天使と悪魔の境界線

深園 彩月

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episode2:heretic

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「今日のォ♪獲物はァ♪なんだろなァ~♪」

 妙に間延びした声で鼻歌混じりに辺りを見渡す少女が一人。

 太陽の光でキラキラと眩く光る純白の翼を悠々と広げ、茶色のローブをはためかせる少女。目深に被ったフードの隙間からは白銀の髪が見え隠れしている。

 少女は目深に被ったフードの向こう側で獲物を狙う肉食獣に似たギラギラした目で舐め回すように辺りを見回していた。

 天使の象徴である宝石のような青い瞳……ではなく、悪魔の証である鮮血を塗りたくったような深紅の瞳をちらりと覗かせて、楽しげに歪んだ笑みを浮かべた。

 その視線の先には白一色の綺麗な一軒家が建っており、純白の翼を生やした若い男女の夫婦とまだ幼い子供が仲睦まじくその一軒家の中に入っていった。

 窓はカーテンで覆われているため中の様子は知ることができないが、きっと今頃子供が親に甘えたり、楽しく会話していたりと家族水入らずな幸せな時間を過ごしていることだろう。

 少女はゆるりと目を細め、歪な笑みを深くした。

「ひゃはっ!獲物はっけェん!」

 茶色のローブが風に躍らされると同時に片手をその一軒家へと突き出した。

 次の瞬間、光の粒子が少女の掌に集束していき、やがて淡く輝く白い魔法陣がぶわりと広がった。

 そこから幾つもの光の矢が現れ、いとも簡単に一軒家を飲み込んだ。

 壁を突き破り、窓ガラスを割り、中へと浸入した光の矢は無差別に破壊の限りを尽くす。家の中にいる親子をも穿たんとする。

 悲鳴とともに家から飛び出した親子3人。幸せいっぱいに笑っていた先程とは明らかに違う、困惑混じりの絶望の表情。

「うわァ~ガキの泣き声うるっせぇなァ!でもイイ顔してんじゃん!それだよそれェ!ん?おォ?ふはっ!旦那に逃げられてやんの!離婚確実ーゥ!」

 子供を抱き締め、旦那にすがる母親。だが旦那は情けない悲鳴とともに何処かへ飛んで消えていった。残された母親は絶望のあまりよろめく。

 それに追い討ちをかけるように光の矢を母子に向けて放つ少女。その瞳はまるで新しい玩具を見つけた子供のように輝き、惚れた相手を見つめるときの少女の如く頬を赤く染め恍惚としている。

「きゃはははははっ!!アー楽しーィ!!」

 他者を苦しめるのが生き甲斐な彼女は狂ったように笑う、わらう。

 まるで真綿でゆっくりと首を締め付けるようにじっくりと少しずつ追い詰めていく。絶望の最中、どうにか我が子だけでも守ろうと幼い体を抱き締める。

 なので子供に攻撃は及ばず、母親だけが生傷を増やしていく。少女が放った魔法により服は切り刻まれ、肌に切り傷が刻まれていき、つぅっと赤い液体が彼方此方から流れ出ている。

 トドメだと言わんばかりに、母親の腰に光の矢を直撃させた。小さな呻き声とともに子供を抱き締める力を緩める。

 子供は「ママぁぁぁ!!」と悲痛に泣き叫ぶ。母親は我が子が無事で心の底から安堵した顔をして、安全な場所へ行こうか、と子供の手を引いてふらふらと飛んでいく。

 腰の辺りがじんわりと赤く染まっていくのも構わずに。


「あの感じだともう止めといた方が良さげだなァ。あーあ、ざァんねん。ここまでかァ」

 まだやりたりないと言いたげに唇を尖らせた少女だが、これ以上攻撃すれば母親の命に関わると思い、大人しく身を引いた。

 くるりと半回転し、次のターゲットを探そうと辺りを見回したところで黒い物体が視界に入った。

 物体……否、ヒトと呼ぶべきか。

 漆黒の翼を控えめに広げ、同じ色の髪が風で躍る。艶やかな黒髪は前髪が長く、左側だけ耳にかけている状態で右目は隠れていて見えないが、少女と同じ深紅の瞳が彼女を捉えた。

 一瞬だけぴくっと肩を揺らしたが、すぐにまたかよ……という風なため息を吐いた。


「気配消すなって何度も言ってんだろォがよー、色男ォ」

 色男と呼ばれた悪魔は表情筋が死滅したかのような無表情を一切崩さず、言葉を返した。

「色男ではない。スターチスだ」

 その声色にさえ、憤りも何も感じない。機械が音を紡ぐような淡々とした口調。彼、スターチスに感情というものが備わってるのかと問いたくなるほどの冷淡な声。

「名前なんてどうでもいいだろー色男ォ」

「色男ではない。スターチスだ」

「お前はそれしか言えねぇのかよォ」

「お前ではない。スターチスだ」

「しつけぇなァ」

 茶色のローブを身に纏った天使の少女は純白に彩られた建造物の数々を追い越し、次なるターゲットを見定めている。豪速球並みに素早く飛行する彼女に全身漆黒に包まれた悪魔・スターチスは余裕粛々についていく。

 まるで彼を置いてきぼりにするために光の速さで移動してるよう。だがスターチスはある意味暴挙とも言えるその行動を咎めることなく無言で後ろを飛び回った。

 少女はちら、と己の背後を飛行する悪魔を見やる。

「なんでそんなに名前に拘るんだよォ?呼ばれてェの?」

 悪魔は飛行速度を落としもせずに淡々と言う。

「お前はフクシアという名前で、俺はスターチスという名前だ。お前でも色男でもない。だから名前を呼ぶ」

「つまりィ、お前自身が呼ばれたいから訂正してんじゃねェってのォ?」

「呼ばれたいとは思ってない」

 少女・フクシアは僅かに減速し「ふゥん」と呟いた後、背後に向き直った。にたり、と歪な笑みを称えたまま言葉を落とす。

「つまんねェやつだなァ」

 スターチスは何の反応も見せない。だがその瞳が「何故?」と問いかけている。

 疑問の声を上げる前に突如フクシアの手が彼の頭に伸びた。

 ガッ!と前髪を鷲掴み、ぶちぶちっと引き千切る勢いで自身の顔に無理矢理近づける。

「だってよォ、お前の意思が感じねぇもん」

 痛がる素振りも見せず、フクシアを見上げた。彼女の純白の翼がまるでベールに包まれるように彼を覆い隠す。

「……俺の意思?」

「これは正しい、けどこれは間違ってる。だから訂正を求める。ただそれだけェ。言うなれば、嘘発見器だなァ。嘘だったらランプがつくけど、それ以外はずーっと沈黙してんの。しかも然るべき時にしか使われねぇから人目につかねぇ場所にゴミ同然でほったらかしィ。まさにお前じゃねェか」

 彼女の言葉が刃となって彼の心を容赦なく抉る。だがスターチスはどれほど酷い暴言を吐かれても全く反応を示さない。

 ただ表情に出ないだけで心の内は傷付いているのか、はたまた何も感じていないのか、それは誰にも知り得ないことだった。

「嘘発見器なんてガラクタには興味ねェんだよ」

 前髪から手を離し、吐き出すように口にしたそれにスターチスはやはり表情を動かさない。

 が、ずっと同じ速度で飛翔していた彼が初めて減速した。

 フクシアは再び羽ばたいてゆく。呆然と佇むスターチスを放置してどんどん先へと行ってしまう。

 後ろを振り返ることもなく――――


 ――――――
 ――――――――――


 茜色に染まる空。太陽が少しずつ沈んでいき、うっすらと月が見え始める頃。

 スターチスは一人、彼女が去っていった方をぼんやりと見つめていた。

 彼女のナイフのような言葉の数々が胸中に浮かんでは奥底に沈む、の繰り返し。表情のない顔を微かに俯かせて黙考する。

 “興味ねェんだよ”と言ったあのときの彼女は、いつもと変わらず歪んだ笑みを浮かべていた。一見何の変化もなさそうだったが、彼女が拒絶したことだけは理解した。

 常に光の宿っていない淀んだ瞳が更に冷たさを帯びていた。ついて来るな、と全身で拒んでいた。だから動けなかった。

 スターチスは何故拒絶されたのかが分からなかった。ただひとつ言えることは、彼女にとって興味を引く存在にならねば旅に同行させてもらえないということだ。

「……分からない」

 フクシアに出会うまで命令に従って生きる以外の選択肢がなかった彼は、誰かの興味を引こうなどと考えたことがなかった。

 故に、彼女の興味をそそるものを知り得なかった。


 茜色と薄紫色が絶妙に混じった夕闇がスターチスごと辺りを覆い尽くす。

 段々と月がくっきり現れはじめ、今宵も夜の訪れを告げていた。

 闇夜が辺りを包んでいくごとにどこか寂しげな彼の背が浮き彫りになっていった。


 ――――――
 ――――――――――


「や、やめろ……!子供達には手を出すな!うぐぁっ!?」

「父さん!おのれ悪魔!!許せない……っ」

「きゃああっ!おとうさんっ!!」

「あっはっはっ!殺してやる天使共!!」

 幻想的な輝きを放つ月がぽっかりと浮かぶ夜に轟く天使の慟哭。

 夜に相応しい漆黒に身を包んだ悪魔がどす黒い羽根をはためかせ、白い一軒家に浸入し、その中にいた天使の親子を奇襲したのだ。

 ここは悪魔の領土に近いため、このような事態は度々ある。だがここら一帯の警備を任された一家の大黒柱がここを離れる訳にもいかなかった。

 もう息をしていない父親と泣きじゃくる幼い妹を守るように抱き締めた少女は父親を殺した悪魔をきつく睨む。

「あんたなんか……!あんたなんか、ランタナ様に懲らしめられればいいんだ!!」

「負け犬が何言っても無駄だぜ嬢ちゃーん!あっははは!まぁ安心しろよ。すぐにお前らもママとパパと同じ場所に連れてってやるからよぉ」

 母親とおぼしき女性が写った写真の前に置いてある造花をちらりと一瞥し、ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべた。無力な姉妹はただ震えて涙を流すだけ。助けを呼んでも、やや辺鄙な場所であるから誰も来ない。少女は絶望した。

 もっと自分に力があれば家族を守れたのに、と内心嘆く。そんなことは露知らず、悪魔は掌を翳し、無情にも魔法の詠唱を始めた。

 悪魔の掌から黒い魔法陣がぶわりと広がり、そこから刃物のように鋭く尖った黒い閃光が現れて姉妹を襲った。

 互いを守るように抱き締め合った姉妹の悲鳴は黒い閃光に掻き消され、やがて3人の身体が力なく横たわる光景へと変貌した。

「よしお前ら!ここらは警備が手薄だ!黒軍の領土にしてやんぞ!!」

「うおおおおお!!!」

 外で待機していた大勢の悪魔が雪崩れるように白の領地を蝕んでいく。親子の遺体は燃やされ、一軒家は派手に破壊され、塵と化した。

 半径一キロ圏内に常駐していた『休憩所』と書かれたシンプルな白い建築物の中にいた天使達が異変に気付いたのかぞろぞろと外へ出てきた。

 ちなみに休憩所とは日頃常に翼を酷使している者達の羽根を休める場所である。

「悪魔だ!戦いに備えろ!!」

「奇襲だー!!戦えないやつと子供は避難しろ!!」

「誰か!白軍本部に伝えてくれ!」

 闇夜に紛れて気付くのが数秒遅れたが、悪魔が奇襲を仕掛けてきたことに気付いた白軍の兵士達は各々武器を構えて応戦した。戦闘能力のない者や子供は巻き込まれぬよう遠くへ逃げていく。

「良かったなァ。家族揃ってあの世に逝けてよォ」

 名も知らぬ一家の悲劇の一幕と開戦の合図の一部始終を全て遠くから傍観していたフクシアはぼそりと呟いた。

「ガキだけ残されてもいいことなんざねェからなァ。白軍に飼い慣らされて洗脳されんのがオチだァ。それ考えたら幸せだぜェ。あの世で仲良くしろよォ。ぶっ壊しに行けねェのが心底残念だァ」

 茶色のローブが強風に煽られ、ばさばさと音を立てている。それを鬱陶しそうに捲り、全身を包むローブを羽織ってるというより中の服が前だけ丸見えなマントを着用したかのような出で立ちになった彼女は、腰に手を当ててニタリとわらった。

「で、まーたお前らは通行止めしやがんのかよォ。いい加減うぜェんだけどォ」

 目と鼻の先にある戦場にスッと掌を翳す。すると戦場の真上に巨大な白い魔法陣が空を覆い尽くさんばかりに広がった。

 そしてその魔法陣は淡く輝きを放ち、無数の光の矢が出現して無差別に眼下の天使と悪魔に襲いかかった。

 戦場にいる者共にとっては誰が放ったかも分からない光の矢。雷の如く落ちてくる閃光に一瞬反応が遅れた。

 不幸中の幸いで小さな掠り傷しか負わなかった者もいれば、運悪く身体のどこかに貫通して大怪我をした者もいる。光の矢が降ってくる速度があまりにも速く、上手く避けられた者は少ない。

 いつの間にか応戦する人でごった返していた戦場に生々しい鮮血が飛散する。

 苦痛で顔が歪み、涙を滲ませる者も現れるとフクシアは満足げに笑みを深めた。と同時に脳裏に過ったのは、常に気配を感じない無表情の男。

 あの男は悪魔のくせに明るい輝きを放つ目をしながら、何を考えてるのかちっとも分かりゃしない無愛想面を引っ提げていた。

 何度喧嘩を吹っ掛けても「しない」の一点張りでつまらなかった。こちらが話を振らねばほとんど会話もしないような奴だった。しかも一度もあの男の表情が崩れたところを見たことがない。

 フクシアが破壊の限りを尽くしてるところを見ても、一緒に楽しむことも破壊された者を思って同情することもなく、ただただじっと傍観していた。

 あんなふうに、感情を剥き出しにして真っ正面からぶつかってきたことはただの一度もなかった。

「嘘発見器っつーより、人形みてェなやつだったなァ」

 彼女の独り言に応える者は誰もいない。

「1回くらい激情した面拝んでみたかったなァ。うわ、びっくりするほど想像できねェ。どんだけ無感情だったんだよォアイツ」

 何が面白いのか、くくっ……と声を圧し殺して笑うフクシア。一切明かりのない暗闇の中、不気味に笑う女。茶色のローブで顔も身体も隠れているため、怪しさ満載だ。


 不意に後ろを振り返る。

 そこには誰もいない。

「……」

 あの男はもうついて来ないんだろうか。

 馬鹿の1つ覚えみたいに「俺の名はスターチスだ」と静かに吠えることはないのだろうか。

 あの目を逸らしたくなるほどの真っ直ぐな瞳で己の名を呼ぶことも、ないのだろうか。

 そうして考えてる間にも大規模な魔法は止まることなく戦士達を傷付けていく。もうとっくに彼女の通れる道は作られたのにその場から動かなかった。

「治療班いるか!?何人か深手を負った!」

 誰かのその叫び声にはっと我に返り、戦場をよく見てみると、全身血濡れで翼も傷がつき、息も絶え絶えに落下せぬよう誰かの肩を借りている者が何人もいた。

 天使も悪魔も重傷者が多い。

「チッ、もうへばってんのかよォ。弱ぇなァ」

 文句を交えつつ即座に魔法を解除したフクシア。魔法陣は霧散し、そこから放たれていた光の矢も同じく消えてゆく。下手すれば命を落としかねない者多数なことに気付き、彼女は苛立ちを露にした。

 この程度の攻撃で死にかけるとは、軟弱にも程がある。

 彼女の放った大規模な魔法は上級のそれに匹敵するので、決して“この程度”というレベルではないのだが、彼女は憤慨した。

 彼女は戦闘の魔法しか知らない。治癒の魔法なんて使ったこともなければ勉強した記憶もない。そしておそらく戦場にいる彼らの中に治療できる者はほとんどいない。いたとしても彼女が重傷を負わせた可能性が高い。

 天使が誰かを死に追いやれば、白銀の髪も純白の翼も漆黒へと成り果てる。宝石のような青い瞳も深紅へと変わる。――彼女は元から深紅の瞳だが。

 彼女にとって、悪魔になるなんて真っ平御免だった。

「半端者がいるから面白いんだろォがよォ。白と黒、善と悪、青と赤にすっぱり分かれた世界なんてなーんの面白味もねェ。私はァ、面白おかしく人生を送りてェんだよォ」

 “だからァ、私の魔法でくたばるなんざ許さねぇよォ”

 瞳に怒りの炎を浮かべ、眉間にシワが寄った彼女の笑顔は段々と翳っていく。

 この状況を打開するにはどうすればいいのかと思考を巡らせた、そのとき。

「だからお前は天使であることも悪魔になることも拒むのか」

 耳に心地よく響く低い声が鼓膜を揺さぶった。

 後ろを振り返れば、漆黒の髪と同色の翼に紅い瞳を称えた無表情の悪魔がまたあの真っ直ぐな眼差しをこちらに向けていた。

 もうついて来ないかもしれないと思ってただけに驚いた。

 フクシアの右斜め後ろにいたスターチスは悠々と掌を戦場に翳す。

「死ななければいいんだな」

 フクシアを一瞥し、確認するように呟いた直後、光の粒子が彼の掌に集まりだした。

「月光のベールで癒やせ」

 詠唱と共に掌の先に広がる魔法陣。

 直後、種族を問わず息絶えそうな重傷を負った者達の身体を月光の如く幻想的な淡い輝きを放つベールが包み込んだ。

 その瞬間、みるみるうちに傷口が塞がっていき、血の気が引いていた顔に生気を取り戻した。意識が飛んでいた者、苦痛に表情を歪ませ痛みを訴えていた者、仲間の肩に掴まることで浮遊するのがやっとの者……皆等しく傷が癒されていく。

 だが完治する前に術を解いた。死地へ向かうほどの大怪我は治したため死に至ることはないが、それでも動くことができない程の傷を負っていることに変わりない。これ以上戦うことはできないだろう。

 彼女はスターチスが治癒魔法を使えたことに若干驚いたが、にんまりと口角を上げた。

「たまには役に立つじゃねェか」

 茶色のローブを翻し、物凄いスピードで戦場を突っ切る。怪我の治療などに気を取られていたため、彼女の姿を見た者はほとんどいなかった。

 戦場から遠退いていくフクシア。後ろは振り返らない。相も変わらず気配が全くないが、神経を研ぎ澄ませば彼が背後にいるのが伝わったからだ。

「フクシア」

 彼が彼女の名を呼ぶ。それでも振り返らない。

「ずっと考えていた。何故お前が拒絶したのか、お前の興味を引くものは何か」

「分かったのかよォ?」

「分からなかった」

「じゃあサヨナラだなァ。つまんねぇやつ連れてくシュミはねェ」

「だから教えてほしい。お前の興味を引くものは何だ」

 がくり、と肩を落としたフクシアは、そこで漸く後ろに目をやった。

 至極真剣な眼差しで問いかけてくるスターチスに呆れた顔をする。そんなもの自分で考えろと言おうとした。だが視線が絡み合った瞬間、どうしてか邪険にできない気持ちになった。

「面白いモノォ」

 そして口から出てきた言葉は彼女の本心。

 スターチスはまた問う。

「お前にとって面白いものとは何だ」

「異端者とかァ、変わったものとかァ、普通じゃねェやつゥ」

「民家を襲うことは含まれないのか」

「それはァ、面白いじゃなくてェ楽しいっつーのォ。ビミョーに似てるけど別ジャンルゥ」

「……やはり、理解できない。俺には感情が欠落してるのか?」

「私に聞かれても知らねェよォ。でも、そうだなァ……自分の意思で行動したことねェなら、感情が馬鹿になってんじゃねェの」

「俺は、どうしたってお前の興味を引く存在にはなれないのか」

 いつもと変わらぬ冷淡な声。表情のない顔。だが何処か切なげにフクシアを見つめていた。

 その眼差しになんとも言えぬ感情が胸の内で燻るが、些細な変化だったのでその小さな感情には彼女自身気付かなかった。

 面倒そうに頭をがしがしと掻く。共に旅をし始めた当初だったら彼女が何を言っても勝手について来そうな雰囲気だったのに、今は何故か彼女に許可を貰おうとしている。

 当初は邪険にしていても拒絶はしなかったから勝手に同行した。だが今回は明白に拒絶された。だからだろうか。

 勝手について来られても面倒だが、この状況はもっと面倒だ。さてどうするかと首を傾げて唸っていると、突然何かを閃いた顔で指をぱちんっと鳴らした。

「いーこと思い付いたァ!」

 瞬間、スターチスの胸ぐらをガッ!と掴み上げた。勢いよく彼のもとに飛び込んだせいで風圧で頭を覆っていたフードがふわりと落ち、肩まである白銀の髪が揺れた。

「私がお前に感情ってモンを教えてやんよォ!楽しいも嬉しいも面白いも幸せも、なにもかも教えてやる!そんでェ、幸せ絶頂のお前を地獄の底に叩き落としてやる!良い感情も悪い感情もぜぇんぶひっくるめてお前に教えてやんよォ!」

 上げて落とすとはまさにこのこと。

 彼女は彼に欠落している感情を呼び起こそうというのだ。それも、幸せいっぱいの顔をさせて絶望させるという惨たらしい方法で。

 そんな彼女の狂った提案を、スターチスは暫し黙考した後、こくりと頷いて了承した。

「俺は幸せも絶望も味わった記憶がない。だから知りたい」

「ふはっ!探究心だけは一丁前だなァ!」

「それと、ひとつ訂正してくれ」

「あ?何をォ?」

「自分の意思で行動したことがないとお前は言ったが、それは違う。俺は自分の意思でお前に同行している。これは間違いなく俺の意思だ」

 ふと思い返してみると、彼がフクシアについて来たのは“彼女を知りたい”という理由だった。

「嘘発見器は、嘘を見破る以外に自発的に光ったりしない」

 確かにそれは単調に動く嘘発見器でも、意思を持たぬ人形でもできないことだ。

「そりゃそうだなァ。お前はガラクタなんかじゃねぇやァ。探究心だけは一丁前な、ただの欠陥品だァ」

「それは褒めてるのか?」

「欠陥品が褒め言葉に聞こえたんなら鼓膜取っ替えてこいよォ。嘘は言ってねェけどなァ」

 だってそうだろ?と歪んだ笑顔はそのままに目を細めて彼を見上げる。

 スターチスはまたこくりと頷いた。

「間違ってはいない」


 共に旅をし出してから早数日。フクシアとスターチスの関係に少しずつ変化が訪れる。

 誰も知らない、彼女と彼の約束事。

 闇の中に浮かぶ綺麗な月だけが二人を見守っていた。


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