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70. そろそろ胃薬が欲しい

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 辺境の街アネスタ。その一角にある冒険者ギルドは、今日も今日とて賑わっていた。

 依頼を吟味する者、窓口で手続きをしている依頼人、奥まったところにひっそりと併設された酒場で昼間から酒をかっ食らう者、魔物の買取で一喜一憂する者と様々だ。
 それに比例して職員もそれなりに忙しくしており、日々の業務に勤しんでいる。

 目まぐるしく変わる雑多な風景、されどそれがここの日常。


「ギルマス、なんだかやけに機嫌が良いですね?」

 ギルド内にいる冒険者が疎らになって一息ついた頃、1人の職員が鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気のギルマスに気付き、不思議そうな顔でぽつりと疑問を口にした。

「ふっふっふ、分かるか?あのヒヨコ一家が最近来てねぇからな」

「あー……賢者様のとこの……」

 満面の笑顔で告げられた内容に、遥か遠くを見つめる眼差しで瞬時に理解した職員。

 フィードはあまり冒険者ギルドへは足を運ばないが、職員の間では賢者であることが周知されている。それは商業ギルドも同じで、賢者の不興を買わないようにと予め情報共有しているのだ。
 職員だけでなく、アネスタではノンバード族の賢者がいると広く知られている。

 フィードが行く先々で一悶着あり、問題になる前にステータスカードを提示しているので一部にはその存在が明らかになっていた。
 しかしアネスタで広く周知された原因は間違いなくアネスタ辺境伯だろう。
 何せ彼はノンバード族は魔法が使える、同じノンバード族の賢者が自らその叡知を授けたからだと声高に宣言し、己の築き上げた人脈をフルに活用して布教活動に勤しんでいるのだから。

 差別をなくすなどといった崇高な志で動いているのではなく、賢者様の偉業を広めないでどうするのだ!という気持ちで突き動かされているに過ぎない。しかもご丁寧に賢者様は研究の邪魔をしたり身内を害さなければ温厚な方だと賢者に対する人々の恐怖を和らげるのも忘れない。
 どこの宗教だと問いたくなるが、賢者をリスペクトし過ぎている彼には何を言っても聞かないだろう。

 訳あって国の上層部が表立って公表していないのでアネスタ以外には広まっていないが、少なくともこの街では周知の事実として受け入れられていた。

「賢者様とそのご家族が来ないだけでとても平和ですねぇ……」

「ああ、そうだな……」

 戦場を生き抜いた戦士のような笑みを浮かべ、次第に涙ぐむ職員に、深く頷きながらしみじみと同意するギルマス。

 もちろん、荒事を一手に引き受ける組織なので冒険者同士の争いはある。
 だがあの家族が引き起こす騒動に比べれば可愛いもんだ。

 賢者に気を取られがちだが、その身内も十分問題児なのだ。

 例えば次男。メルティアス家で唯一冒険者として積極的に活動している子供。
 冒険者登録してからまだほんの数ヶ月なのにDランクまで上り詰めた猛者で、この街で活動している冒険者ならば知らぬ者はいないくらいには有名だ。
 登録してからだいたい1年でEランクに上がるのが普通だと考えると異例の早さでランクアップしているのが分かるってものだろう。

 そんな将来有望な冒険者、本来ならばパーティーに勧誘されてもおかしくない実力を備えているのだが、あいにくその手の話は一切聞かない。
 それもそのはず。差別意識の強い一部の冒険者に絡まれた際、情け容赦なく返り討ちにした現場を多くの冒険者が目撃したからだ。
 次男坊、大好きなお兄ちゃんに言われた「絡まれたら半殺しにしなさい」という言葉を忠実に守っていた。それはもう、絡んだ相手の自業自得でも思わず同情しちゃうレベルで。
 その一件以来、噂の次男坊に声をかける勇者はほとんどいなくなった。

 そう、その時点ではまだ親切に話しかける者もいたのだ。
 いくら実力があろうと登録して間もない新人だし、おまけに子供だから、悪い奴らに利用されないよう先輩冒険者として指導せねばと、正義感と義務感とほんの少しの庇護欲が織り混ざって度々声をかける冒険者もちらほらいたのだ。
 アネスタの冒険者はランクが低い、つまりは実力は乏しいが、地道に長く冒険者を続けている者も多い。その分、冒険者として必要な知識が豊富で、いざというときの危機回避行動も熟知している。
 本来それらは新人冒険者が先輩冒険者に懇願して教わったりするものなのだが、彼らは誰に言われるでもなく自ら進んで教えていた。庇護欲を掻き立てるか弱そうな見た目の影響だろうか。

 だがしかし、そんな良識のある冒険者でも声をかけるのを躊躇する事案が発生。

 なんと、セレーナに喧嘩を吹っ掛けたのだ。
 あの黒猫少女に。あの怪力娘に。あの破壊神に。堂々と、真っ正面から喧嘩を吹っ掛けてしまったのだ。

 それだけなら次男坊を諌めるだけで良かった。しかしそうは問屋が卸さない。
 結果的には次男坊が負けたが、セレーナが次男坊のガッツを気に入ってしまい、会う度にバトルを繰り広げるようになったのだ。

 いくら実力があろうとあの厄介者には関わりたくないというのが冒険者達の共通認識で、必然的に気に入られた次男坊に近付く者もいなくなった。

 街中で騒動を起こしてアネスタ辺境伯を困らせているのは長男と次男坊が筆頭である。長男はまだしも、次男坊は攻撃系の魔法しか使えないので、修繕費が嵩むのだ。
 子供に請求するのも気が引けるし、崇拝している賢者に請求するなどもってのほか。
 メルティアス家は知らない……修繕費が辺境伯持ちであることを。

 お次に三男。冒険者活動はあまりしておらず、ギルドにもほとんど顔を見せないが、こちらも密かに有名だ。
 屈強な兵士達が頭を下げるほどの手練れの情報屋として。

 どうやって知り得ているかは不明だが、何故か裏の事情に精通し、逐一アネスタ辺境伯に情報を流しているという。
 最初に闇ギルドに所属する犯罪者の潜伏先を密告されたときには目が点になったものだが、半信半疑で兵士を向かわせたところまさしくドンピシャで驚いたと辺境伯本人が語っていた。

 その後も時たま犯罪者の潜伏先や闇商人の集会場など様々な情報を流してくれて、おかげさまでアネスタ内に蔓延る犯罪者はぐっと減ったと喜んでいた。
 ただ、物的証拠もきっちり押さえていて空恐ろしいと身を震わせてもいたが。
 これでまだ4歳。子供のうちにこんなだと、成長したらどんな怪物になるのやら……

 3匹目、長女。この子もあまり冒険者活動はしていないが、長男と同じく魔物の素材を集めて魔道具を作っている。
 その魔道具は魔道具職人が舌を巻くほどの一級品。ヒヨコ一家が作る魔道具は誰にも真似できないときた。
 魔力回路が複雑に入り乱れているのはもちろんのこと、魔石を複数使うなど前代未聞なことを仕出かして世間を賑わせている。

 噂ではその高性能な魔道具に感銘を受け、弟子入り志願したいという魔道具職人も表れ始めたらしい。

 最後に次女。この子は極たまに冒険者活動しているが、ほとんど商業ギルドに出入りしている。
 そこでは多くの商人と交流し、目利き勝負を持ち掛けては目的の品を値切ったりしているらしく、商人の間では有名だ。
 何せ目利き勝負では負け知らず。Bランクの商人にまで引導を渡したと聞いて驚愕したのは記憶に新しい。

 それだけでなく、何やら値切り交渉以外にも色々やっているらしい。
 商人になれば、それこそ10年と待たずに上位ランク商人の仲間入りするのではないかと囁かれているのも頷ける手腕だ。
 本人は食費を切り詰めるためにやっているだけで、商人を目指すつもりは今のところないらしいが。

 なんにせよ、方向性は違えど全員何かしらやらかしている。
 この事実に振り回されるのは主にギルマスと辺境伯だ。最近の悩みの種はヒヨコ一家が絡んでいたが、つい先日状況が一変した。

 なんと、あのヒヨコ一家が街外れに引っ越したのだ。

 引っ越し作業でギルドどころか街にも来なくなり、街には平和が訪れた。言葉にはせずとも誰もが安堵した。
 ついでに暇を持て余したセレーナが遊び相手を探して街をうろついていたときにヒヨコ一家お引っ越しの件を伝え、そちらに行くよう促した。
 別に街外れに厄介者を一纏めにしてトラブルを防ごうとか思った訳ではない。ないったらない。

 黒猫がヒヨコ一家に飼われることになったと知り、これでもう破壊神の影に怯えなくて済む……!と涙ながらに語っていた人々がいた事実には、そっと蓋をしておこう。

「明日休みですよね?久しぶりにゆっくりできるんじゃないですか?」

「ああ、やっと休みが取れたんだ。のんびり休日を楽しむよ」

 レイもヒヨコ一家が引っ越してから時間つくれるようになったって言ってたし、レイと飯でも食いに行くかな、などと考えていたら、ギルドが騒がしくなった。

 また誰か喧嘩してんのか。全く血の気の多い奴らだ。

「また冒険者同士で取っ組み合いですかね?」

「チッ、しゃあねぇな」

 めんどくさいけど無視する訳にはいかねぇ、と重い腰を上げて奥から出てきたギルマスに気付いた他の職員が縋りつくような目で見つめている。

 なんだ?喧嘩ならいつものことだろうに……

 不思議に思いつつ騒動の元となる方へ視線を向けると、しばらく見たくないとさえ思っていた、手の平サイズの黄色い小動物がカウンターに飛び乗った。

「すみません、ギルマス呼んでもらえますか?ちょっと急ぎの用なのでなるべく早めに……あ、ちょうどいいところに。ギルマス、ちょっと一緒に来てもらえませんか?」

 ギルマスに気付いたヒヨコが途中で言葉を切り、用件を伝えた。どことなく剣呑な雰囲気を漂わせながら。
 ギルマス、思わず真顔になる。

 こんにちはトラブル。さようなら俺の平穏。

 つい先程目の前のヒヨコの家族で話していた職員に同情と応援のこもった眼差しで見送られ、ギルドを後にしたギルマスであった。

 また休日が潰れるなぁ、と確信に近い呟きを内心で溢しながら……

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