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5. 男は見かけによらぬもの

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 なのに、彼が急に来なくなった。
 梅雨本番で雨ばかり降っている。天候が悪いだけで客足が減る。
 奥様方もこのような天気では、たとえ車でいつでも出かけられるといっても、カフェでランチという気分にはならないだろう。
 もしかして、あの人も? 徒歩だから、雨が続くと来にくくなるの?
 いつのまにか彼を待っている自分に美鈴は気がついてしまう。ふとすると溜め息までついている。
 それは弟も同じ。漁港の市場で仕入れた食材で渾身のランチを作っても来客は少ないし、食べて欲しい彼を心待ちにしている。
 それでもトラックドライバーは天候は関係なし。今日も港のフェリーから降りてきたドライバーが長距離走行をする前に立ち寄ってくれる。
 では、この前のようにディナーにくるかもしれない。そう思って待つこと十日ほど。やはり来なかった。
 夜も雨の日は、客入りは少ない。OLさんが2組だけ。
 弟もすぐに手が空いてしまった。
「なあ、あの人が来ないのは、長雨のせいかな」
「かもね……。どこかから歩いて来ているなら、少しの距離でも濡れるのは億劫だものね」
 自分もそうだから。美鈴も溜め息をつく。
「それでもなあ。あの人がコンビニ弁当で済ますなんてイメージ湧かないんだよな。なんか……仕事も丁寧そうなもの感じるんだよ」
「字が綺麗というだけで、宗佑がイメージしているだけでしょ」
「喋る言葉も丁寧で優しい感じだったよ。顔は怖いけどさ……」
 その後、姉弟揃って心の中で呟いただろう。『でも、入れ墨に傷跡があるんだよね』と。そこはもう言葉に発して出したくなくなっていた。少なくとも美鈴の場合は。宗佑も同じだと思っている。
 あの人がヤクザでなければいいのに。何度もそう思って願って、でも、『タトゥー』というファッションとは言い難い模様があったから逃れられない。
 それでもいいから。食べに来て欲しい。そこは目をつむって、お客様として待っている。
 彼のジャケットの匂いを美鈴は覚えている。汗と体臭が沁みた男の匂い、仕事で着古している匂い。
 ネクタイもしていない、頼りない衿とか。スーツ姿なのにどこかくたびれている、おおよそオフィスにいるビジネスマンではない風貌の、男臭さ。ほこり臭さ。
 それでも品の良さがあるのはどうしてなのだろう。ヤクザさんも上下関係が厳しく、礼儀を重んじるから、教育されて培われたものなのかもしれない?
 雨足が強くなってきた。そのせいか、女の子達もお喋りを切り上げる時間が早い。いつもより早い時間帯で二組とも精算を終え出て行った。
「今日はこれが最後かな。少なめに仕入れておいて正解だったな」
 でもあの人が来るかもしれない。だからなのか、弟はブイヨンを温めている寸胴鍋の火をまだ落とさない。
 ラストオーダーの時間まで待っている。それでもあまりにも人が来なければ、早々に閉店するのも経費節減だった。
「あと十分経って誰も来なかったら、火を落とす。今日は閉めよう」
 弟の決断に美鈴も頷いた。
 そんな時、あのビジネスマンのグループがやってきた。
 いつもより遅い時間帯だったので美鈴も宗佑も驚いた。
 すぐにそれぞれの配置につく。
 彼がいつも座るのは奥のテーブルが多い。帰りにお手洗いに行きやすいからかもしれない。
 今夜はもうどのテーブルも空いているのに、やはり奥のテーブルに彼等が落ち着いた。
「いらっしゃいませ」
 いつもどおりにお水を持っていく。
 初めて、眼鏡のビジネスマン男性と目が合う。
「俺等のまえに、誰か来んかったかいな」
「本日は女性のお客様が少し来られただけです」
「ほうかいな」
 見かけはエリートビジネスマンに見える男の口調が思ったより荒っぽい。でもこの地域では、浜育ちだとこのような言葉遣いの男性も割といる。それでも妙な胸騒ぎがした。
「ここのメシ、おもったよりうまいな。姉ちゃん、今夜も頼むわ。本日のディナーセットでな」
「いつもありがとうございます」
 その眼鏡の彼が、美鈴を見てにやにやしている。
「姉ちゃん、いい声してるな。そばに来て酒を注いでもろうて耳元で囁いて欲しいわ。ドレスを着ても絶対に美人や」
「滅相もないことです。ですが、ありがとうございます」
 あはは、真面目やな!
 こちらだってからかわられているとわかっている。どうしたのだろう。今日の彼等はいつもの静かなビジネスマングループではない。妙に調子が良くて浮かれている?
 しばらくすると、いつものカジュアルスタイル、デニムパンツ姿の男性が今日は一人で来た。
 同じように接客する、こちらもいつもどおりにオーダーはコーヒーのみ。
 いつもは混雑時の来店なので気にならなかったけれど、店内に彼等だけになると異様な空気感を放っていた。
 片方がガッツリ食事をして、片方はいつもコーヒーだけ。見た目も異なる。ほんとうに商談? しかも今回は、カジュアルスタイル側、デニムパンツの男性の表情が強ばっているように見えた。
 スーツ側の男達に食事を持っていき、デニムパンツの男にコーヒーを届ける。あとはいつもどおり、キッチン前のカウンターに控える。
 奥のテーブルは遠く、少しだけ観葉植物で隠れてしまう。
 そろそろ閉店、なるべく彼等が見える位置でとレジ閉めの準備のためそこに立っていた。
 デニムパンツの男が席を立った。お手洗いに入っていく。そろそろ終わりということらしい。
 デニムパンツの男が出てくると、これもいつも通り、眼鏡のビジネスマンがお手洗いへ。
 キッチン厨房にいる弟と顔を見合わせる。『そろそろお帰りだね』と。
 だが眼鏡のビジネスマンがお手洗いに入ったかと思うと、すぐにドアを開けて出てきた。もの凄い形相! こめかみに青筋と言いたくなるほどの眼力で出てきた。
「おどりゃあ! どういうことや!! 話とちがうやんけ!」
 デニムパンツの男の胸ぐらを掴んだ。美鈴はすぐにカウンターから飛び出す。
「お客様、どうされましたか」
 美鈴がそう声をかけた途端だった。
「もううんざりなんだよ」
 デニムパンツの男が、眼鏡のビジネスマンに突きつけたものは『拳銃』!
 それだけで美鈴の駆けつける足が止まった。もう動けない。
 だがビジネスマンの男はそれぐらいでは怯まなかった。拳銃を突きつけられているのに悠然と笑い、彼もジャケットの下から同じものを取りだし構えた。
「撃ったことないやろ。撃ってみーや!」
 眼鏡の男が、デニムパンツの男に吼えた。
 拳銃と拳銃を向け合う男達。もう近づけなくて、美鈴は震えていた。でもここで殺人事件など起きては、弟の店は立ち直れなくなる! そう思って一歩踏み出したい。でもピストルなんて初めて見たし、近づいて彼等がどうなるかわからなくておろおろするしかない。
「兄貴、こいつ、すこしずつ量を減らしてやがる。前からおかしい思ってたんじゃ」
 眼鏡の男が、こんな状況なのにゆっくりと食事をしていたもうひとりのビジネスマンに告げた。
 食事をしている男はがっしりしているが小柄な男、でも静かで落ち着いている。それでもゆらりと立ち上がり、デニムパンツの男へと近づいてくる。
 もう額からだらだら汗を流しているデニムパンツの男が、今度は近づいてくる小柄な男へと銃口を向ける。
「おう、俺に向けたら、あっちから撃たれるでえ」
「おまえから撃てばいいんだ!」
 デニムパンツの男が小柄な男へむけた拳銃の引き金に指をかけた。その指がほんとうに動いた!
 パンパンパンと、耳をつんざく音が響いた。美鈴はもう怖くて、床にしゃがみそうになる。もうもうどうしていいかわからない! デニム男がほんとうに兄貴さんを殺してしまったかもしれない!
 だがしゃがもうとした身体がぐいっと持ち上げられる。片腕を無理矢理ひっぱりあげられ、強引に立たされる。怖くてつむっていた目を開けると、すぐそこに眼鏡の男の怒りの形相がある。その男が美鈴を片腕で抱いたかと思うと、こめかみに銃口を押しつけてきた。
「そこのコック! そのスマホすぐに放らんかい! この姉ちゃんがどうなってもええんか!」
 男が叫んだのはレジカウンターの方向。視界の端にキッチンから出てきただろう弟が見えた。電話を片手にもっているところ
 眼鏡の男が、宗佑に銃口を向けたので、すでに発砲をしている男達だから容赦なく撃たれてしまうと気を失いそうになる。弟もそこは恐ろしい思いをしているのだろう、言葉通りに手に持っていた携帯電話をさっとカウンターに放って、無抵抗を示すため両手を挙げた。
「おう、使い慣れとらんもんで勝負せんことやな」
 乾いた音が響いた後の状況を美鈴はやっと把握する。デニムパンツの男が腕から血を流し床に倒れている。その男を兄貴が踏んづけていた。兄貴の手にもやっぱり拳銃。
 眼鏡の男に冷たい銃口を突きつけられながら、美鈴も悟る。この男達、うちの、弟の店で堂々と密会をしていたんだ。トイレにそれぞれ入っていくのは、そこでなにか取引をしていた?
 急に血が熱く沸く。怒りだった。そして見抜けなかった悔しさ。弟が一生懸命経営しているうちの店を、勝手に利用していた! ビジネスマンに見えてこっちの男達のほうが警戒すべき反社会的な人間だった。
 もしかしてあの人も仲間? 下見か何かに来ていたの?
 おう、持ってこさせろ。こっちはええ仕事させてやっていたんやから。言うとおりにしたら、許したるわ。残りぜんぶ、もうひとりに持ってこさせえ――と兄貴が血を流しているデニムパンツ男の腕を踏みにじっている。
 完全に黒スーツ男達が優位だった。だからなのか、気がつくと眼鏡の男が美鈴を見てにやにやしている。
「大丈夫やけん、怖いおもいさせんって」
 そう言いながら、美鈴の頬にキスをしてきた。
「や、やめてください」
「ほら、ええ声やと思っていたんやって。綺麗な喋り方するやろ。惚れ惚れしとったんや。ほんとは声かけたかったんじゃけえ」
 冷たい銃口をすうっとこめかみから首筋に滑らして、それとなく脅してくる。なにもできないから、彼にされるまま。キスどころか舌先でちろっと耳たぶまで舐めてきた。
「い、いや」
 すこしでも濡れたような声を漏らしたせいか、男の眼が輝いたのを見てしまう。
 ほれ、もうひとりに連絡しろや。おまえの負けやろ。連絡せえ。
 兄貴はデニムパンツの男を脅し、詰め寄っている。その間といわんばかりに、眼鏡の男は片腕に抱き込んでいる美鈴のエプロンの下に手を忍ばせてきた。
 男の骨張った大きな手がブラウスの上からふわっと乳房をもんだ。
「はあ、柔らかいなあ。だんだんその気になってきたわ」
「や、やめて、いや……」
 しかもボタンを器用に外してしまい、エプロン下とはいえ、男は美鈴の胸元を開けてしまう。そこからさらに手を突っ込んで、とうとう素肌の乳房を探り当ててしまう。
 熱い男の手が、それでも優しく意地悪く柔らかい乳房を弄んだ。どうして。怖い男のくせに、そういう手が優しいなんて残酷な責め。
「うっ……」
 柔らかな責めに頬が熱くなってた。でも身体の芯は恐怖でどんどん冷たくなっている。流している涙は痛い。
「あのコックさん、旦那か。旦那の目の前でってのもそそるな。なあ、兄貴。そいつの相棒が来るまでの間、ええやろ」
「気が散るけえ、見えんところでやれや」
 兄貴の顎がくいっとトイレへと動いた。美鈴は青ざめる。この男達の非情さに。
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