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 まんじゅうやどら焼きが詰まった袋を抱えて、ノルはとっとこ街なかを駆けていく。朝の通りは一日をはじめるひとたちでいっぱいだ。
 ノルの顔を見た道行くひとがあいさつをしてくるたび、彼は気さくに笑って返す。

「おはようございます、ノルさん」
「はよーっす!」
「大荷物ですね。手伝いましょうか?」
「だいじょぶっすよ。これ見た目より軽いんで。それにおいら、こう見えて強いんすよー」

 通りすがりの町民は、そうでしたね、と軽く笑って自身の用事を済ませに戻っていく。
 まるで子どもをあしらうかのような対応にノルはちょっぴりくちびるを尖らせながらも、ふたたび足を動かした。
 食べ物をあつかう店が集まるあたりを抜けて角をまがると、顔見知りの男がノルを見つけて手を振ってきた。守護隊のしたにある組織、巡邏に所属する男は、きょうは非番なのだろう。楽なかっこうで気の抜けた顔をしてノルに近寄ってくる。

「ノルさん、また飲みに行きましょうよ。いつもの店、新しい子が入ったんですよ」
「えっ、それは初耳っす!」
「最近、飲みに行ってないからですよ。今晩あたり、どうです?」

 手首をくいっとかえして飲みに誘ってくる男に、ノルはうなり声をあげた。

「うぅー、行きたいっす。行きたいっすけど、いま仕事忙しいんっすよねえ」
「え! ノルさんが飲みより仕事を優先するなんて! そんなひとだと思ってなかったです!」
「おいらを何だと思ってるんすか。これでも守護隊の優秀な若者っすよ! って、ちゃんとその新しい子に伝えといてくださいっす」

 がっくりと肩を落としたノルは、すぐに復活してちゃっかりと男に頼んだ。胸を張って、自分なりのかっこいい角度で流し目を寄こすノルに、男は笑う。

「いいですよ。ノルさんがいかに素晴らしいか伝えておきますから、実物見て落胆されないようにしてくださいね」
「お! 言うようになったっすねえ。じゃあ、くれぐれも頼んだっすよ! 滅茶苦茶かっこいい守護隊の優秀な若者っすからね!」
「あはは、わかりましたよ」

 笑う男に頼んだっすよー! と念を押して、ノルはその場をあとにした。
 進めば進むほどひと気がなくなっていく道をノルは迷わず進んでいく。街の中心からはずれ、さらに町民たちの家が集まるあたりも抜けて、閑散とした通りへとたどり着いた。

 ひとはいないけれど、通りの左右には大きな建物が並んでいる。どこも長い塀に囲まれた、立派な屋敷ばかり。けれどその多くに住民がいない、がらんと静かな通りだ。

「……こんなでっかい屋敷も、住むひとがいないと哀れなもんっすねえ」

 思わずノルがつぶやいた。その視線の先にあるのは、草木が伸び放題になった広い庭と瓦がずり落ちて無残な姿をさらしている無人の屋敷だ。かつては白くまばゆいほどであっただろう漆喰の塀は、ひび割れところどころが崩れ落ち、栄華を誇っていたころの面影はない。
 ちらほらと見受けられる崩れた建物に目をやりながら、ノルはそのうちのひとつに近寄ると、誰もいないかとあたりに視線をやった。
 猫の子いっぴき見当たらないと確認し、ノルはひざをわずかにまげてひょいっと軽く塀を飛び越えた。草の生い茂る庭に難なく着地すると、壊れかけた屋敷のよこに建つ土蔵に向かう。

「遅くなりましたっすー」

 いくぶん小声で土蔵に声をかければ、間を置かず戸が開いてノルを迎える。ノルがするり、とすべりこむようにして入ったさきには、揺れる灯火に照らされたユンガロスがいた。

「ノル、おそい」

 土蔵の戸を閉めるソルにじとりと見ながら言われるも、ノルは気にしない。すたすたとなかに進んで、ユンガロスのそばに置かれた木箱のうえに腕の荷物をどさりと置いた。

「いやあ、人気ものはつらいっすよ。ちょいと朝飯調達に出ただけなのに、騒動があったって呼ばれるし、あちこちで声かけられるし」
「騒動、とは?」

 灯火のしたで調書を読んでいたユンガロスが、顔をあげないままに問う。積み上げられているのは過去数十年から最近にわたって街で起きたささいな事故、事件の報告書だ。膨大な量の書類に目を通す作業は時間がかかる。巡邏の仕事は守護隊の隊長が請け負っているとはいえ、ユンガロスはこのところそれらの書類にかかりっきりになっていた。
 リュリュナの元へ通う時間もとれないほどに。
 それがわかっていたから騒動と詳細をぼやけさせて流したかったノルだったが聞かれてしまっては仕方ない、とくちを開く。

「あれっすよ。ナツ菓子舗が急に注目浴びてるから、嫉妬したやつがちょっと荒っぽいことをっすね……」
「詳しく、はっきりと話しなさい」

 ナツ菓子舗、とくちにした途端、ユンガロスは顔をあげてノルに視線を向けた。暗がりにいるからか、それともノルとソルしかいない密室にいるからか、いつもつけているサングラスをしていないユンガロスの裸眼に射抜かれて、ノルは観念するほかない。

「あー、まず言っときますけど、けが人はいないっす。ただちょっと商品にいちゃもんつけてる荒くれ者がいて、客が減っちゃってる感じっすね」

 けが人がいない、と聞いてユンガロスは明らかにほっとした顔をした。くちには出さないが、彼の脳裏にはちいさな牙っ娘の姿が浮かんでいるのだろう、とノルは続ける。

「でも、店のひとが困ってそうだから、って巡邏を呼びに行こうとしてくれる客もいるみたいっすから。そう問題ないはずっす。店のお兄ちゃんが矢面に立つ覚悟してるみたいですし、白羽根のお嬢に面と向かって決まり事を守るように説くちびっこが、そうそうへこたれないっすよー」
「ちびっこだけど、子どもじゃない」
「……それも、そうですね」

 ノルとソルに口々に言われて、ユンガロスはそっと表情をゆるめた。
 白羽根のヤイズミの青いひとみに見下ろされながらも、ちいさな身体できりりと立って己の考えを告げるリュリュナの姿を思い描けば、自然とユンガロスの胸があたたかくなる。
 愛らしい、けれど守られるばかりでもない少女を思っているユンガロスの前に、ずい、と白い塊が差し出された。 

「ちびっこの代わり、でもないっすけど。ナツ菓子舗の菓子を買ってきたから、これを食べてもうひとがんばりするっすよ!」
「ノルのくせに、気が利く」
「くせにってなんすか! おいらは気遣いの塊っすよ。気遣い上手な美男子って呼んでくれていいんすよ!」
「断固、拒否」
「どういうことっすかー!」

 じゃれるように騒ぐノルとソルを放って、ユンガロスは受け取ったまんじゅうをかじった。じんわりと広がる甘味が疲れた身体に広がって強張りをほぐし、並んで食べた思い出がよみがえると疲れた心がすこし軽くなる。
 ナツ菓子舗に妬みを抱く者がいるのは気になるが、それはきっと菓子舗の面々がなんとかするだろう。ユンガロスがなんとかすべきなのは、もっと根本的な問題だ。
 そっと指で触れた過去の調書を見るに、年々、恨みや妬みといった感情からくる事件が増加していた。

「やはり治安の悪化は由々しき問題です。早急に解決せねば……」

 廃墟となった屋敷群のなかで、ユンガロスは静かにつぶやいた。
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