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「それ、なんなの?」

 白っぽい石ころを指させば、マグノリアが手のひらでころりと転がした。

「これは、そなたがまとっていた力の残渣。そなたの住んでいた界とこちらとをつないだ力の残り。これがあれば、そなたが元居た場所へとつなげる標となろう」
「それって……!」

 帰れる、という希望で胸が膨らみかけた俺は、けど気が付いてしまった。
 不意にひとが消える現象は、日本でもごくまれにあった。急にひとが消えて探しても探しても痕跡すら見つからない、神隠しと呼ばれる不思議な現象。消えたひとが何年も経ってから戻ってくるっていうこともあるらしくて、それはつまり俺の今の状態と同じであって。

「……戻るのに何年もかかる、とかそういう、あれだったり、する……?」

 たずねる声はみっともなく震えている。
 だって、怖いんだ。
 違うって言ってほしい。今すぐにでも帰れるよ、って言ってほしいけど、でも、世の中そんな都合よくできてるはずがない。

 聞きたくない気持ちとはやく教えてほしい気持ちがぐちゃぐちゃになって、顔が勝手にへらへら笑ってしまう。
 笑いながら、俺の胸は怖いという気持ちでいっぱいになっていた。
 もし彼らの瞳に同情や憐憫の色を見つけてしまったら、と思うと顔をあげられない。けれど答えが欲しくてマグノリアの唇をじっと見つめていると、赤いそれがちいさく開いて、こぼれたことばは。

「ああ。帰れるぞ」
「へっ」

 あっさり言われて間抜けな声をあげた俺は悪くないと思う。
 思わず視線をあげると、にこりともしないマグノリアの瞳がまっすぐに俺を捉えていた。

「我が身に残る魔力を総動員するか、あるいはこの地の魔力を使えば、今すぐにでも帰れよう」
「なりません!」
「マグノリアさま、それは!」

 たちまち、部屋を満たす張りつめた空気。美少女を挟んでイケメンと美女がシリアスな雰囲気を作り出してるなかで、ひとりぼけっと椅子に座ってる俺、モブ。

 え、ちょっと待ってよ。俺が付いていけてない! モブだから? モブはお庭でわんこと遊んでればいいの? それとも「な、なんだってー!」って椅子を倒す係?
 カメラワークは床と椅子で、俺は足しか映らないやつ? それなのに親とか友だちに「俺、テレビ出るんだー」とか言いふらしちゃって放送日にテレビの前でめっちゃ気まずいやつ?

「御身の魔力を使い果たしてしまえば、マグノリアさまは!」

 美女の悲壮な顔、ごちそうさまです。

「魔力の平定はマグノリアさまの長年の努力の賜物。今それを投げ出せば、何が起こるかわからないあなたではないでしょう!」

 椅子を蹴倒して立ったイケメンの険しい顔。眉間のしわまでかっこいいってどういうことなの。ただよう色気が半端じゃない。あと、椅子を倒すのはモブの仕事ではなかったらしい。

「落ち着け」

 マグノリアのひと声で、麗しいふたりが押し黙る。
 俺? 俺は落ち着いてます。何よりも深く、雄大に落ち着いてるので、むしろいっそこの空間を構成する家具のひとつなのでは? という馴染み具合。馴染みすぎて誰の目にも止まってない気がしてならない。

 ていうか空気だよね。これ、俺の存在が空気だよね! ははっ、泣いていいかな?

「イソトマ、我が魔力は低下の一途をたどっておる。今では全盛期の容姿を保つこともできず、このように縮んでしもうた。ならばここで散るかやがて散るか、それだけの違いよ」

 話に着いていけずひっそりいじけてた俺だけど、マグノリアの静かな声で張りつめた空気の仲間入りを果たす。

「散る? 低下って……」

 物騒なことばだ。
 マグノリアの武士っぽい口調と相まって、討ち死にとか腹切りとかの物騒なイメージと結びついてしまう。

「うむ。一部の魔族は己に最も適した形で生じ、最盛期を過ぎると内に抱える魔力が低下していく。それに伴い、容姿も変化する。我が小さく弱くなっているようにな。やがて魔力が底を尽きるとき、我は形を失くすのじゃ」

 何でもないことのように言うマグノリアの表情は、変わらず涼し気だ。
 冗談を言っている風でない。それに、左右でロータスが苦々しい顔をして、イソトマが悲しげにまぶたを伏せているのを見る限り、きっと本当のことなんだろう。

「じゃあ」

 ごくり、とつばを飲み込んでから、俺はくちを開いた。

「じゃあ、俺が今すぐ帰ったとしたら、マグノリアは、その、死……」
「そなたを送って、それで終いであろうな」

 言いよどむ俺のあとに軽く続けた彼女は、肩をすくめてみせる。
 こんなときでもマグノリアはやっぱりクールな美少女で、死ぬことへの恐怖など感じていないように思えた。
 でも、だからって「そっかー、じゃあお願いするね!」とは言えない。言えないだろ、ふつう。

「他に、方法は」

 すがる思いでロータスに視線を向ければ、彼はそっと目を伏せた。逸らされた視線に嫌な予感がする。

「マグノリアさまが言ったように、魔族の土地に宿る魔力を集めれば足りるでしょう。けれど、そのためには魔力を安定させている楔をすべて壊さなければなりません」

 ことばを切ったロータスは、短く息を吐いて俺と目を合わさないまま続けた。

「安定を欠いた魔力は暴走し、一帯はおよそ生き物の暮らせる場所ではなくなることでしょう」
「そんな……」

 俺が日本に帰るために、マグノリアが死ぬか魔族の国をぶち壊すか選ばなきゃいけないなんて。
 座っていてよかった、と真っ白になった頭の片隅で思う。
 もしも立っていたら、力が抜けて座り込んでいただろうから。それか、倒れてしまっていただろう。

「やだよ、俺。俺のせいであんたが死ぬのもやだし、この国がぶち壊れるのも嫌だ」

 帰りたい。
 帰りたいけど、でも、嫌だ。
 なんでさ、選択問題ってあるんだろうな。
 次のなかからひとつ選びなさい、なんてさ。選ばなくてもいい、っていう選択肢がないのっておかしくない? それか、自分で答えを考えるっていう選択肢がほしい。

 自分の未来は自分で決めろって言われたら、俺は誰も死なない方法がいい。
 マグノリアも国も、どっちも無くならないほうがいい。

「では、この地に骨を埋めるか」

 静かなマグノリアの声が耳に痛い。
 うつむいた俺の視界には自分の脚しか入らなくて、誰も何も言わないせいでひとりぼっちになったような気がしてしまう。

 そうだ、ひとりなんだ。

 気が付いてしまった。
 この世界に俺の家族はいなくて、俺の友だちだっていない。学校の先生たちもご近所さんももちろんいないから、俺のことを知っているひとなんてひとりもいない。

 気が付いたら、帰れないと言われた以上に身体がずんと重くなった。
 地面にめり込まないのが不思議なくらい、気持ちが沈んでいく。知らなかった。落ち込むって、際限がないんだ。
 俺のせいで誰かが死ぬのは嫌だ、なんて言ってても、だからって日本に帰らないって決意できるわけじゃない。

 助けて。
 誰か助けて。

 そう叫んだところで助けてくれるだろうひとたちはこの世界にいない。
 だけど、助けを求めずにうずくまっていられるほど、俺はひとりぼっちに慣れていなかった。
 地の底に落ちた気分で呼吸も苦しいけれど、俺はあえぐように必死で声を出す。

「……帰りたい。帰りたいけど、でも、死んでほしくない。平和な国を壊したくない。でも、でも……帰りたい……」

 あてのない懇願。そう思っていたのに。

「あいわかった。そなたの思いに我が力を貸そう」
「え……」

 思わぬ返答に俺は顔をあげた。
 にじむ視界に作り物めいた美少女が映る。先ほどまでと変わらないと感じたその美貌が、ゆるくほどけた。

 微笑。

 笑ったというにはあまりにもささやかな表情の変化。けれど、その瞳に宿る光が明らかにやわらかくなっている。
 それだけで、光が射したようだった。
 人形のような美貌に感情が宿るだけでこれほどまでに目を奪われるのか、と心が震える。
 悲しみも戸惑いも悩みもすべて溶かすほどの衝撃を受け、幻を見ているような心地でマグノリアの顔を見つめる。

「他者を犠牲にしたくないというそなたの意思、気に入った。老い先短い我が身なれど、まだまだできることもあろう。そなたの願いを叶えるため、知恵を尽くそうではないか」

 ことばににじむ尊大さは頼り甲斐に、声に宿る力強さは懐の広さを感じさせて、俺は救われた気がした。

「マグノリアさまのお心のままに」
「あなたさまはすでに魔王を退かれたのですから、国に害をなさない限り御力をどう振るわれるかはマグノリアさま次第です」

 イソトマとロータスも、彼女に意を唱えない。
 それってつまり、俺はまだ帰りたいという思いをあきらめなくていい、ってこと……?

「俺、俺……帰りたいって言っても、いいの?」

 恐々とつぶやけば、マグノリアがしっかりとうなずいてくれる。

「方法は考えねばならんが、力と知恵は貸す。そなたをあるべき場所へ戻すため尽力すると、このマグノリア。元魔王として誓おう」
「うっ……」

 ぽろ、とこぼれた涙を袖で乱暴に拭って、俺は手を差しだした。

「よろしくお願いしますっ」

 今度はちゃんと笑えてたと思う。
 泣きながらのみっともない顔だけど、心から笑えただろう、って思うんだ。
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