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第79話:復帰戦の一球目

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 投球練習が終わるタイミングで今日は一塁手として先発している日下部先輩が声をかけてきた。内容はマスクを被るキャッチャーの慎之介のことだった。

「坂倉は今日が初マスクだ。緊張していると思うから、お前がリードしてやるんだぞ? 同じ学年で怪我明けとはいえ、お前の方が場数はふんでいるからな」

 工藤監督が慎之介を起用した意図は慎之介に経験を積ませること。今日の先発で夏の甲子園のグラウンドに立ったのは俺、悠岐、日下部先輩と後二人の五人。残りの四人とベンチメンバーにも数名いるが半分以上は応援する側。

 これから迎える秋季大会、その先にある春のセンバツ大会を勝ち抜いていくためには彼らの成長が不可欠であり、この練習試合は打ってつけの舞台だ。

「えぇ。わかっていますよ、キャプテン・・・・・。でも、今日は慎之介がやりたいようにリードさせるつもりです。その分のカバーは俺がしますから」

「ったく。お前じゃなかったら叩いているところだが……その辺は任せたぞ。俺の後任は多分あいつだろうからな」

「そうですね。だからそのためにも慎之介には頑張ってもらわないといけませんね」

 試合を成立させるのはピッチャーとキャッチャーの共同作業。どちらか一方が良くてもダメだ。名捕手が名投手を生み出すように、名投手が名捕手に育てるのはプロの世界でもよくあること。だから俺に出来ることはなんでもするつもりだ。

「頼んだぜ、新エース。バシッと決めてくれよな」

 パン、と俺の尻を叩いて日下部先輩は守備位置に向かった。

 待ちに待った、甲子園以来のマウンド。春こそはその頂点に立つため。夏の雪辱を果たすための戦いのスタートライン。

 そして同時にこれは。本当の意味で過去と向き合って決別するための戦いでもある。夏に果たせなかったために、今なおもこうして付き纏ってくる亡霊との最終戦。

 そしてあの女の先には、両親という大きな壁がまだ残っている。今日この場にくると思っていた両親が来ていないのは、間違いなく里美さんのおかげだ。

「そう。常華明城高校と練習試合をするのね。そしたら兄さん……晴斗のご両親もきっと来るわね……」

 早紀さんとの関係や初夜の事を洗いざらい喋らされた日。泊まることになった経緯を話す中で当然今日の試合のことも話した。俺が勘づくくらいだ。里美さんもその意図に思い至った。

 さらに俺は父や母から送られてくるメッセージも里美さんに見せた。画面をスクロールさせていくうちに柔らかかった表情が徐々に憤怒に染まっていく様子に俺は不謹慎ながら笑ってしまった。

「本当に……この人たちには呆れるわね。晴斗を何だと思っているやら……うん、わかった。私がなんとかする。あなたの叔母として、あの人の妹として、これ以上晴斗を苦しめるような真似ははさせないから」

 そう言いながら俺にスマホを返し、その代わりに自分のスマホを取り出すとすぐに電話をかけた。

「もしもし、隆志たかし兄さん? うん、突然ごめん。今大丈夫? 何の用だって……晴斗のことに決まっているでしょう?」

 少し語尾を強めながら里美さんは椅子から立ち上がり寝室へと移動した。それに驚いた俺は後に続こうとしたが『大丈夫だから』と制された。

 それから数十分。侃侃諤諤かんかんがくがくとした里美さんの声がリビングまで響き渡った。里美さんの激昂を初めて聞いた俺は少し恐怖を感じ、この人は怒らせたらいけないと心に誓った。

「はぁ……兄さんがあそこまで分からず屋だとは思わなかったけど、なんとか説得は出来そう。ただお義姉さんの方は重症ね。むしろ隆志兄さんが頑ななのもあの人が元凶のような気がするわ。面倒なことに考えは恵里菜ちゃん寄りね……」

 頭をガシガシと掻きながら、電話を終えた里美さんがリビングに戻ってきた。メッセージでも面倒なのは母さんの方だ。俺を心配しているようでしていない、上辺だけの様子が文面から感じ取れた。

「でも大丈夫よ。晴斗は気にしないで野球に打ち込んで、そして早紀ちゃんとイチャイチャしていればいいの」


「二人のことは私が説得しておくから。これ以上息子を苦しめるなってね」

「……里美さん。何から何まで……本当にありがとうございます」

「フフ。いいの、気にしないで。言ったでしょう? 子供の夢を叶えてあげるのが大人の役目だって。頑張ってね、晴斗。あなたのことを応援しているのは、何も早紀ちゃんだけじゃないんだぞ?」

 お茶目に笑いながら里美さんは言った。感謝の言葉しか出なかった。

 その甲斐あって。今この場に両親は来ていない。どんな話がされたかは教えてくれなかったが、会わなくて済むならそれに越したことはない。いずれしっかりと話さなければいけないが、今はまだその覚悟はない。その前に、あの女恵里菜との決着を付けなければいけないから。
 
 相手ベンチ。どっしりと太々しく構える老将、金村監督が俺に送る視線は品定めをするようで気味が悪い。

 バッターボックスに選手が立つ。線の細い右打者。恐らくは俺と同じ一年生だが見たことのない顔だ。地元だから知った奴がいるかもと思ったが、どうやら世間は思っている以上に狭いようで広いのかもしれない。

 目を閉じて。大きく深呼吸を一つ。身体から無駄な力と雑念を払い、集中する。

「プレイボール!」

 審判が右手を挙げた。

 慎之介の初球のサインは外角低めのストレート。俺の性格をよくわかっている。思わず口元に笑みが浮かぶ。

 さぁ、ショータイムだ。

 なんて、仮面の魔術師の決め台詞を心の中で呟きながら。俺はゆったりと投球動作に入った。
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