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ナマリの力

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「きらら、集めて」

 タクトを右から中央へ。
 中央でくるりと円を描いて、左に下ろしざまにすくいあげるようまた中央へ。

 ナマリの手の動きに合わせてクラゲが空洞をくるりくるりと踊るように舞う。
 すると荒れ狂っていた天鬼たちは流れに乗ったかのようにゆるりと回り、室内に渦を作りだす。

 ゆるりゆらり、ぐるりぐるり。
 ナマリの動かすタクトに合わせて渦が大きく、強くなっていく。
 巨大化する渦を見上げながら、ナマリは自分の心が凪いでいくのを感じていた。

 もっともっと大きく。
 まわれまわれ速く――従える天鬼が増えるほどに、心を研ぎ澄ませていく。

 ノーギルが何事かを叫び、指示された肥えた男が天鬼たちを操ろうとしているようだが、うまくいかない。
 天鬼たちは舞いあがるそばから、ナマリの生み出した渦に乗って流されていくのだ。
 次々と支配下から逃れていく天鬼たちによって雲が生まれ、生まれた雲は空洞のはるかな天井まで積み重なっていく。

 また一体、また一体。
 やけになったノーギルが会長に指示を出すたび、天鬼たちが渦に加わり、渦は成長の一途をたどる。
 反対に、会長の動きは鈍くなっていく。
 雲の渦は半時計周りにぐるりぐるりと成長を続けていた。
 空洞のなかには風が吹き荒れ、生ぬるい風が頬をなでる。

「風が……吹きあがっておる?」

 オリジンが気付いたとき、タクトで円を描いていたナマリはひっそりと微笑んだ。

「あんたの大切な人が力の使い方を見せてくれた。オリジンも言ってくれただろ、俺に『無能じゃない』って」
「見せてくれた、じゃと?」

 ナマリが契約した天妖、クラゲのきららが操るのは雲。
 雲は雨を降らせ陽光を遮る。
 けれどきららは雲を操るだけではなく、ぽこぽこと生み出して見せた。

 そして、黒猫の記憶のなかにあった雲に流れを作る魔女の姿が、ナマリに力の使い方を教えてくれたのだ。

「雲に流れを生み出して、思う形に作り替える。雲を形作る水滴が集まり零れ落ちれば雨になる。だったら雲の渦で強力な上昇気流を生み出せば、それは台風だろ!」

 どうっと吹いたいっそう強い風が、とうとう肥えた男を薙ぎ飛ばした。
 唾を飛ばして叫ぶノーギルの声すらも渦に呑まれて掻き消える。

「あんたのこと、俺は許せない。天候も人も、あんたのおもちゃにしていいものじゃない。でもあの魔女は誰も呪わなかった。俺の父は最後まで笑顔を見せていた。だから、俺もあんたを殺さない。代わりに俺は恨みも悲しみも吹き飛ばす!」

 不思議と通るナマリの声を聞き届けるかのように、風の渦が激しい雨を降らせながらノーギルたちを襲う。
 そして空洞の壁にもずらりと並んでいた黒く染まった骨の杭を次々と吹き飛ばしていく。
 天鬼は解放され渦に加わり、転がった骨は雨に洗われ本来の色を取り戻す。

 その光景にオリジンは目を細めて立ち尽くした。

「ああ、そうじゃ。あの子もそうやって天気を操っておった。これほど強力ではなかったが、歪めるのではなく流れを作り空を塗り替えて……」

 懐かしさに涙をにじませるオリジンが見守るなか、踊り回る天鬼たちがまだ足りないとばかりに風を吹かせ雨を降らせる。

 ナマリの呼んだ風は暴風の域を越し、もはや台風だ。
 空洞のなかを荒れ狂う台風は、ノーギルの背後に隠すように置かれた電子機器類をなぎ倒し、書物の類を巻き上げ、ノーギルの行ったおぞましい実験を記したすべてを風で切り裂き、雨で濡らしていく。
 次々と照明器具が破壊され、洞窟のなかは暗くなっていく。

「あ、あ、ああ! やめろ、やめろやめろやめろぉぉ!」

 半狂乱になってそれらを庇い、取り戻そうと手を伸ばすノーギルだが、自然の脅威に適うはずもない。
 彼の人生をかけた実験の結果は、台風のなかで回り踊る天鬼たちの腕のなか。
 やがてぐるぐると上昇をはじめた台風が空洞の天井を突き破る。

 ドォンッ!
 すさまじい衝撃と共に、砕けた岩までも飲み込んで暴風は上昇を続けていた。
 発電機すらもひっくり返した暴れ狂う風の塊が向かう先は星のきらめく夜の彼方。

「きらら、戻ってこい!」

 渦巻く雲を先導していたクラゲは、ナマリの声でふわんと降ってくる。
 すべてが吹き飛ばされた洞窟のなかに残されたのは、呆然と座り込んだノーギルとひっくり返ったままの会長、クラゲを肩に乗せたナマリとその横に立つオリジンだけだった。
 あれだけいた天鬼たちは、すさまじい風と一緒に夜空へ解き放たれたらしい。
 はるか高みに見える夜空に遠ざかっていく姿がちらりと見えた。

 ぽっかりと空いた大穴から月の光が優しく降り注ぐ。
 ナマリのもたらした台風が重たい雲を蹴散らしたのだろう。

 荒れ果てた洞窟を照らすのにぴったりの静かな明かりだ。

「はは」

 そこにぽつ、と落ちたのはノーギルの力無い笑い声。あるいは吐息だったのかもしれない。

「は……はは……あは、はああぁぁぁ!?」

 だんだんと笑いを大きくしたノーギルは焦点の合わない目で宙を見つめたまましゃくりあげるように肩を揺らしていたが、笑いはやがて絶叫へとすり替わる。見開かれた目が捉えたのはナマリだ。

「貴様はっ! 貴様は自分が何をしたかわかっているのですか!? わたくしが人生をかけて集めてきたデータを、数々の実験の結果を消してしまった! これはとんでもない損失です、知識を追い求め進化してきた人類の歴史に泥を塗る行為にほかならないッ!」
「……あんたはただ知りたいから、あんなことを繰り返してきたのか?」
「あんなこと? ああ」

 ナマリに問われたノーギルは不意に、狂人めいた怒気を引っ込めた。

「この部屋に至るまでに脇道を通ってきたのですね? わたくしの崇高な実験の過程です、繰り返しなどではありませんよ。それぞれに仮説を立て実験を行い、得られた結果を活かして次の実験を組むのです。再現性を確認するために繰り返すこともありますが、なにぶん実験に使えるモルモットが少ないのが困りどころでございます」

 大仰に頭を振ってみせたノーギルがナマリを見つめ、こてんと首をかしげる。

「そうだ」

 にっこりと彼が浮かべた笑顔はあまりに友好的で、あまりに胡散臭い。
 乱れ切った髪と服装に整った笑顔が一段と不釣り合いだ。

「君、モルモットにぴったりじゃありませんか」

 そう言ってノーギルは、ナマリに向かって大きく一歩を踏み出した。

「君はわたくしの貴重な実験結果を台無しにしてしまったのです」

 また一歩。軽快な足取りでノーギルがナマリに歩み寄る。

「いいえ、実験に関することはすべてわたくしの頭の中に残されていますから。いくらでも書き直せばよいのです。それに子どものすることですからね、わたくしは怒ってなどいませんとも。子どもとは発展途上の生き物、日本語では大人のことを『成人』と言い表すのでしょう? つまり、子どもは未だ人と成ってはいないのです」

 さきほどまでの己の態度などすっかり忘れたのか、ノーギルはにこにこと距離を詰めてくる。
 不気味なほどの笑顔を浮かべて饒舌に話すノーギルとナマリの間に、オリジンが身を滑り込ませようとした。
 けれど彼女の肩をナマリがそっと押しとどめた。

「子どもじみてるのはあんたのほうだろう。ただ知りたい。その欲求のために、犠牲になる誰かの命を顧みることもなく馬鹿なことを繰り返してきたのか、って聞いてるんだ!」
「……謝罪は不要ですとも。ええ、あなたはまだ子どもですからね」

 ナマリの怒声にもノーギルは笑みを崩さない。
 しかし唇の端をひくつかせているのは抑えきれない感情があるのだろう。

「許しましょう。許しますから、かわりにその身を使って実験をさせてください。ちょうど実験の結果が出たところですから、次の実験体にぜひ」

 にた、のノーギルが笑ったとき、そのそばで倒れていた会長の肥えた体がのたうった。
 声もなく手脚をばたつかせるさまはまるで打ち上げられた魚のよう。

「なんだ!?」
「あやつ、急にどうしたことか」

 突然の豹変にナマリとオリジンが警戒をするなか、ノーギルは笑みを絶やさないまま男の腹を踏んだ。
 途端に、男の手足がパタリと落ちる。

「今回の実験のメインテーマは『異能を持つ者の能力発揮部位を常人に移植するとどのような反応が得られるか』でした」

 ノーギルが話す間、地に横たわった会長はピクリとも動かない。
 つい先ほどまで手足をバタつかせていたとは思えない静まりように、オリジンは鼻をひくつかせて顔をしかめた。

「そやつ、とうに息絶えておるな……?」
「ええ。実験の結果、移植をした段階で常人側は死亡しました。しかしながら移植した部位は正常に作動していました。そしてここからが興味深いのです!」

 目を輝かせたノーギルは会長の頭のあたりにしゃがむ。
 どこからか取り出した鋭利な器具を手にしながらも彼の口は止まらない。

「常人側の肉体から生命反応が失われた段階で、移植部位の活動が活性化したのです! それと同時に常人の肉体はわたくしが声に出して伝えた指示通りに動くようになりました。あなたも御覧になったでしょう、生きている人のように動いていたのです。これは移植前に常人側とわたくしとの間に信頼関係が築かれていたためではないかと考察しているのですが、なんと驚くことにこの肉体は動くだけでなく、異能力を発揮するようになったのです!」

 ぐちぐち、ぎちぎち、ずるり。
 話しの最中、器具を変え手の位置を変えながらも動かし続けていたノーギルが引き摺り出したのは赤黒い何か。
 ぞっとするナマリの隣で闇がぶわりと濃さを増す。
 怒りに満ちた闇をまとい、オリジンが声を震わせる。

「貴様、それは……それは、もしや……!」
「ああ、ご覧になりますか? あなたの大切な魔女との感動の対面ですね!」

 ノーギルの場違いに明るい声が洞窟内にやけに響いた。

「この形に落ち着くまで、ずいぶん長くかかりました。異能力が肉体のどの部位に起因するものなのか調べるために末端部分から少しずつ削って、けれど失敗しては希少なサンプルを失ってしまうものですから、その点は大変苦労をしました。そうして脳と心臓部、そして二点を繋ぐ管類のみというこの形です」

 ずい、と差し出されたノーギルの両手には、生々しい赤を滴らせた臓器があった。
 どくりどくりと脈打つ心臓を目にしたオリジンから怒気が湧き上がり、噛み締めた唇が血を流す。

「きちんと生命活動は維持されていますので、ご安心ください。とはいえ、やはり生体内に保管する方が安定はいたします。ただ魔女の意識、魂とでも呼ぶべき箇所が邪魔をするのか、時おり指示が通らないのが難点ではございます。始祖の化け物、あなたがなかなか諦めてくれないから、貴重な魔女のパーツをあちらこちらに放って時間を稼ぐのに、それはそれは苦労したのですよ!」

 朗らかに言い放ったノーギルに、ナマリは気が付いた。
 村を襲った急激な悪天候。
 その寸前に目にした獣がまとわりつかせていた黒いもやは、この洞窟で何度となく見てきたものとそっくりではなかっただろうか。
 黒いもやを発するものに触れるとき、オリジンはひどく愛おし気な顔をしてはいなかっただろうか。
 黒猫の記憶で見たオリジンが愛した少女は、魔女と呼ばれてはいなかっただろうか――。

「……あんたは、自分がとんでもないことをしている自覚はあるのか?」

 感情を押し殺した問いにノーギルはきょとんと瞬き、破顔する。

「ええ! とんでもなく有用な研究をしておりますとも。この技術が広く活用されれば人類は異常気象への対抗手段を手に入れ得るのですから!」
「そうじゃないだろう!」

 ナマリはたまらず叫んでいた。
 握りしめた拳のなかで長くもないはずの爪が肉に突き刺さる。

「あんたがやってるのは人殺しだ! 実験だとか研究だとかそれらしい言葉で誤魔化しているつもりかもしれないが、やってることは人の命を奪ってるだけだ。いや、命だけじゃない。尊厳まで踏みにじってるんだから、最低の殺人鬼だろ!」

 ナマリの怒声にも、ノーギルはほんのりと眉を寄せるだけ。

「理解が及ばない方に理解を求めるのは酷なこととはわかっておりますが。わたくしの実験の結果、異能力は移植可能なことが判明したのです。その過程で精神、あるいは魂と呼ばれる部位が脳と心臓およびそれらを繋ぐ管類に宿ることも判明しているのですから、わたくしの行為を殺人などと呼ぶのはあまりに暴論というものでございましょう」

 さらりと言ってのけるノーギルの態度は、まるで取るに足りない質問を突きつけられた演説者のそれ。
 あくまでおっとりと、むしろ上位にある者としての余裕すら見せた彼の態度に、ナマリは怯むどころか静かな怒りを沸かせる。

「魂がどこにあるかなんて俺は知らないけどな。心のありかなら知ってるぞ」
「ほう、それはどのような考察でしょう」

 聞いて差し上げますよ。そう言わんばかりのノーギルに、ナマリは怒りを押し殺して言葉をつむぐ。

「赤ん坊に触る指にありったけの力を込めるやつがいるか? 自分のあとにも誰かが通るとわかっている道を踏み壊して歩くか? その指先、足だけじゃない。口から出す言葉にだって誰かを思う心があるだろう。それが魂ってもんだ。生き物は、人間は! そのひと丸ごとで心を持ってんだよ、そいつの全身に魂が宿ってる。そうやって人間は生きてるんだよ!」

 叫び声が空洞にこだました。
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