上 下
65 / 102

5

しおりを挟む
「それじゃあ、パイ生地を作りましょう!」

 意気込むリュリュナの前にある台には、さいころ型に切られた乳酪(バター)が置かれていた。向かい側からかざされるヤイズミの手が、冷気を送って乳酪(バター)を冷たく保っている。

 しっかりと冷やされたバターに、リュリュナが小麦粉をふりかけていく。
 ちいさく切られたバターの塊がすっかり白くなると、リュリュナはヤイズミをうながす。

「ヤイズミさん、おねがいします!」
「こ、これでいいのでしょうか」

 おそるおそる手を伸ばしたヤイズミが、粉まみれのバターを両手でむぎゅ、と押す。
 その手のそばでリュリュナは手の動かし方を実演するべく、わしゃわしゃと手を動かした。

「もっと力を入れて大丈夫です! 乳酪がよく冷えてるからかたいと思うけど、がんばってください。乳酪が溶けないようにして作れば、すっごくさくさくになるんです!」

 乳酪が溶けるのを防ぐには、自身を冷やせる能力を持つヤイズミが最適だ。「おいしいお菓子のためにお願いします!」と頼られたヤイズミは、気合十分に粉まみれの乳酪へ立ち向かう。
 
「わかりました。白羽根のヤイズミ、精いっぱい務めさせていただきます!」

 凛とした声で宣言したヤイズミは、さきほどよりも力強く乳酪と粉をもみこんでいく。
 むぎゅ、むぎゅとがんばるヤイズミの周りで、観客が盛り上がる。

「疲れたら代わるからな。すぐ言ってくれよ、姫さん」
「わたしもすこし生地に触ってみたいわあ。ほどほどで交代しましょうね」

 わくわくしているのがはた目にもわかるゼトとナツメグは、手をきれいに洗っていつでも交代できるように、待機中だ。

「こんな粉が菓子になるのか? すげえな! どんなのになるか、思いつかねえよ」

 ヤイズミの手元にある物体をふしぎそうに眺めているチギは「手伝えることがあったら言ってくれよ」と控えている。しかし、やる気に満ちたナツ菓子舗の姉義弟を見る限り、出番はなさそうだと傍観者の立場をとっていた。

「交代しても大丈夫ですよ。ヤイズミさんがしっかり冷やしてくれてるから、みんなでしてもいいかも」
「まあ、うれしいわあ!」
「よっしゃ! 加勢するぜ」

 リュリュナが言うが早いか、ナツメグとゼトが手を伸ばす。あらかた乳酪の形が崩れたところで、三人は手のひらをすり合わせるように乳酪と粉をなじませていく。
 
「いい感じです。そこに冷水を入れたら、生地がまとまるようにがんばってください!」

 楽しげな三人に声援を送りながら、リュリュナは鍋をかきまぜる。みんなしてはじめての生地作りに盛り上がっているなか、ひとり火にかけた鍋に向かうリュリュナを見てチギは首をかしげた。

「リュリュはなにしてんだ?」
「んっふっふー。なーいしょ! できてからのお楽しみだよ」

 ちっちゃな牙を見せて、リュリュナはいたずらっぽく笑う。
 けっきょく鍋の中身がなんなのか、わからないままパイ作りは進んでいく。

「はあ~、乳酪の塊を生地に折り込むなんてなあ。考えもしなかったぜ」
「ほんとねえ。異国の料理本を読んだだけだったら、きっと失敗していたわね。リュリュナちゃんがいてくれて、ほんとうに良かったわあ!」
「えへへ。でも、ヤイズミさんが居なかったら乳酪が溶けて、うまくできなかったですよ。ヤイズミさんありがとう!」

 アップルパイが焼けるのを待つあいだ、しみじみと言い始めたのはゼトだった。
 それにうなずいたナツメグに感謝されたリュリュナは、うれしそうに笑いながらヤイズミを見上げる。
 空色の瞳が恥ずかしげに伏せられるのを見てリュリュナの笑みは深くなった。

「チギも、ありがとね。火を起こしたり、洗い物を手伝ってくれて」

 ほほえんだままリュリュナが言えば、ゼトとナツメグもおおきくうなずいた。

「りんごが無かったらあぷるぱいが作れなかったからな。ありがとうな、チギ!」
「わっ、ちょっと、やめてくださいよ!」

 ゼトがチギの頭をわしゃわしゃとかき混ぜるものだから、チギはあわてて首をすくめる。
 兄弟のようにじゃれるふたりを眺めて、ナツメグも「うふふ」とうれしそうに笑った。

「お店のお手伝いもたくさんしてくれたものねえ。ほんとうに、ありがとうチギくん」
「べ、べつにそんな大したことしてねえから」

 照れ臭そうにそっぽを向いたチギは「そうだ」と声を上げる。

「リュリュナ、さっき作ってたやつはけっきょく何なんだ? できてからの楽しみ、とか言ってたけど、作ってるのはあぷるぱいだけじゃないのか」

 チギの明らかな話題転換に、リュリュナはにっこり笑った。

「それはねえ、いまわかるよ!」

 楽しげに笑ったリュリュナが、かまどに入れたアップルパイを引き出した。
 パチパチ、パリパリと良い音を立てて、熱々のパイがみんなの前に現れた。きつね色に焼けたパイは、つやつやと光りながら甘く香ばしい香りをふりまいている。

「えっと。四つに分けたらおおきすぎるから、八等分にしますね」

 そう言って、リュリュナがパイに包丁を入れた。
 パリパリパリ。軽い音を立てて切られたパイから、ぶわりと湯気が立つ。
 どうぞ、と渡されたゼトは待ちきれず、熱々のパイにかぶりついた。

「あっちぃ! けど、うめえ! 生地がパリパリで、さくっとしたりんごとよく合うな!」
「ほんとねえ。外側はパリッとしてるけど、りんごの周りはしっとりしてるのもいいわね。でもこれは……?」
「あっふ! ふはっ! なんかとろっと甘いのが入ってるぜ! 黄色くて甘いの!」

 次々とパイにかぶりついては、思い思いの感想を口にする。そのなかでナツメグが首をかしげるのを見て、リュリュナは小鍋を差し出した。

「これを、りんごといっしょに生地にはさんだんです。カスタードクリーム、っていうんですけど」

 鍋のなかにわずかに残っているのは、黄色くなめらかな餡に見えた。リュリュナに許可を得て指ですくったゼトは、ひとくち舐めてふむ、と目を閉じる。

「たまごと、牛の乳と砂糖、か?」
「正解です! それにすこしだけ小麦の粉も入ってるんです」

 うんうん、とうなずくリュリュナに、ナツメグがほうっと息をついた。

「それだけの材料で、こんなすてきなものが出来るのね。生地とりんごにうまく絡んで、とってもおいしいわあ」
「えへへ。成功して良かったです」

 とろけるような顔でパイを食べるナツメグに、リュリュナもうれしそうだ。
 けれど、にこにこしていたリュリュナは不意に笑顔を消して、真剣な表情になる。

「ヤイズミさん。アップルパイ、どうですか……?」

 恐る恐る尋ねた先では、ヤイズミがにこりともせず真顔でアップルパイをもぐもぐしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

旦那様、愛人を作ってもいいですか?

ひろか
恋愛
私には前世の記憶があります。ニホンでの四六年という。 「君の役目は魔力を多く持つ子供を産むこと。その後で君も自由にすればいい」 これ、旦那様から、初夜での言葉です。 んん?美筋肉イケオジな愛人を持っても良いと? ’18/10/21…おまけ小話追加

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

多産を見込まれて嫁いだ辺境伯家でしたが旦那様が閨に来ません。どうしたらいいのでしょう?

あとさん♪
恋愛
「俺の愛は、期待しないでくれ」 結婚式当日の晩、つまり初夜に、旦那様は私にそう言いました。 それはそれは苦渋に満ち満ちたお顔で。そして呆然とする私を残して、部屋を出て行った旦那様は、私が寝た後に私の上に伸し掛かって来まして。 不器用な年上旦那さまと割と飄々とした年下妻のじれじれラブ(を、目指しました) ※序盤、主人公が大切にされていない表現が続きます。ご気分を害された場合、速やかにブラウザバックして下さい。ご自分のメンタルはご自分で守って下さい。 ※小説家になろうにも掲載しております

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

処理中です...