上 下
49 / 59

49.帰ってきて!!

しおりを挟む
「清子叔母と喧嘩したなんて、まあよくあることだと思いましたので。こちらからわざわざ連絡もしませんでした。ほんとうに迂闊でした。昨日、お父様から三年前の事件のことを聞きたいとお申し出があった時に胸騒ぎがして、晴紀に連絡をしてわかったことです」

 そういうことかーと、美湖もがっくりしてうなだれた。

「……も、申し訳ないです。その、頭に血が上ってしまって」
「こんな娘で申し訳ないです。ほんと、おまえはもう」

 父の窘められても、もう美湖も言い返せない。ほんとうに彼の従兄様にこんないつものかわいげのなさを見せてしまって恥ずかしい。

 でも慶太郎が笑った。

「いえ……、晴紀が『診療所の女医さんが、気が強くてぜんっぜんかわいくない。けど、面白い』と、久しぶりに楽しそうに話してくれたのですが、あはは、なるほどと思っています」

 やっと慶太郎が声を立てて笑った。
 そしてひととき笑うと、大人の男の眼差しがそっと伏せられる。

「父と一緒に腹をくくりました。真実を知って帰ってくるだろう晴紀を待って迎え入れます」

 その気持ちは美湖もおなじだった。だが、美湖はもうすぐに飛行機に乗ってでも、新幹線に乗ってでも、晴紀を迎えに行きたい。

「どうして晴紀が三年も、陥れられたまま甘んじていたのに、急に真実を知りたいと彼女なら知っているはずと島を出て行ったのか、よくわかりました」

 美湖先生。貴女が晴紀と清子叔母をやっと外に出してくれたのだとね――。

「どうぞ、晴紀と清子叔母をよろしくお願い致します」

 彼の従兄に託してもらえた。もうその時点で美湖は涙をこぼしていた。
 いま晴紀がどうしているのか。なにを思っているのか。それだけは心配で仕方がない。

 でも。晴紀は人殺しではなかった!

「父も美湖先生にお会いしたいと言っていたのですが、本日はどうしても造船所に出向かなくてはいけないことがありまして残念がっていました」
「私もお会いしたかったですね。娘がこれからも重見さんにご迷惑をかけるかと思うので、ご挨拶を父親としてしておきたかったです」
「お父様はいつお帰りに?」
「明日、松山空港から帰ります」

 父と慶太郎が男の大人同士の話を始めていた。慶太郎の経歴とこれまでの仕事に、そして子供の頃はよく島に遊びに行って清子に可愛がってもらったことや、重見の亡くなったお父さんが船に乗せてくれなければ、一族の仕事には興味を持てなかったかもしれないなどなど。

「外航船となると六ヶ月乗船、四ヶ月の休暇と極端です。事情があって内航船にシフトする船乗りもいます。家族との事情も含めて長期間、家を空けるのは大変なことなのです。その負担を軽減するために、船乗りの派遣会社も経営しています」

 そこに晴紀を登録して、彼のいまの生活にあわせた派遣をしているとのことだった。

「いまは、船と船員乗員をオールセットでレンタルしたいと企業側から言われることもありましてね。派遣会社で良い船員がいればうちの貨物に乗ってもらう契約も含め、晴紀には船に乗って良さそうな乗組員がいればチェックしておくようにしてもらっています。将来は、私の右腕になって欲しいと思い、いま人事を一緒にさせています」

 やっと晴紀の仕事の実体を掴んだ気がした。父も美湖の隣で納得している。

「どのような船があるのですか」
「あ、待ってくださいね。いま、写真付きのファイルお見せします」

 慶太郎もまんざらではない様子で、従兄様も海と船を敬愛していそうだなと美湖もほっとしてきた。

 父もすっかりこの世界に惚れ込んでしまったようだった。

「あの、お手洗い。お借りします」
「ああ、この廊下の突き当たりにあります」

 美湖はまだ闇ながら熱帯びた男と女の執念にあてられのぼせていた。少し違う空気を吸いたく、席を離れた。

 それと同時に。外に出て、美湖は副社長室から少し離れ、ハンドバッグからそっとスマートフォンを取り出す。

「ハル君……。どうして。いま、ひとりで大丈夫なの?」

 朝、従兄からの連絡に彼女の実家へ行くと伝えたのなら、もう昼過ぎ。絶対に真実を知ったか、追い返されているかのどちらか。
 彼が漁船で島を出て行ってから数日。その間、美湖から連絡しても晴紀は決して電話を取ってもくれないし、メッセージも既読もつかず見てくれない。応えてくれない。そこに、すべてが終わるまで、自分が納得できるまで、美湖とは接触しない晴紀の覚悟を感じていた。

 それならば、もう、ハル君もわかったでしょう。美湖は晴紀にダイヤルをする。
 お願い、出て!

 小さな会社のビル、三階の突き当たりの小窓。そこから秋の風が吹いてきて、美湖の身体の熱を優しく撫でてくれても、晴紀は出ない。

 一度、切って。美湖はもう一度かける。

『センセ……』

 出た。晴紀の声を、美湖は数日ぶりに聞く。

「ハル君、いま東京?」
『どうして知ってるんだよ』

 ハルの声を聞いて、もう力が抜けるぐらい。美湖はその窓辺でとめどもなく涙で頬を濡らして泣いた。

「いま、なにしているの。どうしているの。ひとりで大丈夫。ねえ、お願い。私、清子さんと待っているから。すぐ帰ってきて。どんなハル君でもいいの。父もハル君のこと凄く気に入っているの。本当よ。私もちゃんと父と話したよ」

『先生……。俺、なにも知らなくて……』

「わかってる。だから、そのまま帰ってきて。彼女に会ったの? ご家族に会えたの?」

『なんで? 先生が知ってるんだよ。彼女って誰のこと言っているんだよ。俺がその女に会いに行ったってこと……、まさか……、先生。いまどこにいる?』

 涙でくぐもった声で『今治の伯父様の会社だよ』と言おうとしたその時。
 美湖の真後ろに人が立っているのに気がついた。白髪の紺のスーツ姿の男性。彼が美湖の泣いている顔を覗き込んでいる。

「おや、もしかして。美湖先生……ですか」
「え」
『……! 先生、まさか』

 晴紀も気がついた。そして、その男性がにっこり微笑む。

「晴紀の伯父です」
「う、うん。そう……あの、」
『伯父さんのところかよ!』

  そこに晴紀はいないけれど、美湖はこっくり頷くだけになってしまっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

処理中です...