇る。もう舞はひとりじゃない。
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