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49.帰ってきて!!
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「清子叔母と喧嘩したなんて、まあよくあることだと思いましたので。こちらからわざわざ連絡もしませんでした。ほんとうに迂闊でした。昨日、お父様から三年前の事件のことを聞きたいとお申し出があった時に胸騒ぎがして、晴紀に連絡をしてわかったことです」
そういうことかーと、美湖もがっくりしてうなだれた。
「……も、申し訳ないです。その、頭に血が上ってしまって」
「こんな娘で申し訳ないです。ほんと、おまえはもう」
父の窘められても、もう美湖も言い返せない。ほんとうに彼の従兄様にこんないつものかわいげのなさを見せてしまって恥ずかしい。
でも慶太郎が笑った。
「いえ……、晴紀が『診療所の女医さんが、気が強くてぜんっぜんかわいくない。けど、面白い』と、久しぶりに楽しそうに話してくれたのですが、あはは、なるほどと思っています」
やっと慶太郎が声を立てて笑った。
そしてひととき笑うと、大人の男の眼差しがそっと伏せられる。
「父と一緒に腹をくくりました。真実を知って帰ってくるだろう晴紀を待って迎え入れます」
その気持ちは美湖もおなじだった。だが、美湖はもうすぐに飛行機に乗ってでも、新幹線に乗ってでも、晴紀を迎えに行きたい。
「どうして晴紀が三年も、陥れられたまま甘んじていたのに、急に真実を知りたいと彼女なら知っているはずと島を出て行ったのか、よくわかりました」
美湖先生。貴女が晴紀と清子叔母をやっと外に出してくれたのだとね――。
「どうぞ、晴紀と清子叔母をよろしくお願い致します」
彼の従兄に託してもらえた。もうその時点で美湖は涙をこぼしていた。
いま晴紀がどうしているのか。なにを思っているのか。それだけは心配で仕方がない。
でも。晴紀は人殺しではなかった!
「父も美湖先生にお会いしたいと言っていたのですが、本日はどうしても造船所に出向かなくてはいけないことがありまして残念がっていました」
「私もお会いしたかったですね。娘がこれからも重見さんにご迷惑をかけるかと思うので、ご挨拶を父親としてしておきたかったです」
「お父様はいつお帰りに?」
「明日、松山空港から帰ります」
父と慶太郎が男の大人同士の話を始めていた。慶太郎の経歴とこれまでの仕事に、そして子供の頃はよく島に遊びに行って清子に可愛がってもらったことや、重見の亡くなったお父さんが船に乗せてくれなければ、一族の仕事には興味を持てなかったかもしれないなどなど。
「外航船となると六ヶ月乗船、四ヶ月の休暇と極端です。事情があって内航船にシフトする船乗りもいます。家族との事情も含めて長期間、家を空けるのは大変なことなのです。その負担を軽減するために、船乗りの派遣会社も経営しています」
そこに晴紀を登録して、彼のいまの生活にあわせた派遣をしているとのことだった。
「いまは、船と船員乗員をオールセットでレンタルしたいと企業側から言われることもありましてね。派遣会社で良い船員がいればうちの貨物に乗ってもらう契約も含め、晴紀には船に乗って良さそうな乗組員がいればチェックしておくようにしてもらっています。将来は、私の右腕になって欲しいと思い、いま人事を一緒にさせています」
やっと晴紀の仕事の実体を掴んだ気がした。父も美湖の隣で納得している。
「どのような船があるのですか」
「あ、待ってくださいね。いま、写真付きのファイルお見せします」
慶太郎もまんざらではない様子で、従兄様も海と船を敬愛していそうだなと美湖もほっとしてきた。
父もすっかりこの世界に惚れ込んでしまったようだった。
「あの、お手洗い。お借りします」
「ああ、この廊下の突き当たりにあります」
美湖はまだ闇ながら熱帯びた男と女の執念にあてられのぼせていた。少し違う空気を吸いたく、席を離れた。
それと同時に。外に出て、美湖は副社長室から少し離れ、ハンドバッグからそっとスマートフォンを取り出す。
「ハル君……。どうして。いま、ひとりで大丈夫なの?」
朝、従兄からの連絡に彼女の実家へ行くと伝えたのなら、もう昼過ぎ。絶対に真実を知ったか、追い返されているかのどちらか。
彼が漁船で島を出て行ってから数日。その間、美湖から連絡しても晴紀は決して電話を取ってもくれないし、メッセージも既読もつかず見てくれない。応えてくれない。そこに、すべてが終わるまで、自分が納得できるまで、美湖とは接触しない晴紀の覚悟を感じていた。
それならば、もう、ハル君もわかったでしょう。美湖は晴紀にダイヤルをする。
お願い、出て!
小さな会社のビル、三階の突き当たりの小窓。そこから秋の風が吹いてきて、美湖の身体の熱を優しく撫でてくれても、晴紀は出ない。
一度、切って。美湖はもう一度かける。
『センセ……』
出た。晴紀の声を、美湖は数日ぶりに聞く。
「ハル君、いま東京?」
『どうして知ってるんだよ』
ハルの声を聞いて、もう力が抜けるぐらい。美湖はその窓辺でとめどもなく涙で頬を濡らして泣いた。
「いま、なにしているの。どうしているの。ひとりで大丈夫。ねえ、お願い。私、清子さんと待っているから。すぐ帰ってきて。どんなハル君でもいいの。父もハル君のこと凄く気に入っているの。本当よ。私もちゃんと父と話したよ」
『先生……。俺、なにも知らなくて……』
「わかってる。だから、そのまま帰ってきて。彼女に会ったの? ご家族に会えたの?」
『なんで? 先生が知ってるんだよ。彼女って誰のこと言っているんだよ。俺がその女に会いに行ったってこと……、まさか……、先生。いまどこにいる?』
涙でくぐもった声で『今治の伯父様の会社だよ』と言おうとしたその時。
美湖の真後ろに人が立っているのに気がついた。白髪の紺のスーツ姿の男性。彼が美湖の泣いている顔を覗き込んでいる。
「おや、もしかして。美湖先生……ですか」
「え」
『……! 先生、まさか』
晴紀も気がついた。そして、その男性がにっこり微笑む。
「晴紀の伯父です」
「う、うん。そう……あの、」
『伯父さんのところかよ!』
そこに晴紀はいないけれど、美湖はこっくり頷くだけになってしまっていた。
そういうことかーと、美湖もがっくりしてうなだれた。
「……も、申し訳ないです。その、頭に血が上ってしまって」
「こんな娘で申し訳ないです。ほんと、おまえはもう」
父の窘められても、もう美湖も言い返せない。ほんとうに彼の従兄様にこんないつものかわいげのなさを見せてしまって恥ずかしい。
でも慶太郎が笑った。
「いえ……、晴紀が『診療所の女医さんが、気が強くてぜんっぜんかわいくない。けど、面白い』と、久しぶりに楽しそうに話してくれたのですが、あはは、なるほどと思っています」
やっと慶太郎が声を立てて笑った。
そしてひととき笑うと、大人の男の眼差しがそっと伏せられる。
「父と一緒に腹をくくりました。真実を知って帰ってくるだろう晴紀を待って迎え入れます」
その気持ちは美湖もおなじだった。だが、美湖はもうすぐに飛行機に乗ってでも、新幹線に乗ってでも、晴紀を迎えに行きたい。
「どうして晴紀が三年も、陥れられたまま甘んじていたのに、急に真実を知りたいと彼女なら知っているはずと島を出て行ったのか、よくわかりました」
美湖先生。貴女が晴紀と清子叔母をやっと外に出してくれたのだとね――。
「どうぞ、晴紀と清子叔母をよろしくお願い致します」
彼の従兄に託してもらえた。もうその時点で美湖は涙をこぼしていた。
いま晴紀がどうしているのか。なにを思っているのか。それだけは心配で仕方がない。
でも。晴紀は人殺しではなかった!
「父も美湖先生にお会いしたいと言っていたのですが、本日はどうしても造船所に出向かなくてはいけないことがありまして残念がっていました」
「私もお会いしたかったですね。娘がこれからも重見さんにご迷惑をかけるかと思うので、ご挨拶を父親としてしておきたかったです」
「お父様はいつお帰りに?」
「明日、松山空港から帰ります」
父と慶太郎が男の大人同士の話を始めていた。慶太郎の経歴とこれまでの仕事に、そして子供の頃はよく島に遊びに行って清子に可愛がってもらったことや、重見の亡くなったお父さんが船に乗せてくれなければ、一族の仕事には興味を持てなかったかもしれないなどなど。
「外航船となると六ヶ月乗船、四ヶ月の休暇と極端です。事情があって内航船にシフトする船乗りもいます。家族との事情も含めて長期間、家を空けるのは大変なことなのです。その負担を軽減するために、船乗りの派遣会社も経営しています」
そこに晴紀を登録して、彼のいまの生活にあわせた派遣をしているとのことだった。
「いまは、船と船員乗員をオールセットでレンタルしたいと企業側から言われることもありましてね。派遣会社で良い船員がいればうちの貨物に乗ってもらう契約も含め、晴紀には船に乗って良さそうな乗組員がいればチェックしておくようにしてもらっています。将来は、私の右腕になって欲しいと思い、いま人事を一緒にさせています」
やっと晴紀の仕事の実体を掴んだ気がした。父も美湖の隣で納得している。
「どのような船があるのですか」
「あ、待ってくださいね。いま、写真付きのファイルお見せします」
慶太郎もまんざらではない様子で、従兄様も海と船を敬愛していそうだなと美湖もほっとしてきた。
父もすっかりこの世界に惚れ込んでしまったようだった。
「あの、お手洗い。お借りします」
「ああ、この廊下の突き当たりにあります」
美湖はまだ闇ながら熱帯びた男と女の執念にあてられのぼせていた。少し違う空気を吸いたく、席を離れた。
それと同時に。外に出て、美湖は副社長室から少し離れ、ハンドバッグからそっとスマートフォンを取り出す。
「ハル君……。どうして。いま、ひとりで大丈夫なの?」
朝、従兄からの連絡に彼女の実家へ行くと伝えたのなら、もう昼過ぎ。絶対に真実を知ったか、追い返されているかのどちらか。
彼が漁船で島を出て行ってから数日。その間、美湖から連絡しても晴紀は決して電話を取ってもくれないし、メッセージも既読もつかず見てくれない。応えてくれない。そこに、すべてが終わるまで、自分が納得できるまで、美湖とは接触しない晴紀の覚悟を感じていた。
それならば、もう、ハル君もわかったでしょう。美湖は晴紀にダイヤルをする。
お願い、出て!
小さな会社のビル、三階の突き当たりの小窓。そこから秋の風が吹いてきて、美湖の身体の熱を優しく撫でてくれても、晴紀は出ない。
一度、切って。美湖はもう一度かける。
『センセ……』
出た。晴紀の声を、美湖は数日ぶりに聞く。
「ハル君、いま東京?」
『どうして知ってるんだよ』
ハルの声を聞いて、もう力が抜けるぐらい。美湖はその窓辺でとめどもなく涙で頬を濡らして泣いた。
「いま、なにしているの。どうしているの。ひとりで大丈夫。ねえ、お願い。私、清子さんと待っているから。すぐ帰ってきて。どんなハル君でもいいの。父もハル君のこと凄く気に入っているの。本当よ。私もちゃんと父と話したよ」
『先生……。俺、なにも知らなくて……』
「わかってる。だから、そのまま帰ってきて。彼女に会ったの? ご家族に会えたの?」
『なんで? 先生が知ってるんだよ。彼女って誰のこと言っているんだよ。俺がその女に会いに行ったってこと……、まさか……、先生。いまどこにいる?』
涙でくぐもった声で『今治の伯父様の会社だよ』と言おうとしたその時。
美湖の真後ろに人が立っているのに気がついた。白髪の紺のスーツ姿の男性。彼が美湖の泣いている顔を覗き込んでいる。
「おや、もしかして。美湖先生……ですか」
「え」
『……! 先生、まさか』
晴紀も気がついた。そして、その男性がにっこり微笑む。
「晴紀の伯父です」
「う、うん。そう……あの、」
『伯父さんのところかよ!』
そこに晴紀はいないけれど、美湖はこっくり頷くだけになってしまっていた。
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