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 ヤイズミの侍女フチに連れられて歩くリュリュナは、だんだんとひと気がなくなっていく通りに目をやって首をかしげた。
 フチは、近くの店でヤイズミが待っていると言っていた。けれど、いま向かっている方向は、ゼトやナツメグが連れて行ってくれた店の並ぶ通りとはちがう。
 庶民は立ち寄らない、お金持ち用の店があるのかとだまってついてきていたリュリュナだったが、いよいよ不審に思い足を止めた。

「フチさん。あの、あまり遠いようだったら店のひとが心配するから、やっぱりひとこと言ってから……」
「黙りなさい」

 遠慮がちに言うリュリュナに、フチがぴしゃりと冷たい声を浴びせる。
 おどろき、目をまるくするリュリュナを振り向いて、フチが目じりをつりあげる。

「お前は、位も力も金も持ちはしないのに、そうやって己の意見ばかりをくちにして。聞き届けられると疑いもしないその愚かさが罪だと、思い知りなさい!」

 叩きつけるように言って、フチがリュリュナの手首をわしづかむ。ヤイズミと似たような、白くやわらかな細指だ。
 それなのに、リュリュナはその手を振りほどけない。それどころか、腕一本をつかまれただけでその場から後ずさることもかなわず、ぎりぎりと手首を締め付けられ引きずられる。

「い、いたいです……!」

 たおやかな女性でありながら、ひたいの左右に小ぶりな角を持つフチは、見た目以上の怪力を持っているらしい。
 抵抗するリュリュナを物ともせず、フチは片手で引きずって歩く。その歩調に、乱れはない。
 わけがわからないながらも、いま騒ぎ立てるのは得策ではないと考えたリュリュナは、手首を握り潰されない程度に抵抗しながら、しぶしぶフチの後に続いた。

 やがて、長い塀や大きな屋敷が建ち並ぶ、異様に静かな一画をしばらく進んだころ。
 街の北西に位置する山が間近に見えてきた。

 ―――街から出るの?

 そう思ったリュリュナの思考を読んだわけではないだろうが、手首をつかんだまま黙々と歩いていたフチが、わずかに歩調をゆるめてくちを開いた。

「無知なお前は知らないでしょうけれど、ここにはかつて城がありました」

 行く手にある山を見上げて、フチはどこか誇らしげな顔でそう言った。
 つられるように視線を向けたリュリュナの目には、鬱蒼と木々が生い茂る山が見えるばかり。手を入れるもののない木は好き放題に伸び、そこへ蔦が這い上がって不気味さを増している。
 そこに、かつての城の面影は見えない。
 なぜ、城が無くなったのか。リュリュナは疑問に思ったけれど、そう問いかけるにはフチのまとう空気があまりに冷たかった。

「イサシロ城は、数多くの貴い血族のかたたちが集まる城でした。もちろん、ヤイズミさまの白羽根家も、ユンガロスさまの黒羽根家も、そこに名を連ねる名家です」

 淡々と、けれど確かな誇りをもってフチが言ったとき、建ち並ぶ長い塀が途切れて、山の麓がリュリュナの視界に広がった。
 それとともに見えてきたものに、リュリュナは思わずくちを開く。

「あの、どこへ行くんですか」
「お前は本当に、愚かね。聞かれてもいないのにくちを開いて、許されてもいないのに問いかける」

 そう吐き捨てて問いには答えず、フチは山へと迷いなく進む。山を囲うように建てられたひときわ背の高い塀に向かい、なかでも立派な城門の前に立った。塀沿いに、ちらほらと人の影が見える。どの影も塀を背にして立ったままでいるから、通行人ではないだろう。

 城が無くなってどれほど経つのか、リュリュナにはわからない。それでも、この城門はそう短くはない時間をいまはなき城を守って立ち続けていたのだ、と見て取れた。
 すっかり錆びのまわった錠前に、いくつか脱落しながらも半数以上が残っている門扉に打ち付けられた鋲。乾ききってあるところはひび割れ、あるところは苔のむした門扉。

 その前を守るように立つ男のもとへ、フチは迷うことなく歩み寄った。

「ようやく来たか。なかでお大尽がたがお待ちかねだぜ」

 こぎれいにしてはいるが、粗野な雰囲気のにじむ男が目の前に立ったフチを見てくちびるをゆがめる。
 男の態度を見て、リュリュナは助けを求めるのをやめておとなしくフチの後ろに立っていた。助けてと言ったところで、素直に助けてくれる相手には見えなかったからだ。
 リュリュナがおとなしくしている一方で、フチは気安く話しかけてくる男に不機嫌さを隠しもせず、顔をしかめる。

「そういう物言いはやめてちょうだい。あなたには高貴なかたのお役に立っている自覚がないの?」
「おー、おー。そりゃあ申し訳ございませんことで。なにぶん、雇い主には恵まれても育ちが悪いもんでね」

 反省のかけらも見えない男に、フチは苛立ったようだった。リュリュナの手首をつかむ手に、力がこもる。
 けれど、くすぶる思いを吐き出すこともなく、リュリュナの手首を握りつぶしてしまうこともなかった。
 ただ、男から視線を逸らして門扉に取り付けられたくぐり戸に目を向けた。

「開けてちょうだい」
「はいはい、っと」

 フチに言われて、男は肩をすくめてすなおに横にずれ、くぐり戸を開けた。

「どうぞ、娘さんがた。良い夜を」

 おどけたように頭を下げて笑った男の目が暴力的な光を宿すのを見て、リュリュナはびくりと震える。足がすくんで立ち尽くすけれど、フチはそんなリュリュナを軽々と引きずって、くぐり戸の向こうへ進んでいった。

 ぱたん。
 あっけなく小さな戸が閉められてしまうと、あたりは一気に暗さを増した。
 
 そのなかをフチは迷うことなく歩いていく。山を削って作ったのだろうか。固い岩盤でできた階段には、踏み潰された草花がこびりついているのが、暗いなかでもわずかに見てとれた。

 山道をフチに手を引かれて、リュリュナは歩いていく。進むたび、あたりの闇が濃さを増すようだった。
 日が落ちて、山道は一気に肌寒さを増した。
 けれど、山道を進むリュリュナの身体が震えるのは、そのせいだけではない。 

 うす気味の悪い気配が、だんだんと近づいているのだ。
 リュリュナたちが向かう先に、ちらほらと建物の残骸が見えてきた。壊れてしまってはいるものの土台や、壁や屋根の形を残した瓦礫のあいだを縫って歩く。

 進むほどに、建物の壊れようは激しさを増していく。
 元の部位がわからないほどに壊れ、散らばり、崩れた土台が足元を危うくさせるころ、進む先に、ちらりと明かりが見えた。

 かがり火が揺れている。暖かさをもたらすはずのその火を見つめ、リュリュナが抱いたのは間違いなく怖気だった。
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