上 下
68 / 102

花より団子?それよりも……

しおりを挟む
 昼下がりの街道に、桜の花びらがはらはらと降ってくる。
 見上げた空は雲がかすんだうすい色をしている。枝を彩るあわい花びらが、溶けてしまいそうなやわらかな景色だった。

「わああ、まんかいっ!」

 空を見上げたリュリュナは、けぶるような視界に目を見開いて歓声をあげた。
 
「ほんとねえ。散る前に見られて良かったわあ」

 リュリュナと並んで目を細めたナツメグは、にこにこと笑っていた顔をふと暗くしてほほに手を当てため息をつく。
 ゆるりと巡らされた視線は、ここに居ない者の姿を探してそっと伏せられた。

「チギくんも来られたら良かったのに」

 昨晩もナツ菓子舗でゼトの部屋に宿泊したチギは、今朝になって呼びに来たルオンに連れられて行ってしまった。待っていた船荷の第一便が、届いたらしい。
 夜明けとともに現れたルオンが「仕事だ! 行くぞ!」と寝ぼけ眼で寝ぐせだらけのチギを連れて行ってしまったのだ。
 それきり、店を開けても商品が売り切れても戻って来ないため、仕方なしにチギ不在のまま花見の会場へと移動となった。

「仕方ないですよ、お仕事だから。チギも場所はわかってるはずだから、仕事が終わったらここに来るかもしれないですし」

 残念がるナツメグをなぐさめながら、リュリュナ自身もしょんぼりとした様子を隠さずにいた。
 眉を下げて笑ってみせるリュリュナのほほに、そっと触れた長い指はユンガロスのものだ。

「そんなに寂しそうな顔をされては、おれまで悲しくなってしまいます。おれでは、リュリュナさんを笑顔にすることはできませんか?」

 桜の花とかすんだ空という淡い色彩のなか、黒髪に黒い着物を着たユンガロスはやけに目立つ。そのうえ小柄な少女の前で膝をついているとなれば、誰しも何かあったかと思うのだろう。
 イサシロの街を出入りする通行人たちから視線を向けられて、リュリュナはおろおろすることしかできない。

「えぇと、その、そういうことじゃなくって……」
「リュリュナさんが困っておいででしょう」

 顔を赤くしたままもごもごと喋るリュリュナの前に、白髪をなびかせたヤイズミが立ちふさがるように現れた。
 淡い色彩を持つ彼女は、その美しさと相まってまるで桜の花の精だ。こちらもまた、ひと目を引く容姿をしているため、ますます通行人の視線が集まってくる。

 しかしユンガロスとヤイズミはそんなもの感じていないのか、一方は底冷えのする笑みを浮かべて、もう一方はぴりりと張り詰めた真顔で見つめ合う。

「立場もある殿方が、そのようにあからさまな態度を取られては、リュリュナさんだって反応に困りますでしょう。ユンガロスさまほどのお方なら、ご想像に難くないと思いますけれど」
「立場など、色恋沙汰のまえではなんの意味も持ちませんよ。ヤイズミ嬢もそのように澄ました顔で黙っていては、意中の相手に伝わるものも伝わりませんよ」

 刺々しい声で言うヤイズミに、ユンガロスはさらりと返す。ユンガロスが意中の相手、とくちにした後に、ヤイズミの顔がじわじわと赤くなりだした。ユンガロスの発言に続く反論もない。
 おや、とユンガロスがわずかに表情を変えたとき、少し離れた桜の木の向こうからゼトがひょっこり顔を出した。

「おーい、このあたり良さそうだぞー! 荷物持ってきてくれー」

 落ち着く場所を探しに行っていたゼトの呼び声に、リュリュナは助かったとばかりに荷物を持って「先に行ってますね!」と駆けて行く。
 そのちいさな後ろ姿を目で追ったユンガロスは、横で同じくリュリュナを見ているヤイズミに視線をやって、おやおや、と目を細めた。

「あなたの父君を説得するなら、力添えいたしましょうか?」

 顔を赤く染めたヤイズミの視線は、菓子舗の青年に向いている。そういえば、街道に出るまでのあいだもリュリュナの隣を歩きながら、ヤイズミの目はちらちらとゼトを見ていたな、とユンガロスは思い至った。

「なっ、なにをおっしゃっているのか、わかりかねます!」

 必要以上に大きな声で否定するヤイズミの態度が、ユンガロスの推測を揺るぎないものにする。
 一気に赤みを増した顔を見ていれば、一目瞭然だ。

「隠す必要などないでしょう。おれは元貴族の枠を取り払うことに賛成しています。その一環として、白羽根ほど力のある家のお嬢さんと街のいち菓子舗の青年の恋路を応援するのは、なにもおかしくないでしょう」

 副長としての顔で微笑を浮かべてみせるユンガロスに、ヤイズミはわずかに視線を泳がせるが、すぐにきりりと顔を引き締めた。

「うっ、い、いいえ、結構です! 黒羽根の方に借りを作ればあとが恐ろしいことくらい、わたくしも存じております」 
「おや、警戒されたものですね。おれは借りなどとちいさなことを言うつもりはありませんよ。なにせあなたは、大切なリュリュナさんの友人ですからね」

 にっこりと笑うユンガロスをヤイズミはじっとりと見返す。

「大切なのはリュリュナさんであって、友人(わたくし)ではないでしょう? そのような方、信用なりません!」
「リュリュナさんが大切なのは当然のことです。それはそれとして、父君に打ち明け難いと悩まれたときはいつでもどうぞ」

 警戒心を隠さず言うヤイズミに、ユンガロスはなにを今更、と言わんばかりの態度で答えた。
 呆れるべきか、感謝するべきか、決めかねたヤイズミはくちをへの字にしてぷいと顔をそらす。

「……父には、わたくしから伝えるつもりです。その、気持ちが、もうすこし固まったら、ですけれど……」

 もごもごと喋るヤイズミの長い耳は、赤く染まっていた。
 それを見やったユンガロスは、くすりと笑う。ほほえましげに細められた目にヤイズミが気づくことはなかった。

「ユンガロスさま、ヤイズミさん、ナツメグさーん! とってもきれいですよー! はやくはやくー!」

 遠くからでもわかるほどにこにこと笑ったリュリュナが、桜の下で手を振って呼んでいる。
 途端に、ゆるりと表情を溶かしたユンガロスはそちらへ向かって歩きだし、ぴたりと足を止めて振り向いた。

「いつのまにかリュリュナさんに『ヤイズミさん』と呼ばれるその抜け目なさがあれば、白羽根のご当主を説得するなど、さほど難しくはないでしょうね」

 それだけ言って、ユンガロスは荷物を抱えなおすとまたすたすたと歩いて行く。

「な、な……なんて嫌味ったらしい殿方なのでしょう!」

 別の意味で顔を赤くしたヤイズミは、ふるふると震えながらユンガロスの背中をにらみつける。

「あのような殿方にリュリュナさんを任せられるものですか……!」

 手にした風呂敷をぎりぎりと握りしめて歩き出すヤイズミの足取りは、いつもより幾分、荒々しい。
 そんなユンガロスやヤイズミをそばでひっそり見守っていたひとが、ひとり。

「うふふふふ。すっかり春ねえ」

 それぞれの姿を見送ったナツメグは、ほほに手を当ててにこにこと笑うのだった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

転生先は盲目幼女でした ~前世の記憶と魔法を頼りに生き延びます~

丹辺るん
ファンタジー
前世の記憶を持つ私、フィリス。思い出したのは五歳の誕生日の前日。 一応貴族……伯爵家の三女らしい……私は、なんと生まれつき目が見えなかった。 それでも、優しいお姉さんとメイドのおかげで、寂しくはなかった。 ところが、まともに話したこともなく、私を気に掛けることもない父親と兄からは、なぜか厄介者扱い。 ある日、不幸な事故に見せかけて、私は魔物の跋扈する場所で見捨てられてしまう。 もうダメだと思ったとき、私の前に現れたのは…… これは捨てられた盲目の私が、魔法と前世の記憶を頼りに生きる物語。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。 前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。 恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。 だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。 そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。 「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」 レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。 実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。 女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。 過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。 二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

異世界着ぐるみ転生

こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生 どこにでもいる、普通のOLだった。 会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。 ある日気が付くと、森の中だった。 誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ! 自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。 幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り! 冒険者?そんな怖い事はしません! 目指せ、自給自足! *小説家になろう様でも掲載中です

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

異世界で生きていく。

モネ
ファンタジー
目が覚めたら異世界。 素敵な女神様と出会い、魔力があったから選ばれた主人公。 魔法と調合スキルを使って成長していく。 小さな可愛い生き物と旅をしながら新しい世界で生きていく。 旅の中で出会う人々、訪れる土地で色々な経験をしていく。 3/8申し訳ありません。 章の編集をしました。

処理中です...