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第12話 ふしだらに断たれた血の掟

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 余所への目隠しや水桶を片付け終え、二人はまた手を繋いで家の戸口へと向かった。勿論、道中は旺盛な好奇心を惹くための子守唄は欠かせない。
 相変わらず銀の少年は両手を引かれながらではあったが、口は少しほぐれてきたらしい。今度は舌と口を懸命に動かしながら、テララの歌を反復することに夢中になっているようだった。何歩譲ったとしても残念ながら少年の奏でるそれは歌には聞えなかったが、それでもその愛らしく思える様をテララは優しく歌い見守りつつ、難なく二人は階段を上って戸口前まで辿り着くことができた。

「ふう、やっと着いたね。すぐご飯の用意するからね。あっ、そう言えば。お姉ちゃん、まだ寝てるのかな? 昨日はお勤めだったし。でもそろそろ起こしてあげなくちゃだよね」
「オネ……ω、ωチアン?」
「うん。私のお姉ちゃん。んーー、クイシンボウで、オネボウサン」
「κ……クイ、κ、シ、シ……ボ……。オ、オ、ネボ……オネ、オネチ、アン?」
「フフッ。そうなの。あなたは真似しちゃだめだからね?」

 そんな他愛ない話をしながら戸口を潜ろうとした間際、視界で居間を捉えるよりも先に何者かが不機嫌そうに反論する声が割り込んできた。

「だーーんれが、食いしん坊で、お寝坊さんなのさっ!」
「――うわあっ!? お姉ちゃん起きてたんだ!?」
「人が疲れて寝てると思て、ひどい子だねーーっ! お姉ちゃん悲しい! およよよ……ぐすん……」
「フフッ、冗談だから。お勤めあったのに、今日は早起きなんだね?」

 声の方を見やると、火の付いていない炉の前で気だるそうに姉が胡座あぐらをかいていた。と言っても、いつものように髪は跳ねたまま、たまにあくびを挟む様子から、起きたのはついさっきのようだ。

「んーー。昨日のはほら、ちょっと人数多かったし……。血、沢山分けたから……。って言うより! 人が気持ち良く寝てたのに、キャーだの、ワ―だの、誰かさんがそれはもうおっきな声で騒ぐもんだから寝てられなくてさあ!?」
「ええええっ!? ももももしかしてお姉ちゃん、き聞いてたのっ!!!?」
「何そんなに面白い顔してんの。もう、あんまり大きな声出さないでってばあ。頭に響くし、起きたら起きたで階段下の服でこけるしで! 腹も減っちゃって散々なの! だからほらっ! 早くっ! 飯ーー! めーーしーー!!」
「ああ……。うん、ごめん……」

 階段下に畳んでおいた服でこけちゃったんだ……。分かりやすいとこに置いたつもりだったんだけど……。まあ、今は言わないでおこっと……。
 不機嫌そうに首輪の付け根を掻いている姉の気持ちに、ほんの少し心当たりと罪悪感があった。

「腹減った! 腹減った! 腹減ったあーー!」

 だからといって、今の話を下手に広げてしまえば、いろいろとややこしくなるのは目に見えている。本能的に身の危険を察した妹は必要以上に反論せず、とりあえず大人しく居間へと入った。

「ああ、もうまだ眠いのにーー! 尻も痛いし! 腹も減り過ぎて痛いしい! 早くめし! めし! テララあ! めしいいいい!!」

 どうやら感づかれていないらしい。思わずテララも小さく溜息をもらす。
 しかしながら、腹が減ったと騒ぐわりに炉に火も付けず駄々をこねる姉の姿は、いつもに増してひどい有り様だ。これぞ悪い手本だと言わんばかりに赤子のそれ以上にわめき散らしている。一難去って、また一難。頭が痛くなるのはいったいどっちだと言う話だ。
 そんな姉の有様に何か身の危険を感じるのも無理もない。銀眼の少年は萎縮してしまったのか、テララの後ろで小さく身体を丸めてしまってた。

「……オネ、ア……ン。グググ……。テ……、テ、ララ……?」
「ああ、怖がらなくてもいいんだよ? もうお姉ちゃんたら。今作るからそんなに大声上げないであげて! この子、怖がってるじゃない」
「んあ? ……ああーー。あんたの後ろに隠れてるのが、昨日村、騒がせてたってやつね? えええ……。んーー。うううう……」

 明らかに飯が先か、睡眠が先か、それとも自身の役目が先が仰向けになったまま悩んでいる。この姉という人は。

「えっと……、ご飯、食べてからにする?」
「まあ……。んーー。それじゃあ、先に顔見せてもらおうかな……。一応、仕事だし?」

 それまで不満全開でうな垂れていた駄々っ子だったが、流石に自身の身分は重んじるようだ。テララの後ろの少年を意識すると、姉は努めて。もう一度言うが努めて、おごそかな面持ちでその場に座り直した。といっても髪は跳ね、服は乱れ肩も出てしまっているので、どう見改めてもただ大人しく座っている一人の少女でしかないのだが。

「"お見定め"先にするんだね? 分かった……」

 けれども、テララはそれをわざわざ茶化したりはしなかった。
 チサキミコとしてのもう一つの役目。この村を守るための掟。そのために姉の計らいを尊重し自身も気持ちを切り替え、静かに少年にふり返る。

「それじゃ、えっと。何も怖くないよ? あの人は何もしないから。私もちゃんと傍についててあげるから、もうちょっとだけ近づけそう?」

 すっかり怯えてしまった銀の瞳に目線を合わせ、その頭をそっと撫でてやりながらそう促す。
 まだその目から恐れは消えてはいなかったものの、小さくこくりと頷くのを待ってから、テララはそっと少年の手を引いた。そして震える小さな歩調に合わせながらゆっくりと姉の前に座らせると、自分もその隣に一緒腰を下ろす。

「ふうーーん。この子がねえ……?」
「ヒギッ!? テッララッ!?」
「あわわ。平気だよ? 怖くない、怖くない。何もしないからね」

 寝起きでまだ細ばったままの目つきの悪い顔で少年を覗き込む。身なりこそその場に似つかわしくはなかったが、銀眼の少年を見定めるその青緑の目は確かに村長むらおさとしてのそれだった。
 見幕ささえ感じるその鋭い眼差しに怯えて、思わずテララの影に隠れる少年。
 それをなだめるテララの姿は、おおよそ初めてあの目力増しましの村医者に掛かる子供をあやす母親といったところか。

「怖くなよーー? 怖くないからね? ……お姉ちゃん、驚かさないようにお願いね?」
「驚かすも何も、ただ少しお話ししようってだけだよ。あたしも誰彼構わず、血をあげることはできないんだからさ。ああ、なんだっけ? 生まれとか? 身体の丈夫さとか? そんな感じの。あんただって解ってるでしょ?」
「う、うん。それは分かってるんだけど……」
「なら。そんな過保護してないで、その子もっとこっち寄せて。どれどれ……。――こっ、これはっ……!?」

 誰にでも血をあげることはできない。そう言われてしまうと、流石の妹でも何も言い返せなくなる。少しの心苦しさを堪えて、テララは自分の後ろで怯える少年をもう一度座り直させ、その肩を抱く形で姉の言葉に従った。
 そうしてもう一度チサキミコの前にわあらとなった少年。
 その銀白の姿を目にするや、姉は思わず息を呑んだ。意表を突く愕然としたその声は、その場の空気を一瞬にして張り詰めさせる。空腹に駄々をこねていた問題児の面影など最早微塵も感じられない。村の秩序と安寧あんねいを司るチサキミコの荘厳さが少年を更に震え上がらせる。

「かっ……、かっ…………、かあ……………………」
「ん? か……?」
「……かっ……、かかっ…………、か、かかかあ…………!?」
「かかあ? お姉ちゃん、何言って――」
「――かわいいいいいいいいいっ!!!?」
「……え?」
「……ンギ?」

 一人は、幻聴かと自分の耳を疑ってしまうほど、想定外の言葉に間の抜けた声を漏らした。
 一人は、それまで張り詰めていた威圧感がたちまち消し飛ぶのを感じ、息を吹き返した。
 片やもう一人は、それまでの厳格な表情はどこへやら。瞬く間に息が乱れはじめ、控えめに言って気色悪いほどにいやらしくにやけた表情で目の前のそのヒトを凝視している。

「お、お姉ちゃん、今……何て……?」
「なんてかわいいのっ! この子っ! かわいすぎるっ!! ねっ! あんたばっかりくっついてないで、あたしにもくっつかせてよーー!!」
「お姉ちゃんっ! お見定め中なんでしょっ!? 大事なことなんだから! ふざけるのやめてよっ!?」
「ん? ああーー。そんなのいいのいいの」
「いいわけなああああああい!!」
「だから、大声出さないでって。もう……。だって、こんなにかわいいんだよ? あんたもそう思うでしょ? あーーもーーだめっ! 抱きついちゃうもーーーーんっ!!」
「かわっ!? ……そ、それは、私だって少し……。って、ええええっ!?」
「ギャッ!? ギッ! イ、γ、イヤ……テ、テラッ、ラッ……!?」

 次の瞬間。それはあっという間だった。
 寝起き直後でさえ、身構えた妹に抱きつく俊敏さの持ち主だ。それがこうして覚醒した状態であれば、尚の事。その獲物に飛び掛かる奇襲から逃れられる者などこの村に誰一人として居やしないだろう。

「あらまああああ!? なんてすべすべて柔らかくて気持ちがいいほっぺなの???? ウフフフーーン! もほほほほっ! お姉ちゃん、たまんないいいいっ!!!? イヒヒヒヒッ!!」

 そしてまた同様に、この尋常でないほとふしだらに銀白の少年に絡みつく姉を取り押さえられる勇敢な心の持ち主も居やしないだろう。少なくとも今この場には。
 お見定め。それは全村民の一生。その命が秩序と安寧あんねいに満ち生涯を全うするための儀式。その約束された生活のかせとなり、図らず脅威となるやもしれない部外者を、村の一員として受け入れるべきか否か厳正に判断する村命の存命を賭けた掟。少女たちの母親よりも遥か先代より脈々と受け継がれてきた、何人たりとも破ることなど断じて許されない忌まわしき血のくさび
 そのはずなのだが。それが今、拒否する術なく一方的に溺愛できあいされ、純白の髪の中でいじらしく銀眼を潤ませている少年の無垢で柔らかい愛おしさによって、呆気なく覆されてしまったのだった。
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