天使と悪魔の境界線

深園 彩月

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episode1:At the stort

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 一面に広がる雲一つ見当たらない青い空。

 その下には地上よりも遥か上空に位置する天空の都市が地平線の彼方まで伸びていた。

 この世界は、人間の住まう世界、すなわち人間界とは違う空間である。

 地上のように地に足がつく場所はどこにもない。ここは地上との境目に透明な薄い膜で仕切られていて、天界の建造物は全て魔法陣で支えられている。

 物語でよくある、空に浮かぶ島などではない。

 空そのものに無数の魔法陣が描かれ、その上に建造物が連なっているのだ。

 空に浮かぶ建造物は民家もあれば店もあり、人間界でよく知られているテーマパークなどもちらほらと目に入る。そこに住む者は皆、背中に翼を生やしている。

 優雅に翼をはためかせ、西へ東へ飛び回り、数多の天界の住人が己の職務を全うする。

 その者達は二つの種族に分かれていた。


 ――――聖なる光がそのまま宿ったかのような美しい白銀の髪を揺らし、宝石のように煌めく青い瞳を持ち、純白の翼を生やした清い心を持った種族。

 ――――闇を現すような漆黒の髪を靡かせ、まるで鮮血を塗りたくったような深紅の瞳を覗かせて、髪と同色の翼を生やした邪心の塊の種族。

 それ即ち、“天使”と“悪魔”。


 建造物もそれぞれの種族の象徴のように白と黒の建物ばかり。まるでモノクロに塗り潰された世界のよう。

 白と黒が大半を占めるここ“天界”で、数多の天使と悪魔が一ヶ所に集まっていた。


「聖なる光よ、邪心を切り裂け!」

 白い翼をこれでもかと開き、重い鎧を全身に纏った兵士が両手を翳して詠唱する。

 瞬間、両の掌に集束する光の粒子。これは魔法を使う際に用いる、いわゆる魔力の源である。この粒子は天界に蔓延していて、天界の住人は皆これを体内に吸収し、魔法として体外に放出するのだ。

 詠唱した刹那、円形の白い魔法陣が両手から広がり、そこから幾つもの光の柱が出現した。それらが鋭利な刃となって敵に降り注ぐ。

 天使のように鎧は着ておらず、まるで闇そのもののような全身漆黒に身を包んだ悪魔が大勢光の刃に飲み込まれた。辺りに生温かい赤い液体が飛び散る。

 急所ではなかったがかなりの深手を負った悪魔の軍勢は、しかし怯むことを知らない。

「闇のベールよ、光を飲み込め!」

 黒いマントの中から片手を挙げて詠唱し、天使同様光の粒子を体内に取り込む。そして次の瞬間には黒い魔法陣が掌から広がった。

 魔法陣から放たれたのは黒い霧。もくもくとまるで暗雲が広がるように現れたそれは勢いを増して天使の軍勢へと襲い掛かる。

 黒い霧に触れた天使達の身体は段々と赤黒く染まっていき、終いにはその身体が霧散した。


 大分戦力を削がれた両者。だが互いに一歩も譲らない。

 光の魔法と闇の魔法が交錯し、戦いはヒートアップしていく。


「持ちこたえろ!あと少しだ!!」

「攻めろ白軍ーー!!」

「悪魔に引けを取るな!!いけぇー!!」


「簡単にくたばるなよ野郎共!天使なんぞぶっ殺せ!!」

「次こそ領土を広げてやんぞ!!」

「人間界を我が手に!」


 天使率いる白軍と悪魔率いる黒軍が正面衝突し、惨たらしい争いが加速する。はじめは拮抗していたが状況は変動して白軍が優勢になりつつあった。

 重傷を負い、処置のために悪魔の領土へ連れられていく者が増え、黒軍が少しずつ後退していく。

 白軍も重傷者は多数いるが、それでも、守るべきもののために戦いに身を投じた。人間界を悪魔から守るため。ただそれだけのために今このとき命を賭けている。

 はらり、はらり。白い羽根と黒い羽根が舞い躍り、散ってゆく。


「まーた戦争おっ始めてんのかよォ」


 いよいよ黒軍の指揮官が撤退を命令しようとした、そのとき。

 この戦場で一際美しい翼を広げる少女が大きな独り言を口にした。


 茶色のフード付きローブを着た旅人のような格好をしている者が、太陽光に照らされてより輝きを放つ純白の翼をその背から生やし、悠々と戦場を見下ろしていた。

 フードを深く被っているため顔は隠れているが、肩まである白銀の髪がフードの中から溢れ落ちて風に踊らされる。


 白軍も黒軍も、目の前の敵に集中していて彼女の存在に気付かない。


「毎度毎度よーやるなァ。お仲間とチャンバラゴッコすんのがそーんなに楽しいかねェ?私には理解できねーわァ」

 妙に男っぽい口調と変に間延びした声で尚も独り言を溢す。

「人間界を巡る戦争なんざこれっぽっちも興味ねェ。けどよォ、」

 風ではためくローブで隠れていた手を前に突き出し、同時に光の粒子が集束しだす。

「通行のジャマなんだよなァ」

 掌から魔法陣がぶわりと広がり、そこから一直線に伸びた光の柱が白と黒が入り乱れる中間地点を真っ二つに切り裂いた。

 予期していなかった第三者の攻撃に天使軍も悪魔軍もようやく彼女の存在に気付き始める。

 フードで隠れた目元は影になって見えないが、口元には歪な笑みを浮かべていた。

 翼を広げて滑空し、戦場のど真ん中に突っ込む。

 白い翼を見て、味方の援軍かと考えた白軍だが、悪魔だけでなく味方であるはずの天使にも攻撃した。どうやら援軍ではなさそうだ。

「味方なのに……何故っ!?」

 誰かが叫ぶ。

「味方ァ?私にそんなやつぁいねェよ」

 歪んだ笑みを崩すことなく言った。

 天使も悪魔も関係なく、彼女の前に立ちはだかる者は皆攻撃対象となった。

「オラオラァ!とっとと退け!!私が通れねぇだろがァ!!」

「ひっ……!?」

「うがぁっ!!」

「なんだこいつ……!?」

 詠唱破棄して魔法陣を展開し、光の矢を降り注ぐ。攻撃をくらった者は火で炙ったような火傷を負い、その箇所を押さえながら後退した。

 詠唱破棄で魔法が使えるのは上級の証。天使にも悪魔にも詠唱破棄で魔法が使える者はほとんどいない。そのため、余計に混乱を招いた。

 困惑しながらも彼女に歯向かう者は徐々に少なくなり、終いには彼女のための道を作るように少しずつ拓けていった。

 思わぬ乱入に狼狽する両軍など目もくれず、我が物顔で悠々と浮遊する少女。ようやく戦場を抜けようとしたがすぐそばで何者かの気配を感じ、咄嗟に結界の魔法陣を展開した。

 黒軍側から放たれた黒い雷が彼女を襲う。彼女の魔法がそれをバチンッ!と弾いた。

 黒の軍勢から姿を現した長身の男が剣を片手に彼女に急接近する。片方の耳にかけられた長めの前髪がさらりと揺れ、深紅の瞳が鋭く少女を射抜く。彼女は歪な笑みを更に歪め、楽しげにくくっと笑った。

「……イイ眼してんなァ。ぞくぞくする」

 あと数センチで刃が喉元に届きそうといったところで懐から剣を抜き、男の剣を受け止める。押し切ろうとする男だが思いの外少女の腕力が強く五分五分だ。

 空いてる片手で魔法陣を構築する。

「黒の鮮血よ、闇を造り出せ」

 魔法陣から黒い水が解き放たれ、彼女を結界ごと飲み込む。だが数秒もしないうちにそれは水が弾けるような音と共に霧散した。

 男が若干眉を寄せ、僅かに隙ができたのを見逃さず、空いてる方の手で魔法陣を構築して光の矢を出現させた。それは男の身体を傷つけることはなく、まるで光の屈折で創られた檻のように男を囲んで動きを封じた。

「お前そこそこやるなァ。すこーーーしだけ、楽しめたよ。けど私戦争には興味ねェから。殺りてぇならタイマンで来いよォ色男」

 風がふわりとフードを持ち上げる。

 覆われていた彼女の目元が露になり、男はぴくりと眉を上げた。

 天使の象徴である宝石のように煌めく青い瞳……ではなく、鮮血を塗りたくったような深紅の瞳。

 瞳の奥に一切光が宿っていない、悪魔の証がそこにあった。

 フードが持ち上がったのはほんの一瞬で、彼女の瞳を視界に入れられたのは檻の中に閉じ込められた男だけだった。

「じゃあなァ。次おっ始めんなら私の通り道でやんじゃねぇぞォ」

 今度こそ彼女は戦場を突っ切り、ふわふわとどこかへ羽ばたいていった。

 その場にいた者全員が身体を硬直させていたが、彼女の姿が見えなくなった途端に長身の男にかけられた魔法がまるで部屋の電気を消すかのようにフッと消えたことで周囲にいた者らが我に返り、雄叫びを上げて再び衝突した。

 長身の男も1拍遅れて我に返り戦に身を投じたが、頭の中は先程の少女でいっぱいだった。


 翼は白。髪も白。天使の証。

 だが瞳は鮮烈な赤。悪魔の証。

 彼女は敵か。それとも―――


 それまで優勢だった白軍が見事黒軍を押し切り、勝利をもぎ取った。


 ―――――
 ――――――――――


 一部の領土を奪われ、撤退を余儀なくされた黒軍は自分達の領土の中枢まで逃げ仰せ、傷を癒していた。

 悪魔達は再度領土を広げるべく次の手を打とうと模索する。そんな中、とある悪魔が辺りをきょろりと見渡して首を傾げた。

「スターチスはどこ行った?」


 ―――――
 ――――――――――


「うお、なんにもねェ!ここら辺はだーれもいねぇのなァ。つまんねェの!」


 太陽が沈み、月が顔を出す頃。

 夕日の色と夜の闇が混ざり合った空が広がる中、茶色のローブが風で揺れ、大きく羽根を広げて独り言を呟く少女。

 玩具を取り上げられて拗ねた子供のように唇を尖らせた彼女は仕方ないとひとつため息を吐き、懐から白い小さな箱を取り出して目の前に投げた。

 くるくるくる、と回転しながら少女の手から離れた白い箱は突如魔法陣を描き、その場でズズズ……と大きくなった。

 ただの白い箱だったそれはみるみるうちに形を変えていき、やがて少し大きめな白い一軒家となった。

「今日はここでひと休みすっかァ。あー腹減ったァ」

 玄関のドアを開けて空腹を訴える腹を押さえつつ中へ入ろうとしたそのとき、どこからか気配を感じた。

 気配の元を辿ろうと後ろを振り返ろうとした刹那、少女の喉仏に銀色に鈍く光るものが押し当てられた。少女は内心驚いた。ここまで接近するまで、あまりにも気配を感じなかったから。

「お前、気配消すの上手いなァ。この私に察知させないとはなかなかのもんだァ」

 背後から剣を逆手に持って喉元に押し当てる長身の男。今にも少女の首を斬り落とさんばかりに力を加えている。

「何?タイマンしたくなったァ?喜んでやってやんよォ」

「違う」

「えーせっかく二人きりなんだから楽しもうぜェ?色男」

「……」

「つれねーなァ」

 つぅ、と一滴鮮血が流れた。

 鎖骨を伝い、豊満な胸の谷間まで流れ落ちた。夜の闇に包まれた今、妙に艶かしい光景に思える。

「お前は、敵か。味方か」

 抑揚のない、機械が喋ってるのかと疑うほど感情のこもってない声で少女に問う長身の男。

 黒い翼が闇夜に映える。長い前髪で右目が覆われて、左側だけ耳にかけているため片目しか露になっていない。左の深紅の瞳を光らせた。

 少女はまた、歪にわらう。

「どっちでもねェ」

 男の表情は変わらなかった。

「私はただ遊び相手がいりゃそれでいいからなァ。敵とか味方とか考えたことねェわ」

「では質問を変える。お前は天使か?それとも悪魔か?」

 少女は笑みを深くした。

 今まで、幾度となく同じ疑問をぶつけられたからだ。

「いちおー、親は二人とも天使だったから私も天使なんじゃねェの」

 明確な言葉はなく、どっちつかずの中途半端な答えに苛立ちを露にすることもなく、それどころか眉ひとつ動かさなかった。

 少女が少し首を動かし、二人の深紅の瞳が交錯する。

「白軍に加勢したのではないのか」

「いんやァ。ぜーんぜんそんなつもりはねぇよォ。言っとくが、あそこで戦争してたなんざ知らなかったんだぜェ?私の通り道にいたおめぇらが悪ィんだよ。ちゃぁんと道は整備しねぇと通れねぇだろォ?」

「別の道を行けば良い」

「なんでわざわざこの私が退かなきゃいけねぇの?いみふめーェ!それに目の前になんかあったらぶっ壊したくなるから無ー理ー。お前もそう思わねぇかァ?」

「……」

 終始無表情を貫いた男に少女は眉を潜める。

 一ミリも感情が表に出ない目の前の男が不気味に思えた。

 少女は隙を見て鳩尾に肘をめり込ませた。男は微かな呻き声とともに後退する。少女の喉元に当てられていた剣は離れた。

「理解できねぇならいいやァ。もう用はねェ?あっそ。タイマン張りたかったらいつでもウェルカムだからァ」

 少女は空腹が限界に達したようで、一方的に話を終わらせてさっさと家の中に入っていってしまった。

 男はぽつんと建っている白い家の前で暫し立ち尽くしていたが、ふと玄関扉の前に刻まれた表札を一瞥した。

 そこには“フクシア”と綺麗な文字で綴られていた。


 ―――――
 ――――――――――


「さーってと、今日も“狩り”に行くかァ」

 翌日、欠伸を溢しながら伸びをして、少女は外へ出る。

 家を支えている魔法陣の中心に掌を翳せば、たちまち小さくなっていき、元の白い小さな箱に戻った。それを懐にしまい、昨日同様茶色のローブを羽織り、フードを目深に被る。

「狩りとはなんだ?」

 突如背後から聞こえた声にびっくりし、思わず振り向き様に正拳突きをした少女。

 男はパシッと余裕綽々で少女の拳を受け止め、昨日同様表情のない顔で見下ろしていた。

「影うっすいなァお前。全っ然気付かなかったわァ。何?前世は影だったァ?」

「……」

 少女の冗談にも眉ひとつ動かさない。

 歪な笑顔を絶やさない少女と感情が欠落したような顔の男は半ば睨み合うように視線を絡ませたが、すぐにそれは外された。

 先に視線を逸らしたのは少女だった。

 ローブのフードを引っ張り、鼻先まで隠す。

「やっぱタイマンしたくなったァ?」

「なってない」

「じゃあいつまで私の視界に入ってんだァ?邪魔だ。失せろよ」

「嫌だ」

「はぁ?意味分かんねェ」

「俺もよく分からない。何故かここにいたいと思った」

 男は少女を真っ直ぐ見据える。目深にフードを被ってるせいで目線は合わない。口元には歪な笑みが浮かんだまま。

 再び数秒沈黙した……かと思いきや、少女は男に向けて詠唱破棄した魔法を放った。数本の光の矢が男を突き刺さんばかりに襲う。間一髪のところで退いた。

「なァんにもねぇこの場所のどこに気に入る要素があるか知らねぇけど、殺り合う気もねェのに視界にちらつくんじゃねぇよ色男ォ」

 白い翼を悠々と広げ、男には目もくれず空の彼方へと飛んでいった。びゅうびゅうと風を切る音が耳朶を揺らす。

 太陽の光で煌めく青い空とふわふわ漂う白い雲。果てしなく続くそれは壮大で、でもどこか寂しい世界がしばらく続いていた。


 かなりの時間を要してようやく建物が姿を表した。純白に身を包んだ2階建ての集合住宅と、そのすぐ側には巨大な魔法陣の上に滑り台やブランコなどの遊具が設置された、所謂公園があった。

 集合住宅の中にいるのは少女と同じ白い翼を持つ者達。家族と談笑したり恋人と仲睦まじくしていたりと幸せな時間を過ごしている。

 窓の外から見えるそれらを視界に入れた瞬間少女の中でむずむずとあるものが衝動的に沸き上がる。

「ヒャハハハハハッ!!」

 突如狂ったようにわらった。

「ハハハ……アー、ぶち壊してぇなァ」

 普通なら見てる方も微笑ましくなり、優しい気持ちになれる幸せの一端。

 だが少女にとっては、破壊衝動を彷彿とさせる光景にしか思えなかった。


 少女の掌に綺麗な色彩の魔方陣がぶわりと広がる。微かに赤みがかった白濁色の指の先ほどしかない無数の小さな玉が現れ、それらは集合住宅と公園に一直線に襲いかかった。

 美しく放物線を描いて建物の彼方此方を穿つ。中にいる白の住人達は突然日常に放たれた異分子にパニックに陥り、我先にと窓から羽ばたいてゆく。

 公園で遊んでいた数人の子供達も唐突に訪れた危機に咽び泣き喚く。遊具が倒れて下敷きになりそうなところを親とおぼしき者が決死の覚悟で助けたことで大事には至らなかった。

 一人、また一人と空の彼方へ飛び立ち、逃げ惑う。

 錯乱状態ゆえに彼女の存在に気付かない。


「オイオイ、自分が産んだ子供見捨てんのかよォ。ふはっ!そのくせ一丁前に泣き叫んでやがる!あー面白ェ。お?親父が助けに行くのか。こりゃ破局で決まりだなァ!」

 楽しい、楽しい、楽しい。

 他人のシアワセな時間を壊すのが楽しくてたまらない。

「狩りとは同胞を殺すことか」

「……なァんでついて来たんだよ」

 少女のすぐ近く、斜め後ろから先程と同じ無機質な低音が鼓膜を突き抜ける。

 心なしか若干気分が下がった。

「タイマンなら後でなァ。今はお楽しみの真っ最中だからよォ」

「しない」

「ほんっとに意味わかんねェ。勝手にしろよもう」

 背後の男に気を取られてるうちに住人達は避難したようで、建物周辺には誰もいなくなっていた。

 少女は舌打ちし、苛立ちを露にする。

「チッ、これからがいいとこだったのによォ。お前のせいで楽しみがパァだ」

「同胞を殺すのが楽しいのか?仲間だろ」

「だーかーらァ、仲間なんていねぇっつってんじゃんよォ。それに私、殺しはしねぇし」

「何故?」

「だって殺したらお前と同じになっちまうもん」

 天使は命を奪ったが最後、白銀に光る髪も純白に輝く翼も漆黒へと成り果てる。

 悪魔へと変貌してしまうのだ。

「幸せな時間をぶち壊して、狂ったように泣き叫んでるところをじわじわと苦しめるのが最っ高に気持ちいいんだよなァ!」

 まるで元気にはしゃぐ純粋な少年のようなキラキラした目。頬を赤く染め恋慕してるような恍惚とした表情。その視線の先はついさっきまでなんてことない幸せな日常を噛み締めていた人達がいた場所。

 至るところに穴が開きボロボロになった見るに耐えない廃墟と化した建物をうっとりと眺める彼女は、どこからどう見ても異常だ。


 男は表情のない顔はそのままに、微かに首を傾げた。

「何故壊す?何故殺さない?何故楽しい?」

「何故何故何故って、お前は何故星人かよォ」

「俺はお前が理解できない」

「私もお前が理解できねェよ。するつもりもねェけど」

「俺は理解したい」

 ずっと楽しげに廃墟を眺めていたが、その一言に思わず振り返った。

 初めて会ったときから1ミリも変わらない無表情。だが瞳の奥に、少女には欠落している“何か”が垣間見えた気がした。

「俺は知りたい」

 純粋無垢な少年のように真っ直ぐ見つめてくる彼と、楽しみを奪われて苛立ちながらも歪んだ笑みを絶やさない彼女の視線が絡み合う。

 少女は鼻で笑った。

「はっ、知りたい……ねェ。会ったばっかの敵に言うことじゃねぇなァ」

「敵や味方など考えたことはないと言っただろ」

「私はなァ。でもお前は違ぇだろォ?天使は敵。悪魔は味方。っつー考え方じゃん。だから戦争に駆り出されてんだろォよ」

「ああ。そう教えられた」

 だが、と男は続ける。

「お前の思考は興味深い。だから敵とか関係なく、知りたくなった」

「わぉ。どストレートォ」

「だからついていく」

「ストーカーかよォ。邪魔だから他当たれよォ」

「勝手にしろと言った。だから勝手についていく」

 そこで初めて少女の歪な笑みが崩れた。

 ほんの一瞬だったが、嫌悪で顔を歪ませた。だがすぐに元の顔に戻る。

「自分の在るべき場所に戻れよォ。私は一人が好きなんだ。お荷物抱えて飛び回る趣味はねェの」

「俺はいないものと思ってくれて構わない」

「そーいう問題じゃねぇんだけどなァ」

 がしがしと頭を掻きむしる。

「邪魔にも荷物にもならないと約束する。だから傍に置いてくれ」

 じぃっ……と純粋な眼差しで見つめられ、少女はぐっと眉根を寄せた。

 視線で貫通しそうなほど真っ直ぐこちらを射抜く男を見ていると、心の奥深くで正体不明の何かが蠢く。

 それがひどく気持ち悪い。

 正直関わりたくない。面倒だ。

 だが……

「……私の前を飛んだら問答無用で狩ってやるからなァ色男ォ」

 この純真無垢な綺麗なアカの瞳を見てるとどうしてか逆らえない。

 目線を外して徐に少女自身が跡形もなく破壊した公園に降り立った。魔方陣の上に瓦礫の山と化した遊具が横たわっており、そこへ足をつける。最早公園とは呼べぬその景色を見ていると心が凪いでいった。

 だがそれも瞬きするだけの僅かな時間だけだった。


「フクシア」

 男が少女の家の表札に刻まれていたものを、少女の名を口にしたから。

 久しく耳にしなかった己の名を呼ばれぴくりと反応する。

「俺の名はスターチスだ。色男ではない」

「……はァ?」

 と、次の瞬間には自己紹介され、少女はぽかんと口を開けた。

 表情も声色も全く変わっていないはずなのにどこかちょっぴりムキになったように聞こえたのは気のせいだろうか。

「ふっ……アッハッハッ!気にしてたのかよォ!?全っ然そう見えねェ!」

 少女は吹き出し、豪快に笑った。

 自らが笑われ、馬鹿にされても男の顔に表情の変化はなかった。いや、少女が気付かないだけでもしかしたら変化はあったのかもしれないが、このときは分からなかった。


 一頻り笑ったあと、少女は男を見据える。

 純白の翼をこれでもかと開き、横たわったボロボロの遊具を軽く蹴って後ろ向きで飛んだ。

「正直すっげぇ邪魔だし、不気味だし、めんどいし、関わりたくねぇけど。出血大サービスで特別に許してやんよォ、色男」

 にやり、と悪人面で笑った彼女はそのまますいーっとどこかへ飛んでいき、男は暫しその場で固まっていたがすぐに彼女を追いかけた。

「色男ではない。スターチスだ」


 こうして、破壊を好む異端の天使・フクシアと謎の悪魔・スターチスの奇妙な二人旅が始まった。


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