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 それから、十年。

 村長の元でことばを学んだリュリュナとチギは、互いを好敵手として成長した。
 幼く、脳が吸収しやすい時期であったのも良いほうに働き、畑に出て仕事を手伝う年になるころには、村長よりも読み書きが達者になったほどだ。
 まれにやってくる行商の老人が文字を学ぶ幼児を見て、古びた本を荷物に加えてくれたことも学びの手助けになっていた。

「不用品の処分だ。いらんから山に捨てに来たんだ」

 老人はそう言い張ったが、険しい山道を越えてくる荷物に余分なものを加えるはずがない。そしてわざわざ運んできては、本の金は受け取らずに去っていく。
 素直ではない老人のおかげで文字を覚えたリュリュナとチギだったが、それでも村は貧しいままだった。
 
「落ち葉やくず野菜を集めて土に埋めたら、栄養のある土ができるの!」

 リュリュナのことばを受け止めてくれた両親のおかげで、ほんのすこしだけ畑の収量は上がった。けれど谷あいの村ではそもそも畑を作れる土地が足りず、貧困の根本的な解決には至らない。

 それなのに、人口は増える。
 リュリュナの母親のお腹にも、新しい命が宿っていた。
 十五歳になったリュリュナには、あと半年もすれば年の離れた弟か妹が生まれるのだ。

「つまり、いよいよ出稼ぎに行く時期が来た、ってことね」

 朝のひと仕事をしよう、と野菜を採ろうとしゃがんだリュリュナがつぶやいたとき、ぬっとあらわれた黒い影がリュリュナをおおった。

「なにがつまり、なんだ」
「チギ」

 リュリュナが黒い影の声を仰ぎみれば、そこにいたのはすっかり成長した幼なじみだった。畑を耕しに行くのだろう、チギは農具を肩に軽々と担いでリュリュナを見下ろしている。
 その名を読んでぴょこりと立ち上がったリュリュナは、立ち上がってもなお見上げなければいけないチギの顔を見て、ぷっくりとほほをふくらませた。

「どうしてチギはそんなに大きくなったの。ずっとあたしといっしょにいたくせに!」
「どうしてって言われても……」

 理不尽な怒りをぶつけられたチギは、リュリュナと同じく十五歳になった。
 けれど、並んで立てばふたりは同い年には見えない。チギはひょろりと細い体をしているものの、身長だけは大人とさほど変わらないほどに育っていた。不機嫌そうに寄せられた眉毛とへの字口が猫の耳と相まって、構われたくない猫そっくりだと、リュリュナは思っている。

 対するリュリュナは、チギの胸ほどの身長しかない。十歳を超えるあたりで成長が大変ゆるやかになり、先日ついに弟のルトゥに身長を追い越されたところだ。
 さらにリュリュナにとって納得がいかないのは、胸の盛り上がる気配すら感じられないことだ。チギの妹であるカモイなど、胸がふくらんできて邪魔だと言っていたのに、である。

「……早くしゃがんで。結ぶから」
「おう」
 
 ぷっくりとほほをむくれさせながらもリュリュナが言って、チギは素直に土のうえに腰を下ろした。
 チギの背中にまわったリュリュナは、濃い緑色をした髪を指で梳いていく。

「ずいぶん伸びたね。切らないの?」
「んー、まあ、まだいいかなあ、って」

 問いかけに煮え切らない返事をするチギの髪をリュリュナが結んでいく。背中の中ほどまで伸びた髪の毛を三つの毛束に分けて、首の後ろで三つ編みにしていく。
 髪を梳いていたリュリュナの手がチギの頭の猫耳に触れると、三角の耳がぴるる、と動く。
 チギの髪を結んであげるのは、いつからかリュリュナの朝の日課になっていた。幼いころにチギが髪を伸ばし始めたことではじまった日課は、互いが成長したいまもなんとなく続いている。
 さらりとした髪の毛を結い上げるうち、リュリュナの抱いていた理不尽な怒りは静まっていった。それどころか、ときおり動く猫耳にふふ、と笑い声がもれる。

 アニマルセラピーかな、などとリュリュナは思いながら、編み終えた髪に組み紐を結びつける。
 最後にぽん、とチギの背中を軽く叩いてできあがりだ。いつもならば、それを合図にチギも立ち上がり、仕事に向かう。
 けれど、きょうのチギはしゃがんだまま動かない。どうしたのだろ、とリュリュナがその肩をぽんぽんと叩くけれど、反応がない。

「どうしたの」

 不思議に思い、くるり、とチギの正面に回ったリュリュナは、いつにも増して不機嫌な幼なじみに首をかしげた。
 
「……出稼ぎ、ほんとうに行くのか」

 眉間にしわを寄せたチギの問いかけに、リュリュナはうん、とうなずく。チギに隠してもしようのないことだ。むしろ、家族に言う前に話しておこうと思っていたのだ。

「行くよ。うちのお母さんに赤ちゃんできたの、知ってるでしょ。それに、あたしも十五歳になったから、春には街に出ても仕事がもらえるもの。だから、チギは村をよろしくね」

 幼すぎるものは雇ってもらえない、と行商の老人に聞いていたリュリュナは、ずっと待っていた。家族のために、村のために働きに出られる日を。そのときがきたのだ。
 
「……おれも行く」
「え、チギも?」

 村のことをお願いしようと思っていた相手からの思わぬ返答に、リュリュナは驚いて声をあげた。
 
「ああ。村とおまえの母さんは、カモイとルトゥに任せればいい」
「でも、チギは仕事のあてがないじゃない」

 リュリュナは、行商の老人から十五になったら知人の店で働けるよう紹介状を書いてやる、と約束してもらっている。だからこそ、知り合いのいない街に出ていける。けれど、チギにはその当てがない。
 けれども、チギは迷いのない目でリュリュナを見つめて言う。

「行商のじいさんに頼む。文字の読み書きはできるし、力はお前より強い。背だって大人とそう変わらない。だから、ぜったいおれも出稼ぎに行く!」

 そう言い張ったチギは、その日の午後。

「そろそろ山道もきつくなっておったでな。ちょうどいい、わしの仕事を手伝わせてやろう」

 折よくやってきた行商の老人、ルオンのひとことでチギの仕事は決定した。宣言どおりに出稼ぎの手段を手に入れたチギだったが、うれしそうではなかった。

「行商って! それ、街での仕事じゃねえだろ。おれは街に出て出稼ぎするつもりで……」
「街にも出る。商品を仕入れるからの。それから、そこのちっこい嬢ちゃんの仕送りもついでに受け取りゃいい。この村に物を届ける手段はほかにないんじゃ。お前さんが、村と嬢ちゃんをつないでやらんでどうする」

 チギの反論は、あっという間にルオンに封じ込められた。それどころか、むしろチギは行商の手伝いにやる気を見せる。

「……それなら、しかたないから、やってやるよ」

 いつからか素直でなくなった幼なじみの猫耳が、うれしげにぴくぴくと動いているのをリュリュナはほほえましい気持ちで見ていた。
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